それが、ボッシュにはおかしかった。くすくす笑った。 それは二年前まで毎日見ていたリュウの顔だった。彼が良く見せていたもの。 同僚に下世話な話を振られてからかわれた時に、良く見せたものだった。 リュウはそういう場合、無理矢理に仏頂面を作って、そんなことには何の感心もないんだというふうに、まるで彼の世界は彼が信じるまっとうなものだけで構成されているというよた話を頭から飲み込んでしまっているふうに、目を逸らし、無理矢理に用事をこじつけて、その場から逃げ出してしまう。 彼はそのことで良くからかわれていた。 いつだって漠然とした感情しか見せないリュウという男がむきになる話題なんて、物珍しかったのだろう。 「かわいいね、オリジン様」 ボッシュは静かに呟き、目を閉じ、開いて、過去の情景を振り払った。 そんなものは、今になってはもう何の役にも立ちやしないのだ。意味もない。 リュウの脚を開かせてやると、彼は僅かに抵抗した。 だが、どれだけ暴れたってどうにもならないってことは、先ほど理解させてやったばかりだ。 ベルトの金具を左手の指二本で外し――――これは特技のひとつだった。指先が器用なのだ――――性器を取り出すと、それはもう硬くなっていた。血が集まって、赤く染まっている。 なんだか不思議だった。相手はリュウだ。ずうっと追い掛けてきたリュウだった。 彼を殺さなければならなかった。 興奮してはいたが、それが殺意によるものなのか、単純に欲情しているのかは、ボッシュには判別できなかった。 身体にボッシュの性器が触れると、リュウはほとんど涙目になっていた。 触ってやると、鳥肌まで立てている。 ホントに嫌がられたもんだね、とボッシュは苦笑しそうになった。 それは理解していないせいなのだろうか? もしも、リュウからあの竜の浸蝕が流れ落ちて、今ここにいるボッシュを識別したとしたら、もしそうなったとしたら、彼はそれでもこういうふうにあからさまに拒絶するのだろうか? 彼はボッシュの前でも潔癖症のオリジンのままなのだろうか? 例によってあの困った顔をして、ボッシュを汚れたもののような目で見るのだろうか? ――――リアルに存在する「ボッシュ」が求めれば、リュウはもしかしたら、望み通りに、何だって言うことを聞くんじゃあないだろうか? そう考えるのは、ボッシュが、今はもう見る影もない過去の残滓に縛られているせいだということになるのだろうか。 「……ボ、ボッシュ……」 リュウが頭を揺らしながら、身を引こうとした。 だが追い詰められているせいで、それは手枷と鎖にぎいっという鳴き声を上げさせただけに終わった。 「ボッシュ……や、やだ、やだ、ボッシュ……」 がつん、と大きく鎖が引かれた。 リュウは完全に混乱してしまったようだった。 わけのわからない言葉を吐いている。悲鳴みたいな小さな囁きだった。 彼には、自分の言葉の意味なんかわかっちゃいないだろう。 「こっ、ここにいるよ! おれ、ここだよ! 見付けてよ! 助けてよ、ボッシュぅッ!!」 暴れるにしたって、彼は非力だった。 リュウの太腿を押さえ付けて、腰を抱え、何の問題もなく股座に性器を挿入してやりながら、ボッシュが考えるのはぼんやりとした可能性についてだった。 もしかしたら、リュウは、能なしローディにもしも深い理解が訪れたとしたら、彼は自分から脚を開いて、ボッシュの名前を呼ぶんじゃあないかということだ。 ボッシュに浸蝕されたリュウは悲鳴を上げ、処分されている最中のディクみたいに、絶望と諦めの混じった目を見せた。 彼はずうっと信じ続けていたのだ。 ボッシュが迎えに来ることを、確信に近い望みを持って、待ち続けていたのだ。 だが彼に助けは訪れなかった。 彼にとって、どこの誰だかわからない男――――ボッシュの「敵」だという認識があるようだった――――に犯され、ひどい目に遭わされて、リュウはそうなってようやく何かを諦めたようだった。諦めを理解したようだった。 彼の顔から、二年前には見付けられなかったあの庇護されている子供の表情が、一瞬で抜け落ちた。 後に残っているのは、いつだって何かを諦めているような、あの見慣れた感触だった。 「ボッシュ……?」 リュウはいっぱいに目を見開いて、彼を取り巻く世界を認識したようだった。 暗い空洞。手枷、鎖。血のにおい。知らない男。犯されている。 尻に性器がねじこまれ、今も腹の中に、どんどん深く、潜り込んでくる。 「ボッシュ……うっ?」 何もかもが思い通りにいかないせいで癇癪を起こした子供みたいに、リュウは顔をくしゃっと歪めて、泣き出しそうな顔になった。 そうなっても、彼に救いは、いつまで経っても訪れなかった。 やがて、リュウはささやかな抵抗も取り止めてしまった。 その表情は虚ろだった。 そしてかすれた声で、おれのことほんとにきらいになっちゃったの、と呟いた。 ◇◆◇◆◇ リュウは静かに泣いていた。 顔色は無くなって、紙のように白くなり、額には冷たい脂汗がじわっと浮いていた。 時折、色気のないくぐもったうめき声が彼の喉から零れることを除けば、ほとんど声らしい声も上がらなかった。 ただまだ諦めきるということができないのか、小さくボッシュの名前を呼ぶことがあった。 たすけてと泣いた。哀れなものだった。 これがオリジンなのだ。 ボッシュを殺害した空の支配者なのだ。 そうやってリュウが名前を呼ぶたびに、ボッシュに、澄んだ水の滴が滴るような安堵が訪れた。 俺は今リュウを支配しているんだという実感が現れ、ボッシュの深い傷を癒した。 そして、こんなになってもまだ何にも知らないリュウに、僅かな苛立ちを覚えた。 だがそれすらも心地の良いものだった。 簡単に、首筋に風穴を開けてリュウを殺害してしまうこともできた。 だがリュウの、レンジャー時代でさえ見たことも無かったような、絶望で悲壮にぐちゃぐちゃになった泣き顔はボッシュを興奮させるものだったし、もう何の力もない、あの深い穴倉でいつも背中に回して守ってやっていたローディが再び手の届く場所に還ってきたのだと考えると、奇妙な感慨がボッシュに訪れた。懐かしい感触だった。 飽きることなく、いつまでもベッドに縛り付けたリュウに触っていた。 もう誰も邪魔をする奴なんかいなかった。 リュウをボッシュから取り上げるものなどどこにもいなかった。 ある時、このまま1000年こうしてようかと、ボッシュは冗談混じりに何にもわかっていないリュウに言ってやった。 無論冗談なんかじゃあなかった。 リュウは、初めて腹の中に放ってやった時こそ大分長い間放心していたものだったが、じきに身体のほうには慣れが訪れるようになった。 挿入はすべらかに行えるようになったし、交合の度にリュウの身体はボッシュに馴染んでいった。 だが、リュウには、こんなになっても快楽ってものがわからないようだった。 彼は青ざめて震えているだけだった。勃起もしない。 身体だけがボッシュの侵入に馴染んでいく。脳味噌の中は、相変わらずあの潔癖症のリュウだ。何も変わりやしない。 ふとボッシュは思い出した。そう言えばいつかリュウの奴を、オマエ不能じゃあないの、なんてからかってやったことがあったのだ。 そういうことなのかもしれない。 何度抱いてもリュウの肌は濡れることはなく、乾いたままだった。 まるでそういうふうに元々造られているみたいだった。彼の身体は、性交を行うために造られてはいないのだ。 まぐわっても何も感じることはなく、ただ縮こまり、震え、泣いている。それだけだった。 オマエじゃあなかったらとっくに萎えてるよと、ボッシュは苦笑混じりにリュウに言ってやった。 だが、やはりリュウには理解は訪れず、彼の目はマットなままだった。今のボッシュのように、情欲に燃える光もない。 何日かそうしていた。 昼も夜も知らず、ずうっと薄暗い穴倉で不感症のリュウとまぐわり、疲れればしばらく浅い眠りに落ち、またリュウを抱く。 リュウは相変わらず反応らしい反応もしない。ただ怯えて震えている。 そんなことを繰り返していた、ある日のことだ。 薄汚れたベッドシーツに頬を擦り付けてまどろんでいたら、腹の虫が大分情けない声を上げた。 そう言えば、しばらく何も口にしていなかった。 リュウは不感症であったので、性器を舐めてやっても、彼を射精に導いてやれることはなかった。 そんな訳で、彼の精液を飲んでやるということもできていない。 どんな味がするのだろうと空想してみたが、想像もつかない。 同性の精液の味なんて知ったことじゃあないが、リュウに関して言えば、まあどんなものなのかな、と興味を抱くところがあった。 だが、どうやら望めそうにはなかった。 薄目を開けてリュウを見遣ると、彼は大分消耗しているらしく、背中を向けたままぴくりとも動かない。 眠っているようにも見えたが、そうではない。ただじいっとしているだけだ。 彼はここ数日、眠れないようだった。 まあこんな状況である、無理もないが、それとは別にどこか眠ると言った行為を怖がっているようにも見えた。 それが何故なのかはボッシュは知らない。 リュウの背骨の浮き出た背中を見つめながら、コイツ食っちゃ駄目かな、とぼんやりと考えた。 片腕くらいなら死にやしないだろう。いや、脚のほうが良いかもしれない。そうやって順々に四肢を食らってやるのも良いかもしれない。 ヒトってものは、どこまで食ったら死んでしまうのだろう? ぎりぎりの境界線ってのはどこにあるのだろうか? 思考を続けながら、ボッシュはふと違和感を感じて、顔を顰めた。 チェトレのせいだなと溜息を吐き、頭を振った。 いつのまにか、知らないうちに、ヒトとはどこかしら感覚がずれてしまっているのだ。 時折ボッシュ=1/64――――ヒトの思考がそれを見付け、居心地が悪くなってしまうことがある。 自分というものが、知らないうちに変質してしまっていることに気付いた時には、どんよりと重苦しい不快感があった。 だが最近では、それにも大分慣れた。 共生するしか道はない以上、どんなことだって慣れてしまうしかないのだ。 ともかく、ろくでもない空想を散らすためには空腹を満たすしかない。 まだリュウを食らってやるわけにはいかないのだ。 最期に、ボッシュの手に掛かって死んだリュウの肉は食ってしまったって良いかもしれない。 だがまだ早い。 リュウはボッシュがわからず、ただ泣いているだけだ。なんにも知らない。解ろうともしない。 すうっと空気が動いて、ボッシュは察し、静かに目を閉じた。 リュウが上半身をベッドの上に起こし、ぐるっと、緩慢な動作でボッシュを見た。 どこか機械的な動きだった。虚ろで、意思ってものがない。 しばらく彼は何事か思考し――――ただぼんやりしていただけなのかもしれないが――――しばらくして、ゆっくりと手を伸ばした。 寝たふりを決め込んでいるボッシュの頬に触り、そして―――― 「危ない危ない」 ボッシュはぱちっと目を開け、にやっと口の端を上げた。 リュウが表情もなくボッシュの首に伸ばしていた腕を、掴み上げ、息を止めようとしていた手のひらに指を絡めて、仰向けに突き倒した。 「油断ならない、さすがオリジン様。もう少しで俺、また殺されちゃうとこだった」 今のリュウじゃあ、たとえ制止しなくたって、ボッシュを殺害することは不可能だ。 生身の人間が巨大な竜の前に佇んでいるのだ。 彼が初めてオールドディープの能力を引き出した、最下層区リフト発着駅構内の、あの事故の時分のボッシュのように。 「リュウ」という化け物を目の前にして、足が竦み、まったく歯が立たなかったボッシュのように、今のリュウは無力な人間だった。 リュウは表情もなく、虚ろな目をしていた。感情の光は、彼の薄いブルーの瞳の中には見受けられなかった。 「……おれを殺せばいい」 リュウが言った。 彼の表情は、諦めた顔のまま固まってしまっていた。 身体の状態はひどいものだった。 胸の傷跡の辺りは赤黒く盛り上がり、腫れていた。もう血は流れていなかった。 首筋と腹にいくらも引っ掻いた跡が見えた。 肩口は噛み傷だらけだった。 リュウはふっと疲労めいた仕草を見せ、俯いた。 「それとも、おれがおまえを殺してやったっていい」 「ん? 殺したいの」 ボッシュは機嫌よく、にこにこしながら聞いた。 リュウのあからさまな殺意なんてものを見慣れなかったので、物珍しかったのだ。 リュウは答えず、おまえは敵だと言った。 「ボッシュの敵。だからおれの敵だ。おまえも、おれのことを殺したいんだろう? なのに、なんでこんなまどろっこしいやり方をするんだ」 「まどろっこしいって何。ちゃんと言わなきゃわかんないよ」 ボッシュはからかうように言って、随分ひどい態のリュウの胸の傷を、優しく舐めてやった。 塩辛く、凝固した血液の苦い味がした。 皮膚は茶色がかって固まっていて、舌の先で突付くと少し硬かった。 「誤魔化しはなし。ほら、言いなよ、なんで敵なのに、おれのことなんか大嫌いなはずなのに、ベッドに縛り付けてセックスするんだ? もしかしておれのこと好きなの? ほら、こんなふうに。 そう、大好きだよオリジン様。愛してる、たぶん、12年くらい前からね。ずーっと好きだよ」 「おかしなからかい方は止めろ。そういう冗談はあまり好きじゃない」 「オマエは冗談そのものが嫌いなんだろ。嘘じゃない、信じなよ。俺はオマエのことが大好きで、好きで好きで好きで、思わずこうやってひどくして殺しちゃいたいくらい」 リュウは軽口には付き合わないと決めたのか、きゅっと口の端を結んで、暗い目でボッシュを睨んだ。 そういう顔をされるとゾクゾクするんだけど、とボッシュは言った。 リュウは静かに目を閉じて、何にも答えなかった。 そうやってぴりぴりとした遣り取りをしているうちに、また性欲が訪れはじめた。 リュウの脚を広げた。 リュウはもう抵抗もしなかった。 どうにもならないものはしょうがないんだとでもいうふうな、諦めきった顔で、性行為の最中、ずうっと顔を背けている。 汚いものなんかなんにも見たくないとでもいうふうに。 硬かったリュウの身体は大分解れていて、またボッシュを受けとめた。 動くと、リュウは息を詰める。 だが目は閉じない。ずうっとぼんやりしている。たまに少し苦しそうに身じろぐ。 ボッシュは苦笑して、リュウに訊く。 「なあオリジン様、あんたさ、もしボッシュにこういうことされても、そうやってなんにも感じないでいるの? 好きなんだろう?」 「ボッシュはこんな汚いことはしない」 リュウはぴしゃりと言った。 「彼の名前を汚すな。おまえなんかとは全然違う」 「あっそ。可愛くない」 本当にそっけないものだった。 リュウはどうも情緒不安定のようで、こうやってまぐわっている最中も暗い顔をしたままで可愛げのない口を訊くこともあれば、ずうっと震え続けてボッシュたすけてと救いを求め、泣き喚くこともあった。 大人と子供が混在しているような感じだった。 まあ飽きないなとボッシュは考え、動いて、リュウの腹の中で射精した。 何度も注がれたせいで、精液はリュウの中から溢れだし、彼の太腿と腹を伝い、薄汚れて黄ばんだシーツをべたべたと汚していた。 スクラップ置場で雨風に晒されていたものを、勝手に拾い、持ちこんでやった廃材の家具には、それが妙に相応しく見えた。 「なあ、腹減らない?」 リュウの中に押し込んだまま、ボッシュは訊いた。 リュウは答えず、少し目を眇め、べたついた下半身が気持ち悪そうに身じろいだ。 「これから俺が運んできてやるよ。オマエはここで待ってればいい。昔とは逆だけど、そういうのもいいだろ?」 「……何の話をしている」 かつて彼は、朝に弱い同室の相棒に、まだ温かい朝食が乗ったトレイを運んできた。 そして不機嫌に渋る相棒を無理にベッドから引っぺがし、ほら早く、と急かす。早くしなよ、遅刻しちゃうよ。 リュウはもう覚えていないだろうか。 いや、覚えていなくたって、どっちにしたって何にもなりやしない。わからなければ、何だって同じだ。 「オリジン様、ずうっとあんたとここにいるよって話ですよ。おんなじ部屋でさ、何か思い出すところとかない?」 「…………」 リュウは黙ったまま答えない。 ボッシュは苦笑して、リュウの中から性器を抜いた。 どろっとした精液が零れ、またシーツをひどく汚した。 「あんたはそうやって薄汚れてるのがお似合いですよ」 ボッシュは言って、床に放り出してあったレンジャーの隊服を着込み、コートを掴んでのろのろと羽織った。 それからふと気付いて、コートのポケットを探った。 かさっとした感触が、指先に当たった。 引っ張り出してみると、いつだったかニーナに渡されたオリジンの御印だった。 新しい悪戯を思い付いた。面白い反応をくれたらいいなと考えながら、ボッシュはカードを軽く摘んで、皮肉に顔を笑いのかたちに歪め、リュウに見せた。 「これ、見覚えある?」 リュウは、認めるなり、目を見開いた。思った通り、反応は顕著だった。 彼はニーナを溺愛しているのだ。 リュウは、こんなものがここにあるのがどうしても信じられないという顔をして、口を薄く開けて何か言おうとし、結局何も言えず、硬直していた。 「ニーナ様に貰ったよ。ご命令だ。直々に」 「ニ、ニーナに何かしたのか?!」 「ニーナ様をすごく大事にしてるんだ、オリジン様。そのニーナ様のご命令だよ。 オリジンリュウを殺してくれってさ。オマエ、必要とされてないんじゃない? 気付かなかったの?」 「う、嘘だ!」 「オマエがいると、なんにもできないってさ。羽根も取れない。そばでそんな身体見せられたら、いつまで経っても罪悪感ばっかり感じるんだ。オマエ、そろそろ死んだほうが良くない?」 リュウはまた震えはじめた。 あっちだ、とボッシュは思った。もうすぐ彼は例の子供の顔を見せる。 リュウは項垂れ、おまえの言うことは嘘ばっかりだ、と言った。 その声は震えていた。 |
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