「悪いことして牢屋送りになってたんじゃないの? オマエ、大丈夫なのかよ、こんなとこにいて」 ジョーは辺りを注意深く見回して、他に誰もいないことを確めて、こそっとリュウに言った。 牢屋から逃げ出してきたんじゃないのかと思ったのだ。 この間、リュウがセントラルに閉じ込められて「封印」とかいう良くわからないことをされるらしい、そしてそれは思ったよりも随分大事で大変なことらしいと聞かされたばかりだった。 死刑とおんなじくらい大変なものらしい。 今も誰かに追い掛けられてるんじゃないかと心配したが、リュウはいつものぽやっとした顔で笑って、「もう大丈夫みたい」と言った。 「封印の必要はないよ。だって竜はいなくなっちゃったんだもの」 「竜?」 「うん。判定が済んで、いなくなっちゃった。セメタリーの石像、知らないかなあ? あの大きくて格好良いやつのことだよ」 「ふうん」 良く解らなかったが、ジョーは頷いた。 他の子供たちもおんなじような調子だった。 リュウはいつもの穏やかな微笑みを浮かべたまま、こんな時間にみんなどうしたの、と言った。 「もう遅いよ。明日は学校は?」 「休みだよ。親にも、友達んちに泊まるって言ってきたんだ」 「エ、エリーナを探してたの!」 「メディカル・センターに出るんだって。エリーナのお化け……」 「馬鹿トマス、それ泣き虫リュウに言っちゃ駄目だよ。怖がりなんだから、ちびっちゃうぜ」 リュウはちょっとびっくりしたような顔をして、へえ、エリーナがねえと言った。 「父ちゃんに会いたかったのかな?」 「あれ不思議、お化けが怖くないのリュウ?」 「そりゃ、エリーナはね。良く知ってる子だから……いや、お化けなんて平気さ、おれ。ほんとだよ、嘘じゃない……ブ、ブレイクハートとか顔可愛いしさ、うん。カロンとかゾンビとかはちょっと……に、苦手だけど。いやでも怖いとかじゃなくって」 「やっぱりリュウは泣き虫だし弱虫だなあ」 リュウは強がってはいたが、お化けの話なんかが出たせいで、声は震えていて、顔が引き攣っていた。 それを見て、みんな笑った。 リュウと話してこうやって笑うのって、なんだか久し振りだ。 「それより、オマエこそ何してんの? こんな夜中にひとりっきりでさ。母ちゃんに怒られるぞ」 「うん、星を見てたんだ。街の灯りが落ちると、すごく綺麗に見えるんだ……この時間になるとちょうどさ。おれはもういい大人だから、夜更かししても昔よりはあんまり怒られないんだ。リンは全然子供扱いするけどね」 にこにこしながら言うリュウに、みんなで肩を竦めてちょっと笑った。 やっぱり思った通りだ。 リュウの奴なら「星を見よう」なんて言い出しそうだと言い合っていた矢先だ。 「思うんだけどさ、リュウ、おまえがモテないのってきっとそういうとこが悪いんだよ」 「そうそう、そんなんじゃ幼年学校の女の子も口説けないよ」 「わ、私は、素敵だと思うけどな」 見ると、メアリは暗目にもそれと見えるくらいに、ぽーっと顔を赤らめていた。 変なの、とジョーは思った。 女の子はこういうメルヘン男が好きなんだろうか。 リュウにその気は全然無いみたいだったが、目に見えてトマスと、彼といつもつるんでいる赤毛のマイケルの顔が険悪になった。 メアリは幼年学校でも可愛いと評判の女の子だった。 リュウなんかとメアリがなんだか良い雰囲気なのが、かなり面白くなかったのだろう。 二人はすぐさまいつものように、ベンチに座っているリュウの両腕をそれぞれ一本ずつ掴んで、ぎゅうぎゅうと後ろにねじ上げた。 「いっ、いたたた! 痛い痛い痛い!! な、なんでねじるの?! おれなんも悪いことしてないよ!!」 「うるさいな、なんかリュウのくせに生意気だぞ」 「そうだそうだ」 トマスとマイケルを焚き付けるでもなく、悲鳴を上げているリュウを助けてやるでもなく眺めながら、ジョーはふと気になっていたことを訊いた。 「そういえば、ニーナ姉ちゃんは? 一緒じゃないのかリュウ。いつも一緒で仲良いじゃん。振られちゃったの?」 「そ、そういえば、最近ニーナお姉ちゃん、一緒に遊ばないね。なんだか忙しそう」 やっと解放されると、リュウは涙目で、ああうん、と頷いた。なんだか言葉を濁すみたいな調子で、言いにくそうだった。これはもしかしたら、ほんとにふられちゃったのかもしれない。 「ニーナは……さっきすれ違ったよ。でもすごく急いでるふうで、おれに気付かなかったんだけど……。弱ったな、いろいろ話したいことがあったんだけど。 この前、ショップ・モールでボッシュにも会ったんだけど、呼んでも知らん顔してメアリの店に入って行っちゃった。二人共ずいぶんせかせかしててさ、なんだかおれのことなんか、相手にしてる暇ないって感じだった」 リュウはしゅんとして、ぽつぽつと言った。 確かに今の時期はプラント作物の収穫や、冬の備えなんかで、大人たちはみんな忙しくて、ぷらぷらしてるリュウになんか構ってやってる暇はないという感じだった。 「でもリュウ、なんか偉いんだろ? 誰かが遊んでくれるだろ、街の大人はみんな「様」って付けるし」 「おまえ、すごいお坊ちゃんなんだろ。家、でっかいもんなあ。父ちゃんと母ちゃんが、すごく偉い人なんじゃあないのか?」 「ううん……それ、前にエリーナにも言われたよ……」 リュウは心底困った顔をして、項垂れた。 彼はごく自然にエリーナの名前を口にした。 なんだか彼女が死んでしまってからっていうもの、誰も彼もが彼女の名前を呼ぶことに、かたちのない罪悪感を感じるようになっていた。学校でもそうだ。友達の間だってそうだ。 本人がもうどこにもいないのに、友達の間で話題にしてやるっていうのが、なんだか陰口を叩いている感触がして、きまりが悪くなるのだ。 だけど、リュウにはそんなふうな様子がまったくなかった。 彼はまだ生きているエリーナの名前を呼ぶみたいにして、彼女を呼んだ。 リュウがそうすると、不思議なことに、エリーナに対してのあの具合の悪さを感じたりはしなかった。 同年代の先に死んでしまった少女に対して、自分の方は今生きているんだという後ろめたさを感じたりすることはなかった。 リュウという人間には、そういった変な気安さがあった。 彼がそれは悪いことじゃないんだというふうに振舞うと、それがごく自然な当たり前のことのように思えてくるのだ。 「……あれ? ボッシュなんて名前のやつ、教室にいたっけ?」 リュウが当たり前のように出した名前に、どうしても覚えがなく、ジョーは首を傾げた。 学校にはいなかったはずだ。プラントにもいない。 なんだか変な名前だ、大体にして「リュウ」ってのも変な名前だ。 生まれてから今までで、そんな名前の人間に会ったことがない。 リュウは「あ、そうだ」とぽんと手を打ち、おれがレンジャーやってた頃の相棒だよ、と言った。 それからちょっといつものリュウらしくない変な笑い方をして――――まるで「笑え」って言われて無理して笑ってるみたいな顔だ――――友達だよと言った。 「すごく格好良くて強いんだ。ディクなんかすぐやっつけちゃうんだよ。……おれの憧れのヒーローなんだ。彼みたいになりたかったんだけど、おれには無理だったみたい」 リュウは俯いて、恥ずかしそうに言った。 その様子は、なんだかさっきのメアリと、ちょっと似ていた――――変なの、とジョーは思った。 良い歳して子供っぽいことを言うものだ。まあ、リュウはあんまり大人らしくないから、しょうがないのかもしれない。 だけど、なんでか解らないが、あんまり面白いことでもなかった。 いつも誰にでも優しいリュウが、そうやって誰かを特別にしていることが。 「……て、あの、ジョー? な、なんでおれの腕ねじるの? あ、あの、ものすごく痛いんだけど」 「別に」 「べ、「別に」でねじらないでくれよ……あ、痛い、ほんとに痛いってば! お、おれなんか変なこと言った?!」 「なんにも。それよりオマエさあ、プータローのくせに急にいなくなるからみんな心配してたんだぞ。こんなところで呑気に星見てる暇があったらさ、顔のひとつでも見せにこいよ」 「あ、そう言えばそうだそうだ。僕らから逃げるつもりか?」 「リュ、リュウが最近来てくれないから、みんな寂しそうなの……うちのパパとママもなんだかしょんぼりしてるよ」 「ほんとだよ。プラントにも、最近たかりに行ってないんだろ。製造プラントのおじさんが寂しそうにしてたぞ」 「た、たかってなんかないってば。あれはおれのお仕事なの」 「お菓子もらって喜んでることが?」 「そ、そう!」 「メアリの父さんにハオチーの塩焼きを食わせてもらって、泣きながら食ってたのも?」 「だ、だってものすごく美味しかったんだ。しょうがないじゃないか……」 「オマエはほんとどうしようもないよなあ」 ジョーは笑った。 メアリも笑った。トマスとマイケルは、ちょっと意地悪そうににやっとしている。 「全然前のまんまだ。街はこんなに寂しくなっちゃってるってのに……。みんなせかせかしてて、機械みたいになっちゃってるんだ。忙しい忙しいばっかり言っててさ、つまんないところになっちゃったよ。前はもっとましだったと思うんだけどな」 この手の話になると、友達の子供ならみんな頷いて、うん、そうだと同意するはずだった。 そして最近自分の両親があまり構ってくれないことや、家に不在がちのこと、街の大人たちが前よりつんけんしてしまっていることなんかを語り合うはずだ。 だがリュウは困った顔で首を傾げ、そうでもないよと言った。 「街が寂しいんじゃ、ないんじゃあないかな……。 うん、そんなことはないと思うよ。みんながんばってるじゃあないか。ずうっと見てるから、おれは知ってるよ。 世界ってのはさ、自分の心ひとつでがらっと変わってしまうようなものなんだ。すごく広いし、大きいし、途方もないものに見えるけど、世界が元気なのか寂しがってるのかってのは、ジョー、メアリもトマスもマイケルも、きみら自身の心が捉えることなんだ。 例えばさ、テストで落第点を取っちゃう。母ちゃんや先生にこっぴどく怒られた。その日は一日中、何をしてたって憂鬱だろ? 逆にしばらく会えなかった友達に会えたり、みんなに誕生日のお祝いをされたりした日は、すごく楽しいだろう。 心で捉える世界は些細なことで変化するんだ。それは漠然とした概念のようなものなんだ。きみはきみの心のままに、世界を感じることしかできない。おれも、みんなもそうなんだ。 ね、ジョー、きみが街を寂しいって感じるのはさ、きみ自身になにかすごく寂しいことがあったからだとおれは思うんだけど」 「さ、寂しいこと?」 ジョーはなんだか面食らってしまって、リュウの言葉を反芻した。 リュウはこんなに流暢に話をする奴だったろうか? まともにあんまりものを考えてなさそうで、難しい話題になると、いつも笑って誤魔化してる奴じゃあなかったろうか? 「それってどういうことなの?」 「例えば、好きな子がいなくなっちゃった。それも急に、ぱっと消えちゃった。言いたくても言えないことは沢山あったのに、いつかは言おう言おうって思ってたのに、なんにも言えないままだった。 もう誰に言ったってしょうがないことだから、胸の中でもやもやしてるんだ。すごく気持ち悪いし、何にも言えなかった自分に腹が立って、何より大好きだった人がいなくなってどうしようもなく寂しい。 友達がある日急にいなくなっちゃうって寂しいよね」 「え、エリーナのことを言ってるのか? いや、別に俺は、確かに友達だったし、好きだったけど、別に変なふうには」 「ジョー、エリーナのこと、好きだったんだ、やっぱり」 「なんか可哀想だよな……」 「だから違うってば。おいリュウ、変なこと言うなよな」 「なにも変なことじゃないよ。メアリもトマスもマイケルも、エリーナに言いたいことは沢山あったろう? いくつか約束してたこともあったろう。例えば、貸したままだった大事な絵本が返ってこないとか、それも遺品といっしょくたになって、返してもらおうにもきまりが悪くて取りに行けないとか」 「……それって、すごいネガティブな思い出じゃない?」 「確かにいい思い出もいっぱいあるだろうけど、そういうことをエリーナも多分今頃すごく気にしてるんだろうなあって思うと、なんだかすごく気持ちが悪くなってきたりしないかい?」 「死んじゃったらそれでお終いだよ」 ジョーは呆れてリュウに言った。 彼はいい歳をして、お化けや死後の新しい生命について、信じているのだろうか? 「ゾンビも、ブレイクハートが死体をいいように操ってるだけだよ。ブレイクハートはディクだ。お化けなんていないって先生も言ってた。先生は、少なくともオマエよりまっとうな大人だよ。頭固いけどな」 「なにもお化けの話ってわけじゃない。お化けは……いないほうが良いと思うな、うん。ちょっと怖いし……。でもお化けがいなくても、ヒトの心ってものは残るんじゃないかな。それは、身体が壊れちゃったからって、すぐに消えちゃうものじゃあないと思うんだよ。例えば、ジョーはエリーナを憶えてるよね?」 「そりゃ、まあね」 「エリーナの顔を思い浮かべたり、あの子の言葉を思い出したりするだろう? 誰もいないところでエリーナのことを思い浮かべていて、そうだな、それとメアリのことを思い浮かべてみたとして、ふたりに何か違いは?」 違い、とジョーは思い浮かべた。 特に死んだエリーナがモノクロってわけじゃない。 ふたりとも一緒だ。 いつも仲良さそうに、ジョーには何が楽しいのか良くわからない女の子同士の話をしているところを思い浮かべると、彼女らには何の違いもなかった。二人の親しい友人だ。そこには生きてるとか死んでるとか言ったことは関係ない。 それに、ジョーはエリーナの死体も見ていないのだ。 まだ彼女が死んだってのを、上手く理解することができない。 今にもエリーナが「なあに、私のお話?」と微笑みながらリュウの後ろからひょこっと顔を出して、「びっくりした? 私が死ぬわけないでしょ、悪い病気はパパが全部治してくれるもの」と言い出しそうな気がした。 彼女はメディカル・センターの院長の娘なのだ。 彼女に治らない病気はなんにもないに違いない。そのはずだ。 「……べつにふたりに違いは無いと思う。それがお化けと何の関係があるの?」 「うん、なんか、おれあんまり頭が良くないんだけどさ、こう思うんだ。 「お化け」はいないけど、「幽霊」はいるんじゃないかな? ヒトには「魂」があると思うんだ。それから意志を持った意識と、今まで溜まった記憶がね。 「魂」と「意識」と「記憶」っていうものは、それぞれ別々のものなんだ。独立しているんだよ。 どれが欠けても駄目なんだ。自分で見て、頭の中に記録していることっていうのは、思い出して、それについて何か考えたり思ったりする「意識」がなきゃあまるで役立たずなんだ。 再生装置のないデータ・ディスクみたいなものだよ。 そしてそれらは魂がなければまるで成り立たない。それこそ薄っぺらいお化けみたいになってしまうんだ。 死んだヒトを思い出す時、死んで動かないところを思い出すんじゃないだろう? そういう時もあるかもしれないけどさ、友達だったら、何を話したとか、どういう声をしてたとか、生きてた頃のままの姿を思い出すだろう? 幽霊ってのは、そういうものじゃあないのかな?」 「……よくわかんないよ。それじゃ、俺がエリーナのことを思い出したら、エリーナの幽霊が俺の頭の中に来るってことみたいじゃないか」 「うん、そうだ。誰かに憶えてもらっているうちは、ヒトは完全には死んでない、幽霊なんだ。誰からも忘れられて、どこにも記憶が残らなくなっちゃうと、やっと死んじゃうことができるんだ。世界から綺麗に消えてしまう」 「でもそれはオマエの妄想だろ。エリーナは死んだんだ。もういないよ。学校にも来ないし。それ、もしオマエが死んだ時は、それを証明できるのかよ。もし本当だって言い張るんなら、「おれは幽霊です」って言いに来てみろよ」 「……うん、もしおれの意思や魂がどこかへ飛んでっちゃったとしても、おれはここにいるよ。 きみらにもきっと会いに行くよ。 ……ただ、みんなはおれのことなんて、もしかしたらすぐ忘れちゃうのかもしれないけどね。特に――――いや、いいや。 結局ひとつっきりの判定なんて、おれには本当はできやしなかったんだ。ここには大事なものがいっぱいあるんだ。選んだふりをしたって、おれは欲しかったもの全部を棄ててしまうことなんてできないだろうな」 「今日のオマエはなんか変だね」 ジョーは首を傾げてリュウを見た。 「きっといつもなら、話の途中で知恵熱出して倒れてるよ。馬鹿なんだから」 「いや、馬鹿だけどさ……なんだろうな、今日はすごく頭の中がクリアなんだ、今。 何て言うのかな……言いたいことがあったとするじゃないか。そしたら、誰かに伝えるためには、それを言葉にしなくちゃならない。でもいつもは、思ってることを言葉にしてしまうと、なんだかこれ違うなあって気がするんだ。ちぐはぐな感じなんだ。なんだか、おれが思ってたこととちょっと違うっていうふうな。 それを突き詰めていくと頭が痛くなってきて……いやこれはどうでも良いんだけど。 今はね、なんだかびっくりするくらい、上手く言葉を見つけられるんだよ。 だから、大事な人と話がしたくて、ここで待ってるんだ。今ならおれが言いたかったことが言えるような気がするんだ。 実は大分待ってるんだけどね、まだ来ないなあ」 やれやれ、という仕草で肩を竦めたリュウを見て、メアリがもじもじと言い出した。 「リュウ、誰か待ってたの? 呼んできてあげようか? ニーナお姉ちゃん?」 「ありがとう。でも大丈夫さ。きっとそのうち気付いてくれるよ。ここは彼の街なんだ……それまで気長に待つさ。待つのは得意なんだ、釣り好きだしね。 さて、こんな夜遅くにおれの話に付き合ってくれて、ありがとう。もう帰ったほうがいいよ、明日は休みだっけ? それでも父ちゃんと母ちゃんが心配するから」 「リュウは? せっかく久し振りに会ったんだからさ、これからジョーんちでカード・ゲームでもやろうぜ」 トマスが誘っても、リュウは静かに微笑んで、首を振って、ごめんね、と言った。 「おれはそろそろ帰らなきゃ。あんまり夜更かしすると、姉ちゃんに怒られるんだ。もういい大人なんだけどねえ……」 「……姉ちゃん? 姉ちゃんなんかいたのオマエ?」 なんだか変な気分がしていた。 胸のあたりがざわざわして、気分が悪かった。 夜空には綺麗な星が無数に瞬いていて、冬も近いのに、まだ虫の声がかすかに鳴っていた。 ジョーはじっとリュウを見た。 今夜の彼はなんだかおかしかったが、それにしてもいつものリュウだった。 長い紺色のコートを着ていて、変な手枷をつけている。変な色の頭も、空みたいな色をした透明な目もいつも通りだった。 リュウは押し黙っているジョーに気付いて、どうしたの、と微笑んだ。 「……リュウ、また遊びに来るよな? メディカル・センター? それともここ? セントラル? オマエ、どこ行ったら会えるんだよ。みんなでオマエんちに行っても、オマエに会えなかったんだ。変なおっさんがいて」 「あ、そうだ。なんかニヤニヤして、ツンツンした、ちょっと生え際がまずいおっさん」 「あれおまえの友達か? 友達、選べよリュウ。いじめられてない?」 「リュ、リュウ、またごはん食べに来てね……パパとママも待ってるし、わ、わたしリュウがごはん食べてるところ見るの、その、好きだし」 みんなにせっつかれて、リュウはちょっと驚いた顔をしたけど、すぐに笑って頷いた。 「ああ、いつでも会えるさ。おれはここにいるもの。また遊ぼう。ただし、痛いのはちょっと勘弁して欲しいけどな……」 そう言うとリュウは立ち上がり、「じゃあまたね、早く家に帰るんだよ」と言うと、なんだかぼおっとしているみんなの横をすうっと通りぬけていった。 通り際に、すごく良い匂いがした。 花畑で寝転がって大きく息を吸い込んだ時のような、あの噎せ返るくらいの花の匂いだ。 日向の大地の匂いだ。 リュウは香水なんか付けてやしないだろうから、昼間にどこかの花畑で、プータローらしく昼寝でもしていたのだろうか? 背中の後ろで、リュウが誰かに呼ばれたように――――もっとも、誰の声も聞こえやしなかったが――――返事をする声が聞こえた。 「ああ、エリーナ。ごめん、迎えに来てくれたの? 星を見てたんだ。ゼノ姉ちゃ……じゃなくって隊長、怒ってなかった? すぐに行くよ」 驚いて振り返ると、暗がりの石畳の道には誰の姿もなかった。 まるではじめから誰もいなかったように、世界は静寂で満ちていた。 足音もなかった。あの見慣れたリュウの背中もなかった。なりは大きいくせに、うまく大人になりきれなかったような彼の姿は、どこにもなかった。 虫の声も、いつのまにかなくなっていた。 大気には乾いた冬の匂いが濃くなっていた。 きっともうみんな死んでしまったんだろう。それとも、土の中で眠っているんだろう。 無数の星の光が地上に降り注いでいた。 街灯が白い光を零して、道を照らしていたが、それはあまり必要もなさそうだった。 ただでさえ地上は星々に照らし出されているのだ。 その中で立ち尽しながら、みんなはしばらく無言だった。 なんだか夢の中にいるみたいに、ぼおっとしていた。 やがてメアリが口を開いた。 「ねえ」 誰も何も言わない中で、彼女はぼおっとした声で、ぽつりと言った。 「リュウ、死んじゃったんだね」 ジョーは頷いた。 トマスとマイケルはまだぼおっとしている。 なんだか胸にぽっかりと穴が開いたような空虚な気分だった。 妙な喪失感があった。 「そうみたいだね」 リュウはきっと、あの怖い顔をした男が言ってたように、牢屋に繋がれて殺されちゃったんだ、とジョーは理解した。 エリーナも本当に死んでしまったのだ。 目を閉じて、リュウのことを思い出してみようとしたが、まるで見たこともない、目を閉じてじいっとしている彼の姿が瞼の裏に浮かんだ。 生きているのか死んでいるのか、どっちつかずでわからない姿だった。 リュウの幽霊は街に縛られているのだろうか。 リュウを殺した人間たちを、彼は憎んでいるのだろうか。 穏やかにいつものように微笑んでいた彼には、憎しみの気配はまるでなかった。 憎めば良いのにとジョーは考えた。 彼を殺したセントラルの人間なんて、みんなリュウに憎まれれば良いのだ。 彼を殺した人間たちに、憤りと怒りが沸いてきた。 だからと言って、どうすることもできなかった。 ジョーたちはまだ幼い子供だった。 リュウを殺した男に石を投げてやるくらいしかできやしない。 かすかに花の良い匂いがまだ残っていた。 それが記憶の中のものなのか、それとも今ここにあるものなのか判断がつかなかったが、やがてそれも大気に紛れて消えてしまった。
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