案内された兵舎は味気ないものだった。四方が白い平面のみで構成されており、飾り気というものがまるでない。 廊下の突き当たりには『この先建設中につき危険、入るな』と書かれた看板が、傾いて掛かっていた。 「ここもまだセントラルと同じで、作りかけなの。でも冷房も暖房もちゃんとあるし、不便はないはずよ」 ニーナがボッシュの前をちょこちょこ頼りなく先導しながら言った。 「それで俺の部屋あんだろ? どこだよ、少し眠りたいな」 「すぐよ。あなた危ない人だから、ほかのレンジャーと一緒の部屋になんてできないわ。きっと餌と間違って食べちゃう」 「そうだね」 ボッシュは適当に同意した。 「なにせ俺はドラゴンだからな。相棒と同じで危ないんだよ」 「リュウは危なくなんかない」 ニーナがちょっとむきになって言った。 「それより封印式よ。早く助けなきゃ、リュウが殺されちゃう。ね、封印の日までになんとかならないかな?」 「メンバーのオマエでも立禁なんだろ。それより最中を狙ったほうがいいね。半分封印されてりゃ、相棒も弱ってるだろうし」 「……あっ、あなたまだリュウを殺そうとしてるでしょ?!」 ニーナが絶対だめだよと言いながらボッシュを睨んだ。 「それにしても、そんなにリュウが怖いの? あんなにやさしいのに」 「優しい人間様は人殺しなんかしないんだよ。俺は怖がっちゃいない、慎重なだけだ。それよりオラ、制服を寄越せ。気色悪い蛭が這ったコートなんてもう羽織りたくもない」 「わたしは持ってないよ。基地の中に事務所があるから、そこでお願いして。これ持ってって」 ニーナがポケットから薄べったいものを取り出した。 ボッシュは少しばかりぎょっとした。それはオリジンの御印入りのカードだった。 それさえあれば、どんな無茶な命令だって勅令で通ってしまう。 「それ出して明日の朝までに仕上げてって言ったら、そのとおりにしてくれるよ」 「知ってる。ていうかオマエ、なんでこんなの持ってんだ。気安く使ってるんだ。これ、オリジンの御印だろ?」 「今は大変だから、それにリュウを助けるためだからきっと大丈夫よ」 「そうじゃなくて、なんでおまえが常備してんの。これはトランプじゃあないんだぜ?」 「リュウがね、外ではこれをおれだと思って持っててって。困ったことがあったら使ってって。いっぱい持ってるよ、ほら」 ニーナのポケットには、同じくオリジンの御印入りのカードが束になって入っていた。 それこそカード・ゲームができそうなくらいだ。 ボッシュは呆れてしまって、ほんとどーしようもない、と言った。 「あいつオマエに過保護すぎんじゃないの? それさえありゃあ一応世界だって動かせるんだ。制服の納期を早めるために使うようなもんじゃない」 「でもわたし、これでリュウとカード・ゲームをしてたわ。縁が赤いのがジョーカーなの。あとは全部青。あ、さっきあなたに渡したの、赤かったね。当たり」 「……オマエらって、何考えてんのか良くわかんない」 ボッシュは肩を竦めてやれやれと言った。 「それで部屋行って良いんだろ。俺もう眠い。言っとくが、夜襲掛けようなんて馬鹿な事を考えるなよ。死人が増えるだけだ」 「あなたじゃないから、そんなこと考えないよ」 ニーナはそっけなく首を振り、じゃあわたし隊長さんたちにお話してくる、と言った。 「わたし隊長さんと警備かわってもらってくる。あと、レンジャー隊員がひとり増えるってこともね」 じゃあおやすみとニーナは言って、駆けだしかけて、くるっと振り向いた。 「言い忘れてたけど、リュウを助けてくれるんだから、ありがとうボッシュ。でも絶対殺さないでね」 「事務所はどこにある?」 「部屋に行く途中にあるよ。張り紙あるからすぐわかる。それじゃね」 ニーナはそのまま駆けて行ってしまった。せわしない娘だ。体温が高いのかもしれない。 ニーナの言ったとおり、事務所は部屋へ向かう途中にあった。 さっき見た『立ち入り禁止』の看板は傾いていたが、『事務室』の張り紙は綺麗なものだった。 折り目も皺もなくぴったりと伸ばされて、セロテープでガラス窓に貼り付けられている。 鍵は掛かっていなかった。ノブを回すと、中から気だるげな声が聞こえてきた。 「今日はもう業務は終了したよ。何時だと思ってんだ」 構わずドアを開けると、嫌そうな顔をしている、眼鏡を掛けた中年の男がいた。 ボッシュはカウンターにどっと肘をつき、オーダーだよと言った。 「制服を今すぐ支給しろ。コートとアンダーとプロテクタ。ブーツも、一式だ。ゴーグルはいらない」 「業務終了だっつってんだろ、耳あんのか色男。部屋に帰って美人のオネエチャンとイイコトでもしてな。俺はこれから同僚と呑みに行くんだよ。ていうかおまえなんでそんなに偉そうなんだよ。俺はこれでも来月からファーストだぞ」 「オリジンリュウの勅令だ。御印もある」 御印のカードを出すと、今までぐだっと椅子に背中を凭れ掛けさせていた男はがばっと起き上がって、奇声を上げた。 「えっ、ええええ?! こ、これっ、オリジンさまの! リュウさまの御印じゃないか!」 「だからそうだつってんだ。耳あるんだろ? 勅令だ、コートは黒地に緑のライン、裏地は赤で、マークはいらない」 「いらないって……勅令なんだろ? 家紋かなにかあるだろ、御印を持てる身分なんだからあんた」 「いらない。明日の朝取りに来るよ。それまで寝る。じゃあな」 ひらひら手を振って、ボッシュは退室しようとした。 事務室の男は、渡された御印をじいっと穴が空きそうなくらい凝視して、涙ぐんでいる。 「コイツが、あの御方の最後の勅令になるんだろうなあ……う、うっ、涙出てきた……」 ごしごしと顔を腕で覆って、彼は大声で、任せといてくれと言った。 「ちくしょう、オーダー受けた! 任せとけ、工場長と問屋叩き起こしてすっげえのを作ってやるよ!」 「そりゃどうも」 ボッシュは頷いて、後ろ手にドアを閉めた。 部屋の中は、にわかに慌しくなった気配があった。 (さて、寝るか……) 部屋は白い廊下を突っ切った先だ。ボッシュは歩き出した。 鉄格子みたいな扉からして嫌な予感はあったのだ。 ドアを開けて、ボッシュは思いっきり顔を顰めた。 「ここって、拘置室じゃあないの……?」 粗末なベッドの横は物置みたいになっている。あの女やってくれたなと考えながら、ボッシュはベッドに腰を下ろした。スプリングは潰れて固かった。だが雨風をしのげて空調が効いているだけ、今のボッシュにとってそれはほとんど楽園と言ったって良かった。 それで、俺はもしかして今まで犯罪者以下の生活を送っていたのかと理解が到達すると、なんだか虚しくなってきた。もう寝てしまおう。 薄明るい黄色い光を消すと、具合の悪い闇が訪れた。 部屋には窓もない。月も星もここからは見えず、大深度地下都市のレンジャー基地を彷彿とさせた。 レンジャー基地なんてものはどこだって同じような作りをしているのだ。空も地下もあまり変わらない。 目を閉じた。眠気はすぐに訪れた。ここには壁があり、獣たちはいなかった。雨が降ってくることもない。雪なんかもってのほかだ。 すぐに意識は沈むはずだった。そのはずだ。 うとうとしはじめたころ、ボッシュは部屋の隅に誰かがうずくまって座り込んでいることに気がついた。 先客がいたのかとぼんやりした頭で考えたが、少しして、そんなはずはないと気がついた。 ボッシュが入室した時は、確かに誰の姿も見えず、気配もなかったのだ。 (誰だ……) のろのろと頭だけ起こして見遣ると、それはどうやらレンジャーのようだった。 レンジャージャケットを羽織っている。 まだ15、6かそこらの少年だった。 青い髪の――――ボッシュは飛び起きた。青い頭をした、見慣れた少年がいる。 彼は黙って口を噤んだまま部屋の隅の物置の上に座り、目を閉じてじっとしていた。 どうやら眠っているように見えた。 「……リュウっ?!」 彼がここにいるはずはなかった。戸惑いながらボッシュが呼ぶと、リュウはすうっと顔を上げた。 |
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