13:「蠱惑」 |
「お前ってすげえ奴だな」 アントンが言った。意味するところが解らず、アレンは首を傾げて続きを待った。彼は呆れているのか感心しているのかわからない顔つきでとんとんと自分の胃の辺りを指差した。 「……量だよ。飯の量。なんであんなに食えるんだよ。チャーハンにカレーライスにビーフシチューにラーメンに肉まんあんまんロールキャベツ、みたらしだんごにホールケーキに……ああもう覚えてない。本当に人間か?」 「当たり前です。ほら」 アレンはグラスのオレンジジュースをストローで飲みながら、アントンに手のひらを差し出した。 「触ってみますか。温かいですよ」 「……そういうんじゃなくてさ。ただすげえなと思ったんだ。怖そうな偉い奴……なんだっけ……にも突っ掛かっていくし、怖くなかったのか?」 「ええ、顔見知りですから」 「ふうん」 アントンは昼間に渡された書類をぱらぱら捲っている。経理に関しての資料らしい。もう一人の同室者チャックはまだ戻っていない。室長に挨拶に行ってるんだという。敵の偉い奴だ。アレンも是非顔を拝んでやりたかったが、来週の始めには遭えるだろう。今無理に覗いてやることはない。 部屋は殺風景なものだった。石の壁と床の他には、二段ベッドが二つ両端にあるだけだ。ベッドの上にそれぞれの荷物が乗っている他は何もない。アレン自身の荷物もあまり無かった。いくつかの着替えと『アレックス=E=ウォーカー』擬装の身元証明書だけだ。できるだけ『アレン=ウォーカー』を証明する要素は少ない方が良い。 「もう七時か。チャックは晩飯食ったかな」 「そうですね。確かに腹が減ってきた」 「……えええ?! あんだけ食ってまだ入んの?!」 アントンが驚愕して口をぽかんと開けてアレンを指差した。アレンは涼しい動作で頷き、何か、と言った。 「お前やっぱり変だよ!」 「僕は普通ですよ」 「変だって!」 喚き立てるアントンに肩を竦めたところで、ふとアレンは奇妙なものに気付いた。足音だ。いくつも揃って向かってくる。 (……少し目立ち過ぎたかな) 思った通り、足音はアレンの部屋の前で止まった。不躾なノックがあった。アントンが、訝しい顔をしてドアを開けた。 「チャック? ……え、何ですか、あんたたちは……」 白い服の男が五人ばかりいた。どれもいかつく、顔にいくつも傷をこさえている。彼らは険悪な空気を纏いながら、それを表情には出さずに、静かに部屋の中を見回した。 ベッドに腰掛けているアレンを見付けると、彼らの目はにわかに鋭くなった。 「白髪のウォーカーってのはお前だな」 「アレックス=E=ウォーカー、今日から総合管理班に配属されました。先輩の方ですか」 首を傾げてアレンは聞いた。男たちの風体は、教団内部勤務のサポート班というものではない。どう見たって探索部隊だ。だが彼らは頷き、顎をしゃくって見せた。表に出ろ、ついて来い、という仕草だった。 「少し話がある。出てもらおうか」 「アレン……」 アントンが心配そうに眉を寄せている。彼もさすがに気付いているようだ。目立った新人が目を付けられてしまったのだ。この後何があるかなんて、容易に想像できるだろう。 (……学校と同じですね。人間というものは、本当におかしな性質を持っている) 昔のことを思い出していた。ロードと一緒にナショナル・スクールに通っていた、幼い時分のことだ。奇妙な痣と白髪に目を付けられて、初日から校舎の裏に呼び付けられた。難癖を付けられて震えているところを、ロードが助けてくれたのだ。彼女はまるでヒーローのように颯爽と現れて、醜い人間どもを全て―― 「……何がおかしい?」 男の一人が苛ついたふうに言った。どうやら微笑んでしまっていたようだ。アレンはすっと静かに立ち上がり、なんでもありません、と言った。 「解りました、先輩。できるだけ手短にお願いします。夕食をまだ取っていないので」 「……ふん。いけすかないガキだ」 「アレン!」 アントンが焦ったふうにアレンを見た。 「俺も……その、行こう、か……?」 「結構ですよ、アントン。君は良い人ですね」 アントンの申し出を丁重に断って、アレンは薄く微笑んだ顔を作った。 「ありがとう、僕は大丈夫です。さあ、行きましょう。先輩方の貴重な時間を無駄遣いすることもないでしょう」 アレンは白服の男たちに続いて、後ろ手にドアを閉めて歩き出した。窓から覗く空はもう紺色に染まっている。夜が来ている。愛すべき闇はノアの聖域を離れても、アレンの傍にあった。 ◆◇◆◇◆ 人気の無い場所というものは好都合だった。おそらく私刑のために選ばれたそこは、どんなに叫んでも悲鳴がどこにも届かず、暴れたって気付かれない、さびれた一角だった。内部はびっしりと蜘蛛の巣で覆い尽くされていた。 「サポーターがエクソシストに反抗したそうだな」 「教団内部には、確かにエクソシストに良い感情を持っていない者たちもいる。いわば嫉妬だ。だがそれらが爆発すれば、戦争どころじゃあなくなる。中から崩壊する。いたずらに煽るのは止めてもらおうか」 階段の手摺りに腰掛けて、アレンは白服の話を聞いていた。どうやらエクソシスト崇拝派の団員らしい。憎悪と怒りが空気に含まれて、ぴりぴりとしていた。 「新人だから、ものを知らないのは認めよう。だが見過ごすことはできない」 「少し痛い目に遭ってもらわなければならない。二度とエクソシストに生意気な口を聞けないようにな!」 強い力で肩を掴まれ、アレンは顔を顰めた。 「放してもらえますか、豚」 「……その口の聞き方、後悔することになるぞ! 可愛い顔を二目と見れないようにしてやる!」 殴り掛かってきた男の一人を、袖ポケットから出した伸縮警棒で殴る。鼻が折れるぱきっという音が鳴った。 「ああ……うざったい。少しじっとしていてください」 欠伸を噛殺しながら、アレンは彼らに『命令』した。こんな末端でも利用する価値はあるだろう。五人いれば地図のひとつくらい作れるはずだ。 「少し質問があるんです、先輩方。この場所は監視されていないんですか」 「……ここは……ゴーレムが、見当たらない。誰も見ていない……」 「ゴーレム、あの蝙蝠ですね。外を飛んでいるものは全てそうなんですか?」 「そう……だ」 アレンの質問に答えた男は夢見心地でいたが、はっとして驚愕の表情を浮かべた。 「お前……新人、今何をした?!」 「質問しているのは僕です。沢山知りたいことがある。頭はいつもどこにいるのか? エクソシストは何人いるのか? 忌々しいイノセンスはどこに保管されているのか? 貴方がたのような雑魚でも、知っている情報はいくつかあるでしょう」 アレンは首を傾げて、硬直して動けなくなっている男に向かってすっと手を伸ばした。頭を触る。髪と頭皮と頭骨を擦り抜けて、脳に触る。兄に教わったこの方法は、非常に気持ちが悪い。脳味噌なんて素手で触るものじゃない。だがこれで、少しはデータが取れると良いが。 「う、うわああ……ああああ」 誰かが引き攣ったような声を上げた。アレンが緩慢に顔を向けると、それはすぐに止んだ。皆一様に息が詰まったような顔をしている。 「身体……動か、な……甘い……匂いが……?」 「化け……物」 「……どう、して……内部に!」 脳味噌の中にはろくな情報が入っていなかった。アレンは溜息を吐いた。もっと上の人間じゃあないといけない。エクソシストや、技師がいい。 「なんだ、つまらない。もういいですよ」 両手をぱっと広げて、アレンは言った。ぱちんと指を鳴らすと、白服たちは糸が切れた操り人形のようにどさっと倒れた。 皆だらしなく床に手足を投げ出して寝そべっている。手摺りに頬杖をついて、アレンは退屈そうにぼそぼそと囁いた。 「地図が欲しい。このろくでなしのエクソシストどものホームのね。支部の場所も知りたい。詳しい座標を調べなさい。誰にも悟られないように、さりげなくやるんです。あとは僕に優しくしなさい。僕がまた誰かに目を付けられた時には、フォローをお願いします。まあ、構成員の質がこんなもんじゃ、こちらの戦力も知れていますね。僕らの敵になり得るのは、結局エクソシストだけか。――起きなさい」 床に伏していた五人の白服たちが、ゆらっと起き上がった。しばらく焦点の合わない目をさまよわせてぼんやりしていたが、やがて目の光を取り戻すと、彼らの顔に人間の感情らしいものが戻った。 「……あれ。俺ら、こんなところで何してたんだっけ」 「ん? あ? なんだ、ここは?」 訳が解らないといった顔の彼らに、アレンは無表情のまま、静かに囁いた。 「貴方がたは『アレックス=E=ウォーカー』の素行を注意した。結果、彼に対する不信、嫌悪は全て消滅した。普段通りに振舞いなさい。内部で僕に不利な材料があれば知らせ、判断を仰ぐんです」 「了解した、アレックス=E=ウォーカー。さあ腹が減ったろう、飯を食いに行こうか」 「ええ、そうですね」 アレンは頷き、手摺りから飛び降りた。まず駒を五つ手に入れた。上々だ。 ◆◇◆◇◆ 「だから絶対やばいんだよー、アレンの奴あんな性格だけどすげえ綺麗だしさ、なんか良からぬことでもされてんじゃねえかなあって……」 「スペンサー隊長はどこに行ったんスかぁ〜……」 食堂の隅っこで、アントンとチャックは鬱々としていた。同室の少年は帰ってこないままだ。先ほどのエクソシストとサポーターの大喧嘩と言い、教団内部の治安はあまり良く無いようだ。同期が心配で食事も喉を通らない。良からぬ空想ばかり浮かんで仕方がないのだ。 アレックス=E=ウォーカー、通称アレンは確かに綺麗だったし、人形のような作り物めいた美しさがあったし、華奢な身体をしていたし、まるで女の子みたいだった。書類にはしっかり男と記されていたらしいから、実は女の子でした、なんてことはないだろう。入団審査のチェックは非常に厳しいのだ。……それよりも「女の子みたいだ」なんてことを言うと、また空気が恐ろしい凍り方をするだろうと思われるので言わないが。さすがにアントンにも学習能力はあったし、チャックも怖くて口が裂けても言えない。 悶々としているところに食堂のドアが開いて、当のアレンがあっさりとした様子で入ってきた。驚いたことに無傷で、さっきの白服たちの集団に混ざっている。 彼は同室者たちに気付くと、肩を竦めた。 「もう無茶すんじゃないぞ。骨があるのは認めるが、喧嘩沙汰は良くねえ」 「はい、気を付けます」 素直に頷いたアレンは、白服に笑いながらばんばんと背中を叩かれていた。 アントンたちのところへやってきて座り、ご心配お掛けしました、と言った。 「怒られちゃいました」 そして溜息混じりにそう言った。その仕草は年齢相応のもので、アントンはにやっと顔を崩してアレンの肩を叩いた。 「お前って本当すごい奴だよアレン!」 「普通ですけど」 アレンはそっけない様子でそう言った。本当に何でもない調子だったので、アントンとチャックは堪え切れずに笑い出してしまった。 |