オリジンがメンバーの手によって拘束されたと聞いたのは、その日の昼過ぎ、第一商業地区にあるカフェでのことだった。
 号外の新聞が壁に貼り出されていた。それを街の人間たちが取り囲み、みな一様に戸惑った表情で、ある者は憤り、泣いている子供までいた。
 ボッシュは、オーブンで焼かれてシロップとクリームが掛けられた果物を口に放り込みながら、へえ愛されてるんだ、と他人事のように考えた。
「リュ、リュウ、いなくなっちゃうの、やだ」
 綺麗に切り揃えられた長い黒髪の少女が、テープルに乗せられた皿に手をつけず、赤い顔をしてぐすっと鼻を鳴らしていた。
 彼女はとても悲しそうに、小さな手で顔を覆っていた。
「え、エリーナが死んじゃって……リュウまでいなくなっちゃうのはやだ。あの子、悪いことする子じゃないよ。きっと誰かと間違えられたの。助けてあげてよ、パパ」
「もちろんだ、メアリ。あの方がいなくなったら、うちの店の売上もがた落ちだ。きっとかわいいニーナ様も来てくれなくなるし、あの方々目当てでうちに来る客もいなくなっちまうからな」
 カウンターの中から店の親父が出てきて、少女の肩をとんとんと叩いた。
 どうやらこの店の主人と、その娘らしい。
 そうやって泣いている少女をあやしている主人に、客席で注文を取っていた中年の女性がやじを飛ばした。
「あんた、こーいう時にまで意地張らなくていいんだよ。素直にオリジン様が心配だって言ってやりな。可哀想に、まだ子供なのにメンバーに祭り上げられてさ、今度は封印だって? おかしいじゃないか」
 女性はこの店の主人の妻のようだ。どうやら、夫婦で店を持っているらしい。
 ぐるぐると店内を回って注文を取りながら、客たちと「冗談じゃない」と言い合っている。
 ボッシュは彼女とすれ違いざまに顔を上げて、空の皿を差し出し、言った。
「オバサン、追加の注文。特盛のアイスクリームサンデーとフルーツパフェとアップルパイ。シロップ付きで。それからカフェオレ、ミルク半分、クリーム浮かべて砂糖は壷一杯入れてくれ」
「……お客さん、あんたそんな食生活してると、今に糖尿になるよ」
「問題ない、最近丈夫になった」
 注文を聞くだけで具合悪そうな顔になった女将に、ボッシュは涼しい顔で答えた。
 街にでも出なければろくに糖分を摂取できないので、たまにはこうやって食溜めしておかなければならないのだ。
 女将は「いいけどねえ」と困った顔で言って、あんたそう言えばどう思う、と訊いてきた。あの話だ。ボッシュはげんなりした。
「オリジン様だよ。ひどい話だと思わないかね」
「ろくに街に来やしないから、その辺の事情、知らないんだけど」
「……そうかい。ま、一度は見ておきな。かわいい子だよ、できればうちのメアリの亭主に欲しいくらいだね」
「そ、そりゃだめだ、母ちゃん! メアリは誰にもやらんぞ……いや、まあ、オリジン様なら……うーん」
 店の奥から、主人の焦った声が聞こえてきたが、歯切れ悪くすぐに途切れてしまった。悪くはないかもしれないと思い直したのかもしれない。女将が呆れたように言った。
「あんた、冗談だよ、バカだね。悪いねお客さん、騒がしくって」
「それで、それ、どういうハナシなわけ?」
 ボッシュは運ばれてきたパフェにスプーンを突き刺しながら、なんとはなしに訊いてみた。
 気になるわけじゃ、ないが――――いや、リュウをいつか殺すのはボッシュでなければならないので、これは知っておかなければならない話だ。
 号外の新聞には蟻のように人だかりができていて、今は見れたものではない。
 女将は頬に手を当て、沈んだ表情でぽつぽつと話し始めた。
「昨晩、化け物騒動があったろう? あれがオリジン様の仕業だって、上の人は騒いでるんだよ。疑わしい話だと思わないかい、あの方昨日は、私らを守るために街まで直々に出向いて、あいつらをやっつけてくれてたんだよ。
街のレンジャーどもも、なんでも昔ドンパチやってたらしくて、オリジン様のことになるとビビっちゃってさ。すぐに封印するべきだなんて言ってるんだ」
「あいつ、竜だろ。ヒトが封印なんてできんの?」
「さあ……それは、メンバーがたにでも聞いてもらわないと、わかんないね。それよりあんた、オリジン様を「あいつ」なんて呼ぶもんじゃないよ。それにしてもきっと今頃、ニーナ様は泣いてるね。オリジン様のことが、あの子、大好きだからねえ……」
「ふうん」
 ボッシュは気を入れず頷いて、空になったパフェのグラスを押し退けて、運ばれてきたアップルパイに食い付いた。
 ディクみたいな行儀の悪さで、がつがつと貪っていく。まるで昔のリュウみたいな食い方だと自覚はある。
 行儀作法なんて、空へ出てすぐ何の役にも立たなくなった。生きるか死ぬかに行儀も何もあったものじゃない。
「それで、どこにいるの、オリジン」
「ああ、拘束されてるらしい。セントラルから出してもらえないんだろうよ。うちの自慢のアップルパイも、食べさせてやれやしない。差し入れにでも行こうかねえ」
「おまえ、オリジン様は肉食だろ。むしろ雑食だろ。甘い物より、こう、力が沸くようなものを……つってもあの方、食細いからなあ。若い男が、うちのメアリみたいな……そこの兄ちゃんの食いっぷりを見習ってもらいたいもんだ」
「どうも」
 食いっぷりに関しては、リュウには敵わないつもりだ。ただし、悪い意味で。雑食で何でも食べて食べて食べて、でもリュウは背が伸びない。本人はいたくそのことを気にしていた。昔の話だ。
 リュウが「食が細い」なんてことを聞いて、ボッシュは変な気分になった。そんなことがあるわけない。
 アイスクリームサンデーを片付け、カフェオレを喉に流し込んで、ボッシュは頷き、ぼそっと訊いた。
「じゃ、あのニーナって女、今どこにいる?」
「さあ……って、あんたちょっと、ニーナ様を呼び捨てにした挙句「女」って」
 咎めるような目で見る女将を無視して、ボッシュは領収書を差し出した。
「食った分、後で請求してくれ。セントラルだっけ? リュウに。領収書の名前は……そうだな」
 ボッシュはちょっと考えて、言った。
「「ボッシュ」か「ソラ」で。じゃ」
「あ、ちょっ……」
 困惑している女将に紙を押し付けて、ボッシュは店を出た。
 街は昼間の活気が溢れていた。
 さて、あの女を捜さなければならない。リュウと違って共鳴はない。骨が折れる作業だ。
 ボッシュは肩を竦めた。








◇◆◇◆◇







 夕暮れ過ぎになって、ようやく見付けた。
 街の中で、泣きながら走っていくニーナとすれ違ったのだ。これで少しやりやすくなった。
 夜を待ってセントラルに侵入しても良かったのだが、面倒だ。
 おまけに、これがリュウとアジーンの謀りごとではないと言う証拠もない。
 夕日がニーナの背中を赤く染めていた。
 昔とは、大分印象が違った――――確か口もきけない、大気を浄化する装置だったはずだが、すれ違った時に見えた横顔のその目には意思があった。悔しくてたまらないというような、怒りが。どこに向けられているものかは、大体察しがついた。
 彼女を追って歩き出して、ふとボッシュは背中にぴりっとした痛みを感じた。
(……リュウ?)
 昨日のものよりいくらも強い。本人だろうか?
 確認しようと口の中だけでチェトレに訊いてみたが、返事はなかった。どうやらアジーンを警戒しているようだ。
(そんなにオニイサマが怖いかよ?)
 鼻で笑って、ボッシュはニーナの背中を見失わないように、少し早足になった。






 二人の少女が、夕焼け空の下で静かに座り、何か話している。
 ニーナは薄汚れていた。泥だらけだった。どこかで転んだのだろう。
 もう一人、ニーナの横に座っている少女には、見覚えがなかった。
 だが、懐かしい感触がした――――共鳴はそちらから感じられた。ぴりっとした痛み。リュウとおなじものだ。
 昨日の今日なので、大体は理解していた。
 あの化け物たちを生み出したように、リュウは他にもいろいろ飼っているようだ。
 『ボッシュ』もいた。他にも、いるらしい。それはおそらくリュウの欠片、アルター・エゴたちだ。
 そしてそれらの名前は、アジーンと言った。
 ニーナを、それより少しばかり年下の少女の姿をしたアジーンが慰めているようだった。
 あれもリュウの欠片だ。ニーナを愛しているのだろうか。







『リュウは選んだのよ。ひとつっきり、もうそれ以外なんにもいらないって』







 アジーンが言う。ニーナは悲しそうに顔を手で覆っている。
 わたしじゃだめなの、と彼女は呟く。
 アジーンも、悲しそうな顔をする。
 彼はリュウなのだ。ニーナが泣いていることが辛いのだ。
『ねえ、お姉ちゃんも、こっち来る?』
 少女の姿をしたアジーンは、そう言ってニーナに手を差し伸べる。
 ニーナには、聞こえていない。
 おそらく、泣いているせいで嗚咽がわんわんと耳の中で鳴り響いて、小さな囁きは聞こえやしないのだ。
『私、最期はちょっと怖かったけど、それも一瞬だけだった。毎日リュウと遊べるよ。パパとお別れは、悲しかったけど……でも、パパの中に私はいるもの。それに、すぐに会えるわ。パパがこっちへ来るまでのがまんよ。いつかまた三人で暮らすの。パパとママと私』
「リュウ、わたしじゃ駄目なの。わたしじゃあなたを背中に隠して、守ってあげられないの」
 ニーナは呆然と地面を見つめて、ぼそぼそと呟いている。
 彼女の前にいる小さな少女の身体が、ぽうっと赤く光った。
『でもお姉ちゃん、可哀想よ。泣き虫リュウがいなきゃ、世界中のなんにもいらないって顔してる。だから後で、『ボッシュ』には、私が怒られてあげるから……ね、どうする?』
 ちょっと困って、どうすればいいんだろうと困惑している顔で、その少女は目を真っ赤に燃え上がらせて、ニーナに聞いた。
『リュウのそばにいたい?』
 ニーナがふっと顔を上げた。
 その顔は虚ろだった。
 それを傍観していたボッシュは舌打ちをして、剣を抜き放った。
 背後から、小さな少女が身につけている青いワンピースの腹の辺りを狙って、レイピアを突き出した。
 抵抗はなかった。
 少女――――アジーンじゃないのだろうか?――――にしては予想外のことだったようで、腹を串刺しにされながら、きょとんと首を傾げて、ボッシュの顔を見上げ、ああ、という理解の色を示した。
「……最近の地上では、地面にへばりついて泣き喚くのが流行ってるわけ?」
 声を掛けると、ニーナの硬直は解けた。
 すぐにぱっと顔を上げて、驚愕の表情を浮かべた。
「終ってるね」
 剣を振って、小さな少女の身体を振り捨てた。
 やはりリュウが操っているゾンビのようなものだ。突き刺してもはっきりした意思を持って、その目がボッシュを見上げている。
 痛みも感じていないようだ。
 なりは幼い少女だが、能力のほうは知れない。
 共鳴の痛みが、ぴりぴりと背中を打っている。
 昨日の化け物たちとは桁が違うと見て良いだろう。
「エリーナ!!」
 ニーナが叫んだ。













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