下層区街にも夜は来る。
 リフトの昇降、荷物の搬入、レンジャーの出入りなどが頻繁にあるせいで街の照明は落ちないが、人工太陽は光を放つのをやめる。
 煤けて黄色っぽくなったペイントの天井は、大昔にあったっていう「夜空」みたいな暗い紺色に色を潜めていた。
 高台からそんな下層区の街の「夜景」を見下ろしながら、俺は隣の相棒に凭れかかった。
 あんなものを見た後で、呑気に眠れるわけもなかった。
「……おまえんち、どの辺?」
「ん……あの辺。ここからはちょっと見えないかな……。広告塔で隠れちゃってるから」
 リュウは、遠い暗闇の方を指差した。
 たしかになんにも見えない。
「ボッシュは、上層区から来たんだよね?」
「うん、そう。こんな空気の悪いきったないとこなんて、冗談じゃないんだけどさ」
「どんなところ?」
「べつに、退屈なところ。なんにもないし」
「ふーん」
 リュウは、おれにはその街、一生見れそうもないなあ、と言って笑った。
「おれんち、家族のD値がみんなばらばらでさあ」
 リュウは、特に感慨もなくそんなことを言い始めた。
 こいつが自分のことを話すところなんて初めて見たので、俺はなんとはなしに気になって、黙って先を促した。
「片方は中層区に住んでて、公社に勤めてるらしいんだけど」
「ふーん」
「もう片方は最下層区の出身なんだって。どっちがどっちか知らないけど、足して2で割って、おれ」
「へえ。D値ってもんは、面白いな」
「一緒に暮らしたこととかないし、もう顔も覚えてないんだけどさ」
 リュウは、こういう辛気臭い話をしてるってのに、苦笑めいた穏やかな顔をしていた。
「もしかしたら、おれの身体をこんなにした人の中に、おれの親がいたかもしれない」
「…………」
「おれがわかんなかったみたいに、あっちもわかんなかったのかもしれない」
「…………」
「……気付いたんなら、やだったろうなあ。それとも、全然そーいうの、平気なのかなあ」
「……おまえみたいなローディーの親が、そんな重要機密に混じらせてもらえるわけないだろ」
「それもそうだね」
 リュウはまた笑って、ボッシュは最近ほんとに優しい、とか見当違いのことをほざきやがった。
「ハア?」
「なんだかちょっと怖いなあ」
「……おまえは俺のこと、何だと思ってるわけ? 慈悲深いボッシュ様は、ローディーには優しくしてやる余裕があるんだよ」
「前はそんなんじゃなかったよ」
「前ってなんだよ」
「おれみたいな相棒なんていらないって言ってたよ」
「……言ってたっけ?」
「言ってたよ!」
「いや、今もあんまりいらないけど」
「……ひどいや」
 リュウは俯いて、控えめにくすくす笑った。
「何笑ってんだ、バーカ」
 俺はリュウの髪をくしゃくしゃにしてやった。
 肩まで届くくらいの長い髪に隠れて、あの烙印は見えない。
「なんかさあ」
「ん?」
「おまえ髪の毛下ろしてると、女みたいだな」
「…………」
「可愛いよ。惚れちゃいそう」
「……ボッシュって、いつからそんな変な冗談言うようになったの?」
 リュウが、呆れた、という顔をした。
「でも、ボッシュはすごく綺麗だと思うよ。俺と違って」
「うーん、D値ってのは顔にも出るもんなのかなあ」
「あはは、またそーいうこと」
 リュウは、また笑った。
 俺はにやりとして返しながら、リュウの肩を組んでやった。
「いっそのこと女の身体に改造してもらえば良かったのに」
「絶対やだ」
「なんだよ。そしたら俺のハーレムに入れてやってもいいぞ」
「……ハ、ハーレムなんか持ってたの、ボッシュ?!」
「バーカ。俺様が統治者になってからの話」
「そ、そう。ていうかなんでハーレム」
「男の夢だろー? 大体D値が違い過ぎると一緒には暮らせないんだから、気に入った奴と別居なんか籍を入れるだけ損じゃん。ここはやっぱりハーレム。キレイで胸のでかいおねーちゃんとか、いっぱい囲ってさ」
「……ふーん」
「そんで、おまえはその中で一番地味なの」
「なんでおれも入ってるの」
「だから入れてやるって言ったじゃん」
「いらないよ」
「あ、今の生意気。そこは「光栄です、ボッシュ様」だろ?」
「ボッシュはやっぱり変だよー」
 リュウは、またおかしそうに笑った。
「黙れよ、バカローディー」
 俺はまた、リュウの髪の毛をくしゃくしゃに撫でてやった。
 俯いてくすくすと笑っているリュウの目は、いつものように深い蒼をしていた。






 ベッドに戻ってきても、目が冴えてなかなか眠れない。
 時刻は午前5時。もう朝だ。
 あと一時間、寝れるか寝れないかっていったところだ。
 リュウはさっきの苦痛が嘘のように、落ち付いて眠っていた。
 安眠妨害の元凶がすやすやと眠っているのに、なんで俺はこんなに目が冴えてるんだ。
 なんだか理不尽だ。ムカツク。
 横になっていると頭に思い浮かぶのは、男のくせにわりとキレイな髪をしてるなとか、こういうだらしない格好も新鮮とか、笑うと可愛い顔とか、……とにかく、そういうのばっかり浮かんだ。
(……違うだろ)
 俺はそういう趣味はない。
 ないと思う。
 ないっつってんだろ。







 だけど、リュウは可愛いと思う。






◇◆◇◆◇







 今朝もいつも通りだ。
 朝飯前に訓練して、ひととおりカリキュラムを消化した後に飯を食う。
 今日のメニューは固いパンと、角切りハオチーのスープだった。
 それにひょろひょろした地下栽培の野菜のサラダも付いている。
 朝からぼろぼろにのしてやったリュウは、横で無理矢理胃袋に詰め込むような感じで、食事を喉に放り込んでいる。
 味なんか、ほとんどわかってないに違いない。
「マズそーに食うね、おまえ」
「そ、そんなことは……」
 ないよ。と言って、リュウはまた笑った。
「ボッシュだって、すごくマズそうに食べてるよ」
「俺はマズいの。おまえらみたいなのは味覚が違うんだよ」
「ふーん」
 リュウは首を傾げた。
「美味しいと思うんだけどなあ」
 マズそうな顔して言うことじゃない。






 今日はなんだか朝から奇妙な視線を受けていて、俺はイライラしていた。
 なんだかどいつもこいつも、俺の方を見てひそひそとやっているのだ。
「……から、変な……」
「ウソ、ほんとに……」
 単語の切れ端くらいしか拾えないが、なにやら影口でも叩かれているらしい。
 はじめのうちは無視を決め込んでいた俺だったが、隊長室に出頭しようと廊下に足を踏み入れたところで、
「えーっ?! リュウが?!」
 ほとんど裏返った絶叫を聞いて、足を止めた。






 話し込んでいるのは、知っている顔だった。
 ピンクの女とのっぽと、ワーストローディーのそばかすの三人。
 奴らの話題は、リュウのようだった。
 俺はなんだか嫌な予感がした。
 もしかして相棒、あいつはマジでどんくさいから、あの例の姿を見られたのだろうか?
 それとも、あの首筋の烙印、あれを見られたのか。
 どっちにしてもまずい。
 上は何にも言ってこないので容認しているようだったが(もしかすると、上の奴らの仕業なのかもしれない)騒ぎになるのは避けたかった。
 ややこしいから。
「……なんの話?」
 俺が極力不機嫌な顔をして声を掛けると、三人組はびくっとして、慌ててしまったという顔をして、俺を見た。
「ボ、ボッシュ!」
「俺の相棒、またなんかやらかしたの?」
 俺はすっとぼけて訊いてみた。
 ローディーどもは、非常に居心地の悪そうな顔をして黙り込んでしまった。
 しばらく沈黙が流れて、そして一番最初に声を上げたのはピンクの女だった。
 俺の顔をじっと見て、決意は固めた、という感じで訊いてきた。
「……ね、ねえ、ボッシュ。あなたとリュウって……」
「…………」
「その、で、デキてるの?」
「…………ハア?」
 俺はわからなかったので、眉を上げて訊き返した。
 デキるって、何がだろうか?
 ああ、俺の相棒にリュウが問題なく収まってるのがおかしいって言うんだろうか?
 あいつはローディーだからな。
 だが、意気込みついでと言った調子で続いてきたそばかすの言葉に、俺はまた少々硬直しなければならなかった。
「部屋からさあ、リュウの変な声が聞こえるって。ボッシュにえっちなことでもされてるんだってもっぱら――――うわあ!」
 そばかすが喋り終える前に、俺は抜剣した。
 ジャケットごとそばかすを壁に剣先で縫いつけて、できる限りのにこやかさで、
「……詳しく訊かせろ」
 ていうか、何なんだ、そりゃあ。







 証言その1。
『俺隣の部屋なんだけど、なんていうか、……なあ。「あの」声なんだよ。俺、思わず――――いや、そんなことはどうでもいいんだけど。 壁薄いから、耳をくっつけたらうっすら聞こえるんだよ。夜中に物音で目が覚めたら隣から、ああ、いっそのこと悪い夢であって欲しいって感じかなあ。……あ、もう、行かなきゃ。これ以上俺の口からなんて、とてもそんな……うちの相棒に聞いてくれよ』







 証言その2。
『リュウが痛い痛いとか、いやだとか、変に色っぽい声上げてたなあ。そーいうことじゃねーの? 話の内容までは聞こえなかったけど、ていうかなんか最近あいつらアヤしくねえ? 「あの」ボッシュが、リュウにだけは優しいんだぜ』






「……ふーん」
 俺はものすごい誤解を受けていた。
 ローディーどもに何と思われようと別にいいんだけど、なんでこいつらってこんな下世話な勘違いしてんの?
 バカみたい。
「ほ、本当なのか?」
 大事な友人の貞操だかなんだかが心配なようで、ピンクとのっぽは焦燥しきった顔をしている。
 そばかすはあれだ。野次馬根性丸出し。こいつ最悪。
「んなわけないだろ。バカじゃないの?」
 俺は、ハア?と肩を竦めて見せた。
 大体あの相棒はそういうことには死ぬ程疎そうなんだから、もしそういう状況になったとしてもキス一発で泣き出してるな。
「あいつ、男じゃん」
「でもなあ」
「でもねえ……」
「……べつにどーでもいいけど」
 俺はやれやれと首を振った。
「あいつ最近夢見が悪いみたいでさ。夜中にうなされるんだよ。すっげーうるさい」
「あ、そ、そうなの?」
「そうなの」
 嘘は言ってないけど。
 それにしても、何にも知らない奴らは気楽でいいね、まったく。







 俺もなんにも知らないけど。






「あ、ボッシュー!」
 隊長室の前で、リュウが待っていた。
 俺を見て嬉しそうに笑う。
 以前はまたローディーだとかなんとかで俺にバカにされるのが気に入らないのか、大体が強張った顔をしていたが、あの日以来そういったことはない。
 ローディーだってバカにされることすら、嬉しいようだった。
 ……サードレンジャーなんて仕事にいつもの通り当たり前に就いてはいるが、こいつには本当はそのD値すらもう存在しないんだから。
 周りに何と思われているかも知らず、リュウは俺のそばに駆け寄ってきた。
「……どうかした?」
「べつに」
 俺はそっけなく言って、リュウの肩を掴んで引き摺って、隊長室に入った。
 これから、また任務がある。







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心持ちホモです。