『人間どもに、竜は必要ないね。たしかに、空にも、世界にもさ』
飄々とした調子で、チェトレが肩を竦めた。
ボッシュは鋭い目でチェトレを睨んだ。
「……それだけを言いに出てきた訳じゃないだろ、根性悪ドラゴン。なんだ?」
『ひどいなあ、根性悪人間。ちゃんと最後まで聞いてよ』
「……俺に泣きついてほしいか? 頭を下げて欲しいか。リュウを返してくれって、そうして欲しいか?」
『悪くないねえ。だってアジーンとこのリンク者、もっと可愛いんだもん。なつっこいし。でもさ、ボッシュ』
チェトレは、にこっと笑って言った。
『おれ、そこまで性格悪くないよ』
「嘘つけよ、最っ悪だろうが」
『ほんとにほんとに。ほんとに、さあ……』
ボッシュは、ふっと気がついた。
このドラゴン、何をそんな変な顔をしてるのかと思ったら、どうやら見慣れた例の表情をしている。
泣きそうな、リュウみたいな、そんな顔だ。
そしてそれをボッシュの顔でやるのだから、当然ひどく気持ちが悪い。
「……その顔で泣くなよ、気色悪い」
『わかってるよ! ただちょっと……わかんない、だけだよ……』
チェトレは困惑していた。
全身でもって、戸惑っていた。
竜には似つかわしくない感情で身体をいっぱいにしていた。
『……どうすればいいかなあ、ボッシュ』
チェトレは緩く首を振って、ねえ、とボッシュに答えを求めた。
『空にも地上にも、ヒトにも、もう必要はないんだよね? ただこうやって偶像をつくりあげて、崇拝してるだけで、人の心は満たされるんだろう? ほんとにおれたちがここにいたらみんな怖がるくせにさ』
「結局何が言いたいんだよ」
『……でもねえ、ボッシュ。必要とされてないんだ』
チェトレは、どうしようもないね、と困ったように笑った。
『でもおれたちには、欲しいものばっかりなんだ。ふたりとも、ずうっと泣いてばっかりいる。ひとりぼっちは嫌だって、手をはなさないで、ちゃんと繋いで歩いてって』
「手を……」
ボッシュは、のろのろと口を開け、呆然と呼んだ。
「リュウ……?」
『おれは……』
チェトレは、自分のてのひらをじいっと見つめた。
『ずうっと、手を繋いでくれてたことさえ、知らなかったんだ』
彼は呆然としていた。
まるであるはずない答えを知った時にあるように、信じられない、嘘みたいだ、という顔をしていた。
『兄弟……おれ、ひとりはいやだ……』
くしゃっと、ついにチェトレの顔が歪んだ。
見つめていた手のひら両方で顔を覆った。
音を立てずに、彼は泣いた。
『いっしょに空、見たいんだ……』
「ならそうしろよ」
ボッシュはそっけなく、チェトレに言った。
「そうやって選んで、俺にリュウを返せよ。こいつこんな死体で、何やったって泣きもしない。「ごめん」もなし。つまんないったらないよ」
『……おれ、わかんないからさあ』
チェトレはそうやって、ボッシュを見た。
『ボッシュ、リュウを好きってやつって、どんな感じ?』
「おまえリンクしてるだろうが。わかるだろ」
『わかるわかる。だから困ってる』
「……なにが」
『いっしょ、なんだよ、ボッシュ』
チェトレは、ほんとに困った、と言いながら、ボッシュに抱かれているリュウに近寄って、喉の辺りをすうっと撫でた。
そこには赤い光があって、時折薄く輝いて、また消えて、それを繰り返していた。
『兄弟……おれ、もう、きみがいなくなったら、ほんとにひとりぼっちのドラゴンなんだよ』
チェトレの指先から青い光が零れて、それがリュウの身体に溶けていった。
ほどなく彼の全身が薄くなって、少しずつ吸い込まれていった。リュウへ。
『一緒ならもうなんでもいい。ボッシュ、これが好きってこと?』
「……さあ」
ボッシュは肩を竦めた。
「ひとのことなんか、知ったこっちゃない」
『あはは、そうかあ……』
チェトレは笑って、ふいになにか大事なものを指先に引っ掛けて見付けたように、安堵した顔になった。
『……そこに、いたんだ……』
青い光が弾け、リュウの身体にぱあっと纏わり付いた。
『なんにもなくても、手を伸ばせば繋いでくれたんだ、アジーン……』
チェトレの声が、セメタリーの空洞に響き、そして消えた。
ボッシュはゆっくりと辺りを見回した。
チェトレはいない。また、消えた。
「……おい……チェトレ?」
どくん、と心臓が、ほかのものの鼓動を打った。
ボッシュの中に、またドラゴンが戻ってきた。
「……まさか!」
ボッシュはふいに気付いて、慌ててリュウの身体を抱き上げた。
その喉に、ドラゴンの刻印はもうなかった。
体温は、なかった。
相変わらず冷たいまま。
だが少し、ほんの僅かなものであったが、リュウの心音が聞こえてきた。
かすかにドラゴン同士の共鳴がする。
リュウの喉が、うっすらと上下しはじめた。
呼吸をしていた。
「は……はは、は……」
ボッシュはぶるぶると震えて、笑い出しそうになった。
だがうまく笑えず、それは引き攣っていた。
「はは……ばあか。どいつもこいつも、マジで、救いようが……俺もだ、ちくしょう……」
目にじわっと熱いものが沸いてきた。
ボッシュは歯を食いしばり、ぎゅうっと目を瞑り、その衝動を抑えた。
絶対先に泣いてなどやるものか。
リュウの瞼が、震えた。
◇◆◇◆◇
目を開けると、そこにはおれの大好きなひとの顔があった。
おれは、また幻覚だろうか、といぶかしんだ。
でもアジーンはおれの中にいて、これが現実だと教えてくれた。
「……リュウ」
彼がおれの名前を呼ぶ声がした。
おれはびくっと震えた。
だめだ、ほんとに心臓に悪い。
急にどきどきどきどきと早くなって、顔が真っ赤になった。
「ボッ、シュ?」
ボッシュだった。
そこにいた。
生きていた。
そして、おれも生きていた。
ボッシュがおれをぎゅっと抱いてくれていた。
「ボッシュ?」
おれはひどい焦燥を覚えて、ボッシュの腕にぎゅっとしがみ付いた。
こうしていないと、また置いて行かれそうな気がしたのだ。
「ボッシュ……ボッシュ、ボッシュ」
手をつないでいて、っておれは言おうとした。
でもボッシュは、言う前におれの手をぎゅうっと握ってくれた。
「バカが、変な心配しなくても離してなんかやらないよ」
「う……」
いろんな感情がおれを襲ってきた。
何を言おう。何を言えばいい?
言葉にして吐き出すには、それはあまりにも膨大な情報だった。
うまく口で説明できそうもない、そんなもの。
結果としておれの口から出てきたのは、ただのうめき声だった。
「ううう……」
ボッシュの腕に抱き付いて、震えながら、おれは泣いた。
また泣き虫呼ばわりだろうか、でもそれでもおれは泣いた。
「……っ、ボッシュ、う、ボッ、シュ……!」
ボッシュは怒らなかった。
呆れもしなかった。
ただ黙って、おれの背中を抱いたり、時折頭を撫でてくれていた。
まるで子供にするみたいに、でもおれはもう恥ずかしいなんて全然思わなかった。
べたべたになった顔を上げて、おれはボッシュの顔を見た。
灰色がかった、綺麗な緑色の目を。
ボッシュは片方の眉をちょっと上げて、まったく、どうしようもないね、って顔をして、おれの頬を、目尻を、涙を舐めた。
そして、静かに――――おれをぎゅっと抱いたまま、手を繋いで、彼がおれに掛けるものにしては勿体ないくらいにとてもやさしい、でもちょっとだけふてくされた声で言ったのだった。
「泣き過ぎだよ、リュウ」
◇END◇
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