昔からは想像がつかないくらいに、惨めな暮らしぶりだった。
 まず、食べるものがない。地上は全てが豊かな楽園だと聞いていたが、そこは荒れ果てた荒野だった。
 たまにつるっとしたモニュメントみたいな木々が立っていたが、そこに残りかすのようにくっついた実は、どんな生き物でも手は出さないだろうというと思われた。猛毒がある。ドラゴンの胃袋ならなんとかなるかもしれないと思ったが、楽観すぎたらしい。
 ボッシュは死に掛けていた。毒を食ったせいかもしれないし、飢えて衰弱しきっているせいかもしれなかった。
 地上にはディクのような動物がいない。もし今下層区のレンジャー時代に、散々下賎な食べ物だと蔑んだハオチーのスープが目の前にあれば、ボッシュは鍋ごとがっついだだろう。それだけ、腹が減っていた。
 空は楽園なんて真っ赤な嘘だった。こんな不毛の大地で、人間どもは良くも生きていく気になったものだ。理解出来ない。
(……なあ、オマエらこんな空が欲しくて殺しあってたのか)
 地面に仰向けに倒れて、空に浮かんだ透明な竜に語り掛けた。
 答えはすぐに返ってきた。
『じきに冬が来る。獣は巣に篭り、木々は枯れる。空は我ら竜にも、全ての生物と平等に厳しい』
(ハア? なにそれわけわかんない)
 最近、気温がどんどん下がってきた。
 はじめは気のせいだろうと思ったが、どうやらそうではないらしい。
 年中を通して温度変化がなく、管理が徹底されていた地下世界と違い、地上には四季というものがあるらしい。
 トライリザードの属性変化と似たような感じで、気温、環境、生態系までが大きくがらりと変わってしまうらしい。
 空は、つくづく化け物だと思う。
 ふと気になって、ボッシュはチェトレに訊いてみた。
(なあオマエ、俺が死んだらどうすんの?)
『汝は死なぬ』
(いや、今まさに死にそうなんだけど)
『眠りたいならそうすれば良い。リンク者よ、汝の実体は我が浸蝕することにする』
(それ、俺の身体が乗っ取られるってことかよ)
 舌打ちして、ボッシュは起き上がろうとした。
 だがもう指一本動かない。吐き出した血液で汚れた口の周りを拭うこともできない。
 どんどん意識が遠くなっていく。寒くて眠いだけしか、感じられなくなっていく。
(ああ……マジやべえ)
 最後に残った意識に浮かんだのは、仇敵の相棒の姿だった。
 穏やかに笑っている。下層区のロゴが入った紺色のレンジャージャケットが見えた。
 リュウは笑いながら何かボッシュに言っているが、うまく聞き取れない。
 何を言っているのかは解らないが、きっと惨めなボッシュ=1/64を鼻で笑っているに違いないと踏んだ。
(……俺オマエを殺すまでは死ねないんだけど相棒)
 リュウは、笑っている――――







――――ッ!?」
 鼻先を香ばしい匂いがくすぐった。ボッシュは反射的に意識を取り戻し、がばっと起き上がった。
 もう指一本動かせやしないはずだったのに、身体というものは現金だ。
 いつのまにかすぐそばで焚かれている火の近くに、何本かの木の棒が刺さっている。
 いい匂いの源はそれだった。先端に魚が串刺しにされてあって、良い具合に焼き色がついている。
 なんでこんなものがこんなところにあるんだと訝る間もなく、ボッシュは頭で考えるよりも先に手を伸ばして、ばりばりと頭から食った。小さな骨は、身と一緒に噛み砕いた。食えるものならこの際なんでもいい。
「起きた? もう骨が詰っちゃうよ、そんな食べ方して。誰も取らないからゆっくり食べてね」
 どこかで聞いたことがある声が近くでしたが、構っている暇はない。
 五本刺してあった焼き魚を全て食べ終えると、ようやく人心地ついて、まともな思考能力が帰ってきた。
 そもそも何だってこんなところで上手い具合に魚が焼けていたのだろうか。
そう言えば、そうだ――――そのことにやっとボッシュは気付いた。食べるもののことだ。
 ディクも木の実もなくたって、魚ならなんとかなるかもしれない。今しばらく生き延びることができそうだ。
 ともかく、誰かが死に掛けているボッシュを介抱したらしい。
 激痛と息苦しさも消えている。毒けしで中和されている。
「びっくりしたよ、人が倒れてると思ったら死に掛けてるんだから。気分はどうだい? まだ苦しいだろうと思うけど」
 そこでボッシュは顔を上げて、聞こえてくる声の主を見た。
 息を、呑んだ。
「あ、おれは怪しいもんじゃないよ……安心して。リュウって言うんだ。きみは?」
 そこにいたのは、少しばかり記憶の中のかたちとは違っていたが――――大分背が伸びて、髪も短く切られていた。覗いた耳朶には、見覚えのあるピアスが刺さっている――――ボッシュが復讐を誓った相手、元相棒のリュウ=1/8192だった。
「オマエっ……ぐ、うっ!!」
 ぎん、と背中に激痛がはしって、ボッシュは思わず咳込んだ。
 チェトレの言っていた共鳴の痛みだ。なりは少し変わっているが、リュウに間違いないようだった。
 父の仇で、裏切り者のリュウだ。
 だが、どうも様子がおかしかった。
「む、無理しちゃあ駄目だ! きみ、今までほんとに死に掛けてたんだから……心臓止まってたし、メディカルセンター行ったほうがいいよ。街のひとだろう?」
 リュウは慌ててボッシュの肩をさすって、気遣わしげな視線をくれた。
(どういうことだ?)
 ボッシュは混乱した。
 目の前にいるのは、確かに相棒だった。
 リュウはボッシュが落ち付いたと知ると、ほっとした顔になった。
「もしかして、迷ったのかい? なら街まで連れてってあげるよ。もう危ない動物も冬眠しちゃってるかもしれないけど、絶対安全ってわけじゃないから気をつけたほうがいい」
 リュウは、ボッシュのことがわからないようだった。











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