それは、あんまり納得のいく理由じゃなかった。 任務中のサードレンジャーリュウは、最下層区でバイオ公社を脱走した実験用ディクに襲われるという事故に遭い、ここ数日の間公社に保護されていたそうだ。 実験用ディクとの戦闘で負傷して、医療施設に収納されていたらしい。 機密保持の為の情報統制や、精密検査や何やらが予想以上に手間取ってしまった、というのがあっち側の言い分だった。 だがあまりにもあっさりと公社が非を認めているのが、どうも不自然だった。 あいつらは裏で何をやってるもんだかわからない。 最近特に増え方がひどいディクだって、奴らがこっそりと放棄しているんだってことは公然の秘密だった。 人攫いに人体実験、だが公社側がそういう事実を認めたことは一切ない。 ◇◆◇◆◇ 「でね」 リュウは語った。 「おれ、最終兵器になっちゃったんだけど」 「ふーん」 俺は曖昧に頷いた。 事態がさっぱり呑み込めなかった。 こんなのは初めてだ。 「それ、どういうことなの?」 「……うーん」 「うーん、ってなんだ」 「……いや、良くわからないんだ。リンクとか、セツゾクジッケンタイとか、難しい単語が多くて。おれ、あんまり頭が良くないから」 リュウが弱々しくかぶりを振った。 あんまり普段通りだから、俺はいつもの調子でつい言ってしまった。 「ローディーだもんな」 「う、うん、そーだねー」 リュウはなんだか複雑な顔をして、へらへら笑った。 ……あ。 ちょっと今のはNGワードだっけ、それ? しかし、リュウは相変わらずへらへらにこにこしていて、もしかしたら泣きだしちまうかもと思ったが、そんな予兆はない。 俺の思い過ごしだったようだ。 こいつは鈍いからな、うん。 「で、それ……治るのか?」 俺はとりあえず、一番聞きたかったことを訊いてみた。 あの姿――銀色をしたディクみたいな姿は一時だけで、バイオ公社の警備兵ふたりに挟まれて基地に帰ってきたリュウは、もういつも通りの姿だった。 紺色掛かった黒い髪と、同じ色の目と、あと足首まである長い病人着の上にジャケットとかいう無茶苦茶な格好。 あれはまるで家出人の護送みたいだった。 「もう治ったのか?」 「あー……」 リュウは答えずに、目線をふらふらさせた。 「まだ聞いてないんだ……」 「聞けよ」 「こ、今度調整に行った時に聞いてみる」 「教えてくれるのかよ。……ていうか、また行くのかよ!」 「うん、はじめのうちは三日に一回は検査に来るようにって言われた」 「知らねーぞ、これ以上改造されてアシモフみたいなロボットになっちまっても!」 「うん……」 リュウは良くわかってないみたいな顔をして、かすかに頷いた。 「まあ、大丈夫だとは思うけど……。そんなに痛い目には遭ってないし」 「化物に改造されて何言ってんだよ?」 俺は冷たく言ってから、しまったと思った。 リュウみたいなローディーには、この状況はあんまりにも過酷過ぎる。 ただ相棒の俺に心配をかけまいとして、こんなにどうってことないようなふりをしてるんだろう。 こいつはそういう奴だ。 が、見た目はどうしても、なんかただ本当に鈍感でショックなんか欠片も受けてないみたいに見えるんだけど、もしそうならこいつは本気でアホだ。 「ところでボッシュ、バイオ公社ってさあ、おれよりでっかいハオチーとかいてさあ。あれってどんな味なのかなー」 ……やっぱりただのアホなのかもしれない。 ◇◆◇◆◇ リュウはローディーだが、人に好かれる体質らしい。 こいつのことをバカにするやつはとことんバカにするが、いつもへらへら笑ってるのと、優しいとか言われる性質のせいで、友人は多いようだった。 リュウが帰ってきた時には、オフィスで仕事をしていた何人かのサードが一斉に立ち上がって、奴に突撃していた。 見知った奴ではピンクの女は鼻水を垂らして泣いていたし、のっぽは思いっきりリュウの頭を殴り付けて喜びを表していた。 ……また死ぬぞ、そいつ。 リュウはもみくちゃにされてにこにこしながら、そいつらと他愛ない話をしていた。 「何の無駄話?」 「ん? ボッシュが格好良かった話」 「アホか。俺様はいつだって格好良いんだよ」 「あはは、そうだねー!」 リュウはへらへらと笑った。 「あ、でも良かった、おれボッシュの相棒のままで。帰ってきて解消されてたらどうしようと思った」 「ふーん」 俺は気を入れずに頷いて、リュウの頭からつま先までを観察した。 もういつもの格好だ。 新しく支給されたレンジャージャケットと、その下にインナー。それから包帯。 「……ん?」 俺は訝しく思い、リュウの首元に手を伸ばした。 「なに? 怪我してんの?」 「あ……ああ、これ、ちょっとね」 リュウは気弱な顔をして笑った。 「ふーん」 その時は、そんなことについて深く問い詰めたりすることはなかった。 ふいに、ピピッ、と電子音が鳴った。 リュウは「あ」という顔をして、慌ててゴーグルを掛けた。 「なんだ?」 「あ……なんか……呼ばれてるみたい」 「誰に?」 「えと……ドクター」 リュウはぼそぼそと言いにくそうに言って、また頭の上にゴーグルを押し上げて、それから俺に向かってごめん、と言った。 「ちょっと行かなきゃ」 「どこに?」 「どこって、その……実験、とか?」 言いにくそうに俯きながら、リュウは言った。 俺は、ふーん、とできるだけ無関心を装って、じゃあ行ってくれば、と手で追いやる仕草をした。 「いいけど、もう門限過ぎてるんだから見張りに見つかるなよ」 「気をつけるよ」 リュウはにこにこしながら、じゃあまたあとで、と言った。 こいつのこのセリフは、なんとなくキライだ。 リュウはその日、また戻ってこなかった。 考えてみれば、俺は――――いや、考えないようにしていたのだろう、あいつのあの姿を初めて見た時に、確かに畏怖を感じたのだ。 どうしても認めるわけにはいかなかった。 この剣聖に連なるボッシュ=1/64が、あんなローディーを怖がる理由がどこにある? だから無関心を装って、どうでもいいってふりをして、俺は今日もリュウを送り出す。 「ボッシュ、ちょっと行ってくるね。 じゃあまたあとで」 「おう。行ってこい」 『ちょっと』何をしているのか、何をされているのか、聞きたくはなかった。 ◇◆◇◆◇ リュウは俺の相棒だ。 あの日、異形の姿へと変わってしまった相棒は。 今日も、弱かった。 「ボ、ボッシュ……ごめん、おれ」 「いいって。ゆっくり行こうぜ」 俺は基地の外周を、リュウに合わせてゆっくりと走る。 俺にしてはかなり穏やかなスピードだが、リュウは顔を真っ赤にして、ぜえぜえ息を荒げている。 こいつ体力なさすぎ。 「もっと、早く……行って、いいよっ? おれ、大丈夫。走れる」 「べつにいいけど、ローディー待ちってめんどくさいし」 「…………」 「それよりリュウ、おまえ大丈夫? メディカルルーム、行くか?」 リュウはぶんぶんと首を振った。 「あっそ。まあいいけど」 「が、頑張るよ、おれ」 リュウはにこっと笑っていった。 それは疲弊しきっているせいで、半分くらい引き攣っていた。 (……まったく、ホントにわけわかんない。なんだよこれ) 俺は胸の中だけでぶつぶつ言いながら、今日は部屋で眠っている相棒の顔を、二段ベッドの上から見下ろした。 (あれはやっぱり夢だったんじゃないの? 疲れてたし) 溜息をついて、ベッドの真ん中に戻って、シーツを被った。 リュウはあれから変わったところなんてなんにもなかったし、以前のままだった。 たまに検査を受けにバイオ公社に出掛けていくくらいだ。 「……ん……ボッシュ?」 ていうか、起きてたの。 リュウは睡眠直前、という感じの夢現さでいるようだ。 「なに?」 「べつに。おまえの顔見てただけ」 「……おれの顔なんて見ても、面白くないよ」 「面白いか面白くないかは俺が決める」 そう言うと、リュウはかすかに笑った。 眠そうに目を擦って、ぼんやり言った。 「ボッシュ……最近、おれに優しい」 「…………」 「嬉しいんだけどさ」 「…………」 「でも……」 「……ん?」 「…………」 「……寝たのかよ」 俺は溜息をついてリュウを呼んでみたが、返事はもう返ってこない。 どうやら本格的に眠ったようだ。 しかしそれにしても、 (あんな化物みたいなのが、こんな間抜け面晒して……あーあ、ヨダレまで垂らしてるって、最悪。そう、夢だ夢、一件落着) 俺は寝入る前にちらっとリュウの寝顔を見た。 ちゃんといつもの見慣れた、目立たない地味な顔だ。 いや、地味っていうか、わりと可愛いんだけど。 (おやすみ) そうして、俺は目を閉じた。 ◇◆◇◆◇ 夜半過ぎ、目が覚めた。 (……今、何時だ?) ゆるゆると頭を振って時計を見やると、午前3時を回ったところだった。 俺はあまりこんなふうに中途半端な時間に目が覚めるってことはあんまりない。 いや、子供の頃は良くあったような気がする。 だが悪夢を見て飛び起きても、そばに誰もいないようになってしまってから、そういうことはなくなってしまった。 まあ、慣れってやつだろうか。 「…………あ」 かすかな声が聞こえて、俺は身じろいだ。 リュウの声だ。 ひどく息苦しそうに、うめいている。 「…………?」 相棒はガキだから、怖い夢でも見てんのか? 俺はベッドの下段を覗いて、リュウの様子を覗った。 そこには。 「リュウッ?!」 俺はベッドから飛び降りた。 そこには『あいつ』がいた。 いや、あの化物じゃない……リュウだ。これは、まだ。 「……っあぁ……」 熱っぽい苦痛の声を喉からぎしぎし上げて、リュウはベッドの中で身体を折っていた。 「相棒! おい、リュウ!」 俺はリュウを揺さ振った。 身体に触ると、いつかみたいに焼けた火みたいな熱さだった。 素手で肌に触れただけで、俺は痛みに顔を顰めた。 火傷を負ったのだ。 「……あ、あ……ッシュ?」 のろのろと、感情をうまく映せていない表情のない虚ろな目で、リュウは俺をとらえた。 その眼は真っ赤だった。 いつもの文献にある穏やかな海の日みたいな、深い落ち付きはそこには見て取れなかった。 「っあ、ご、ゴメン、起こしちゃった……?」 「バカ! どういうことだ、これ!!」 俺が怒鳴ると、リュウはまるでとんでもなく悪いことをしたみたいな顔をして、また「ゴメン」と謝った。 「……った、いた、痛、くて。あれ? 何が痛い、んだろ。おっかしいなあ……」 「リュウ!」 「っあ、あっ、あ」 肩を掴むと、リュウは目を見開いて震えた。 「さわ、らないほうが、いいよ。おれ、おれなんだか、変だ。……あ、薬、切れたかなあ?」 「ハア?!」 「だ、大丈夫。ぜんぜん……っあ、あ、ああぁ!」 言ってる側からリュウは激しく震えて、全身をぎゅうっと抱き締めた。 その様子は全然「大丈夫」なんかに見えない。 俺は舌打ちをして、リュウの両手首を掴んで、そいつの頭を自分の胸に押し付けた。 リュウは混乱している。自傷を起こす可能性があったからだ。 「ボ、ボッシュ……ボッシュぅ、あつ、……あついよ。おれ、なんだか変だよ」 リュウは俺のシャツの裾をぎりぎり噛みながら、涙声で言った。 「なんだか、おれじゃなくなってくみたいだよ」 リュウは、呼吸の途中に時折しゃっくりみたいな声を混ぜて、震えていた。 ――――泣いているのだ。 俺はそれに気がついた時、変に息苦しくなって、思わずリュウを放り出してやりそうになった。 そうしなければ、何か取り返しのつかないことになりそうな気がした。 だがリュウは、ずうっと俺にくっついたまま、ごめん、ごめん、とか何度も謝りながら、ただ静かに泣き続けた。 リュウが落ち付くのを見計らって、俺は奴の背中に回していた手をどけた。 変に恥ずかしかった。……なにやってんだ、俺。 リュウは小さくごめんと呟いて、どうにか泣き止んだ。 俺はそんな相棒を、奇妙な心地で見ていた。 炎みたいに真っ赤な眼が、暗闇の中で光っていた。 銀の髪が、夜の闇の色を吸い込んで、薄蒼く染まっていた。 だが、それはまだ俺の相棒のリュウだった。 角も羽根もない。まだ人間に見える。ディクじゃない。 薄くて白い色の、俺と似たようなシャツを着て、肩までの長い髪が、珍しく露になっている首筋に垂れていた。 首には、まだ包帯が巻かれていた。 具合の悪いものを隠すように、幾重にも重ねられていた。 「え……ボッシュ?」 俺はリュウをベッドに押し付けて、胸元のボタンを外してやった。 リュウは「なにをするんだ」と言いたそうな表情で、戸惑ったように俺の顔を見た。 「……あ……や、やだよ。やめてよ」 リュウの包帯に手を掛けた。 するすると解いていく。 リュウは抵抗したが、弱っちかった。 「嫌だよ、ボッシュ。ボッシュ……」 リュウの赤い目の端っこには、また涙が滲みはじめた。 包帯は解けて、音もなく床に落ちていった。 俺は、ただ見ていることしかできなかった。 リュウ=1/8192。 いいとこサード止まりの、昇進なんか縁遠いD値を持った、どうしようもないローディー。 リュウのうなじには、刻印されていたはずのD値がなかった。 リュウは震えながら、また泣きだしそうな顔をしていた。 「…………見ないで…………」 俺の目の前にあるリュウの首筋には、見慣れたバイオ公社のロゴが焼きつけられていた。 目の前が、真っ赤に染まった。
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