『はじまったみたいだ』 『リュウ』が言った。 遠くの空で、時折白い魔法の光がちかちかと瞬いた。 それは何がしかの信号のようにも見えた。 リュウにはその光に見覚えがあった。 ぱっと光点が散り、一瞬、それが何事もなかったかのようにふっと消え、そして突発的に反応が訪れ、世界に干渉を及ぼすもの――――地面に設置された魔法陣や、単純な爆弾トラップ、大規模な属性魔法なんかの類。少しばかり癖のある瞬きだ。 「ニーナ?! あのひかり、ニーナが来てるの、ここに?!」 「落ち付け、リュウ。ああそうだよ、リンも一緒だ。おまえを迎えに来たんだ」 呆然と空を見上げるリュウの肩を掴んで、ジェズイットが頷いた。 「戦ってる……ま、まさか」 リュウは、さあっと顔色を無くした。 「あ、あいつと? あの男と……」 リュウがまったくと言って良いくらい歯が立たなかったあの男と、ニーナたちが戦闘しているというのだろうか? リュウは衝動的に駆け出しかけて、コートの襟首をジェズイットに引っ掴まれて、引き止められた。 「な、なんで邪魔するんだ! あの子、ニーナが危ないんだ。あの男には勝てない。もしかしたら、おれみたいに――――」 リュウはそこでひゅっと息を呑んで、続けた。考えたくはなかった。 「ひ、ひどい目に遭わされるかもしれない。そんなのは駄目だ、おれが守らなきゃ……」 「だから落ち付けってば。そう簡単にはやられやしねえさ。『ボッシュ』くんも一緒だ、あのおまえさんの半分の――――」 「ボッシュ?」 リュウは敏感に反応し、ぱっと顔を上げ、ジェズイットにほとんど詰め寄るようにして、彼のジャケットを掴んだ。 「ボッシュも来てるの? ほんとに?!」 「お、おう。ホントホント。ど、どうしたんだ、おまえさん、そんな急に元気になっちまって」 「た、助けに、来てくれた……?」 「うん、まあ、そうなんじゃあねえかな?」 「お、おれのこと、キライになったんじゃ……なかったんだ……」 リュウは安心して、身体から力が抜けてしまった。 ふらふらと座り込み、俯いて、涙ぐみながら、安堵の溜息を吐いた。 「よ、よかったあ……」 目を閉じる。ずうっと感じていた恐ろしさが薄まっていく。 頭の中が、しんと冷えて、静かな心地がする。 ボッシュはまだリュウを見捨てていなかったのだ。 だがすぐ近くで、まるで耳を塞いで大声を上げた時のように、自分の声がわんと響いて、聞こえた。 『そんなわけない。ボッシュはきみを憎んでる。もうずっとの間ね』 リュウは弾かれたように目を開け、顔を上げた。 そこには自分の姿があった。 例によって少し幼く、サードレンジャーのジャケットを羽織っている。 彼の目は閉じられたままだった。 『リュウ』は言った。 『ほんとのボッシュは言ってた。きみに1000年の絶望をあげるって、ローディに身のほどを教えてあげるって。それでずうっと長い間、この空でひどい生き方をしてたよ。みんなきみを殺すためだ』 「え」 リュウは、まるで熱病にでも掛かったようにぼうっと目を上げて、もうひとりの自分の姿を見上げた。 『リュウ』は、なんだか呆れ果てているみたいだった。 困ったなあというふうにちょっと肩を竦めて見せた。 自分の仕草ってものを客観的に見るのは初めてだったが、なんだか子供っぽい動作だった。 『言われたの、忘れたの? きみが何をしたか。誰から何を奪っていったか。きみの相棒はね、信頼してた……のかな? うん、まあそこはどうでも良いんだけど、相棒に裏切られたんだ。それもこっぴどいふられ方をしたんだ。なにしろ家族も知り合いも、近しい人は皆殺しにされて、未来をきっぱり台無しにされてしまった。きみをすごく憎んだ。まあ当然だよね。それできみを殺そうとしたんだけど、逆に殺されてしまった。誰のことかわかる? リュウ?』 「…………」 リュウは黙り込んで、静かに考えた。 相棒って、誰のことだろう? リュウの相棒は今までボッシュひとりきりだ。 他に誰を割り振られたこともない。ずうっとふたりだった。 でもボッシュは生きてる。 いつもリュウのそばにいて、とても優しい。 暗がりで蹲っているしかないリュウを引っ張り起こし、しょうがないねってポーズで、黙ったまま手を差し伸べて、手を繋ぎ、引いてくれる。 幾分その子供っぽい仕草を恥ずかしそうにすることもある。 だけど彼はもう随分の間リュウのヒーローだった。 ずうっとその背中を追い掛けていた。 いつだってそれは鮮やかで、色褪せなかった。 今もありありと目の前に思い浮かべられる。あの鮮やかな緑色のレンジャージャケット。 リュウのものよりも、大分値が張る生地で、丈夫で、ほとんどくたびれもしない。 彼はいつだって特別だった。薄暗く、汚れた下層区のレンジャー基地において、いつだって光り輝いていた。 それはボッシュ=1/64という一人の人間の輝きだった。 栄光と実力に裏付けられた自信が、彼という人間に、一種の抗いがたい魅力を与えていた。 でも時折、相棒のリュウの前で、わがままで子供っぽい顔を見せることがあった。 リュウはそんな彼の顔を見るのが好きだった。 『ボッシュはどうなった?』 ボッシュは――――今ここにいる。 リュウが呼べばいつだって駆け付けてくれるし、背中に回して守ってくれた。 彼はヒーローだった。 間違うことなんてありえなかった。 『きみ、大分背が伸びたね。おれを見て、リュウ。きみだよ、16歳の、あの頃の『リュウ』だ。今のきみよりも随分小さいね? ね、ボッシュは? きみの知ってるボッシュは、背が伸びたりはしなかったのかな? 永遠にずっとこのまま? それはきっと人間じゃあないね、うん。じゃ、何だと思う?』 ボッシュはいつものままだ――――つまり、あの頃のまま、サードレンジャーで16歳のボッシュ。 ふと、腑に落ちない疑問がリュウに訪れた。 ボッシュはなんで成長しないんだろう? 『リュウ』は首を傾げて、子供にやさしく言い聞かせるように、おかしいね、と言った。 『きみはオリジンになった。空を手に入れた。そんな大それたこと、ローディのきみがなんでやり遂げたのかな? ボッシュはヒーローなんでしょ? じゃ、きみよりずっとうまくその役割を手に入れられたはずだ。もしきみと一緒に仕事をしてたエリートのボッシュならね。なんでできなかったのかなあ?』 そう言えば――――リュウは不意を突かれたかたちで思い巡らした。 リュウは何故オリジンなんてやっているのだろう? 確か世界で一番偉い役職だ。 ボッシュは統治者になりたいと言っていた。 その為に、リュウに手柄を寄越せなんて言った。 俺が上に上がって後ろ盾になってやるとも。 ずうっとふたりで一緒にいられる、と『ボッシュ』は言った。 離れ離れになんてなるわけないだろと言って、いつものように意地悪く笑った。 あれはボッシュだ。 でも、輸送貨車の上で、リュウなんてまるで世界に無数にある彼の駒のひとつみたいな目をして、じっと辛抱強く返事を待っているのも、またボッシュだった。 『リュウ、目を覚ましなよ。ボッシュがほんとにきみのことをいつまでも愛して守ってくれるなんて思う? きみは1/8192ってD値に、長い間コンプレックスを持っていたよね。ローディって呼ばれ慣れてた。1/64は、すぐに上の階層へ上がって行くことは、理解してた。君は彼の汚点になることが怖かった。そしてボッシュもだ。きみって言うローディが、いつどんな取り返しがつかないへまをやらかすか、心配でならなかった。きみはリフトで良くボッシュの盾になったね。ボッシュはその時、どうしたかなあ? きみを心配してくれた? 哀れんだ?』 違う、とリュウは考えた。 ボッシュはリュウを哀れんだりはしなかった。 いつか、遠い過去に、坑道の落盤事故に巻き込まれてしまったことがあった。 その時、ひどい怪我をして、焦点が定まらない視界の中に映ったボッシュはどんな顔をしていたろう? 彼はその時、確かに焦っていた。 でもそれは、リュウを気遣ってのことじゃあなかった。 彼はリュウが死亡し、パートナーの欠落が彼に与える汚名と失点について、思い悩んでいた。 その時にリュウは初めて思い知ったはずだ。 D値ってものがどれだけ大事なものか、ボッシュにとって、1/8192のリュウなんて相棒は、ただの取替えのきくパーツみたいなものでしかないんだと言うことを。 生まれて初めてできた、人間の――――つまり、坑道の近くで一人遊びに付き合ってくれる、ナゲットやワーカーアントなんかじゃあない――――友達なんて、リュウの幻想に過ぎなかったことを。 いつも寝食を共にして、長い時間を同じ部屋で過ごし、何でもないことを語り合っていた。 施設で育ち、親のいないローディ――――両親は最下層区民に違いないと揶揄された――――の烙印を押されて、下層区の隅っこで、慎ましい生活を送っていた。 下層区の子供たちは、そんなリュウを良くからかった。 それは大体がD値に関してと、下層区では珍しいらしい青い髪に関してのことだった。 気持ち悪い色、と同年代の子供は言った。 ディクみたいだと囃し立てられた。 施設の管理者はあまり優しい性質じゃあなかった。 物覚えが悪いせいで、良くぶたれたことを覚えている。 唯一優しかったのは、いつもリュウが住む地区を警邏していたサードレンジャーの女性だった。 彼女に憧れてレンジャーになった。 そして、まるで夢か奇蹟みたいなことなのだが、レンジャーとして彼女の部下に配属され、剣の手解きを受けることができた。 今でもリュウは覚えている、初めて触った剣の感触を。 重く、冷たかった。最初は怖かった。だが憧れと好奇心がそれをほんの少し上回っていた。 彼女のようなレンジャーになりたいと思って――――
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