朝になるとニーナがやってきて、変な顔をして拘置室の中のボッシュを見た。
「……なんで自分から、牢屋の中に入ってるの?」
 ニーナは具合の悪そうな不理解を顔に浮かべたまま、鋼鉄のドアノブに引っ掛かるようにして掛けられた、ナンバーが刻まれたプラスティック製のプレートに触れた。
 そこには『拘置室・106−A』とレタリング文字が印刷されていた。
「せっかく、ちゃんと一人部屋を取ってきてあげたのに。全然方向が逆。あなたの部屋は宿舎A棟。ここじゃあないわ」
「……なら先に言えよ。おかげですごく夢見が悪かったよ。最悪だ」
「どんな夢を見たの? 怖い夢? あなたにもなにか怖いものでもあるの? 自分が一番怖い人なのに」
「オマエには関係ない。でも居心地は良かったよ、快適だ。空調が効いてる部屋で眠るなんて何年ぶりかな?」
 肩を竦めて、ボッシュは言った。面白くはないが、嘘じゃあなかった。こんなに居心地の良い場所で眠るのは久し振りだった。
 例えそれがドラゴンに睡眠を妨害されて、ろくに寝付けもしないうちに朝を迎えた眠りだとしても。
 ニーナはそわそわしながら、まだ眠気がおりのように残っているボッシュを急かした。
「はやくねえ、用意が終わったら、少しお話があるの」
「それよりさあ、『お仕事』はいつ下りてくるの、羽根付きディクの判定者様。俺ぁこんなとこでいつまでもレンジャーごっこやってる暇はないんだよ」
「……封印式がいつかって、わたし教えてもらえないの。もしかしたら早めにこっそり終わらせちゃうつもりかもしれない」
 ニーナは抱えていた茶色の紙袋をボッシュに寄越した。中には皺ひとつない新品のレンジャー支給制服が入っていた。
 コート、アンダーシャツ、プロテクタ、グローブ。どれもぴかぴかの新品で、かなり値が張りそうな品物だった。半分は例の御印の効力もあるに違いないとボッシュは踏んだ。
「もらってきてあげたよ。みんながんばって作ってくれたって」
「あそ」
「ホールで待ってるよ」
 準備、早く終わらせてとニーナは言った。
「あとカード、使ったら返して。赤色がないと、リュウとカード・ゲームができない」







 窓から外のグラウンドが見えた。朝礼の真っ最中のようで、カラフルな隊服がずらっと並んでいた。
 レンジャーたちはみな背中に両腕を回し、きちっと姿勢を正して、上官の話に聞き入っていた。群れに乱れはなく、良く統率が取れていた。
 どうやら空のレンジャーたちは、下層基地のレンジャーよりもいくらかお行儀が良いようだった。
『一般市民の間にはひどく動揺がはしっている。皆も知っているだろうと思うが、くだんのオリジン様封印の件でだ。任務の最中にいろいろと質問を受けるとは思うが、内容は極秘機密扱いになっている――――くれぐれも外へ漏らすな。とは言っても何も知らされていないものがほとんどだろうが……いいな。そしてこういう時こそ我々が正しく役割を果たさなければならんのだ。混乱を招く態度を取らんこと、くれぐれも気をつけろ。それから例の化け物騒ぎの件で――――
 話はまだまだ続きそうだった。
 何故上官や隊長や上層区の年寄り連中と言ったものはああいうふうに長ったらしい演説を好むのか、ボッシュには理解出来ない。
 簡潔に状況を報告すれば一分で済む。その間にしかるべき役割はいくつかこなされる。無駄な動作を好まないボッシュには正直うんざりするものだった。
 ホールへ行きがけに通った宿舎A棟をふと覗いてみると、ひとつだけプレートの掛かっていないドアがあった。
 かわりにノブの上に紙が張られていた。手書きで『危ないから近寄らないこと』と書かれている。見たことはないが、おそらくニーナの字だ。
(……ていうかあの女、良く言うぜ。イキナリパドラームよりゃ、俺は割かしおとなしいほうだ)
 紙を破って剥がし、ドアを開け、適当に部屋の中に放り込んだ。
 部屋はすっきりと整っていて、清潔だった。拘置室よりも大分上等な部屋だった。
 だがボッシュにしてみれば、屋根とベッドがあって空調が効いているのなら、どこだってそう変わりはなかった。みんな一緒だ。大して何の役にも立ちやしない。
 宿舎の廊下を突っ切った先にホールがあった。吹き抜けになっていて、強化ガラス張りの透明な天井が見えた。
 今日は良い天気だった。真上を眺めるかぎり雲ひとつない。
 ニーナはホールの中央に無造作に置かれた大きな鉢植えの横に、行儀悪く座り込んでぼんやりとしていた。
 彼女はボッシュを見付けると立ちあがり、尻を叩いて埃を払った。
「おはよう。さっき言い忘れてたから」
「そんなのどうだって良いよ」
 ニ―ナはボードとボールペンを抱えていた。ボッシュのそばへ来ると、彼女はそいつを差し出して、これどうすると言った。
「レンジャー隊員証の発行。わたしは別に良いんだけど、これがないとレンジャーの人、セントラルに入れないんだって」
「オマエは? D値ないんだろニーナ様」
「わたしはいつもリュウと一緒にいるから、チェッカーも入れてくれるの。ね、隊長さんにお願いして、リュウの護衛隊長にしてもらったの。あなたも行くんでしょ? お名前書いて大丈夫? つかまらない?」
「それ貸せ」
 ボッシュはニーナからボードを取り上げて、隊員証発行申請書に目を通した。目にするのは実に6年ぶりだった。
 いくつか変更されている点はあったが、基本的には何も変わらなかった。
 12の歳にこいつに名前とD値を書き込んだ自分は、まさか6年後に家柄も何もかも失って、再び申請書に偽名を書き込む羽目になるなんて思いもつかなかっただろう。
 住居と所属を空欄にしたまま名前だけ書き込んで、ボッシュはニーナにボードを突っ返した。
 ニーナは申請書に目を通して、変な顔をした。
「ソラ=1/8192? これどうしてこうなったの?」
「名付け親がいてさ、しばらくこの名前を使えとさ」
「ふうん……キレイな名前ね」
 ニーナは言った。そして余計な一言を付け加えることも忘れなかった。
「あんまり似合ってないよ」
「知ってる」
 ボッシュはそっけなく頷いた。










Back  * Contenttop  Next