大方の事情はこんなところだった。セントラル最上階に竜は封印される。
 空を開いた竜は眠りにつき、まどろみながら千年ヒトの街を見守り続ける。
 世界から竜はいなくなる。その圧倒的な力も純粋な脅威も消えてなくなる。
 何せもともと竜はヒトと相容れないものなのだ。天敵と言ってやったって良い。鍵爪の一薙ぎで人間の生命なんてものはあっけなく吹き消されてしまうのだ。まるで嵐の中で力なく幽かに揺れる蝋燭の灯火みたいに。
 オリジン封印の報は街の多くの人間たちを悲しませたが、同時に一部の人間をひどく安心させた。
 彼らは竜の本質を知るものたちだ。
 竜殺しの任務から命からがら逃げ帰ってきた元適格者討伐隊の者たち、あるいはその中の殉職した隊員の家族たち、ヒトでない異形が統べる世界を愛さないものたちである。
 その多くは新生トリニティを名乗り、リュウ=1/4を最高判定者の座から引き摺り降ろし、新たなオリジンには彼らがかつて崇拝したリーダー・メベト=1/4を据えるべきだとセントラルに要求し、未だ反政府活動を続けている。
 全ての人間に愛される政府など、世界規模で洗脳でも行わない限り存在しないのだ。
 誰も彼も隣人を、統治するものを愛し、疑いもなく、悪は許されず、優しいものだけで構成されている世界。
 歪みはなく、全ては愛に包まれている。完全な世界だ。そんなものは理想郷だ。
 ボッシュは皮肉に考える。子供のおままごとゴッコの世界だ。それが成立するのは個人の夢想の中だけだ。
 リュウはオリジンとしてこの汚い世界を愛しているのだろうか?
 彼は絶望していないのだろうか?
 まだヒトを信じているのだろうか?
 それとも彼の口癖のように「がんばったら」まだ何とかなるなんて考えてるんだろうか?
 リュウという人間の考えていることが、ボッシュにはわからない。
 彼は何を考えているのだろう?
 何故相棒を裏切り、竜と繋がり、世界を開き、そして統べているのだろう。
 リュウはまだ笑えるのだろうか?
 ボッシュにはわからないが、たったひとつだけ言えることは、彼はもうすぐそんな全ての煩わしい世界の事象から解放されるということだ。
 眠りの安堵ではなく、ボッシュただ一人によって与えられる、永遠の絶望の中で。






 食堂まで迎えに来たニーナ「隊長」に連れられて、中央区に向かった。
 街の中心にあるセントラル・タワーはまだ半分が工事中で、ところどころ鉄骨が剥き出しになっている箇所が見えた。それにしたってかなり立派なものだった。天高く聳え、まるで空に届かんばかりだ。世界最高位のメンバーに相応しい建造物だった。
 セントラル入りまでは大分時間と手間を食った。役所仕事の融通のきかなさは、ボッシュも良く知っていた。彼らの頭の固さは半端じゃあないのだ。まるでアームストロングの鋼鉄の装甲だ。きっとそれが条件で採用されたのだと、ボッシュはいつもこっそり考えていた。
 例によってリュウのことになると目の前しか見えなくなるらしいニーナは、それで大分神経をすり減らしたようだった。
 何も考えずにまた御印を使おうとするものだから、ボッシュが止めてやらなきゃならなかった。彼女は暴走していた。






「ディク隊長、トランプなんて渡したってお役所のエリート様方は忙しいから遊んじゃくれませんよ。ハイハイ、ちょっとかなり邪魔だからすっこんでて下さい」
「は、早くしなきゃ、だってリュウが……むぐ」
 ニーナの口を塞いで、御印を取り上げ、ボッシュはセントラルの受付嬢ににっこりと笑い掛けた。
 彼女は粗暴な職業であるレンジャー隊の相手をすることに、あからさまに嫌気がさした顔をしていたが、ボッシュが微笑みかけると急に顔を真っ赤にして俯いて、すぐに確認作業に入ります、と言った。
 ニーナは不思議そうな顔をして、今まで機械みたいな対応しかくれなかった受付嬢の豹変ぶりを見てから、ボッシュの顔を見た。
 そしてこそこそと小声で耳打ちしてきた。
(……あなたなにかしたの? 変な洗脳ビームとか、出した?)
(オマエは俺を何だと思ってんの? 俺があんまり格好良いからに決まってるじゃん)
(リュウのほうが格好良いよ、優しいし)
(あんなの比べる相手になりゃしないよ。不細工だし地味だし陰気臭いし、信用ならないね。それより何でオマエ、受付通してもらえないの? メンバーだろ)
(新しい人だよ、あの女の人。きっとわたしのこと知らない。でも良かった、知ってる人だったら、クピトにニ―ナは入れちゃだめって言われてたかもしれない)
 ごそごそとやってるうちに、受付の確認作業は終わったらしかった。
 受付嬢は小さなタグ付きの指輪をくれて、これが入館許可証になります、と言った。
「アイザック隊、データ照合しました。任務ご苦労様です。本日C−0012区画までの入室許可が降りています」
「任務はセントラル最上階の護衛なんだけど、C−0012区画はぜんぜん遠いよ……」
 ニーナが困った顔をして指輪を指で弄んだ。回したりひっくり返したりしながら、じいっと見ている。
 透明な特殊樹脂で造られた代物らしく、一見プラスティックのようだが、ゴムのように柔らかい。
 ほのかに赤く発光する線が組み合わさっていて、内蔵されたタグにはオリジンの御印が刻まれていた。
「C−0012区画にて、任務開始時刻まで待機とのご連絡を受けています。その先のエリアへの侵入許可証は、同エリアにて発行しております。セントラルは性質上、極秘機密を数多く取り扱っておりますので、どうかご理解下さい。入館許可証の適用期限は本日午後11時59分まで。期限が過ぎますとタグが発光しなくなり、御印が消えます。セントラル内で期限を過ぎますと、チェッカーに閉じ込められますのでご注意下さい」
 受付嬢は、相変わらず機械のような口ぶりで、必要なことだけ喋った。
 ニーナはあからさまに膨れている。ボッシュは肩を竦め、半分乗り出す格好で受付に肘を置いて、受付嬢に話し掛けた。
「すごく広い建物だね。あんまり方向感覚には自信がないんだけど、ナビマップかなにかありませんか、お嬢さん?」
「セッ、セントラル各階層に、マップ板が設置されています! そ、そちらをご参照ください、規則なんです」
 受付嬢は上擦った声を上げて、書類を胸に抱いて後ずさった。ボッシュはまた行儀良く微笑んで、彼女にとどめをくれてやった。
「キレイな手だね。よかったらまた会いに来たいんだけどさ、その時にここのマップがあったらすごく助かる」








「ぜったい洗脳ビームを出してるよ」
 ニーナが腑に落ちない顔をして、言った。
 ニーナはなんだか見覚えのある格好をしていた。白いワンピースに簡易プロテクタ、背中に下層区のロゴが入った紺色のジャケットを羽織っている。
 リュウのものだ。ただし彼にはあまり似ていない。彼女はまずは格好から入りたがるタイプなのかもしれないとボッシュは踏んだ。
 隊はC−0012区画にて待機中だ。
 大体は客間でたむろしているか、食堂に食いっぱぐれた朝飯を食いに行った。あるいはセントラル・タワーの食堂というものに単純に興味を持ったのかもしれない。
「なんであの人からマップもらえたの?」
「さあね。お子様にはわかんないんじゃないの」
「それにしても、外の人にこんなに優しくなかったんだ、セントラルって。はじめて知った」
「どうする? さっきの受付、クビにでもするの?」
「……あとで、リュウを助けたら、めってしてもらうの。リュウの「め」はすごく効くのよ。おでこをぴんってするの。そしたらもう悪いことしたくなくなっちゃうの。誰かに親切にしたくなっちゃう」
「ふーん。オマエ前科持ちだったの」
 どうでも良いことを喋りながら、マップナビを見た――――今ボッシュたちがいる「C−0012区画」ってのは、セントラル中層部だ。最上階まではニーナが言った通り、遠い。
 だがセントラル内部の構造は大体理解できた。いざとなれば力づくで突破することも可能だろう。
「オマエの鍵があれば、どこへでも行けるんじゃないの?」
「クピトがチェッカーをいじったの。だからわたしは決まったとこへしか行けない」
「まあ入口で騒ぎさえ起こらなかったら何でも良いよ。じゃ」
 待機なんて面倒なことをするつもりはない。背中がひどく疼く。リュウがそばにいるのだ。
 レンジャー隊を抜けてさっさとリュウの顔でも拝んでやろうとした矢先、コートの裾をニーナにぎゅっと引っ張られた。
「なに、まだ何か用……」
「しい」
 ニーナは片手の人差し指を唇に当てて、ボッシュを回廊の柱の陰に引っ張り込んだ。
 何だと訝しく彼女を見遣ると、ニーナは隠れんぼでもしているみたいな奇妙に緊張した顔をして、廊下をじっと覗っている。
 じきに靴の音が聞こえた。
 どこかで見たことがある男が歩いてきた――――つんつん頭の、濃い紫色のジャケットを羽織った男だ。
 さっき見た映像にリュウと一緒に映っていた男だ。昔何度か名前を聞いた憶えがあるような気はするが、忘れた。
(ジェズイット。リュウを殺しちゃおうとしてる人のひとりよ)
(ふうん。じゃあ殺したほうがいい?)
(だめ。リュウが怒る)
(オマエの言うことはいちいちわけわかんないね)
 ボッシュは肩を竦めた。
 ジェズイットとか言う男はだらしない格好で歩いていく。ポケットに手を突っ込みながら。
 表情はない。無表情だが、頬にくっきりと赤い手のひら型の痣があった。殴打された痕だ。
 あれだけくっきり残すには、相当の力が加わったに違いない。誰にやられたのかは知らない。
 彼は歩きながら、ふとニーナとボッシュの隠れている柱を見遣った。
 相手は仮にもメンバーだ、気付いたのだろうか?
 だがその男は結局何にも言わずに行ってしまった。
 しばらく具合の悪い沈黙が流れた後、ニーナはほっと胸を撫で下ろして、言った。
「よかったあ、気付かれたかと思った」
「まあどうでもいいけど」
 ボッシュは肩を竦めて、言った。
「邪魔になるようならぶっ殺すだけだろ。ヒトなんて大してどれも変わりゃしないよ」
「あなたってリュウとぜんぜん違うんだね」
 ニーナがボッシュの顔をまじまじと見て、言った。
「ほんとにやさしくないひと」










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