目が覚めたら、目の前には大好きなひと。
 それだけで頭の中が真っ白になって、なんにも考えられなくなった。
 リュウの悪い癖であるところの悪いほうへ悪いほうへ流れていく想像も、思考も、たとえばごめんなさいとか、きみにこんなおれなんか見せる価値もないとか、自己嫌悪、後ろめたさ、そんないろいろのものさえもすっ飛んでしまった。
 その男の名前は、ボッシュと言った。
「……ボッシュ……」
 取り縋って泣き出しても、ボッシュはあの蔑むような、しょうがないねコイツという目をしなかった。
 変だ。
 リュウは、思った。
 ボッシュはリュウと手を繋いでくれた。
 背中を、頭を撫でてくれた。
 変だ、ボッシュが優しい。
「リュウ」
 とん、と肩を掴まれて、床に押し付けられた。
 そこは、あんまり見覚えのない場所だった。
 ただ空が良く見える。
 それだけで、これは夢なんかじゃないんだろうな、とリュウは思った。
 あの空の色は、どんなに夢の中で頑張っても、リュウが創り出せないくらいに綺麗な青い色をしていた。
 ボッシュの顔が近付いてきて、リュウはゆっくりと、ああ、前みたいにキスなんかされるのかなもしかして、なんて思った。
 心臓がどきどきと鳴った。
 この前はひどいことになっていたが、だが今なら、リュウは――――ボッシュになら、なにも嫌がったり、そんなことなんかしなくても良いのだ、と思った。
 彼がリュウに触ってくれるということが、なんだか信じられないくらいだった。
「ボッシュ……」
 リュウは目をきゅっと瞑った。
 ボッシュの唇が、リュウの唇に重なって――――だがリュウが甘く思い描いた空想は、残念なことに、実現はしなかった。








「…………ハア?」
「へっ?」







 二人して間抜けな声を上げてしまった理由は、リュウには上手く説明なんてできっこなかった。
 なんでか、なんというか、変だったのだ。
「…………」
 ただ何がおかしいかということを、ボッシュはすぐに突き止めようとしてくれた。
 彼は実験の目でリュウを見て、そしてもう一度注意深く、彼らに疑問をもたらしたその行為をやり直した。








 つまり、リュウの胸を触った。








 ふにょ。







「…………」








「…………」









「…………ナニコレ」








 ボッシュの呆然としたような声なんて、ほとんど聞いたことがないリュウだった。
 大体ボッシュにわからないことが、そんなものリュウにだって解かるわけがない。








「なんか胸でかいんだけど」
「……ふ、太った? とか?」
「いや、相変わらず貧相なガリガリ。ていうか、不自然な瘤が胸にふたつくっついてるんだけど」
「は、腫れてる、とか。びょ、病気?!」
「なあリュウ」
「……なに、ボッシュ」
「俺にはコレ、オネーチャンのオッパイみたいに見えるんだけど、気のせいかな」
「は、ははは、何変なこと言ってるの、ボッシュ。おかしいよ」
「…………」
「…………」
「……ちょっと確認するぞ」
「へ?! ちょっ、ちょ、ボッ、シュ!」
 ボッシュはリュウのコートを思いっきりはだけた。
 彼の表情は、珍しく焦燥と困惑を示していた。
「ハア? さっき剥いた時は何ともなかったぞ!?」
「む、剥くって? あ、あのボッシュ、そんないきなり、そ、その駄目だよ、心の準備が……!」
 リュウが顔を真っ赤にしているのも、ボッシュはお構いなしのようだった。
 アンダー越しに見えるリュウの胸を凝視し、そしてリュウも恐る恐る自分の身体を見て、








 そこには、







 ちゃんと、あったのだった。
 ふたつの丸い柔らかな乳房が、ふたつ。







「おいコラ、どーいうことだ! いきなり変態しやがって!」
「へ、変態じゃないよおれ!」
「くそっ、確かに変だと思った。オマエ、なんか前犯った時より身体がちっさくなったような気がしてたし、触り心地も柔らかいと思ったんだ!」
「や、やっ、た、って……!」
 リュウは更に真っ赤になって、首を振った。
「あ、あれはその、その、あの!」
「リュウ、服、脱げ。そのアンダーだ。股開いて見せろ、どうなってる?」
「で、で、で、できないよ! 恥ずかしい!」
「できないじゃねえ、するんだよ!」
「ボ、ボッシュ! や、ややや、やだああ!」
 押し倒されて、脚を抱えられて、リュウは泣きながらじたばたと暴れた。
 何が起こっているのかリュウにはわからなかったが、ただ自分の身体どうこうよりも、ボッシュがどれほど無体な仕打ちをしてくれるのかということを考えるだけで手一杯だった。
「や、っ……!」
 脚の間にボッシュの手が入り込んできて、リュウはびくっと震えた。
 ボッシュがリュウの股を、つっと撫でた。
「やっ、や、あ……」
 なんだかそうされると、切ない気分になってしまうのだった。
 リュウはきゅっと目を瞑り震えた。
 ボッシュの腕にぎゅっとしがみ付いて、そして、







「メコム――――!!」






 ずん、と重力の塊がのしかかってくるような、そんな衝撃。
「ぐはぁっ!」
 それはボッシュのアブソリュードディフェンスを易々と突き破り、ダメージを与えたようだった。
 リュウは、恐る恐る顔を上げた。
「ボ、ボッシュ?」
 ボッシュは目を閉じたまま、俯いてぶるぶると震えている。
 それが怒りによるものだと、リュウにはわかった。長い付合いだ。
「何しやがる!」
 ばっ、とボッシュが顔を上げ、吼えた。
 その先にはふたりいた。
「代行……いくらあなたでも、死姦はどうかと思います。オリジン自ら先代の遺体を冒涜するつもりですか」
 ひとりは、クピト。
 呆れたというよりも、冷め切った目でボッシュを見ている。
 そして、もうひとりは、
「……リュウに、なにを、するの?」
 ニーナだった。
 彼女も先ほどのボッシュと同じように全身を小刻みにぶるぶると震わせていた。
 これも、怒りによるものだろう。そう見えた。
 彼女は顔を上げ、その目は怒りで満ちていたが、やがて驚きにはっと見開かれた。
「……ニーナ……?」
「……あ……」
 彼女は、信じられない、という顔でゆるゆると首を振り、目をごしごしと擦った。
 そしてそれが幻でないと知ると、ぎゅっと口を泣きそうに結んで、走り寄ってきた。
「リュ、リュウっ」
 そして、ぎゅうっとリュウに飛び付いてきた。
「リュウ――――!!」
 彼女は歳相応にべたべたに泣き出してしまいながら、リュウの胸にぎゅうっと額を押し付けて、









「…………」








「……なにこれ、リュウ」
 ニーナは変な顔をして、リュウの顔を見上げた。
「あるよな、オッパイ」
「……なんで? あなた、またなにかリュウにしたの?」
「なんで俺だよ」
 ボッシュとそうしてやりとりをした後で、ニーナはすごく困った顔をして、リュウに聞いてきた。
「あの、リュウ? リュウは、男の子よね?」
「……そうだよ、ニーナ……」
 リュウは呆然と、なんだか頭がさっきとは全然別の理由で真っ白になってしまって、なんにも考えられないままで、頷いた。
「生まれて18年間生きてきて、ずうっと間違いなく男だったよ、おれ」
「男の子でも、胸は大きくなるの? わたしより大きいもの」
「……さ、さあ……どうなんだろうね……」
 リュウはフラフラと、顔色を真っ白にしながら答えた。
 何が起こっているというのだろう。
 そうしていると、ボッシュが渋い顔をしながら、おいチェトレ、とドラゴンを呼んだ。
「オマエ、なんかしたか」
 ボッシュの身体から青い光が零れ、それは人のかたちを造り、少年の姿になった。
 それは金髪で緑色のレンジャージャケットを着た、二年前のボッシュ自身のものだ。
 ドラゴン、チェトレは、心外だというふうに首を振った。
『なんにもしてないよー、失礼だなあ』
「なんでリュウ、女になってんだ。なんかコイツ、下も……」
「わー! やめてえ!」
 リュウは慌てて手でボッシュの口を塞いだ。
 それをこの場所で聞くのは、あまりにも痛すぎた。
 聞かれたチェトレは、何も変なところはないじゃないか、という顔をしていた。
『ああ、リンク者、しょーがないでしょ。だっておれ聞いてたよ、リュウこないだ「おれのために自分を捻じ曲げる必要はない」ってさ、アジーンに言ってたじゃない』
「そ、それがどうなってこうなるの?!」
 リュウは身を乗り出してチェトレに聞いた。
 チェトレは、なにを今更そんなこと言ってるの、という目でリュウを見た。
『今度こそ、ちゃんと融合したってことでしょ。少し身体、変わっちゃったみたいだけど』
「だからなんで、アジーンとリンクしておれがこんな身体になっちゃうの?!」
『きみが深いとこまで姉ちゃんとリンクしたからだよ』
『は?』
 彼ら、チェトレを除いた全員が素っ頓狂な声を上げた。
「……ねえ、ちゃん?」
 このドラゴンは、なにを、言っているのだ?
『あれ? 知らなかったの、リュウ。リンク者なのに』
 チェトレは、もうほんとうにしょうがない、という顔をして、言った。







『アジーン姉ちゃん、メスなんだよ』







「…………」


 



 
「えええええええ?!」
 リュウは悲鳴を上げた。
「嘘!」
『なにが嘘だよー。おれ嘘つかないよ、リュウ。姉ちゃん、顔だけはあんなに可愛いのに』
「ゴ、ゴメン」
 リュウは、とりあえず謝っておいた。
 ドラゴンの顔の区別、美醜の判断は、正直よくわからない。
「……でもおれ、おれ、ちょっとあの、女の子って……」
 リュウが乾いた声でぼそぼそと言っていると、ぽん、と肩を叩かれた。
 振り向くと、ボッシュだ。
 彼はろくでもないことを企んでいる時の常で、にやっとたちの悪い笑みを顔に浮かべていた。
 そうして、リュウを呼ぶのだ。
「いいじゃん、リュウ。オマエ、可愛いよ」
 そして、ボッシュは最後にいつもそうあるように、リュウに止めを刺してくれるのだ。
「そのままでいろよ。どうせ元に戻る方法なんてないない」
「ど……ど、ど、ど、」
 リュウはぶるぶると震えながら、頭を抱えて、悲鳴を上げた。
「どうして―――― っ!?」
 答えなんか返ってくるはずもなく、こうして二代目オリジンの復活は、全く街の人々、そして地上判定者たちの予想の軌道を外れたかたちで成されたのだった。














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