その日入った任務は、電力供給ビルでバイオ公社スタッフの警護なんて皮肉な仕事だった。 何をやってるか知らないけど、大規模なトリニティの襲撃が予想されてるって話で、レンジャーの大隊が警備についた。 俺は―――― 「ボッシュ、どこ行くんだ?」 「サボリ」 「……もうすぐファーストに手が届くってのに、冗談だろ?」 「平気平気。バイオ公社の仕事なら、俺あいつらに貸しあるから」 「……そーいうことね。ま、しょーがないか。それじゃ」 同期のレンジャーが、いいなあエリート様は、と諦めたように肩を竦めて、向こうへ行った。 どうやら機密性の高い物資をバイオ公社から運んでくるらしく、リフト乗り場から警備の数が尋常じゃない。 ばたばたしているレンジャー隊員とは逆の方向に進みながら、俺はどこへ行くともなく上層区の街を歩いた。 どうやらよっぽどの大掛かりな実験らしい。 いつもは暇そうな警備兵が行ったり来たりしているエレベーターシャフトも、あいつら駆り出されて電力供給ビルに出向いてしまったようだったから、通行禁止の札が立て掛けられて閉鎖され、人気がない。 俺はIDを通して扉を開けて、電力の落ちているライフラインに入った。 扉は自動的に閉まって、ロックされた。 サボリにはもってこいの場所だ。 鉄網が張り巡らされた階段に座り込んで、俺はポケットからくしゃくしゃになった封筒を取り出した。 包まれている手紙を摘み出して、広げた。 道具屋の広告の裏に、きったないへろへろの、ハオチーがのたくったような文字が、あっちこっちに行ったり来たりしながら書かれている、それはこの俺に当てるにしては無礼極まりないものだった。 さっきぶらぶらしていると、上層区まで出張していたクリオに手渡された手紙だ。 差出人はリュウだった。 手紙は推敲を繰り返した後なのか、それともただ単純に夢中になって書き殴ってただけか、結構な枚数だった。 ……ていうか、ほとんど日記みたいになってるぞ。 あの馬鹿、文法を教えてもらったら次は礼儀作法だ。 『うまにく、特価!』とか裏のインクが透けて写っている、ほとんどゴミみたいな紙切れに、リュウは俺に宛てて書いていた。 元々が無口なやつだったから、あいつはいつもだんまりだったけど、紙面では饒舌と言ってもいいくらい、まるで普通の友人同士の遣り取りみたいな調子で、俺に話し掛けていた。 手紙を書けるようになった。とても嬉しい。 リュウはそう書いていた。 アホか。 おまえは無教養なんだから、そんなものあの守銭奴に教わらなくたって、俺が教えてやるってんだよ。 それは日常の他愛無いこと――――たとえば、クリオの道具屋の商売風景とか、客としてやってくるやつらはみんな優しいとか、ナゲットを育ててるガキがいるとか、アルマの店に前から欲しかった属性強化メーザーが出たとか。 地下湖の釣りの穴場や初めて見たらしい水棲のディクが図解してあったり(リュウはそいつを魚と呼んでいたが)……それで俺は知ったのだが、リュウは絵が絶望的に下手だった。 二ーナ以下だ。 そして身体がどんどん動かなくなっていくこと、誰か、なんかアジーンとか言う奴の声が聞こえるってこと(終わってるぞ)そいつは割と良いやつだ、とかなんとか。 ……ていうか、オマエの体を乗っ取ろうとしてる奴だろ。 これ以上極悪な奴っているのかよ。 そんなつまんないことばっかり、ものすっごい汚い字で、ガキ以下のヘタクソな絵で、書かれていた。 ほんっとに不器用だ。 リュウの使った「ゴメン」を数えてやりながら(全部で14個あった。あいつは謝ってばっかりだ)俺は笑ってやろうと思ったが、何故かそれができなかった。 俺の目は難しい本を読んでる時よりも行ったり戻ったりうろうろして、その封筒に収まる程度の手紙の束を読み終わるのに、大分時間を掛けた。 まるでリュウがそこにいるみたいな、そんな親しげな、きったなくて仕方ない手紙を。 ふと、ゴーグルのライトと燐虫だけだった暗闇に、赤い光がぽっと灯った。 俺はゆっくりと顔を上げた。 はるか上空でふわふわと飛び交う青白い光の中に、それよりも大分大きな、炎の赤。 それは一瞬ぱあっと光っただけで、すぐに弾けて消えてしまった。 俺は立ちあがって、かんかんと乾いた自分の足音を耳に聞きながら、階段を駆け登り始めた。 俺は妙な既視感を感じていた。 しかし逆だ。 この階段を駆けてきたのはあいつ。 俺じゃない。 あいつはきっと、今の俺と同じように、焦燥、もし誰もいなかった時の為に用意された落胆、あとは上擦った期待、いろんなものをごちゃまぜにしたものを胸に抱いていたんだろう。 最後の階段を上りきると、俺は目の前にありえないものを見た。 「……リュウ」 リュウがいた。 その姿は俺の相棒だった時と寸分違わず、紺色がかった髪と、目と、それらと揃いのレンジャージャケットを着ていた。 伸びて長くなって、訓練の邪魔になる髪は頭のてっぺんで括られている。 リュウは、手摺りにもたれて燐虫を眺めていたが、俺が現れると「なんでこんなところにいるの?」と言いたそうに、きょとんと首を傾げた。 ……それは俺のセリフだ馬鹿。 しかし、口を開いたリュウの言葉は、全然違うものだった。 『……汝は何者だ?』 それは確かに、リュウの声帯を震わせて紡がれた言葉だった。 だが直接頭に打ち込まれたような感触があった。 人間とはほんのちょっと違う手段を使って、そいつは俺に話し掛けた。 『……我は何故ここに来た? ここはどこだ?』 「リュウ?」 『汝は何故我の前にいる。敵か?』 「ハア?」 俺はまだ信じられなくて、頭を振った。 「何言ってんの、おまえ。俺……ボッシュだぜ?」 『ボッシュ……』 リュウ……いや、こいつは違う。 俺ははっとした。 もしかして、こいつが「アジーン」なのか? 俺の目の前のソイツは、俺のことを警戒するように、じっと冷たい目でこっちを見ている。 『ボッシュ=1/64。データ照合。セカンドレンジャー。我は汝に会いにきた。そうプログラムされている』 「……ハア?」 俺はちょっと間抜けな顔をしてたと思う。 変な気分だった。 いつもヘラヘラ笑ってばっかりのリュウの顔が、こんな能面みたいな表情もできるんだってことが。 『……骨が折れる仕事だった。我は見極めなければならぬ。ヒトが空へ届くか否か。今もこうしてプログラム細部の最終調整中に、ヒトの身体に取り繕って抜け出して来なければならなかった。我は本体を、汝の目の前に晒してはならないと……これは何故だ?』 そいつは、また表情のない目で俺を見た。 『何故だ、我はずっと汝を待っていたのだ』 「俺を?」 『……汝は敵か?』 「いやめっそーもない」 俺は首を振って、敵意のないことを示した。 あんまりこいつとまともにやりあうとか考えたくない。最終兵器だし。 『……汝を見ていると、奇妙なものが我に混じり始める』 アジーン……だろう、こいつは。リュウじゃない。 そいつは、戸惑うように俯いた。 『汝……君に会えて嬉しい。おれのヘタクソな手紙なんて読んでくれてありがとう。変なこと聞かせてゴメン。あとは……優しくしてくれてありがとう、ホントはおれ、君の目の前で、君にずうっと好きだったって言いたかった。』 リュウの顔をしたそいつの目から、涙が零れた。 『おれはきっと、ずうっと君に恋をしている』 そこにあるのは、確かにリュウの泣き顔だった。 『我はこれを汝に伝えなければならなかった。だが、我が『友』は――――そう、『友』は長い間、この理解出来ぬ感情を、我の奥深くに封印していたのだ。「恥ずかしい」と。……「ボッシュに聞かれたら「ハア? 恋ってそれ、何の冗談、とか言われちゃう」と』 俺の口真似までして、その様子はリュウそのものだった。 だがアジーンの戸惑いの感情も、そこには見て取れた。 俺は―――― 俺は、「リュウ」を抱き締めた。 『さ、触るな』 「うるさいよオマエ」 最終兵器だかなんだか知らないけど、唇を塞いでやるのは簡単だった。 「リュウ」は目を丸くして、それから切なげに細めて、瞼を閉じた。 「リュウ……」 鉄網に押し倒すと、「リュウ」は何事かもごもごと力なく呟いて、真っ赤な顔をした。 「ボ、ボッ」 信じられないものを見るように俺を見て、自分の身体を見て、あの銀色の姿でないことを知って、ひどく安堵したように溜息をついて、また俺の顔を見上げて顔を赤くして。 「な、なんてことするんだよ、急に!」 「急じゃなかったらいいの?」 「そーじゃなくて! ……って、あれ?」 リュウはそこまで言ってから、はた、と疑問符を浮かべた。 「あれ? おれ、なんで……ええっと、前にもこんなことがあったような〜」 「ハア? 忘れたの?」 「ええっと、データの検索を……あれ? で、出て来ない。ていうか、検索ってナニ?」 「知らねーよ」 「ていうか、おれって誰?」 「バーカ」 俺はリュウの頭を撫でて、にっと笑い掛けてやった。 「馬鹿で能なしで、どんくさくてトロくて手際悪い、要領も悪いローディーのサードのリュウ」 「……そ、そこまで言う?」 「おまえほんっと、どうしようもないね」 俺はリュウの身体にのしかかった体勢のままでぎゅうっと抱き締めて、首元に顔を埋めて、額を押し付けた。 リュウの匂いがした。 「……泣いてるの?」 「泣いてねーよ」 「……ねえ、なんでおれも泣いてるんだろ?」 「……おまえはともかく、俺様は泣いてなんかいない」 「泣いてるよ」 「これは他の汁だ。汗とか唾液とか、くそっ」 「……ボッシュの意地っ張り」 「うるせーよ馬鹿リュウ」 リュウは自分だって泣いてるくせにそのままにっこりして、俺の頭を子供にするみたいによしよしと撫でた。 「……おまえ生意気」 「いたっ」 別に腹は立ってないが、俺は気恥ずかしくてリュウの頭を殴っておいた。
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