04:「医療施設の夜」




 命に別状はない、と大きい男の人が言った。
「じきに目も覚めるだろう」
「あーあ、また神田のやつ、師匠のお仕置き決定じゃん」
 医療施設に着くと、男の人は二人共ほっとした顔になって、来客用のソファにぐだっと沈んでいた。余程心配だったみたいだ。
 アレンは彼らから少し離れて、大人用のダイニング・チェアに座って、看護婦さんらしい女の人が入れてくれたココアを飲んでいた。甘くて、美味しい。少しほっとした。
「君のおかげだ。感謝する」
 大きい男の人が急に話を向けたので、アレンはびっくりして噎せてしまった。
「あーあー、おっさん、怖がられてんだからもうちょっと気ィ使ってやれってば。噎せちゃったじゃん」
「いや……」
「ごめんなー、悪いおっさんじゃねえんじゃん。お嬢ちゃん、名前は?」
「うぐ……」
 小柄な男の人がやってきて、背中をさすってくれた――のは良いが、アレンとしてはとんでもないことだった。
 顔を真っ赤にして硬直していると、男の人はアレンの顔を覗き込んで、そーか怖いか、と言った。
「お兄さんなんもしねェじゃん」
「か、か、かぞくのほかの、おとこのひとに、さわると……っ」
 アレンは俯いたまま、途切れ途切れに、必死に言い募った。
「あ、あかちゃんできちゃうって、いもうとが、いってました……っ!」
「へ」
 小柄な男の人はぽかんとした顔になって、それから後ろの大きな男の人と二人で顔を合わせて、苦笑いしながら肩を竦めた。
「……いや、そーいうのはお嬢ちゃん、もっと複雑な手順が」
「デイシャ! 子供に何を教えてる。探索部隊に女性は……いなかったな。君、すまない、もうしばらく我慢してくれ。すぐに家族と連絡を付ける」
 その言葉を聞いて、アレンは抑えていた涙がぽろぽろ零れてきた。
 男の人たちは、二人してぎょっとした顔になった。
「……ぼ、僕、かえれるですか?」
「え? あ、ああ。君、スクール生だろう? 学校に連絡を取って、ご家族の方に迎えに来てもらおう。だから、名前を教えて欲しい。大丈夫か?」
 アレンは何度も頷き、しゃくりあげながら、優しい話し方をする大きい男の人に言った。
「あ……レン、アレン、ウォ、カー」
「ウォッカ?」
「う、ウォー、カー……」
「……セント・メアリ校のウォーカー?」
「……? はい……」
 男の人は、また二人で変な顔をして顔を合わせた。
「……お嬢ちゃん、もしかして、妹の名前は『キャメロット』って言うんじゃん?」
「え? ロードを知ってるの?」
 アレンはきょとんとして顔を上げた。男の人たちは肩を竦め、「やれやれ」と言い合っている。
「いや、たまたまだよ。わかった、ありがとう。すぐに連絡する」
「もうじき迎えが来るからさ、ゆっくりしてりゃ良いじゃん」
 そう言って、小柄な男の人が、アレンの頭をぽんと撫でた。
 アレンが固まってしまうと、また大きな男の人が、窘めるみたいに言った。
「デイシャ! やめてやれ」
「オレ子供好きなんじゃん? ホントホント。フツーのコってのはこういうのの方じゃん。神田が可愛く無さ過ぎるんじゃん」
「まったく……すまないな、君」
 アレンはふるふる首を振って、ぎゅっと目を閉じた。早く帰りたい。
 でも、さっきの男の子は、ほんとにもう大丈夫なんだろうか?



 夜が更けても、誰も迎えに来なかった。どうやら、スクールの機能はすでに停止しているらしい。
 朝まで待たなきゃならないんだっていう。それまで知らない男の人だらけの場所で待ってなきゃならない。
 アレンはちょっと泣きそうになったが、一人で出掛けてまた迷子になるのは怖かった。待ってさえいれば、きっと誰かが迎えに来てくれるのだ。
 知らないうちに余程疲れていたみたいだ。
 アレンがダイニング・チェアの上で眠り込んでしまうまで、そう時間は掛からなかった。



 目を開けると、辺りは薄ぼんやりしていた。テーブルの上に、蝋燭が弱々しく灯った粗末なランプが置かれていた。
 アレンは起き上がって、椅子から降り、身体に掛けられていた毛布を引き摺って歩き出した。
「……ミッキー、おしっこ……」
 目を擦りながら兄を呼んでも、顔を見せてくれない。お仕事で遠くへ行っちゃったのだろうか?
 こういう事態においては、ロードはあてにならないし――ロードはアレンが夜中に起きだして、一人でトイレに行けなくて、部屋のドアの前でぐずっていても目を覚ましてくれない。
 それこそ、ほんとに何をしても起きない。ロードは一度寝たら、朝が来るまで絶対に起きないのだ。
 ずるずる毛布を引き摺りながら、廊下を歩いていくと、突き当たりの部屋のドアから微かに光が漏れていた。
 アレンはふらふらとドアの隙間に身体を押し込めて、兄を呼んだ。
「ミッキー? にいさん……」
「あ?」
 面食らったような声が降ってきた。部屋中なんだか苦い、つんとした匂いがする。薬の匂いだ。
 アレンは目を擦りながら、ね、と言った。
「ついてきて、おしっこ……」
「……は?」
「おばけがでたら、こわいです……」
「な、なんで俺がそんなこと……」
 声には困惑した様子がありありと見て取れた。アレンは首を傾げて、へんなの、と思った。
 ミッキー、兄さんはいつもなら、「ハイハイ」と二つ返事でついてきてくれる。アレンのお願いなら何だって聞いてくれるし、優しい。
 へんなの、と思いながら、アレンはまたじわじわと襲ってきた眠気に抗えず、その場でぱたっとうつ伏せに倒れ込んで、目を閉じた。
「……そして寝るのかよ」
 困惑しきった声が降ってきた。
 アレンは夢うつつのおぼろげな意識で、ああこれミッキーの声じゃないなあ、と思った。



◇◆◇◆◇



 さっと薄い日差しが差し込んできている。朝の光だ。
 アレンはふわふわした意識の底で、なんだか変だなあ、と思った。
 最後に、目覚めと共に太陽の光を見たのは、いつの頃だったろうか? 城は、いつも柔らかい夜で包まれている。
 なんだかマナと旅をしていた頃みたいだ。
 くすぐったい気がして、アレンは少し微笑み、きゅっと目を瞑り、そして――


 目覚めた先には、すごく怖い顔をした男の子がいた。


「ひゃあああっ!」
 アレンは悲鳴を上げて飛びずさった。頭の中は真っ白だ。グルグルで、グラグラだ。
 だってさっぱり訳が解らない。目を開いたらいきなり男の子が目の前にいるなんて!
「どどどどど、どうしてっ? いやっ、僕なんもしてない――
「どうした! 何があった?!」
 ばん、と部屋のドアが開いて、見知った顔が現れた。大きい男の人。昨日遭った人だ。
「神田、一体――
 男の人は、そう言うなり黙り込んでしまった。
 しばらく沈黙した後、
「……すまん」
 ぱたん、とドアを閉めて引っ込んでしまった。
 部屋にはアレンと、悪魔みたいな顔をした男の子が取り残される。
「ひ……」
 アレンは引き攣った悲鳴を上げて、両手で頭を庇った。
「ぼ、僕……美味しくないですよ……! た、食べないでくださ……」
 再び、ぱたん、とドアが開いた。今度は、小さいほうの男の人だ。後ろにさっきの大きい人も、困ったふうな様子で突っ立っている。
「よォ、お楽しみのトコ悪ィんだけど、お嬢ちゃんの学校に連絡ついたんじゃん? じきに家族のほうにも繋がると思うから、そろそろイチャイチャするのも――がっ!」
 小柄な男の人の声は、最後の方は言葉になっていなかった。椅子を投げ付けられて昏倒してしまったのだ。
「……もう十分回復したようだな」
 大きい男の人は、それを見て、他人事みたいにぼそぼそ言っている。
 ここで、今まで黙り込んでいた男の子が怒鳴った。
「勝手なこと喋ってんじゃねぇ! こいつが寝惚けて部屋に迷い込んで来たんだろうが?! ベッドに上げてやったら服離さねえし――
「おまえもそのお嬢ちゃんのスカートというか、むしろ太腿掴んで離さなかったじゃん、昨日」
「デイシャ、黙っててやれ」
 男の子はものすごく怒った顔で――綺麗な顔でやられるものだから、ものすごい迫力がある――アレンを睨み付けて怒鳴った。
「大体、お前は誰だ! なんでガキが俺のいる部屋に紛れ込んでくるんだ!」
「うっ……」
 アレンはびくっと身体を竦ませて、涙目になった。人に大声で怒鳴られるなんて、家族にちやほや甘やかされて育っているせいで、最近じゃほとんど経験していない。
「……神田、その子は恩人だぞ」
 大きい男の人が、男の子を窘めるみたいに言った。
「きちんと礼を言っておけ」
「……チッ。余計なことしやがって」
 男の子は、なんだか面倒臭そうに舌打ちした。これにはさすがにアレンもキレた。
 咄嗟に、ばちん、とほっぺたを引っ叩いてやった。
「……なっ?」
 男の子はさすがに面食らった顔をしている。アレンはぎゅっと目を瞑って――そうでなければ、悔しくて泣けてきそうだったのだ――叫んだ。
「そんな言い方しなくたって良いじゃないですか! あ、あなたなんか大嫌いです!」
「あーあ、キライとか言われちゃったじゃん」
 床に寝転がっていた小柄な男の人が、冷やかしを込めて呟いて、今度は頭に花瓶を投げ付けられていた。
「ふざけんな、何で俺がお前みたいな面倒臭いガキに殴られなきゃならないんだ! 気色悪い白髪野郎に!」
――――!!」
 ひどく気にしているところを突っつかれて、アレンは目の前がかっと赤くなった。
 気が付くと、今度は男の子の鼻っ面をぶん殴っていた。
「あちゃー……グー出ちゃった」
「止めなくて良いのか? ご家族の前でこれはちょっと……」
「女の子にマウントポジションでボッコボコに殴られる神田っての、後で絶対仲間内でオオウケじゃん」
――いい加減にしろ」
 ぱし、と危なげなく手首を捕まえられてしまって、アレンは涙目で男の子を見上げて、か細い声で言った。
「……取り消してください……し、白髪とか、そんなの!」
「鍛えてもねえ拳で殴ったって、お前が怪我するだけだ。そんなこともわかんねえのか、ガキが」
「アレンです! 余計なお世話です、このっ、薄汚いオスが! 離せよ、僕に触るな!」
「……おっさん、なんかすごい発言聞いちゃった気がするじゃん」
「気のせいだろう。たぶん」
 掴まれた手首を振り解こうともがいても、まるで相手にならない。びくともしない。これが男の子ってものなのだろうか?
「は、はなし……」
「神田だ。次ふざけた口の利き方しやがったら、折るぞ」
「うぐ……」
 アレンは口篭もって、ぎゅっと口を引き結んだ。今まで我慢していた涙が、ぽろぽろ零れてきた。
 男の子、神田は一瞬びっくりしたような顔を見せたが、本当に一瞬だけだった。
 すぐに仏頂面に戻ってしまった。 目は鋭く、刃物みたいに尖っていて、隈がすごい。
「ず、ずるいです。男の子だからって、そうやって乱暴ばっかり」
「男も女も関係ない。お前が弱いだけだ」
 ぴしゃりと言われて、アレンは言い返せずに黙ってしまった。
 神田はまた舌打ちをして、「俺はお前みたいな甘ったれが一番嫌いなんだ」と言った。
「大体、何故お前みたいなガキがこんなところに――
「はいはい神田、ストップ。あんまり苛めてやるなって。お嬢ちゃん泣いちゃうじゃん」
 男の人たちが、二人してすっと割って入ってくると、神田は苦虫を噛み潰したみたいな顔になった。
「……誰が苛めてるんだ」
「単独行動で無茶をやらかして、死に掛けてたお前を助けてくれたんだ。まだ礼も言っていないだろう」
「…………チッ」
「そんな訳でお嬢ちゃん、許してやってくれな? こいつ、悪気があって言ったわけじゃねェんじゃん」
 小さい男の人が、神田の背中をばしばし叩いて言った。神田は相変わらずやぶ睨みの目をアレンに向けている。
「まあ、そんな感じで、仲直りがてら朝メシでも食いに行ってくれば良いんじゃん。腹減ってるだろ? お嬢ちゃんの親御さんがやってきたら――
「神田の無線ゴーレムに連絡を入れる。安心しろ」
 男の人たちの言う所の意味が分からなくて、アレン(たぶん、神田もだ)は呆けた。
 そして、徐々に理解が追い付くと――
「……はぁ?」
「……ええ?」
 二人して、揃って間の抜けた声を上げてしまった。





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