05:「二人で朝食を」 |
反論する間もなく、表道へ放り出された。 「………」 「……う」 ものすごい仏頂面の神田は、鋭すぎる眼の光だけで人を殺せそうだ。アレンはいたたまれなくなって顔を伏せて、口をぎゅっと引き結んだ。ロードに置いてきぼりを食らってから、踏んだり蹴ったりだ。 そして神田という男の子、彼も初めて遭った時とは大分印象が違っていた。目を閉じている時は今にも死にそうな、弱々しい捨て犬みたいな風体だったのに、今や登下校時に前を通るお屋敷に繋がれてるブルドッグみたいだ。大きくて狂暴で目ばかりぎらぎらしていて、今にも吼えながら飛びかかってきそうだ。 「チッ……なんでガキのお守なんか」 「アレンです」 怖かったが、アレンは訂正した。ここで直しておかなきゃ、後々までずーっと「ガキ」呼ばわりされる気がする。 「ガキなんて名前じゃありません。父さんが付けてくれたちゃんとした名前なんだから、行儀の悪い呼び方は許せません」 「ガキはガキだ。何が悪い。じゃあ何だ、白髪か? チビか? 刺青? 好きな名前で呼んでやるよ」 「僕はチビじゃないし、白髪も刺青も好きじゃない。貴方はさっきからすごく失礼なことばっかりです。謝ってください」 「…………」 神田は「くだらない」という顔をして、ぷいっとそっぽを向いてしまった。アレンはたまらずに、彼の正面へくるっと回り込んで、じっと睨んだ。名前をちゃんと呼んでくれない人は嫌いだ。 「そ、そういう乱暴なことを言う人は、不良って言うんです。学校の先生が言ってました」 「知るかよ」 神田はまたアレンから顔を逸らして、その度にまたアレンが回り込んで、それを繰り返していると、なんだかくるくる回っているような風体になってしまった。しばらくそうやっていると、医療施設の窓からくすくすと笑い声や、ささやく声が聞こえてきた。 「アハハ、神田の奴、なんだかんだ言って楽しそうじゃん」 「そうだな」 「可愛いわね、二人でじゃれちゃって」 「仲が良いわね。兄妹かしら?」 みるみる神田の顔が怒りに引き攣りはじめた。さっきまでも充分過ぎるくらいに怖かったけど、その比じゃない。心臓が弱い人が見ちゃったらショック死しそうな顔だ。さすがにアレンもそれ以上何も言えないでいると、神田は舌打ちして歩き始めた。 「くだらねぇ……おい、行くぞ」 「え」 訳が分からずに突っ立っていると、彼は「ぼやっとしてんじゃねぇ」と吐き捨てた。 「朝飯だ。何度も言わせるな」 「……はい」 アレンも膨れっ面ながら頷いて、大股でずんずん歩いていく神田の後ろを小走りでついて行った。確かに、お腹がペコペコだ。何か食べられるのなら、怖い人にくっついていくくらい我慢できる。 ストリートの交差点に出た辺りで、ぐう、とお腹が鳴った。聞こえてなかったかな、とアレンはちょっと心配になって神田の顔を見上げたが、彼は相変わらずすごく不機嫌そうな顔でいる。余程苛々しているようだ。 「……おい、お前はこの辺に住んでいるのか」 「いえ……来たことがないところです。学校のそばの通りなら、兄妹に連れてってもらったことあるけど」 「どこかに蕎麦屋はないのか」 アレンは首を傾げて、見たことないです、と答えた。 「蕎麦? 日本の食事ですか? この辺にはないと思います。どうしてですか?」 「……天ぷらは」 「フリット? フィッシュ・アンド・チップスじゃあ駄目なんですか?」 「ふざけるな。俺は蕎麦と天ぷらしか食べない」 そっけなく、神田は言った。 「無ければ食わない」 アレンは呆れてしまった。神田は見たところアレンよりも年上だし、しっかりしていそうに見えたが、どうやら好き嫌いが極端に激しいらしい。 「食べ物を好き嫌いすると、父さんに叱られます。残すのも駄目です」 「は、いねェよ、そんなもん。くだらねぇ」 「くだらなくありません」 アレンはぴしゃりと言い放った。あまりものを言うのが上手くないアレンにも、譲れないものがいくつかあった。ひとつは父さん。もうひとつは食べるものに関してである。食べられるものならなんだって美味しく食べるのは、とても大事なことだ。贅沢なんて言っていたら、マナに合わせる顔がない。 「とにかく駄目です。なんでも食べなきゃ。生きてくためにはそうするしかないんですから」 「……は、なんだ。甘ったれのガキが、偉そうなこと言うじゃねぇか」 「アレンです。父さんが死んじゃう前に言ってました。だから間違いありません」 「…………」 神田は面白く無さそうに顔を顰めたが、それ以上は何も言ってこなかった。アレンは、自信はなかったが、それを肯定と取ってしまうことにした。 「ここで待っててください」 アレンは言った。 「僕が買い物してきてあげます」 なんか変なことになっちゃったなあ、とアレンは考えていた。いつもロードの後ろにくっついていないと、まともに人と顔も合わせられないアレンが、あんなに怖い顔をした男の子と喧嘩みたいな遣り取りをしてしまった。付け加えてその後こうやって世話を焼くみたいにして、テイクアウトの注文をやっている。 「フィッシュ・アンド・チップスが五つ。それからサーモンサンドと、シリアル・バーと、ブラウニーにチョコチップクッキーにチーズケーキに……」 指を折りながら一生懸命言い募っていくごとに、にこにこ接客してくれていた店員の笑顔が、具合悪そうに引き攣っていく。アレンがものを食べるところを見る人は、大体いつもこんな感じなのだ。何故だろうか。 「お嬢ちゃん、お財布は? すごいことになってるよ、お代が……」 「お金は持ってます。はい」 アレンはそう言って、ポーチにぶら下げているヨッシーの財布を差し出した。お小遣いにはほとんど手を付けていないので、買い食いをするくらいはあるはずだ。確か、ソヴリン金貨が何枚か入っていたように思う。 可愛いウサギの財布を受け取った店員は驚いたような顔になって、ああ、ごめんね、と言った。 「足りますか?」 「ばっちりだよ、お嬢ちゃん。それはいいけど、これだけどうするの? まさか一人で食べるなんてことは……」 「分けて食べます」 「だよねえ。それより持てるかい? 重いよ。誰かに手伝ってもらったほうが……」 「はいはい、俺が手伝ってあげるよ。ちまっこいお嬢ちゃんじゃあ無理だろう」 急に上のほうから声を掛けられて、アレンが顔を上げると、見たことのない男の人が立っていた。 赤ら顔で、甘ったるい変なにおいがする。何だか嫌な感じだな、とアレンは思った。お酒の臭いだ。 昔旅をしていた頃に、酔っ払いには散々な目に遭わされたことがある。出し物に物は投げるし、すぐに怒って怒鳴り散らすし、最後のほうにはその場所で潰れて寝ちゃうから、お客さんがみんな逃げてしまう。 マナもお酒は呑んだけど、それらよりも大分お行儀は良かった。せいぜいアレンに頬のお髭をジョリジョリと擦り付けて歌を歌い出すくらいだ。 「ほら、荷物寄越しなって」 さっと手を出された。アレンは反射的にぴゅうっとショップの柱の陰に隠れてしまった。酔っ払い男はそれに苛ついたみたいで、右手に持っているステッキで、がんがんと店の看板を叩いた。 「はあ? なんだあ、親切でものを言ってやってんだよ。礼儀がなっちゃいねえガキだな。こっち来いよ。その財布を寄越しゃいいんだよ、荷物もな」 不躾な物言いに、アレンは顔を顰めた。やっぱり最悪だ。男の人にはろくな人がいないとは思ってたけど、それにお酒まで入ると本当にどうしようもない。 「お客さん、困りますよ……」 おろおろして店員が取り成しても、酔っ払い男は「うるせえ!」と怒鳴るっきりで、カウンターに置かれたままのアレンの財布をぱっと取り上げ、胸のポケットに入れてしまった。 「あ……返してください!」 「金貨だあ? 働いても働いても、俺らはこんなもん拝むことすらできやしねえってのによ。金持ちがお高くとまりやがって……」 「邪魔だ」 ごつ、と鈍い音がした。アレンは目をぱちくりと瞬いて、それを見ていた。酔っ払い男の頭の後ろに、店先に置かれていたメニューボードの角が突き刺さっている。たまらず、酔っ払い男はぐらぐらと震えて、声もなくどさっと倒れた。後ろに立っていたのは、さっきの黒いコートの男の子――神田だ。 彼はじろっとアレンと店員を交互に睨むと、昏倒した酔っ払い男の胸元からウサギの財布を取り出して、アレンに投げて寄越した。それから何がしか記された白い紙のようなものをコートのポケットから取り出して、唖然としている店員に押し付けた。 「請求はここへ頼む。そこに転がってるゴミの警察への引渡しもな。おい白いの、何ぼさっとしてる。飯を食うんじゃなかったのか」 アレンははっとして、そうでした、と胸元でぽんと手を叩いた。 「ハラぺコだったんです。ごはんにしましょう」 カウンターに山みたいになっている紙袋を抱え上げ――ここで神田の表情が、初めて唖然としたものに変わった――アレンは「行きましょう」と言った。 チーズケーキを頬張りながら、アレンは言った。 「お店の中で食べるのは、少し窮屈だから好きじゃなくて……その、人も多いし」 「……ふん」 川沿いのベンチに座って、朝食を取ることにした。幸い天気はすごく良かった。河川の果てまで、雲ひとつ見えない。 神田はアレンを呆れたように横目で見ながら、渋い顔でサーモンサンドを口の中に入れている。あんまり「ごはんが食べれて嬉しい」という顔じゃない。 「美味しくないですか? じゃあ僕のと交換します? チーズケーキ」 「……甘いものはあまり好きじゃない。これでいい」 「フィッシュフライは? 天ぷらが好きなら、きっと好きでしょう?」 「ああ……」 神田は頷いて、溜息を吐いた。 「お前の身体は胃袋でできているのか」 「……え?」 「どうやったらそんなに食えるんだ。チビのくせに」 「チビじゃありません、アレンです」 アレンはようやっと人心地がついて、クリームで汚れた手のひらを舐めた。 オードブル、スープ、メインディッシュ、デザート――三ツ星のコース・メニューは、アレンの胃袋を満たしてくれるほどの量がなかったし、きちんと行儀良くしなきゃならない。それに、長い間空腹を我慢しなきゃならない。 家族でする静かな食事も良いけど、アレンはこうやって好きなものを好きなだけ、マナーを気にせずに食べることが好きだった。 「……そう言えば神田さん、お蕎麦と天ぷら以外にもちゃんと食べれましたね。偉いです」 「……ふん」 神田はぷいっと顔を背けた。相変わらずつんけんした仕草だったけど、耳がちょっと赤くなっているのが見えた。 もしかすると、この人なりに偏食を恥ずかしいことだと思っているのかもしれない。 「さっきはありがとうございました、助けてくれて。お酒を呑む人は苦手なんです」 「男も駄目、人が多い店の中も駄目、酒を呑む奴も駄目、我侭な奴だ」 「……それ、食べ物の好き嫌いしちゃ駄目っていうのの仕返しですか?」 「さぁな」 神田は相変わらずそっぽを向いたままだ。でも、割と当たってると思う。存外子供っぽい人なのかもしれない。 「……だってみんな、僕のことを気持ち悪いって言うんです。白髪で顔に変な痕があるし、身体もなんだかおかしいって。ぼくを好きだって言ってくれた人は家族だけ。だから家族のほかはみんな嫌いです」 神田はすっとアレンを見て、すごく馬鹿にした顔をして、意地悪な声で言った。 「……やっぱりガキだな、お前」 「……ガキじゃありません」 「気持ち悪いなんて言われたくらいで「みんな嫌い」なんざ、お前が甘ったれでひねくれてるだけじゃねぇか」 「う。そ、そんなことはない……と思います」 「――家族以外にも、お前のことを気持ち悪いなんて思わない奴がいるかもしれねぇぜ」 「……そうかなあ……」 アレンは何とも言えない顔で、くるくると指に髪を絡めた。真っ白で、みんなには老人みたいだと言われる。これもきっと、マナの呪いのひとつだ。溜息を吐いて、空を見上げた。人は死ぬと天に帰るって言うけど、マナは死んでもアレンのそばにいる。話すことはできないけど、魂の残留物が、内蔵容器の中からいつもじっとアレンを見つめている。 「でも神田さんも僕のこと気持ち悪いですよね」 「……さぁな。関係無い。どうでも良いし、興味ない。俺に聞くんじゃねえよ」 「そうですか」 アレンは小さく溜息を吐いた。どうも、この人は苦手だ。きつく当たられるのに慣れていないせいかもしれないが、なんとなくそれだけじゃない気がする。綺麗な顔だから睨まれるとすごく怖いとか、あんまり喋らないから沈黙が辛いから、とかだろうか? こっそり横目で神田を見遣ると、彼はようやっとサーモンサンドを食べ終わって、パン屑を払い落として、手を合わせたところだった。 「ごちそうさま」 真面目な声で、神田が言った。さすがに、これにはアレンもちょっとびっくりした。神田という人は見た感じ、割と礼儀作法には無頓着なほうだと思っていたのだ。ぞんざいな話し方や目つきの悪さのせいだろうが、でも考えてみれば、医療施設を放り出された時も、ちゃんとアレンを連れてストリートまで出てきたのだし、さっきもショップで酔っ払いに絡まれていたところを助けてくれた。もしかすると悪い人じゃないのかもしれないな、とアレンは思った。口と目つきはすごく悪いけど。 |