暗い穴倉から這い出す。 空の端は赤く燃え上がっていた。青い空は徐々に光を失いつつある。 じきに夜が来るのだ。 ボッシュは気だるく腰に剣を差し、遠く街を眺めた。 人間たちの空の住みかである実験都市ドラグニールは、人間が増え、巨大に膨れ上がっていた。 その中心の天までも届きそうな建造物は、現オリジンとメンバーたちが住まう中央区である。 空が開いて二年の月日が経過していた。 ボッシュ=1/64は、今や十八の青年になっていた。 空の下で一人きりで生きていた。 街は安定を保っていた。 オリジンに正しく統治され、竜に守られた、祝福を受けた都市だった。 まだ移住計画は進行途上で、先遣隊の色が濃かった。 街に住んでいる人間も、大体が科学者や建設業種の人間、それからバイオ公社から引き抜かれたメディカルセンターの職員らだった。 地上が人間に及ぼす影響は、まだ調査中らしい。 空の光は眩し過ぎた。 ボッシュのような上層区の色素の薄い人間は目と肌を焼かれたし、下層の薄暗い生活に慣れきったローディたちは、空の下では総じて視力が弱かった。 未知のウイルスが蔓延していた。 危険な動物もいた。 空は人間に優しいばかりではなかったが、だが綺麗な空気は人々を浄化してくれた。 もう二年にもなる。 ボッシュは忌々しくセントラルタワーを睨み付けた。 時折打ち捨てられている雑誌や新聞には、オリジンやメンバーの姿が見られた――――どうやらまだ生きているらしい。 元相棒は、あんなに頼りのない男なのに、いまだにオリジンを首になっていないらしい。 まあ良くやってるそうだ。 最後に会って言葉を交わしたのは、いつ以来になるだろうか。 もう覚えていない。 覚えていないが、ボッシュの中でリュウの姿はいつだって鮮やかだった。 その、憎しみの色が。 じきに夜が来る。 昼間は光がきついので、大体活動するのは夜が多かった。 遮光眼鏡がなければろくに出歩けない。はじめよりは大分慣れたほうだが、眩しい明かりは嫌いだった。 真っ白で何も見えなくなり、目を焼かれ、得体のしれない残像がいつまでも残るからだ。 ボッシュは顔を上げた。 森の木々を透かして、透明な巨体が目の前にある。 分身のドラゴン、チェトレだった。眠っている。もう一週間ほどこうしているだろうか。 所詮はディクだ。話し相手にもなりはしない。 ボッシュは肩を竦め、巨大な体躯に寄り掛かった。 太い尻尾に腰掛けて、街を眺める。 高台の上から、街は良く見えた。 森の奥に引っ込んでしまえば、旧世界のシェルターがごろごろしていて、いくらか生活はしやすかったが――――ボッシュは大体はこうして街を眺めていた。 そうしなければ憎しみの炎が消えてしまいそうで、怖かったのかもしれない。 「リュウ……」 名前を呼ぶだけで、ひどい焦燥がボッシュに訪れた。 それは早く殺してしまわなければならないという種類のものだったかもしれない。 だがまったく別のものだったかもしれない。 リュウはもう殺してしまうべきかもしれない。 だが、その先に何があるだろうか。 死体でも抱いて1000年過ごすか? それも良いかもしれない。 空は徐々に色を失っていく。 紺色に深く染まり、白い光が散りばめられる。星だ。 街も火が灯り、まるで夜空をそのままそっくり映したような風情になる。 ボッシュはぼんやりと思った。 あれらはリュウの光だ。 「今日はなんか妙だな」 返事など期待しないまま、ボッシュはぽつりと言って、チェトレの背中を投げやりに小突いた。 奇妙な違和感を感じた。 気配に敏感な夜の獣や虫たちは、既に息を顰めている。静かだ。 「オイオマエ、もうそろそろ起きれば? この役立たずが……兄弟を殺すなんつって、寝てばっかりじゃん。傷はそろそろ癒えたろ」 チェトレは答えない、ずっと眠っている。 ボッシュはふと、コイツこのままもう起きないんじゃあないだろうか、と不安になった。 リュウさえ殺してしまえば、後は眠りにつくなりなんなり勝手にしていただきたい。 だが、リュウを殺すまでにくたばられては困る。 「オイ……」 呼ぶと、チェトレはようやく緩慢に瞼を開けた。 ぎらぎら燃えた炎のような目が、森の木々を透かしたまま、ぽうっと灯った。 なんだ、生きてたんだとボッシュは拍子抜けしたが、チェトレはそのまま起き、伸び上がって、ボッシュとおんなじように街を眺めた。 『……奇妙だ』 「……だから、俺がそうだって言ってんじゃん。背中痛いし、なんだこれ?」 『竜の気配が――――』 「だから背中痛いつってんじゃん。例の共鳴だろ。オマエ、耳あんだろ? そのデカい耳は飾りか? ああそれ角か。まあなんでもいいんだけど」 『近付いてくるぞ、我がリンク者よ』 「ハア?」 ボッシュは首を傾げて、理解し、少し皮肉げに笑った。 「アイツか? やっと、俺に殺されに来たかな」 ニヤニヤしながらボッシュが言うと、チェトレは緩く首を振った。 否定の仕草だった。 『弱いものだ。群れて、来る……』 「ハア?」 変なことを訊いて、ボッシュは目を眇めた。 弱い竜が群れて来る――――それはどういうことだろう。小さいリュウがうじゃうじゃと沸いてくるってことだろうか。 「うわ……気色悪……」 想像して、ボッシュはげんなりした。 そんなもの、全部纏めて一掃だ。 いや、一匹は残してやって、飽きるまで拷問してやるというのも良い考えだ。 ざわざわと背筋に鳥肌が立った。寒気を感じる。 竜の共鳴反応だ。 それはどんどん近付いてくる。 懐かしいリュウの気配だ。 だが、確かに響きが、弱い――――背中の傷がちくちくっと痛むくらいだ。 あの身体が二つに引き裂かれそうなほどの、強い共鳴はない。 ほどなく、ぼこぼこと目の前の地面が泡だった。 『来る』 「了解、適当にやってくれ」 ボッシュは投げやりにチェトレに手を振って、面倒ごとを押し付けてやろうとした。 が―――― 「……げ……」 急激に地面から沸き出してきたものを目にして、思いっきり顔を強張らせた。 それは、まるで悪夢のようだった。 はじめに現れたのは、ぼうっとした黒い霧だった。 少しずつ地面から染み出してきて、丸く固まり、空中に浮かんでいる。 霞みの奥には、目玉らしい黄色い光が点滅していた。 子供騙しの絵本に出てきそうな化け物だった。 そう時間を掛けず、ボッシュの周りでいくつもおんなじような泡が立ち上がり、得体の知れないディクたちが姿を現した。 「き、気色悪……! なんだ、コイツら!」 一際大きな固まりが咆哮した。 牙と角が生えて、真っ黒な体躯がぬらぬら光っている。 それは昔レンジャー時代に下層区で見た、再放送されている子供向けの怪奇番組に出てきた悪役の怪物に良く似ていた。 あの時は確かリュウが小便でもちびりそうな顔で、ぶるぶる震えながら言っていた――――おれこれだけは駄目なんだ。子供の頃見てトラウマになっちゃったんだ。今でも怖くて怖くて仕方ない。 ディクはのろのろと危なっかしい足取りでふらつきながら、両手を前に突き出し、虚ろな唸り声を上げながら、ボッシュににじり寄ってきた。 「チッ……オイチェトレ! 消し飛ばせ!」 「我が力、使うまでもない。これらは弱きものだ。リンク者よ、汝が恐れるべき相手ではない」 「うるせえ、ごちゃごちゃ言わずにさっさとやれよ!」 ボッシュは叫んだ。 「苦手なんだよ、こーいうの!」 子供の頃、省庁区でリアルタイムに見た恐怖番組を思い出した。 テレビに出てくるゾンビやゴーストが怖くて、テレビを消すこともできずに、父の弟子の双子にしがみついていたことを覚えている。 弱虫のリュウでは、ないが―――― ボッシュにだって一つや二つくらい、苦手なものがあるのだ。 |
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