リュウは、ゆっくりと終わりはじめていた。 気付かないくらい緩慢に、だが確実に死はリュウに食らいついて掴んでいた。 もう声も聞けなくなった。 ただ、俺が出掛ける時になると、「行ってらっしゃい」とかいうふうに笑うのだった。 ――――妙なことに、俺はリュウがそうなってしまってからの方が、あいつの声が良く聞こえるのだった。 変な話だ。 終わりは近付いてきていたが、俺はそれを見ないふりをしていた。 リュウはまだ生きているんだから。 「や。探しましたよ」 詰め所からの帰り、俺はあの男に出会った。 白衣を着ていないので最初は誰だかわからなかったけど、顔に見覚えがあった。 リュウをあんな身体にした、あいつだ。あの研究員。 「セカンドレンジャーだったんですね。や、ごくろうさまです」 「……世間話なんかしに来たんじゃないだろ? なに? 俺探してたの」 「ええ、というか、実験体をですね。回収しにきました」 「ハア?」 俺は肩を竦めて、今更なに?という仕草をした。 「二ーナはどこです?」 「あの変なディクのガキ? もう帰ったんじゃなかったの? 知らないけど」 「では、アジーンの行方を知りませんか?」 「ハア?」 「あなたの手元にあると踏んだのですが。商業区で、アルバイトをしているところは見掛けたのですが、何せ人が多くて」 「ああ、あいつなら――――リュウならいるけど」 俺は頷いた。 ていうか姿を見たって言ってるんなら隠しても無駄だろうし、あいつはもう死に掛けてるんだから、どっちにしろ同じだ。 だから目立つなって言ったのに、あいつ。 「でももう半分死んでるよ」 「や、困りましたね……」 「で、何なの。俺、忙しいんだけど」 「単刀直入に言いますとね、あれを返して欲しいんですけど」 男は、眼鏡を直した。 「バイオ公社から、しかるべき恩賞があります。このまま放っておけば、あれはただの廃棄物になってしまいます。ラボでなら、まだ再生が可能です」 「ふーん……」 俺は腕組みをした。 「あいつ、生き返るの」 「はい。再生処理を施して初期化すれば、再起動しますよ。今度はD検体の意識など、余分なものは排除できるでしょうし」 「は?」 「や? 言ってませんでしたっけ。あれはイレギュラーなんです」 男はさも当然のように言った。 「戦闘実験体の処理に非常に時間が掛かりますし、なんにしろプログラムに人間の意思が紛れ込むなど、元々あってはならないことなのです。暴走しやすくなりますから」 「戦闘実験ってなに」 「……あなたなら構いませんか。まあ、同種の実験に使われた被検体と、平たく言えば殺し合いをさせてデータを採るのですが」 「……あいつ、そういうの平気なの? ディク殺すのでも手間取ってたのに」 「最初は。しかし、もう慣れたようで……」 俺は、そいつをぶん殴った。 こいつら、リュウに何させてんだ? あいつは弱いんだよ。 へタレだ。 なにせナゲット一匹片付けることさえ、もたもたしてる奴だ。 そのあいつに、人殺しだと? 吐き気がするくらいに面白い冗談だ。 男は倒れたまま、眼鏡を直して、上半身を起き上がらせた。 「しかたなかったんです! 我々も、上に言われておりまして」 「上ってなんだよ」 「……中央省庁区の統治者がたです。この実験は彼らの意思です」 俺はさあっと頭に血が上るのを自覚した。 そう言えば、親父は最近忙しいって言って中央省庁区から帰って来ない。 親父の仕事を、俺はあの人がなにをしているのか知らない。 「……それで、あいつは……」 「……残念ながら、事故でD検体の精神は損傷しています。リンクしたものの意思と混じって、おそらくは消える。それは、我々にもどうにもできません」 「…………」 「今まで持ったというだけで、奇蹟だ。君は一体どんな処置をしたんです? 信じがたい」 「……リュウ、消えるの」 「はい。正確には、彼の精神はリンクしたアジーンそのものになって、消える訳ではないのですが。変質というか」 「あっそ」 俺は研究員を置いて、歩き出した。 後ろから、なおも声が追い縋ってきた。 それ以上何も言うなよオマエ。殺すぞ。 「しかたないんです! 彼は、我々にしか救えない。せめてアジーンだけでも……」 俺は一旦足を止めて、歩き出した。 リュウは消えて、他のものになるらしい。 あいつの顔で喋って、もしかしたら笑って、飯食って、そんなふうになるらしい。 「……あいつ、そうなったら俺が殺す」 俺は何でもなく、平坦に宣言した。 「俺はアジーンなんか知らないし、リュウは他の誰にもならないし、俺がそんなことさせない」 そして、言った。 「あいつは俺の相棒だ」 ◇◆◇◆◇ 「ただいまー」 気だるく言いながら、俺は鍵を開けて玄関に入った。 リュウは寝室のベッドの上で相変わらず寝てて、「おかえり」と言いたいふうに微笑んだ。 ぎこちなくて、それは日に日にどんどん弱くなっていく笑顔だった。 「風呂入ってくる」 「…………」 リュウはぱちっと瞬きをして、頷きを表現した。 「今日はさあ、後で身体拭いてやるよ。水なら最近、腐るほど供給されてるし」 「…………」 「安心しろよ。変なトコは触らないから。……いや、触るかもしれないけど」 「…………」 リュウが、困ったように微笑んだ。 そこは笑うところか。 痩せ細ったリュウの身体を濡れたタオルで拭いてやってから、俺はまじまじとその体を観察した。 やつれているけど相変わらずキレイな銀髪と赤い眼。可愛い顔。 こいつ、前はあんなに地味だったのに、今は結構人目を惹くくらいにキレイだ。 イメチェンってやつか? 本人はこの姿を嫌っているようだったが。 リュウは、「恥ずかしいからあんまり見ないで」と言いたいふうに目を伏せた。 もう顔も赤くならない。 虚ろな目と、弛緩した無表情だ。 口元の涎を拭いてやって、俺はリュウにキスをした。 「……なんか、俺もっとちゃんとおまえとエロいことしたかったんだけど」 リュウが、何言ってんの、と言いたそうな目をした。 こんな身体触っても、なにも面白くないだろ、ボッシュ。 そんなふうなこと。 「こことか、さあ」 リュウの尻に触って、性器を撫でて、それから肛門のあたりをなぞって、そうするとリュウがちょっと切なそうな顔をした。 それは俺を刺激してくれた。 「なんか俺、マジでヤリたいんだけど……!」 勢い良くベッドにリュウを押し付けて、胸板を吸って、だけど俺はそのあんまりの冷たさに、その先を続けることができなかった。 離れて頭を振って、 「……わりー」 「…………」 リュウはきゅうっと目を閉じて、いいよ、みたいにちょっと微笑んだ。 もう表情も動かないくせに、ちょっとだけ涙がその目尻を伝った。 ……泣きたいのは俺だバカ。 ◇◆◇◆◇ 照明が落ちて、人工の夜がきた。 リュウはもうほとんど呼吸をしてなくて、心臓も止まっていた。 ただ生きているだけだった。 だけど、たまに俺に笑い掛けた。 なんでそんなふうに、死に掛けながら俺に笑い掛けることができるのか、正直俺には良く分からない。 なんだか別のものに取って代わられちゃうとか、死んじゃったりとか、怖くないのオマエ。 「ホラ、もう寝ろよ」 俺は子供にするようにリュウの頭を撫でてやった。 リュウは、へにゃ、と気の抜けた笑顔を浮かべて、ゆっくりと目を閉じた。 もうこいつは限界に見えた。 きっと、次もう目を覚ますことはないだろう、と。 俺は、きっとリュウも、理解していた。 「じゃーな」 おやすみのキスなんて恥ずかしいもの、生まれてこのかた誰からもしてもらったりしたり、そういったことはなかったけど、俺はリュウのほっぺたにキスをして、それから唇を吸って。 「おやすみ」 「…………」 リュウは微笑んだまま、目を閉じた。 ◇◆◇◆◇ 夜も更けた頃、まどろんでいた俺は目を覚ました。 レンジャーの俺が眠りの最中に目を覚ます理由ってものはひとつだけだ。 危機感。敵がそこにいるっていう、ひたひたと迫る気配。あとは、――――なんだろう? 圧倒的な、人間の力なんかではもうどうにもならないものがそこにあった。 「……リュウ?」 眠気なんか一発で吹き飛んだ。 声を発することができないリュウの口から、びゅうびゅうと聞こえる風を切るような音。 それは呼吸なのか、それとも別のなにかなのか、俺はしばらく判別できなかったが、やがて似たようなものに思い当たった。 (……ディクの、鳴き声?) 「リュウ?」 俺はリュウの顔を覗き込んで、ぞっとした。 背中が泡立った。 俺は、恐怖を感じていたのかもしれない。 何に対してのものなのかは分からない。 リュウの身体には、発光する異様な光の筋が浮き出ていた。 例えようもない、見たこともない模様が、全身を余すところなく覆っていた。 リュウは目を開いていて、虚ろに天井を見ていた。 そして俺と目が合うと、いつものにこっとした顔で微笑んだ。 声は聞こえなかったが、唇が動いた。 動きを読んでやるとそれは、……ごめんね、だ。 「おまえ、なんだよ、それ……っわ!」 リュウの身体に触れようと俺は手を伸ばしたが、それは叶わなかった。 リュウはひどく熱かった。 まるで燃えている炎みたいな熱を持って、俺の方を見て、ちょっと申し訳無さそうな顔をした。 ……なんでおまえがそんな顔をするんだよ! 「リュウっ!!」 それと、同時だった。 リュウの背中から、尖った羽根のようなものが突き出してきた。 柔らかい皮膚を易々と突き破ってきたそれは、尖った骨だった。 翼の骨格のように見えた。 ところどころに鱗が張り付いていて、まるで中途半端なところで孵った雛みたいな様子で――――リュウの中から、生まれてきた。 (なんだっていうんだ!) 生まれるってなんだよ。 何がだよ。 俺は呆然としていたが、目の前のリュウは俺の顔を見たままゆるゆる首を振った。 まるで、仕方ないよ、と言っているふうな感じで。 あと、変なものを見せてゴメン、とでも言いたそうな、申し訳無さそうな顔。 「仕方ないって、おまえ……リュウ!!」 はじめは骨でしかなかったそれは、徐々にうっすらと膜が張り、血管が巡りはじめた。 それは、リュウを食っていた。 食い散らかしながら、自身を修復していた。 「リュ……」 俺は、怖かった。 なにかになってくってのは、こういうことだったのか? 俺は 『ボッシュ?』 俺は、耳を疑った。 声が、聞こえた。 『ああ、やっと追い付いたあ……。早いよ、ボッシュ。ほんとにひとりで先に行っちゃうんだから……』 俺は、どこかおかしくなってしまったのだろうか? リュウはあの頃――――俺と一緒にサードレンジャーとして任務について、リフトの発着駅で後から俺に追い付いた時と同じ調子で、ボッシュはせっかちだよ、と言った。 『ゼノ隊長、まだ話があるって言ってるのに全然聞いてないし。おれが怒られたじゃないか』 リュウは辛気臭い顔をして、ぼそぼそと言った。 それは遭って間もないころのリュウだ。 あんまり笑わない、陰気臭くてうっとおしいローディーのサードレンジャー。 リュウは、俺の相棒は、そうしてちょっとばつが悪そうに俯いた。 『確かにボッシュは強いけどさ。こういうの、良くないよ』 そこで俺が言ったのは、『ローディーのくせに口答えするの、オマエ?』だったはずだ。 リュウは目に見えてもっと顔を暗くして、確かにおれはローディーだけど、と言った。 『……おれ、いつもボッシュに迷惑掛けてばっかりだけど、このくらい言うよ』 『あっそ。まあいいけど、足手まといになるなよ。』 記憶の中の俺は、そんなことを言った。 『なんとか頑張るよ、おれ。……ほんとはずうっとボッシュに憧れてたんだ』 それ、後ろ半分は聞いた覚えがない。 あの時オマエがそう思ってたこと? 『なんで相棒なんかに選ばれたんだろうなあ……。おれとボッシュじゃ全然能力なんか違うし、……最上級と最下級で、パワーバランスの調整っていうやつなのかな。でも、まあいいや。ボッシュと一緒に仕事なんて、すごいことだよ』 リュウは、うんうんと頷いた。 リュウの目は俺を見ていない。 遠いほうを奇妙な真剣さでもって、まるで今からサードの任務に出向く時のようなぴりぴりした感触を纏わせて、それからにっこりした。 『ほんとに、頑張らなきゃ。……嬉しいなあ、ボッシュと一緒にいられるんだってさ』 『名前、覚えてくれるかな? まだローディーしか呼んでくれないけど』 『ああ、また怒られた……。おれ、やっぱり役立たずなんだなあ』 『ボッシュは結構意地悪だ』 『……でも、やっぱり格好良いなあ』 『おれ、ほんとは……』 リュウがそうして言った言葉は、おれ、ほんとはボッシュのことが好きなんだ、だ。 俺は、いつのまにか泣いてた。 なんで泣くのかわかんなかったけど、ともかく何でもいいから、リュウに言ってやりたかった。 こいつの欲しがってる言葉ってやつを掛けてやりたかった。 だけど俺は人のことなんて考えたことは一度もなかったので、何と言って良いのか全然分からなかった。 「俺……」 声がわなないて、うまく言葉が出て来ないけど、それでもどうにか、俺は口を開けた。 「俺さあ、昔からわりとひとりで何でもできて、俺の親父は完璧じゃなきゃ何にも許せないって人でさ。結構大変だったけど、おかげで同期の奴らなんかよりずうっといろいろ出来るからって、俺はあいつらみたいなのと違うって、関わるだけ無駄だって思ってたわけ」 何言ってるんだ、俺は。 こんなことリュウに聞かせたって何にもならないだろ。 「だから、おまえが相棒って決まった時も、何この地味な奴って……。俺が守ってやらなきゃすぐ死にそうでさ。ていうか、俺ホント言うとまともに誰かと共同生活なんかするの初めてで、さっぱりワケわかんなかった。おまえは何言っても全然平気そうな顔して笑ってるし、何こいつ、頭悪過ぎって」 違うだろ。 バカか? こんな時まで苛めてやってどうすんだよ。 「俺、人がそばに寄ってくるって、駄目なんだ。大嫌い。でもオマエ、あんまりいっつもニコニコニコニコしてるし、かと言って俺に媚びてる訳でもないだろ。どーすりゃいいんだこいつって……。それが不思議と苦しくなくなってきて、ああ俺も慣れたのかなーって思ってたんだけど、違うんだ」 で、結局何が言いたい訳、俺。 「おまえは特別だったんだ。近寄ってきても息苦しくないし、割と他のレンジャーに比べて手は掛からないし、結構顔も可愛いし、地味だなあって思ってたけど、おまえ笑うとすっげえ可愛いって自分で知ってた? いつか言っただろ、おまえ俺のハーレム入り決定って。あれだって、別に冗談って訳じゃなかったんだよ、おまえ笑ってたけど。なあ、リュウ」 俺は、リュウに笑い掛けた。 いつもの人を馬鹿にするためのものじゃなく、ただ俺はそうやってリュウみたいな顔は上手く作れなかったから、きっとぎこちないものだったに違いない。 「俺、おまえが好きだったんだ。ローディーでどんくさくて弱っちくてへタレで、それでも全然好きだ、このバカ」 リュウの返事はなかった。 そして―――― その身体から生えてきたごつごつとした腕が、リュウの身体を貫いた。 リュウから心臓を奪おうとするように、胸の辺りに爪を突き立てたまま、わし掴みにした。 リュウの目から、生きた光が消えた。 「……っあああああっ!! リュウっ! リュウううぅうっ!!」 俺は泣きながら叫んで、リュウから鱗がびっしりと生えた爬虫類めいた腕を引き剥がそうとした。 そのものが炎のように熱くて、赤く焼けているそれを掴んだだけで、俺の手は火傷を負った。 だが、俺は止めなかった。 無駄だし無様だと俺の頭は分析してたけど、俺そのものはその馬鹿馬鹿しい行為を止めてしまうことができなかった。 俺は絶叫した。 確かそれはリュウの名前だったと思う。 だけどもう相棒からはなんにも返ってこなくて、赤い火の腕は相棒を食い荒らし、俺は馬鹿みたいに泣いていた。 そうして―――――― 「……あ」 俺の目の前で、リュウを突き破り生えて、リュウを貫き、食い尽くしたそれはゆっくりと固くなって、動かなくなって、音もなくさらさらと砂になり、溶けていった。 目の前は真っ赤だった。 俺のそばには、さっきまでかろうじてリュウだったものが横たわっていた。 これが、終わりだった。 圧倒的な、抗いようのない死だった。 俺は―――― 俺はリュウの身体を抱えて、すぐに家を出た。 商業区に残った、数少ない水没していない街の瓦礫の上で、俺は叫んだ。 「出てこいよ! 監視してるんだろ、俺を!」 俺は何をやっているのかも、もうわかってなかった。 リュウの死骸を抱いて、さっきまで泣いてたせいで目がひどく熱い。 そして、また叫んだ。 「出てこいおっさん! リュウはここにいる!」 ほどなくして、俺の前にあの男が現れた。 眼鏡で金髪の研究員だ。リュウをこんなにした。 俺はリュウを抱いて、そいつに差し出した。 俺は――――ボッシュ=1/64は、こんなにプライドのない真似を出来る人間だったろうか。 ああ、無性に死にてえ。 「……リュウは生きてる」 俺の声は震えていた。 それは懇願を混じらせたもので、ひどく屈辱的だった。 その男は頷いて、リュウの華奢な身体を受け取り、そしてそこですべてが終わった。
へタレなエリートが好きなんですが……。
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