「ボッシュ、おかえり!」 玄関をくぐると、エプロン姿のリュウがにこにこと出迎えた。 俺はそっけなく、ただいま、と言った。 ショルダーポーチをリュウに押し付けて、ジャケットを脱いで、これもリュウに放り投げて渡した。 リュウは以前みたいに「自分でやりなよ」とか生意気を言う事もなく、にこにこしながら甲斐甲斐しく受け取って、ごはん食べる? と訊いてきた。 「先にシャワー」 「うん」 リュウはぱたぱたと奥へ行ってしまった。 それからまた戻ってきて、ドアの隙間から顔だけ出して、言い忘れてたけどお疲れ様、と言った。 なんでこんな新婚さんみたいなことになってるのか、詳しいところは俺も良くわかんなかったけど、今日から俺はセカンドに昇格してこの中層区で任務についている。 居住区のほとんどは浸水して人の住めるところじゃなくなっていたが、放棄された区画のほかに、まだ少しだけ生き残った住宅街があった。 俺は今そこに間借りしている。 セカンドの担当エリアは主にこの近くだったから、部屋を借りた方が通勤に便利なのだ。 そんで、リュウ。 こいつは相変わらずサードだけど、仕事はサボリっぱなしだ。 もう除名されてんじゃねえの? リュウが言うには、仕事に出たらまたバイオ公社が回収しにくるだろうから、基地には行きたくないんだそうだ。 通勤拒否ってやつだ。 「……おまえ突っ返したら、俺は次はファーストに昇格かね」 「ええっ?!」 「冗談だよ、バーカ」 俺はリュウを小突いた。 んなことするわけねーだろってのが、わかんねーもんかね? 俺はオマエが大好きなのに。 「今日の晩飯なに?」 「魚」 「……ああ、また釣り。好きだね、オマエ」 辛気臭いというか、じじくさいというか、リュウはどうやら釣りが趣味なようだった。 水没した放棄区街に出掛けて行っては、水棲ディクを釣ってくる。 「……ねえボッシュ、魚ってどこから来るんだろう? こないだまで街だったのに」 「さあな。進化したんじゃねーの。野良ディクとかが」 「うーん……」 本気で考えて悩んでいるらしいリュウにどうでもいいって感じで肩を竦めて、俺はシャワールームに向かった。 そしてふと思い付いて、 「……なんならオマエ、一緒に入る?」 「……え?!」 「ジョーダン」 途端に耳まで真っ赤になってしまったリュウをほったらかしにして、俺はシャワールームに入った。 なんかあいつ、ホントに純過ぎ。 そこが可愛いんだけど。 リュウは、見慣れた姿とは微妙に変わっていた。 銀髪に、暗いところで光る赤い眼。 綺麗なアルビノだ。 リュウはとてもその姿を恥じていたようだったが、俺は割と気に入っていた。 前の地味カワイイって微妙な姿も捨て難かったが、今だって、なんでコイツはこんなに綺麗な身体を恥じてるんだって、俺は心底不思議だった。 俺が昼間仕事に行ってる間、リュウは家を掃除したり、魚を釣りに行ったり、商業区に買い物に行ったり、あとはなんだか良くわかんないけど、二ーナ(生きてたらしい。あのガキはしぶといな)に付き合って最下層区の探検をしたり、そんなふうなことをしてるらしい。 おれたちだってわからないように変装するのはとても骨が折れたよ、とリュウは言った。 一日の終わりに晩飯を一緒に食いながら、リュウは今日一日の出来事をとても愛おしそうに話した。 飯の最中に喋るなと俺が窘めてやっても、それでしばらくは黙るのだが、また喋り始める。 なんだかニーナよりも物分りが悪い。聞き分けが悪いというか。 俺はそのうち諦めて、適当な相槌を打ってやることにした。 まあリュウに喋らさせるのも嫌いじゃない。 無口で辛気臭い面を見ているよりは随分良かったし、俺はリュウの話が割と気に入っていた。 そんなある晩のことだ。 「じゃーん」 「…………」 じゃーんってなんだよ、と俺が目だけで冷たく突っ込んでも、リュウは全く気にした様子なんかなく、新しいエプロンを掲げて見せた。 そしていそいそと装着。 俺は訳がわからないまま見ているしかない。 「これ、制服ー。おれ、クリオさんの道具屋でバイトはじめたんだよね」 びっくりした?とリュウは訊いてきた。 俺は、一応頷いてやった。 確かに急になんだって感じだ。 「看板……娘じゃないから、看板息子?」 「なんだそりゃあ」 「いや、ただの雑用なんだけど」 そう言って、リュウは照れたみたいに笑った。 「おれもさ、ボッシュが仕事してるんだからって思って、働きたいなあって。おれ頭は悪いけど、道具のことなら良く知ってるし」 「……いーんじゃねーの。給料入ったら奢れよ」 「もちろん」 リュウはにこにこしている。 嬉しそうだ。 仕事ってそんなに嬉しいもんだっけ? まあ、コイツは真面目な奴だから、知らないけど。 「俺様の買い物は割引しろよ」 「もちろん」 リュウは、きずぐすりが少なくなったら覗きに来てね、とにっこりした。 セカンドの簡易詰め所で、それは結構話題になっていた。 生き残った商業区にあるクリオの道具屋に、ものすごくキレイな銀髪の美少年がいるとかで、きゃあきゃあと騒いでいるのは勿論女だ。 男が騒いでたらぶん殴る。当然だ。 その話題の美少年とやらは、まるでレンジャー顔負けの(ていうかレンジャーだし)道具の知識を持っていて、笑顔がカワイイとか優しい雰囲気が素敵だとか、真っ赤に透き通った瞳がとても綺麗だとかで、案の定下世話な話題の中心になり掛けていた。 どこの子かしらとか彼女いるのかしらとか、そういうのは女だけの詰め所でやれよ。 女子専用じゃないぞここは。 ていうか、なんで俺にそーいう話題を振るわけ。 セカンドには結構女レンジャーがいて、何かにつけて俺に構ってくるのだ。 なんでか知らないが、ああ、俺が格好良いから? モテる男は困るな。 別にどーでもいいんだけど。 で、どうやらその話題になってる道具屋には、きずぐすり一個買うためだけに長蛇の列ができているらしい。 ……まあ、噂の中心はリュウのバカなんだろうけど、あいつこんなとこで話題になってて平気なわけ? 多分ちょっと危機感とかズレてんだろうな。 あいつは元々ローディー気質なんだから。 いい時間だし、そろそろ帰るかと書類の束を片していると、詰め所の入口付近からキャーとかギャーとかいう女の悲鳴が聞こえてきた。 俺は何事だとひょいとそっちを覗いて――――バサバサと書類を取り落とした。 「こ、こんにちは」 そこにはリュウがにこにこして、少々居心地悪そうにして突っ立っていた。 「あのー、ボッシュ=1/64、まだ帰ってないですか?」 おずおずと言った調子で近くにいる奴に聞いて、それから首を巡らせて、俺の姿に気付いた。 そして、にこっと笑った。 「あ、ボッシュ! おつかれさま、一緒に帰ろう」 (アホ――――――!!) 俺は心の中で叫んでいた。 このバカ、一体どういうつもりでレンジャーのうようよいる詰め所なんかにのこのこ入ってきてるんだ?! おまえサボリ魔だろ。 もしかしたら上から、半分お尋ね者みたいな扱いも受けてんじゃねーのか? リュウはさっぱり分かってない顔で、俺を見て、何か怒らせるようなこと言ったっけ、とちょっと不安そうに首を傾げた。 「バ――――カ」 「いたっ」 俺が額を弾いてやると、リュウは頭を抑えて、恨みがましい声で「なにするんだよ」と言った。 「何するんだよもなにも、おまえはそこまでアホだったのか? ふつー後ろ暗いところがあったら、レンジャーの詰め所なんか来ないだろ」 「……大丈夫だよ。おれがおれだってわかってくれる人、もうほとんどいないし」 「確かにそうかもしれないけど」 「それに、おれさあ……こういうの、ちょっと夢だったんだけど」 「ハア?」 「うん、まあ。おれが自分の仕事を終わらせて、ボッシュを迎えに行って、一緒に帰るっていうの。おれはサードから上には行けないから、こういうことができたらなあって、ちょっと憧れてたんだけど……」 俺は恥ずかしそうに俯いて言うリュウを横目で見ながら、まあ勝手にすれば、と言った。 好きにすればいいよ。 実際、ちょっと嬉しいし。言わないけど。 「たださあ」 「ん?」 「変なのにのこのこついていくなよ」 「……人のこと子供扱いしないでくれる?」 リュウがふてくされたような顔になった。 俺は調子付いて、だっておまえガキだもん、と言った。 「おまえまだ全然ガキ」 「えー……。そんなことないよ。ひどいやボッシュ」 「お子様。だから、ガキはガキらしく、ほら」 俺はリュウの手を取って、引っ張って歩いた。 「こけんなよ」 「子供じゃないよ」 リュウはまたそう言って、笑った。 「でもこーいう時だけなら、おれガキでもいいや」 「なにそれ」 おれとリュウはしばらくくすくす笑いながら、水辺の道とも呼べない道を歩いた。 やがて笑い声を引っ込めたリュウは、穏やかな顔をしてぽつりとこう言った。 ああ、もうおれの一生って、幸せなことばっかりしかないんだ、と。
共働きで新婚さん。
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