「いい加減にして下さい! 邪魔をしないで!」
 まだ幼い声だった。甲高く響いて、その声音が媒介になり、ボッシュの足首を氷結させた。
 足を取られて思わず転倒しそうになったか、済んでで踏みとどまった。氷結魔法だ。ボッシュもひととおり扱えるものだ。ただし魔法はあまり得意ではないので、威力としては得意とする獣剣技に比べてささやかなものだったが。
 『ボッシュ』もボッシュと同じように、淡く発光する氷のあぎとに食らいつかれていた。D−ダイブを中断し、彼は忌々しげに叫んだ。
『クソガキ、邪魔なのはオマエだよ! オマエも主人といっしょくたに喰ってやろうか?!』
「ジェズイット、リュウを! リュウとニーナを連れて逃げて!」
 グレイゴルでボッシュらの足止めをしたのは、何度か省庁区で見掛けたこともある旧統治者のひとりだった。名前はいつか訊いたような気もするが、忘れてしまった。見たところボッシュよりも年齢は下に見える。
 そのせいで面白くないと感じたことは覚えている。ボッシュよりも幼い少年が、既にメンバーの栄光を手に入れているのだ。焦燥しなかったと言えば嘘になる。
 彼はワンドをすっと引いて『ボッシュ』をじっと見つめていた。そして何事か呟いたようだったが、ボッシュには彼が何を言っているのかはわからなかった。
 ただ、『ボッシュ』がめんどくさそうな顔で、なら俺の邪魔をするんじゃあない、と言った。
「は、離し……ボッシュ!」
 憔悴しきったリュウの声が聞こえた。ボッシュが振り向くと、彼は眠り込んだままのニーナを抱えたもう一人のメンバーに肩を掴まれている。
「ジェズイット、離し……離せ!おれはここにいなきゃ……」
「いいからちょっといい子しててくんないかなあ。我侭言わんでくれよ」
 メンバーの男は、どっとリュウのみぞおちに拳を突き刺した。リュウは一瞬震え、頭を垂れて、激しく咳込んだ。
「ありゃ、さすがに落ちなかったか……クピト、こっちは任せろ! 駄々っ子は二人とも預かった!」
「お願いします、ジェズイット」
 ひどく落ち付いた声で、「クピト」が「ジェズイット」に頷いた。あまり名前を覚えるのは得意なほうではない。そのせいで、世界最高位の身分を持った人間とはいえ、初めてその名前を聞いたような気にすらなった。それとも、余計な執着がなくなってしまったせいかもしれない。
 今やボッシュを支えているのは、リュウというひとりの人間のみだった。彼への強い感情のみだった。それは憎しみと言うのだ。それ以外には思い付かなかった。
 ボッシュは『ボッシュ』へ向けるはずだった獣剣を脇に引き、駆け出した。
 その先にはメンバーのクピトがいた。
 かつて少しばかりの劣等感をボッシュに抱かせた相手に剣を突き出した。
 もっともその栄光の少年は、ボッシュの存在すら知らなかったに違いない。
 クピトは恐怖や焦り、不安などと言ったもののない、澄んだ目をしてまっすぐにボッシュを見つめてきていた。
 まるで殺されることなんかまるっきり怖くなどないとでも言うふうな目だった。
 正確に一突きで息の根を止められるように、注意深く首筋を狙って剣の切っ先を突き出した。あの時もボッシュはこうやってリュウの息の根を止めたのだ。無造作に、ただ首の皮を突き破り、突き刺して、ヒトならばそれで絶命する。
 その次の瞬間に起こったことを頭で理解するまで、少しの時間を要した。
 側頭部に鈍い痛みを感じ――――まるで石つぶてでも投げつけられたような――――重たい衝撃に引き摺られるようにして、効力を失ってしまった巨大な魔法陣が描かれた床に倒れ込んだ。
「クピト!」
 どこかで見たことがある女が、ボッシュが殺すはずだったクピトの肩を引いて、発煙弾を床に撃ち込んだ。
 どうやら今しがた、ボッシュは彼女に狙撃されたらしいのだ。銃弾くらいじゃ何発叩き込まれようとドラゴンは死にはしないが、ボッシュは苛立って舌打ちをした。
 ボッシュはただリュウと竜を殺せればそれで良いのに、まったくもって邪魔をする奴が多過ぎる。
 すぐに部屋は煙塗れになった。何も見えなくなる。だが、依然背中の疼きは止まない。竜がそばにいるせいだ。
『リュウっ!!』
 焦って上擦った自分の声がすぐそばで聞こえて、ボッシュは一瞬自分がそれを発したのかと思った。
 頼りなく、リフトでは手を掛けてやらなきゃすぐにディクにひどい目に遭わされているあのローディを呼んでやっているのかと思った。
『どこだ?! リュウ、無事か、どこにいる!!』
 だがそれにしてはいささか声に焦燥と混乱の匂いが濃過ぎた。ボッシュは決してそんな情けない声は出さなかったはずだ。
 断じてそうだ。間違っても、あんなふうにリュウに縋るような悲鳴を上げたりはしない。
(ほんっと、バカみたい)
 これも敵対する竜の打算かと踏んだが、どうやらそうでもないらしい――――あれはただ純粋にリュウを呼び求めているようだ。
 そうすると、奇妙な怒りがボッシュに訪れた。
 それが何故なのかはわからなかった。
 何故こんなに、偽物の自分の声がリュウの名前を呼んでいることに腹が立つのか、ボッシュには理解できなかった。
(それじゃあ、俺はここにいますよ、って言ってるみたいなもんじゃん)
『リュウ……』
 背後から忍び寄り、一突きする。それで終わりだ。
 正直ここまで楽にことが運ぶなんて想像もしていなかったボッシュは、内心拍子抜けしていた。
 これが、あのアジーンとリュウなのだろうか?
 圧倒的な力の差でボッシュを殺害した者たちなのだろうか?
 空を手に入れて平和ボケでもしていたのだろうか?
 竜の気配に近付き、獣剣を振り上げたところで、ようやっと『ボッシュ』は気付いて振り向き、驚愕を顔に浮かべた。
 その赤い眼には、竜の擬態である二年前の『ボッシュ』とはあまり似ていないボッシュの姿がくっきりと映っていた。
「遅いよ」
『……!!』
「さよならアジーン。俺ぁオマエみたいな間抜けにはならないよ」
 そしてボッシュは迷いなく剣を振り下ろした。










Back  * Contenttop  Next