「おいおまえら」 俺は蜘蛛を蹴りながら、ピンクとのっぽに呼び掛けた。 そばかすは役に立たないので放置だ。 「戦略的後進だ。扉は開かないんだっけ」 「あ、ああ……」 のっぽが頷いた。 「じゃ、俺が蜘蛛を相手にしてやってるから、ダイナマイトでもなんでも使って、どこでもいいからぶっ壊せ。人が通れるくらいでいい」 「ああ」 のっぽは俺の言うとおり、扉のほうへと走っていった。 俺はその背中に言っておいた。 「持って2分で片付いちゃうから、その間に穴が開かなきゃ俺たちは全滅だ」 「え?」 「もっとヤバいのが来る」 餌のバインドスパイダがいなくなれば、グミは次は俺らを食いに来るだろう。 味に関してはあまり頓着がなさそうだった。 なにせこっちは、もう一人食われているのだ。 この=1/64のボッシュが生きたままグミの餌なんて、ぞっとしなかった。 背後でダイナマイトが爆発した。 「――くそっ、駄目だ……!」 のっぽが焦っている。 ダイナマイトくらいじゃ、ここのマグマにも耐える壁を破るなんてことは難しいだろう。 だが、それはあまり考えないようにしていた。 この装備で、ファーストの一個大隊でも手に余りそうなグミオウの相手をするくらいなら、素手で扉でもぶん殴って開けてやるほうがいくらも容易だ。 爆発音が続いた。 だが、一向に作業は進まないようだった。 蛍光灯に群がっていたバインドスパイダどもの数が減ってきたせいで、部屋には薄い明かりが広がり始めていた。 そうして、嫌でもその巨大なディクの姿が目に付くようになった。 暗闇で見るよりいくらか小さく見えたが、だが相変わらず真っ黒なそんな巨体だ。 奥の方でもぞもぞ蠢いている、かすかに発光しているゴーグルだとかは、あまり直視したくない。 消化中、ってやつとか。 そのうち我が身だなんて、死んでも考えたくないけど。 「ボッシュ! 駄目だ、もう無い!」 「そこの腰抜けのは?」 「あ……!」 そばかすを指差してやると、のっぽはすぐにそいつのバックパックからいくつかの爆弾を取り出して、もう一度作業に掛かった。 扉の前にばらばらと並べて火をつけて、導火線がちりちり短くなってく。 と、ちょうどそこでバインドスパイダが全滅した。 フロアに無数の死骸が転がっていたが、どうやらお相手は生餌のほうがお好みらしく、ひどく緩慢な動作でもって、今このホールで唯一動いている生き物――俺らだ。こっちに、向かってきた。 「さっさとしろよ、来たぞ!」 「わかってる!」 爆弾がはぜた。 しかし、相変わらず扉はびくともしない。 いいとこ少し煤けたくらいだ。 「……全滅、かな」 やれやれ、と俺は肩を竦めて、剣を握り直した。 「弾はどれくらいある?」 「え? あ、もう、ほとんど……」 「おまえ、剣は振れる?」 「な、なんとか」 「あっそ」 ピンクとのっぽに確認して(そばかすは無視だ。役立たずだから)俺は剣の唾でとんとんと肩を叩いて、真っ黒いグミに身体を向けて、構えた。 「仕方ないね」 「ボ、ボッシュ。勝てるの?」 「勝てる勝てる」 俺は嘘を吐いて、なるだけ軽く肩を竦めた。 こんな化物をぶっ殺せるわけないけど、戦意まで失ったらそこで終わりだ。 グミはぶよぶよと震えながら近づいてくる。 もう、すぐ目の前だ。 さっきまで鈍く輝いていたゴーグルの光はもう見えない。 (もう溶けちゃった、かな) ハゲの顔も覚えてないけど、なんだかあんなローディーとおんなじような死に方をしなきゃなんないなんて、そんなものは俺は認めない。 (……父さまならこんなの、瞬殺なんだろうなー、ていうか) ぼんやりとそんなことを思った。 そう、この剣聖に連なるボッシュ=1/64はいつだって誇り高くあらねばならない。 死のその瞬間まで、そうだ。 (あー、なんか相棒、もうすぐ遭えそう) 背中に回した三人のローディーみたいに恐怖でがたがたになってしまうことなんか、あってはならない。 (遭ったら……どうするんだろう俺。とりあえず一発殴るとか) 剣を握る手がちょっと震えているってことに、俺は気づかないふりをしながら、じっと敵を睨み据えた。 グミが跳ねた。 天井そのものを覆い尽くすみたいに広がって、急速に、まるで獲物を捕らえる投げ網みたいになって落下してきた。 そして。 その瞬間、降ってきた光の奔流の熱さを、俺はいつまでも忘れることができない。 真っ赤な光だ。 何が起こったのか、俺にはさっぱりわからなかった。 こんなことが有り得るとすれば、天井……上からマグマよりも熱いなにかが降ってきて、グミオウを、奴が食ったものどもまで一瞬で焼き尽くして……そしてずうっと地下まで落ちていったように思った。 光が消えた後もしばらく目を焼かれて、なんにも見えなかった。 徐々にまた暗闇に適応しはじめると、俺はその惨状を見た。 それは、更に理解出来ない事態の始まりだった。 さっきダイナマイトでも爆弾でもびくともしなかった扉が、溶けて跡形もなくなっていた。 ホールそのものが大きなクレーターになっていて、底は深すぎて見えない。 なんでこんな破壊があって、俺が生きていられたのか不思議なくらいだ。 「……ハア?」 ようやく落ち付いてきた頃に、俺が出せたのはそんな声だけだった。 辺りを見回すと、おんなじような顔をして呆けたピンクとのっぽと、あとは既に気絶しているそばかすとが、やはり俺と同じように生きていた。 「よう、生きてた?」 「あ……ボ、ボッシュ?」 「ああ……」 二人も、何があったのか、さっぱりわからないようだった。 ただ開いた穴のふちに立って、下を覗き込むくらいしかできなかった。 これが何なのか、さっぱり解からなかったが……。 「……ちょっと行ってくる」 「え?」 俺は一言断りを入れて、穴を降り始めた。 幸い、そんなに急なわけじゃない。 「ちょ、ちょっと、ボッシュ!」 「もう帰ろうぜ! これ、俺たちの任務の域を越えてるって!」 「おまえら、その腰抜けローディーでも背負って先に帰れよ。俺も大体下を見て回ったら、すぐ戻る」 「ボッシュ!」 「もうグミオウもくたばってるだろ、あれじゃ」 「そうじゃないわよ! もう、ボッシュまでいなくなるのは……」 「そ、そうだぜ!」 「ハア? 俺が死ぬワケないじゃん」 俺は泣きそうな顔をしてる奴らに肩を竦めてみせた。 「じゃ、また後で」 ◇◆◇◆◇ 「うわ、あっちー……」 クレーターの内部はまだ熱かった。 ところどころ、地面が溶けてぼこぼこ言っている。 きりのいいところで戻ったほうがいいだろう。 変なガスとか出てるとやだし。 信じられないことにマグマは蒸発してしまって、跡形もなかった。 なんだっていうんだろうか、この破壊の痕は? 覚えているのは、赤い輝きだ。 銀色の光の束が降ってきて、そうしてあいつらは気がついてなかったみたいだけど、俺は見たのだ。 小柄な、俺と同じくらいの大きさの銀色のディクの影が、はっきりとは見えなかったが、あのグミオウが消し飛ぶくらいの光の中にいたのだ。 (……もしかして、さっきよりヤバいとこに首突っ込んでんじゃねーかなー、俺) うっすらとそんなことを思ったが、あのまま帰ってしまうのも腰抜けの仲間みたいで嫌だった。 クレーターは、降りてきた当初よりも随分と温度が下がっていた。 瓦礫の山で視界は悪い。 俺はふらふらとした足取りで(さっきの戦闘で、かなり消耗してしまったらしい)歩きながら、底へ底へと向かった。 何か、嫌な予感がした。 後で考えてみて思ったのだが、それは知りたくないことを知るような、見たくない物語の結末を見るような、本能に根ざした種類のものだったのだと思う。 底に辿り付いた。 そこには、果たしてさきほど微かに目の端に映った銀色のディクがいた。 背中を向けて、驚いたことにそいつはまるで人間みたいな背格好をしていた。 まるで自分のしでかした破壊の痕が信じられないふうにして、ぼんやりと立ち尽くしていた。 その仕草には意思が、知性が見て取れた。 そいつは俺の足音に気がつくと、ゆっくりと振り返った。 立ち上る水蒸気のせいで、顔は良く見えない。 『ボッシュ?』 瞬間、身体が凍ったようだった。 それは胸を突き、心臓を刺し、背中を突き抜けて、俺に響いた。 その声を良く知っていた。 どこから響いてきたのか、俺は一瞬自分の耳を疑った。 それは、こんなところで聞こえて良い声じゃなかった。 もうこの地底から、永遠に失われてしまったはずのものだった。 俺は走り出した。 瓦礫の山のてっぺんに突っ立ったそいつを、俺ははじめて見た。 銀色の髪。角が二本。背中には、炎でできた翼。 腕と足は固い鱗で覆われていて、鋭い鍵爪が生えていた。 顔には幾筋もの得体の知れない模様が浮き出て、獣めいた、血の色をした真紅の目が、それこそガラス玉みたいに、表情もなく嵌っていた。 だが、そいつを俺は知っていた。 その声を、良く知っていた。 あの静かで、言いたいことも言えないような、たまにイライラする、そんな―― 『ボッシュ……』 また、その銀色のディクは俺の名前を呼んだ。 そうして、自分の身体がひどく恥かしいもののように、つま先まで見下ろして、居心地悪そうな顔をした。 その表情は良く見たことがあった。 役立たずと俺に馬鹿にされた時に良く見せた、あの悲しげな顔だ。 なんでこんなにおれは不完全なんだろう? そんな顔。 俺は、そいつの名を呼んだ。 「リュウ?」 『ごめん』 リュウは俯いて、もう一度俺に謝った。 『ごめん、ボッシュ』 俺には、そいつはとても遠いところから聞こえて来るように思えた。 ひどく遠い日、あの相棒だって認めてやったら、とても嬉しそうな顔をしたリュウの。 『ごめんね。 おれ……こんなカラダになっちゃった……』 俺は相棒に手を差し伸べた。 グローブ越しにも、炎を纏ったその身体は熱かった。 でも、そいつは間違いなくリュウなのだった。 俺の相棒。 間違っても、ディクなんかじゃない。 俺はリュウを抱き締めてやった。 他にどうしようなんて、思い付くことができなかった。 抱き締めた相棒の身体は、燃え盛る炎そのもののように熱かった。
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