こういう場合、助けてやったって言っても良いだろう。それにもかかわらず、ニーナは顔を険しくし、両腕に炎を宿した。
 「燃え尽きなさい!」
 ニーナの命令に従い、炎が、まるで軟体の生き物みたいな滑らかな動きでもって、ボッシュに向かって口を開けた。
 魔法が着弾する瞬間、ボッシュは剣を持った腕を軸に、わずかに身体をくるっと回転させた。
 すっと火の粉がコートの裾を焼いて、ボッシュの横を通り過ぎた。パドラームの炎は、餌を捕まえそこなって、地に落ちた。
 地面の黒っぽい土に魔法の火が触れた瞬間、その赤い光は一瞬にして巨大に膨れ上がった。
 はぜ、地面をぼこぼこと沸かせるほどの熱を撒き散らした。
 轟音とともに、黒い煙と焦げ臭いにおいが大気を浸蝕した。
 それはあきらかに、ボッシュを殺傷するべく撃ち放たれた魔法だった。ボッシュが昔のように優秀だが一介のヒトのままだったなら、今ので黒焦げのローストだったろう。手加減も何もありゃしない。
 とんだじゃじゃ馬だ。リュウは調教の仕方を間違った。
 ニーナが次の魔法を放つまでの隙を待たず、ボッシュは彼女の背後に周り込んで、首筋に剣を突き付けた。
「……いきなり人にパドラームかますか普通? おまえ、一体アイツにどういう教育されてるわけ」
「エリーナになんてことをするの?!」
 ニーナが、突き付けているレイピアをまったく無視した格好で、素早く振りかえってボッシュを睨んだ。
 その目にボッシュは見覚えがなかった。昔見た、リュウが連れ回している換気人形のマットな光沢ではなかった。
 その黒目がちの目は、怒りに尖っていた。意思の光が、ボッシュにしてみれば少々くどいくらいに宿っていた。
 彼女が何故怒っているのか、ボッシュは不思議だった。
 リュウのことだろうか? それともアジーンの欠片を潰したことだろうか?
 どちらにしたって相手は換気用の人形だ。どうだってよかった。ただ問題なのは、このリュウの愛玩人形が、並ならない火力の火を吹いてくるところだった。
 ボッシュは肩を竦めて、やれやれと言った。
「どうでもいいけどさあ、それ、さっきのゾンビみたいなののこと? あのローディの……」
「これでどうかしら!」
 ボッシュが言い終わるのを待たず、ニーナはまたしても魔法陣を大気中に解放した。
 得体の知れない、硬い殻を持った巨大な塊が構成され、ボッシュを押し潰そうとするべく降ってきた。
 殻を割って生まれた巨大な蛭が、血を奪おうと身体に吸い付き、這った。
 ぬるぬるした粘液がコートに付着して、ボッシュは顔を顰めて舌打ちした。こいつは後でクリーニング代を巻き上げなきゃならない。いや、コートごと新調させてもいいくらいだ。
 粘液と蛭を振り払う間もなく、白い閃光が弾けてボッシュを蛭ごと打った。
 あの忌々しいパパナゲットの得意技だ。爆竹を腹に詰められて、地面に叩き付けられたカエルのような気分になる、バルハラーだ。
 それら半分はなんとかユニットで半減することができたが、衝撃と余剰分まで無かったことにできるわけじゃない。
「アブソリュード・ディフェンスですって……!?」
 ニーナは驚愕したように、目を見開いた。
 どうやらメンバーの証を、「負け犬」のボッシュが所持していたことに、単純に驚いたのだろう。
 いつだったか忘れたが、殺した統治者から奪ったユニットだ。まあ便利なものだ。おかげで蛭に血を吸われることもなかったし、感電も「あまり」せずに済んだ。
(この女、やっぱり最悪だな……!)
 ボッシュは無表情で、心の中で毒づいた。
 気に食わないので、殺すしかないだろう。
 通電した痺れる腕で剣を突き出した。だがボッシュに起こった現象と同じように、鈍色の鋭い切っ先は、ニーナの喉元で弾かれた。
 彼女が所持しているアブソリュード・ディフェンスだ。統治者ってわけだ。
 ボッシュはにやっとして、今度はニーナの胸倉を掴み上げた。
 掴んで持ち上げる、それだけのことだ。それは絶対の防御に邪魔されはしなかった。
 片手で高く上げると、ニーナは浮かんだ足をばたばたとさせて、ボッシュの腹を蹴った。
 まだ諦めていないらしい。
 うざったいなとボッシュは呟いた。
「まったくいつもながらウザイったらないよ、このチビ。オマエ、ちゃんと利用してやろうと思ってたのに。今死ぬ?」
 手のひらの力を強めると、ようやっとニーナは静かになった。
 だらんと手足を垂らして、顔が酸欠で真っ赤だ。
 このまま首を千切り落としてやろうとした矢先、背中に共鳴の熱い激痛が疾って、ボッシュはすぐにニーナを投げ捨てて、はすに跳んだ。
 すぐ前を、先ほどのニーナの火とは比べものにならないくらいに禍禍しい輝きが、まるで巨大なディクのあぎとが餌を貪るような勢いで過ぎ去っていった。
 地面はごっそりと抉れていた。
 すぐ前に、さっきの青い服を着た金髪の少女が立っていた。
 その目は真っ赤に燃え上がっていた。
 夕焼けよりなお鮮やかな色だった。
「エリーナ……?」
 ニーナがあっけにとられたように口をぱくぱくして、そのアジーンの欠片とボッシュとを、交互に見比べた。
『お姉ちゃんにひどいことしたわね』
「だから何。ガキゾンビ、俺と戦り合うわけ。瞬殺だよ本当」
 ボッシュは肩を竦めて、剣を握る腕に力を込めた。
 いつでも変質が訪れるようにだ。
 アジーンは、二年前に、リュウと共に一度ボッシュを滅ぼした存在だった。
 恐ろしくないと言えば嘘になる。
 逃げ出してしまわないのは、ただ恐怖よりも殺意が勝っているだけのことだ。
 ボッシュはリュウを殺さなければならない。
「……だからさあ、おまえらの中で一番強い奴、出てくれば? あいつを出しなよ。殺してやるからさ」
 ボッシュはわざとうわついた調子で、言った。
 少女の姿をしているアジーンの真意が、まだ知れないからだ。
 分体ならば容易に殺せるだろうが、何故こうも能力を分散させるのかがわからない。
『……あなた、来る頃だと思ってた。どんどん近づいてくるって、さっき『ボッシュ』がそう言ってたわ』
 アジーンの欠片が言った。
 ボッシュは眉を顰めて、目を閉じて、変だね、と言った。
 俺はここにいるんだと言ってやりたかった。
 リュウにそう言ってやりたかった。
 ボッシュがオマエを殺しにきたんだと言ってやりたかった。
 リュウはどんな顔をするだろうか?
「結構その名前、多いの? 俺も聞いたことがあるんだけどさ」
 絶望し、混乱し、泣き喚きながら許しを乞うだろうか?
 それとも、ただ静かに安堵の表情をするだろうか?
 アジ―ンの欠片は、まるでボッシュの心を読んだように、しかめっ面をした。
 気分を害した、という顔だ。
『あの子を泣かせに来たのね』
「さあ?」
 ボッシュはにやっと笑って、無造作に剣を突き出した。
 アジ―ンの欠片でできた少女は、避けもしなかった。
 静かにじっと立ち尽くしたまま、ボッシュのレイピアが額を突き通しても、表情ひとつ変えなかった。
 そのまま喧嘩した子供が「もう口をきいてやらない」とでも言うような調子で、ボッシュに通告した。
『『ボッシュ』が怒ってるわ。帰って。あの子、もういじめないで』
「帰ってその『ボッシュ』に伝えなよ。生み出してる奴共々、すぐにぶっ殺してやるってさ」
 少女はやがて夕焼けの光に溶け始めた。
 赤光が体中を覆い、溶けて、薄い輝きの残滓を零しながら、地面に吸い込まれていく。
 そのどろどろした光は、すぐに見えなくなった。
 アジーンのもとに帰ったのだろう。
 あのリュウを慰める偽物の『ボッシュ』の元へと。
「リュウ……?」
 わけがわからない、という声が後ろから聞こえた。
 緩慢に振り返ると、ぼうっとしたまま立ち尽くしているニーナがいた。
 彼女は、まるで夢の続きでも見ているような、ぼんやりした瞳でしばらくいたが、やがてのろのろと首を振り、どういうことなのかぜんぜんわかんない、と言った。
「ボッシュ……だったっけ、たぶん。エリーナは……なんでエリーナがリュウとおんなじ目をしてるの? それに、あなたは死んだでしょ。お化けなの?」
「空に出て、初めて俺の名前を呼ぶのがオマエなんて最悪だな。そう、オマエに用があったんだ。ああ、忘れてた。うっかりぶっ殺しちゃうところだったよ」
 ボッシュは腰のホルダーに剣を仕舞い、二ーナの肩を乱暴に掴んで、持ち上げた。
 そう、彼女を探していたのだ。
「あのバカと違って共鳴もないから、わりと骨を折ったよ。積み荷、余計な話はいい。俺の言うことを聞け」
「いやだよ」
 ニーナは口をへの字に曲げて、べえ、と舌を出した。
「リュウがキライな人は、わたしもキライ。言うことなんて聞かない」
「リュウを助けたいだろう?」
「…………」
 わざと猫なで声でそう言ってやると、ニーナは疑わしい目はそのままだったが、それ以上何も言わず、黙り込んでしまった。
 ボッシュはぱっとニーナから手を離し、まあどうだって良いんだけど、と言った。
「俺はリュウを殺しにきたんだ。でもなんか、面白いことになってるみたいだね」
「……あ、ま、待って! どこ行くの?!」
 背中を向けて歩き出すと、ニーナは慌ててついてきた。
 ボッシュのコートを掴んで、行かせないよ、と言った。
「リュウを殺しにいくなんて、そんなのぜったいにだめ。もうリュウは絶対にいじめさせない」
「ところで、俺は腹が減ってるんだ」
 ボッシュはそう言って、ニーナを見下ろして、口の端を上げた。
「統治者サマ、さぞかし金持ってんだろ? 飢えた竜一匹にたらふく食わせてやるなんてのも、全然問題にならないんだろうな」
「……それであなたは、わたしにここになにしにきたか、教えてくれるの?」
「オマエ次第だよ、統治者サマ」
 ニーナの頭を叩いてボッシュが言うと、ニーナは不満げに、判定者よ、と言った。
 どっちだっておんなじことだろうとボッシュは思った。どちらだって、ただのヒトだ。













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