どこか他人事のような心地で、ボッシュはチェトレのドラゴンブレスがアジーンのドラゴナイズド・フォームを焼くのを見ていた。
 アジーンの身体を護るように覆う輝く文字の壁――――彼のアブソリュ―ド・ディフェンスは、オールドディープのブレスに相殺されはじめていた。
 途切れ途切れに明滅し、うっすらと薄まってゆく。消え去るのは時間の問題のように思えた。
 彼が抱きかかえているリュウの姿が見えた。
 驚くほどはっきりと見えた――――あのろくでなしのブースト手術からこちらというもの、目は大分良くなったのだ。
 光に弱く、暗闇でもそう調節がきかない視力――――これは大深度地下都市に棲む人間すべてにおいて言えることだった。上層の眩い光の中で生きてきたボッシュは、下層地区のローディのように暗闇に適応することもできていなかった。視力に関しては、ローディどもの方が上手く地下世界に適応した進化を遂げていた――――は、たとえば月も星もない夜中に、黒く濁った湖の中の小石を判別することすらできるようになっていた。それは視覚に関してのものではなかったかもしれない。ものの見方が大分変わってしまった。感覚的なものだったかもしれない。
 リュウの顔は安らかだった。安堵していた。
 このまま炎に焼き尽くされたってなんにもかまわないとでもいうような、とても幸福なことがあったような表情でいた。
――――待て……」
 知らず呟いていた。
 自分が何をしているのか、ボッシュにはわからなかった。
 ただ腕と口が勝手に動いて、チェトレを制止するように手を広げ、叫んでいた。
「チェトレ、待て! リュウは殺すな!」
 叫び声は轟音の只中にあって、ボッシュ自身ですらうまく聞き取れなかった。




 ずうっとその背中を追い掛けてきた。紺色地に下層区の鮮やかな赤いロゴが染め抜かれている。
 この二年間ずうっとだ。地の底からこんな高みまでやってきた。
 空は優しい世界ではなかった。
 そして死すらボッシュを救わなかった。
 こんな曖昧なかたちで生かされている。
 どれもこれもがたったひとつの目的のためだった。
 リュウを殺す。彼に復讐を。
「やめろ! リュウは殺すな!!」
 ボッシュは叫んでいた。
 自分が何を言っているのか、ボッシュはわからなかった。

 


◆◇◆◇◆




 セントラル竜の間の天井は跡形もなく吹き飛んでいた。
 遮る壁も柱も溶け、あるいは瓦礫になって足元に転がっていた。
 四方には空しかなかった。
 高層の風が強く吹き付けてきた。熱された空気が、鋭く肌をちりちりと焼いていた。
 その場に立っているのはボッシュひとりきりだった。
 他にはもう誰もいない。みんな消し飛んでしまった。
 いや――――



 靴の底で煤けた壁の欠片を踏み潰した。
 ボッシュは無言で、地べたに這いつくばっているそれを見た。
 銀色の竜だった。
 その身体は半分焦げていたが、まだ生きていた。
 リュウを庇うように抱いている。
 ボッシュは死に掛けたアジーンの腕を、黙って踏み付けにしてやった。
 炭と化していたドラゴンの腕は、あっけなく崩れ、風に溶けて消えてしまった。
 そしてぐったりとなったリュウを、竜から取り上げた。
 アジーンは気に入りの玩具を取り上げられた子供のような、焦燥と癇癪の混じった顔で、残った手を伸ばした。
『かっ、返せ! 気安くリュウに触るなよ……!!』
「黙れよアジーン、この負け犬が」
 アジーンの崩れた肩を蹴り上げ、ボッシュは酷薄に言い放った。
 リュウを抱き上げた。
 その身体は細く、まるで中身が空っぽででもあるみたいに、軽かった。
 まだ血は止まっておらず、零れ続ける血液は、オリジンのコートを奇妙な色合いに染めていた。
 リュウに、触れる――――そうすると、何故かあんなに混乱に浸蝕されていたボッシュに、深い静寂が訪れた。
 そうして、ボッシュはようやっと、口元を歪めた。
 あの慣れたにやにや笑いが口元に戻ってきた。
 アジーンを見下ろして、ボッシュは嘲笑してやった。
「……ちょっと宿主に干渉が過ぎるんじゃない? そんなにコイツが大事? ロクなもんじゃないよ」
『うるさい! オマエに何が分かるよ……!』
 アジーンは怒りを露わにしていた。
 だがもう何の力も残ってはいないようだった。
 ボッシュはにやにやしながら、またアジーンを蹴っ飛ばした。
「ああ悪いね、俺足癖悪くって、ついなんでもかんでも蹴っ飛ばしちゃうんだ」
『殺してやる……!』
「やってみなよアジーン。リンク者がどうなったって良いんならね」
 リュウの首筋に硬化した爪を突き付けてやると、アジーンの顔色が変わった。
『リュウうっ!!』
「そのまま死んじゃいなよ。もう器はオマエにゃ必要ない。チェトレ、行こうぜ。そんな負け犬に構うことない」
 そして死に掛けた竜に背中を向け、ひしゃげて半分瓦礫で埋まった階段へと歩き出した。
 ボッシュは、腕に抱いたリュウの傷痕をちらっと覗き込んだ。
 リュウの血液は、胸を貫通した傷口から依然零れ続けている。止まらない。










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