「ボッシュを殺すよ」
 ある時ボッシュは思い立って、傷だらけのリュウに告げた。
 きずぐすりを塗ってやっているというのに、リュウには感謝のひとつをする気配もなく、裸のままベッドに沈んで、ただじいっと俯いていた。
 それを耳に入れた時の彼の反応は顕著だった。
 このところは馬鹿なりにやっと状況を把握したらしく、しおらしくなっていたものだが、最近見慣れた表情があるのかないのか解らない顔を、ざっと蒼白にして、ボッシュに食って掛かってきた。
「な……なんだって?!」
「だから殺すって、オマエの大好きなボッシュ。耳あんだろ? 不感症だし、寝てもそいつの名前しか呼ばないし、もう少し楽しませてもらわなきゃ」
 そっけなく言って、きずぐすりの蓋を閉じ、ベッドの下に放り出してある空き箱に投げ入れた。
 リュウは血の気を失って真っ青になっていたが、今度は怒りで耳の先まで赤く染め上げた。
 相変わらずカラフルな顔色、とボッシュは考えた。リュウは昔から、感情の制御ができない性質だったのだ。
「そ、そんなこと、絶対――――
「ゆるさない?」
 ボッシュは口の端を吊り上げて、リュウの短い頭髪を掴み、ベッドに押し付けた。
 息を詰まらせたらしく、くぐもったうめき声を上げるリュウの背中に覆い被さって、物分りの悪い子供に優しく言い聞かせるふうに囁いてやった。
「オマエに何ができるよ。オリジン、適格者、ハイディ――――どれもオマエの栄光じゃあない。オマエは一人じゃ何にもできない。あのろくでもないオールドディープがいなきゃ、オマエはただの役立たずで足手まといのローディ。自覚あんだろ?」
「でもボッシュに手は出させない!」
 リュウは悲鳴混じりの叫び声を上げて、ボッシュの腕を掴んだ。
 ボッシュを睨む彼の目は揺れていた。
 そう、自覚はあるのだ。でも受け入れることはしない。昔からそうだった。
 彼は弱っちくて、自分の身さえままならないくせに、誰かを守り、救えると本気で思い込んでしまうことがあった。
 そのために、自分の力じゃどうにもならないものに突っ掛かっていく悪い癖があった。
 邪公、カローヴァ、果てはドラゴン。そうだ。ボッシュを悩ませた例の性癖だった。
 自分の身体が、まるでとても頑丈な一枚の盾みたいに振舞うのだ。
 どのみち彼の身体なんてものは、あっけなく振り払われて、盾の役割を果たすことはできないのだが。
「おれを殺せばいい! そんなに憎いなら、今すぐに――――物足りないなら、……何でもする。だから、ボッシュだけは……」
 リュウはかたかたと震え出して、ボッシュに縋り付いたまま、懇願した。
 リュウにとって、今ここにいるボッシュは、圧倒的だった。
 ヒトとドラゴンが対峙しているのだ。
 リュウは本能的に勝ち目はないことを悟っているのだろう、だが抗うことは止めなかった。
 ふと思い付いて、ボッシュは訊いてみた。
「オマエ、今何でもって言った。その言葉に二言はない?」
「…………」
「オマエから跨って腰振って下さいつったら、やってくれんの、オリジン様?」
「あ……」
 リュウはまた顔を赤らめた。今度は羞恥と屈辱によるものだろう、僅かに肩が震えている。彼は震えながら、小さく頷いた。
「……ほんとに、彼に何もしないなら、おまえの言うとおりにする……」
「ふうん」
 ボッシュは機嫌を良くして、にやにや笑った。
 リュウは今や完全にボッシュに屈服していた。パワーバランスが正常に機能していた。
「可哀想に、オリジン様……」
 震えているリュウの頬を手のひらで包んで、口付け、ボッシュはリュウを抱き締めてやった。
 震えている。それがボッシュを安堵させた。
 やはり、こうでなけれなばらないのだ。
「オマエすごい怖がってるんだね。そんなに俺が怖い?」
「……怖く……なんか……ない」
 硬い声で、リュウが言った。
 何でも言うことを聞くなんて言ったくせに、彼は相変わらずかたくなだった。
 ボッシュはリュウの額にもう一度口付けて、覚えてるよと言った。
「いいよ、忘れるなよ。アイツぶっ殺して帰ってきたら、すげえ楽しませてもらうよ」
「な……手を出すなって、言ってるんだ!」
 リュウが目を真っ赤に光らせながら、焦ったように怒鳴った。
 感情の波のうねりが、激しくリュウの目を燃え上がらせていた。
 怒りに任せて掴みかかってきたリュウを、鉄板が仕込まれたブーツの底で蹴り上げて、もう一度ベッドに押し付けた。
 仰向けのリュウの胸を踏み躙って、ボッシュは静かに剣を抜き、リュウの肩に無造作に突き立てた。
「っあああ!」
 リュウが悲鳴を上げて、びくんと痙攣し、のけぞった。
 それは朝も夜もなくまぐわっていた日々の、もう馴染んでしまった性交の瞬間と彷彿とさせた。
「せっかちだね。そんなにせかさなくったって、帰ってきたら充分可愛がってやるさ」
「ボッシュに……さわらっ、ないで……!」
 まだリュウは手を伸ばしてきた。
 相変わらず諦めの悪いことだ。
 軽く避けて、肩を竦めて、剣を腰に収め、ボッシュはぐずっているリュウに言ってやった。
「行ってくる。すぐに――――
 シェルターの扉を後ろ手に閉めると、大災害を想定して造られた頑丈な扉は、すぐにリュウの悲鳴まがいの叫びを塞いでしまった。
――――戻ってくるよ、相棒。待ってなよ……」
 ボッシュは歩き出した。
 あの忌々しい偽物が世界から消えたら、リュウは全てを認識する。
 そうなってようやく彼はボッシュを見付けることができるのだ。










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