緊張は最高潮だった。どきどきどきどきしている。
 もうこのままいっそ死んでしまえれば良いのにと思うくらい、何度もふうっと意識が遠のき掛けて、その度に隣に座っているニーナが慌ててリュウを支えて起こすのだった。
「……おじ、さん。リュ、むり……からだ、だいじょうぶ、ない」
 ニーナが真剣にジェズイットに中止を呼び掛けている。
 ジェズイットはそれを聞いて「おじさんはないだろう?!」と強いショックを受けているようだった。が、今はそんなこともあまり気にしてはいられなかった。ニーナに心配させるなんて、おれはなんて駄目な人間なんだろうとリュウは思った。
 ともかくリュウという人間は、こういう答辞やスピーチと言った類のものが苦手なのだった……大勢の人の前で熱弁を振るうことが。1/8192のローディは人前で意見を述べる身分じゃないという、立場をわきまえた劣等感もあったかもしれない。
 大体は聞いている側の人間だったので、とりあえず三分以内に終わらせようくらいしか思い浮かばない。というのも、それ以上続くとリュウ自身が脳に血液が回らなくなって倒れそうだからだ。というか頭の中が真っ白だ。
 ここにいるのがもしリュウでなく相棒のボッシュ=1/64なら、こんな事態も簡単に切り抜けられたんだろうなと思う。
 ボッシュはもうこの世にいないが、こんな時ばっかりは彼に泣きつきたくなるのだった。
(うう、ボッシュ、助けてえ……)
 リュウが泣いたって死人が蘇ってくるわけはない。
 やがて厳かなメベトの話が終わって、リュウはクピトに半ば引き摺られるようにして面に立たされた。
(ひっ……)
 まず目に入ったのは、見渡す限りの人、人、人。人ばっかりだ。地下世界にはこんなに人間がいたろうか。意外だ。
 がちがちに固くなりながら、「さっさと行ってきてください」とクピトに背中を押されて、リュウはふらふらと壇上のマイクまで歩いていった。
 ふいに、がつっと音がした。
「わ……!」
 あんまりにも緊張し過ぎて、足が上手く動かなかったせいだろう。
 リュウはなんにもないところで躓いてしまって、転倒した。顔面から、床にダイブした。
 しーんと辺りは静まりかえってしまった。
 リュウはのろのろと起きあがり、半べそをかきながら、ごめんなさい、と消え入りそうな声で謝った。
「す、すいませ、おれ、あんまり緊張してっ……あの、ごめんなさい。悪気はないです。あの、その……」
 あわあわと弁解して、それからこほんと一つ咳払いをして、リュウは顔を真っ赤にしながらマイクに向かった。
「……あの、はじめまして。リュウです。きょっ、今日から、オリジンをすることになりました……よ、よろしくお願いします!」
「新任のレンジャー教官みたいだな、あいつ」
「しっ、ジェズイット、聞こえますよ」
 聞こえてる。
 リュウは逃げ出したくなったが、ぐっと堪えて言った。
「あの、何か聞きたいこととか、ありますか?」
「……訂正だ。新入隊員の世話役に回された、ついてないサードレンジャーみたいだな」
「だから聞こえますって」
 後ろの統治者の声が、リュウにぐさぐさと鋭く突き刺さってきた。
 なんとか泣くまいと我慢していると、親切な――――この街の人だろうか?――――人間が、おずおずと手を上げてくれた。
「あっ、そこの人……茶色い服着た人。なんでしょう?」
「失礼ですが、貴方がオリジンですか?」
「えっと、はい。すみません」
「いや謝らなくても」
 リュウも困惑しているが、人々はもっと困惑しているようだった。
 無理もない、こんなに頼りなさそうなリュウがオリジンなんてやってたら、世界がどうなるものだか知れたものじゃない。
 さっきの人の少し後ろで、今度は違う人間が手を上げてくれた。大分離れてはいたが、竜とリンクしてから視力は数倍にもなったので、ほとんどすべてのヒトの顔を見渡すことができる。
「赤い服の眼鏡の人。なんでしょう?」
「無礼をお許し下さい。オリジンのD値はいくらですか?」
「あ、おれ、1/8192です」
 途端に周囲がざわざわしはじめた。聞き慣れた「ローディ」って言葉も耳に入ってくる。
 困ってしまって俯いていたら、後ろからクピトの声が聞こえた。
「二代目! あなたD値再検で1/4ですから、そう言ってください」
「は?」
「だから、あなたのD値です」
「え? なんで?」
「知りません。あなたの竜の血液に聞いてください」
 クピトは、最近までD値再検をすることも、統治者のD値が開示されることもなかったんですけど、とも付け加えた。どうやら空が開いて、いつのまにかいろいろ規定が変わっていたらしい。
 それで、事態は一旦収拾がついた。
 だがリュウは納得がいかなかった。D値なんて、曖昧なものだ。
「えっと……D値は絶対じゃないです、そこの赤い人。おれ、1/8192だけど竜とリンクして、この前まで生きてたし。D値はただのドラゴンとの適合率だって聞きました。おれが最後の竜だから、たぶんもうヒトが竜とリンクすることはないし、必要ないんじゃないかな……」
「……オイ、あいつ黙らせたほうが良くね?」
「ちょっと、リュウ! あなたなんでそう重要機密を平気で軽く口にするんですか?!」
 怒られた。でも、やはり意味もないと思う。
 空に出てまで嘘を吐いたって仕方がない。
「なんで? こんなの全然大事なことじゃないと思うけど。ヒトはヒトだし」
「混乱を招きかねないでしょう」
 はー、といくつも溜息が奥の方から聞こえる。一人笑っているのはメベトだ。おかしくてしょうがないって顔をしている。なんだか珍しいものを見てしまった気分だ。
「いいじゃないか。地下では大事だったかもしれないけど、世界は壊したんだし。ここは空だから、ヒトがやりたいようにやれば」
「あなた、ヒトごとだと思ってかなりアバウトですね」
「いや、それほどでも……ちゃんと考えてるよ、うん。次のちゃんとしたオリジンが出て来るまで」
 リュウは手をぱたぱたさせて、クピトに弁解した。
 それから人々に向直って、おれはヒトが好きです、と言った。
「おれは人間のことが好きです。どうしても助けたい子がいて、彼女は空でしか生きられなかったから、空を開きました。
おれは世界を壊しました。みんなには、すごく迷惑掛けたと思う……だからお詫びと言ってはなんだけど、おれはその分ヒトを守ろうと思う。
一応竜だから、空の危険なものから街を守れるし。綺麗な世界で生きてください。
おれはレンジャー……じゃなくてオリジンだから、その手伝いをするのが仕事です。
空ではもうひどいことがなくなるように、誰かが悪いことをしたら止めるし、大丈夫。
だから……頑張って生きて行こうね」
 おれはこういうのほんとに似合わなくて駄目なんだけどと、リュウは少し困って笑って言った。
「みんなが幸せになるために、おれはここにいることにしました。
多分、あんまり長くはないと思うけど……ええと、よろしくお願いします」
 リュウはぺこっと頭を下げて、終わりです、と言った。
 逃げるようにぱたぱたと裏に引っ込むと、後ろから無数の拍手の音が聞こえてきた。
 それは止まらなかった。ぼんやり聞き入っていると、横からこつっと殴られた。
「三分」
 ジェズイットだ。彼は呆れたようにリュウの頭をぼすぼすと叩いた。
「おまえさん、なんだありゃ。短過ぎる。オリジンだったら何人か貧血起こして倒れるくらい長くてためになる話をしろ。五点」
「うう、そ、そんなこと言ったって……も、もう、限界で……」
「リュ、だいじょぶ?!」
 ニーナが慌てて駆け寄ってきて、リュウを支えてくれた。
 彼女の顔を見るとほっと安心して、多分気が抜けてしまったのだろう。
 ふうっと、今度こそほんとうに意識が遠のいてしまって、ばったりと倒れてしまった。
「あー……グロッキーだ。おい誰か、部屋に運ぶの手伝ってやれ」
「言われなくたってそうするさ。ニーナ、リュウこっちに。ほんと子供だと思ってたら、いつのまにか成長してたんだねえ……私は嬉しいよ」
「あのー爆尻の人、それかなり、贔屓目じゃ……」
 ばしっと音がした。リンが尻尾でジェズイットを引っ叩いたようだ。
 ニーナが心配そうな顔をして、リュウを覗き込んできているのを最後に、あとはなんにも見えなくなった。












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