02:「霧のロンドン」 |
ナショナル・スクール帰りにはいつもロードに付き合って――連れ回されて、が正しいかもしれない――お気に入りのアイスクリームワゴンに寄り道して、それからコスター・マンガーの露店を冷やかすか、兄のティキが暇をしている日にはハロッズへ連れて行ってもらう。 対人恐怖症のアレンは学校で上手く友達を作ることができなかったし、ロードもおんなじ年頃の子供たちと遊ぶことに退屈していたようなので――彼女はクラスでも特別に大人びていた――大体二人でいた。 学校なんて、最初は上手くやれるかかなり自信がなかったけど、まあなんとかなっている。ロードがいてくれるからだ。 アレンがロンドン近郊のナショナル・スクールへ通い始めてから、もう二ヶ月になる。極度の人間恐怖症で、ノアの聖域に引き篭もったきり表に出られないアレンが、すぐそばに家族の誰かがいなければ軽いパニックを起こしてしまう症状は依然あったものの、信じられないくらいの進歩だ。 「ウチも良いけどさすがに退屈しちゃうよぉ」 ロードは外の世界が好きらしい。 周りは人間だらけで何が面白いんだろうと思ったが、時折、ふとすると養父と一緒に旅をしていた頃の世界が目の前に、まるで幻影のようにふわっと現れることがあった。でもマナがどこにもいない今となっては、もう全部夢のようなものだ。 「僕オレンジぃ。それからチョコミントとキャラメル。もちレインボースプレー」 「僕は……いちご。と、バニラ、ラムレーズン。僕もレインボー……」 柔らかい青緑色のワゴンで、もう顔なじみになっている金髪のキレイなメイドさんに注文を通してから、パラソルの下のベンチに並んで座って、アイスクリームを食べる。至福の時間だった。 アレンは甘いものが好きだ。食べることが好きだ。いつも家族のみんながびっくりするくらいの量の食事を、ぺろりと平らげてしまう。 でもいつまでも背は伸びなくて、ちびのままだ。最近になってようやく、年齢の割に小柄なロードに追い付いた。 「アレン、最近ちょっとぽっちゃりしてきてねぇ?」 「え?! うわっ、太っちゃった? そう言えば最近、なんかスカートがきつくなってきたんだ……」 「アハ、デブー」 「もう!」 ロードのほっぺたを引っ張ってやろうと手を伸ばすと、逆にスカートをぺろっと捲られてしまった。してやられた感じだ。 「ロード!」 「アレンのデーブ。ヨッシーパンツぅ」 「ロ、ロードだってカボチャのパンツう!」 アレンも負けじとやり返してやろうとするのだが、ロードは意地悪な顔でニヤニヤ笑ってるだけだ。 「やれるモンならやってみなぁ、ヘボアレンー」 「ヘボくな……うわっ、うわーうわーうわー!」 ぺろーん、とパンツのゴムを引っ張られて、アレンは悲鳴を上げてスカートを引き下ろした。 「お子様アレンのお尻にはぁ、まだまだバッチリ蒙古斑〜」 「も、蒙古斑じゃないもん!」 わあわあ言い合っていると、コホンと小さく咳込む気配があった。 『あれんタマ、ろーとタマ、おふたりともはしたないレロ』 『はくしゃくさま』、千年公がいつも手放さないステッキのレロだ。顔に見える部分を真っ赤にして、すごく困ったふうな様子だった。 彼(たぶん、男の子だろうと思う)はまた『はくしゃくさま』のお昼寝の最中に、ロードに勝手に持ち出されて途方に暮れているようだった。 『ろーとタマ、また伯爵タマが困るレロ……』 「あー、レロが赤くなってるぅ。えっち傘ー」 『ろーとタマあ……』 レロはしょんぼり細長くなって、ぷるぷる震えている。すごくショックだったみたいだ。 ロードは悪気なんか全然ない、みたいな顔でレロを指差して笑って、 「ね、アレ……」 アレン、と呼び掛けた口のまま、きょとんと目を丸くした。 それからふいっと空を見上げた。 アレンもつられるようにして、ロードとおんなじように目を空に向けた――もうすぐ夕暮れだ。すごく良い天気だ。空には雲ひとつ掛かっていなくて、今晩は星が良く見えるだろう。 透明な空の真中を、小さな黒い粒のようなものがすいっと横切っていくのが見えた。 あれは、なんだろう? アレンはすいっと細めた目を凝らしてみたが、良く解らない。すぐに消えてしまった。 変な動き方をしていたけど、鳥だろうか? それとも、迷子の風船? 「玩具見ーっけぇ〜」 わけがわからないでいるうちに、にわかにロードがはしゃぎ始めた。目がうきうきしている。 アレンは困惑して首を傾げた。なんだかロード、面白いイタズラでも思い付いた時みたいな顔をしている。 「ロード、なに?」 「アレン、やるぅ」 ぽい、とまだ二玉ほど残っているアイスクリームをアレンに放り投げるように寄越して、ロードは「ちょっと待ってなぁ」と言った。 「アレンー、食べ終わるまで動くなよぉ。すぐ帰ってくるから待っててぇ?」 「え、なに? トイレ?」 「あ、もし遅くなったら、先帰ってていいよぉ?」 言い置いて、ロードはさっと立ち上がって、転げるように駆けて行ってしまった。 小さな彼女の背中は、すぐに人に紛れて見えなくなった。 「ロード! 僕も行くよ! ちょっ……置いてかないでー!」 アレンは叫んだが、もうロードはどこにもいなくなっていた。姿が見えない。 両手にアイスクリームを抱えて、アレンは途方に暮れてしまっていた。 ◆◇◆◇◆ 「ロード!」 律儀にアイスクリームを食べ終わってから、アレンはロードを追い掛けて、彼女が消えた方角へ駆け出した。 街自体の大きさはそう気にならなかったが――何せアレンはマナにくっついて世界中を旅していたのだ――いくら家族とはいえ、街の中でロード一人を見付けようなんて、割と骨の折れる作業だ。 加えて日が沈むと同時に霧が出てきた。視界はすぐに真っ白になって、冷たい霧がアレンと世界を包み込んだ。 どうしよう、とアレンは途方に暮れていた。ロードの言うとおり、アイスクリームワゴンで待っていれば良かったろうか? アレンは一人じゃ家にも帰れない。 『はくしゃくさま』に生来の絶望的な方向音痴のせいだと診断されたのだが、そのせいでホームの玄関まで、上手く扉を繋ぐことができないのだ。 この前は家に帰ろうとドアを呼び出したらシルクロードに繋がっていたし、その前は確か、開けると一面の氷河の上に皇帝ペンギンがいた。 深い海の底に繋がっていたこともあった。すごい勢いで海水が溢れ出してきて、城じゅうの召使いが総出で扉を閉めたのだ。運悪くそばにいた『はくしゃくさま』も大分流されていた。あれは本当に悪い事をしてしまったと思う。 いつか取り返しが付かなくなりそうだからと、「アレンゲート使用禁止令」が家族会議で出るまでそう時間は掛からなかった。 だから、いつも誰かにくっついていなきゃならなかったのだ。 でもロードはアレンを放り出してどこかへ行ってしまった。 「ロ、ロード……」 一人になると、急に不安が込み上げてきて、アレンは目にじわっと涙を浮かべながら、元来た道を引き返そうとした。 ワゴンに戻って待っていようと思ったのだ。 でも振り返った先にあるものは、霧だ。一面の霧。真っ白で、掴みどころもない、息苦しいくらいの霧だ。 「う……」 ひとりぼっちになって、アレンは目を擦りながら歩き出した。 立ち止まっていると不安になるのだ。 夜の霧の中は静かだった。 あんまりに静かだ。何の音もない。 そのくせ、時折ぼうっとした黒い大きな影が、静かに足元に落ちる。 でも見上げてもそこにあるのは霧ばかりだ。なんにも見えない。 得体の知れない怖さが、アレンに訪れた。 アレンはお化けが嫌いだった。 怖くって仕方ない。もしかすると、人間よりも嫌いだ。 (お化けに会いませんように……!) そう祈りながらどのくらい歩いたろうか、急に冷たくて硬いものに頭からぶつかった。 アレンは尻餅をついて、涙目でぶつけた額を擦りながら、目を凝らした。 「いたたた……なにこれ」 自分の手の先も見えない濃い霧の中だったが、触った感触ですぐに知れた。 墓標だ。 冷たい石の塊には、誰かの名前が刻印されていたが、そんなものアレンが知るわけもない。 そいつとおんなじふうなシルエットが、霧の中に薄ぼんやりといくつも浮かんでいた。どうやら墓場に迷い込んでしまったようだった。 霧の夜、それからお墓。最悪だ、とアレンは思った。 こんな情景、いつお化けが出てきたって不思議じゃない。 「ロ、ロードぉ……どこいったの」 小声でぼそぼそと呼びながら、アレンはちょっと本当に泣けてきてしまった。 これだから外の世界なんて嫌いだ。 帰ったら、もうきっと表になんて出ない。 ずーっとホームにいる。自分の部屋にいる。マナと一緒に過ごすのだ。 ミッキーの「お前はもっといろんなものを見なきゃ」という正論も、「アレンは僕に任せなよぉ」と真っ先に手を挙げたロードの言うことも聞いてあげない。 アレンは軽いパニックに陥りながら、祈った。神様にじゃない。神様はキライだ。 だから、大好きな『はくしゃくさま』になのかもしれない。 (ホームのドア!) もうどこに繋がってたっていい。 繋がる先がホームじゃなかったら、何回だってやり直せば良いだけだ。 それに、もし前みたいに変なところ――例えば深い海底――に繋がっていたとしても、何かしらの目印になるはずだった。ロードや他の家族が迎えに来てくれるかもしれない。 「でっ……」 出てこい、とアレンは呼ぼうとした。 でも、急にすぐに後ろでからっと石が崩れる音がしたから、硬直してしまった。 誰かいる。 すぐ後ろに、誰か、いる。 |