ここのところ、ニーナはずっとこんな調子だった。 近しいもの――――例えば彼女の顔見知りの人間や、気に入りのぬいぐるみなんかが、全部大好きなリュウに見えてしまうらしい。 ニーナは、彼女のヒーローが死んでしまうことなんてありえないと信じ込んでいた。 そしていつか約束したように――――いつの間にそんな約束を取り付けていたのかは知らない――――リュウがずうっとそばにいると信じていた。 ボッシュも似たような症状の人間を、つい最近まで間近に見ていたので、「こいつもか」と醒めた気分だった。 彼女も、彼女が崇拝するリュウと同じで、いるはずのないヒーローを愛し、ずうっと一緒だと信じ込んでいた。 だがもうほんとはそんなものはどこにもいないのだ。 「リュウ? 降りてきて。お花、すきでしょ? 見て、輪っか作ったの。リュウにあげようと思って……」 ニーナはボッシュにはにかんだように笑い掛け、不恰好な花輪を掲げた。 ◇◆◇◆◇ 今日のリュウは、なんだかちょっといつもと違っていた。 全然笑わないし、ニーナが喋る言葉を聞いてもあんまり嬉しそうな顔をしない。 なにか嫌なことや、悲しいことがあったのかもしれない。 クピトやリンに怒られたのかもしれないし、ジェズイットに苛められたのかもしれない。 ニーナは不思議だった。 リュウは毎日すごく一生懸命にがんばってるのに、なんでみんな怒るんだろう? 「……リュウ? クピトに嫌なこと言われた? あ、わかった。またジェズイットにお尻触られたり、ヘンなことされたんでしょ」 「……あいつそんなことやってたの。詳しく聞かせてくんないかなあ、それ」 リュウはやっと木の上から降りてきてくれた。 すごく高い枝の上にいたのに、まるで空でも飛べるみたいに、ふわっと地面に降り立った。 それからちょっと怖い顔をして、あの野郎ホント殺そうかな、なんてぶつぶつ言っていた。 今日のリュウはなんだか乱暴で、いつものリュウじゃないみたいだ。 「怒ってるの? どうしたのリュウ」 「べつに。それより、俺は――――だよ。そんな名前で呼ぶんじゃあない。――――は、もう―――――」 リュウの言葉は早口過ぎて、まるでテープを早送りで回したみたいなきゅるきゅるした音にしか聞こえなかった。 「ん、なに? それより、ね、リュウ、あそぼ」 「……この手のビョーキの奴って、ホントにムカツクくらいヒトの話まともに聞かないね。遊ばない、俺は――――じゃないし、ガキなんて嫌いだし、今日はもう休業だよ、寝るんだ。邪魔するなよな」 リュウがさっさと歩いて行ってしまいそうになったので、ニーナは慌てて彼のコートを掴んだ。 「ちょっとだけ、待って! 今ね、お花の輪っか、作ってるの。リュウにあげる」 「……ほんと、あいつが――――と、ロクなもんじゃあないね」 ニーナが根気強くじいっと顔を見つめると、リュウは優しいので、肩を竦めて花畑にどかっと座り込んだ。 そのせいで花が潰れてしまったけど、リュウは気にするふうでもなかった。 今日のリュウは本当に乱暴だ。リュウらしくないと思う。ジェズイットに変なことを教えられちゃったのかもしれない。 なら後でジェズイットを怒ってやらなきゃならない。 「輪っかができるまでお店屋さんごっこをしよう。リンがいないから、今日はおとうさんとおかあさんができないもの。今日はリュウはお客さんの役なの。わたしはお店屋さん。なんでも売ってるの」 「……「おとうさん」に「おかあさん」? 詳しく聞かせろ。聞き捨てならない」 リュウは顔を顰めて、すごく面白くなさそうに言った。 まるで一人だけのけ者にされて不機嫌になっちゃった子供みたいな顔だ。 もしかしてリュウ、いつもみたいに、またいろんなことを忘れちゃったんだろうか? 「リュウ、やりかた忘れちゃった? リュウはね、身体があんまり大丈夫じゃないでしょ? だからおうちでごはんをつくったり、買い物に行ったりするおとうさん。ブキが赤ちゃんで、わたしはおねえちゃん。リンはお仕事でごはんを獲ってくるおかあさん」 「マニアックながら、適切な配役だ。誉めてやるよ。偉いぞ」 「えへへ、うれしい」 リュウが、ちょっと呆れたみたいな様子はあったけど、誉めてくれた。 ニーナはリュウに誉めてもらうことが好きだった。 うまく言葉を話せた時に、リュウがすごく嬉しそうな顔をして、「やったあニーナ!」と言いながらぎゅうっと抱き締めてくれることや、リンにおめかししてもらった時に、「すごくかわいい、いつもよりお姉ちゃんみたいだ」とにこにこしながら頭を撫でてくれることが大好きだった。 「ふふ、お客様、なにかお探しのものがございますか? このお店には、何でもありますよ」 街にリュウとお買い物に出掛けた時に良く連れてってもらう、ショップ・モールの店員さんの真似をして、ニーナは言った。 つんとすました顔をして、お上品に言うのだ。背筋も伸ばさなきゃならない。 リュウは口の端だけを上げる変な笑いかたをして、ちょっと意地悪をするみたいに、ぼそぼそと言った。 「……見つけ出すのは、オマエにゃ無理だよ。もうなくなった。どこにも」 「そんなことありません! だってなんでもあるんだもの。ほんとだよ」 ニーナはちょっとむきになって言った。 リュウの答えは、ちょっとお行儀が悪いものだった。 め、ってしてあげなきゃならない。 それに、今は「ニ―ナのお店」には、ほんとになんでもあるのだ。リュウが欲しいって言えば、何だって出てくる。ナゲットの涙の欠片や、ブレイクハートの宝石でも、なんでも。嘘じゃない。 リュウは肩を竦めて、俺ちょっとオマエが羨ましいのかもしれないね、と言った。 「妄想でも、オマエは今あいつがいる世界にいるんだよね。正直言っちまうと嫉妬するよ、ニーナ。俺はオマエみたいに、上手くいかれちまうことができない。俺は世界で一番偉くて強いからね」 でも俺の言ってることきっとわかんないねと言って、リュウはまた変な笑いかたをした。 その顔は、なんだか笑っているのに泣いているみたいな変な感じだった。 「……リュウ、泣いてるの? 悲しいことがあったの? いじめられた?」 「俺は泣き虫――――とは違うよ。泣いてなんかないさ。そもそも、それってどうやるのかわかんないんだよね」 さっきからリュウは誰かの名前を呼んでるみたいだけど、二ーナにはそれを上手く聞きとることができなかった。 でもなんだか、リュウはすごく悲しんでいるみたいだった。 その誰かの名前を呼ぶたびに、今にも大声を上げて泣き出してしまいそうな顔をする。 ニーナは、リュウがすごく可哀想になってきた。 きっとニーナの知らないところで、すごく悲しいことがあったに違いない。 リュウは大人なので、あまり辛いことや酷い目に遭ったことをニーナに教えてくれない。 ニーナは背伸びをして、座り込んでいるリュウの頭を撫でてあげた。 それからいつもリュウが良くしてくれるようにぎゅっと抱き締めて、もう泣かないで、と言った。 「リュウ、いじめられたらわたしが守ってあげる。今がだめなら、これからもっと強くなるよ。わたしはリュウのためなら、何にだってなれるもの」 それからまだ編み掛けの花輪を、小さいまま繋げて、リュウの頭の上に置いてあげた。 そうすると、それはまるで王冠みたいに見えた。 リュウはぼおっとして、不思議そうに花でできた冠を触ってたけど、それからまたあの泣いてるみたいな顔で笑って、きっと俺もそうだよと言った。 「帰ってくるなら、何にだってなれるよ。1000年――――してるんだ。オマエになんか欠片でもやらない」 リュウはそうして静かな声で、オマエなんか大嫌いだ、と言った。 ニーナは、もし本当にリュウにそんなことを言われてしまったら生きてなんていられないくらい辛いはずなのに、不思議と悲しくはなかった。 目の前にいるリュウは、なんだかリュウと全然別の人間みたいに見えた。 誰だろうこの人、とニーナは考えた。リュウじゃあない? どこかで見たような気がするけれど、思い出せなかった。 結局その人が立ち上がってどこかへ行ってしまうまで、いくら考えを巡らせていても、答えは出なかった。 |
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