16:「いけすかない男」 |
「……チッ」 「うげ」 目を合わせるなり交わした会話がそれだった。食堂に顔を出すと、嫌でも白髪が視界に飛び込んできた。大体目立ち過ぎるのだ。フードでも被るか染めるかすれば良い。何にしろ地味な色にだ。そうすれば無理にあれに目を留めることもなかった。 (……今「うげ」って言ったか) 眉間に皺を寄せながら、神田は出来る限り平静な顔を保ち続けた。例の白モヤシはと言えば、いつものように朝から膨大な量の食事をテーブルに並べている。見ていて気持ち悪くなるくらいだ。 彼が教団に来てから、いくらか時間が過ぎていた。いっそのこと探索部隊なら良かったのだ。殉職の確率も高まる。悪いことに教団内部の任務に就いているらしいから、待機中は頻繁に顔を合わせる羽目になってしまい、始末に負えない。 「アレンくん? 今「うげ」って言った……?」 「え? ああいや、そんなことは言いませんよ、嫌だなあリナリー。僕は紳士であることを心がけていますから、なるだけ下品な物言いはしないよう常日頃から心掛けているんです。すみません、気のせいなら良いんですが、不細工な油虫を見たような気がして。女の子の前で気分の良い話でもないですね。止めておきましょう」 「うん……あ、おはよう神田。こっち席空いてるよ」 何故かモヤシとリナリーが仲良くだべっている。サポート班の、つまり下っ端の新人と室長補佐のリナリーがだ。モヤシがどういうつもりかは知らないが、どうやら女好きらしい彼がリナリーに目を付けたというところだろうか。 (今に痛い目に遭いやがれ) 彼はリナリーの兄の異常なシスコンぶりを知らないに違いない。でなければ、こんなにあからさまな態度に出られる訳がない。 (コムイの実験モルモットにでもされてろ) 笑顔で手を振るリナリーのそばに無言で腰を下ろし、頬杖をつき、神田はじっとモヤシを睨み付けた。女をたらしこむ為に生まれたとしか思えない軽薄な顔つきをしている。額には趣味の悪い星型の刺青がある。こいつとは合わない、と神田は再認識した。おそらく今まで出会った誰よりもだ。これまで出会っていきなり罵声を浴びせてくる教団員なんていなかったし、加えて彼は神田よりも大分格下だ。なのに偉そうな口を利く。最悪だ。許されるなら殺したい。 「何ですか、人の顔じーっと見ちゃって。不躾な男ですね。そんな物欲しそうな顔したってなんにもあげませんよ。そんなに欲しいなら、貴方も頼めば良いんです。まったく毎日毎日蕎麦ばかり。日本人のくせに、貴方が主食のはずの米を食べているところを見たことがないんですけど」 「テメーみてぇな全身隅々まで胃袋が拡張してるような野郎に言われたくねぇよ。何だこの狂った量は? まともにアクマのひとつも壊せねーくせに、食うだけ食うのか、この無能が」 鼻で笑ってやってから、なんだか妙な気分になった。今おかしなことを言ってしまわなかったろうか。『まともにアクマのひとつも壊せねーくせに』? 彼はエクソシストではない、当然のことなのに、何故か引っ掛かった。 だが深く考え込む前に、リナリーが微笑みながら「アレンくんはすごいねえ」と言った。 「神田、アレンくんね、この間の食事もスーマンと良い勝負だったんだよ! もしかしたら寄生型なんじゃない?」 「僕はいたって普通の量だと思いますけどね」 「多い多い。あっ、そうだ。昨日紅茶を貰ったでしょう? お礼にケーキを焼いてみたの。三時になったらお茶会をしない?」 「嬉しいな、良いんですか?」 「もちろん」 モヤシはとても優雅に微笑んだ。タラシの笑みという奴だろう、たぶん。だが様々な、所々歪んだ愛情を一身に受けて育ってきたリナリーは、そのくらいじゃ顔も赤らめない。 「……お前死亡決定だ、モヤシ。殺されるぞ」 「なんですか急に……あ、もしや神田、貴方リナリーのことが好きなんですか? ひどいな、僕というものがありながら」 「……そういう気色の悪い冗談は嫌いだ」 「貴方は冗談なら何だって嫌いなんでしょ」 「ああ、お前の存在そのものが嫌いだ」 「また神田ったらそんなこと言って。気にしないでね。この人こんなこと言ってるけど、この間倒れたアレンくんを――」 「おい。黙れ。飯がまずくなる」 「美しいリナリーの声を遮っておいて、何て無礼な言い草ですか」 「まあまあ、二人共」 わいわいと騒いでいると、いつのまにかやって来た白服が所在無さげに立っている。目を向けると、緊張した面持ちで直立した。見たことがない顔だ。 「やめなさいって」 ぽこん、と頭をトレイで叩かれた。リナリーは子供を叱るように神田を窘めた。何だと言うのだ。 「睨まないの。ええと、スペンサーさん……総合管理班の。なにか?」 「はい。ああ、それよりもお二方、部下がご無礼を。ウォーカー、お前後で第二事務室に来なさい。しっかり絞ってやる。っと、それとは別に上から申請が来たんだ。お前は今日付けで総合管理班を抜ける」 「え? クビですか」 「いや、異動だ。まだ決まっていないが、科学班か探索班へ投入されることになる。というか、お前全く事務に向いていない。全然駄目駄目だ」 「はっ」 鼻で嘲笑ってやると、モヤシはじとっとした陰湿な目で神田を睨んできた。駄目な自覚はあるようだ。このスペンサーとか言う男は、どうやらモヤシの上官に当たるらしい。 「言わなかったが、初日の実務は適性検査も兼ねていたんだよ。お前の書類はそれはもうひどいもんだった。いや、ある意味前衛的な芸術品ではあったが、教団は芸術家を求めているわけではない。ましてや妙なオブジェを求めているわけでもない」 「……アレンくん、何をやったの?」 「ただ束にして提出するだけでは好印象を得られないだろうと考え、書類の紙で鉢植えの薔薇を造ってみました」 「アホだろお前」 「……うん、アホだった。だがウォーカー、結界機器の扱いと機械弄りは、それを差し置いても素晴らしかった。天才的と言っても良い。からくり弄りが趣味なのかね?」 「ええ、まあ、そうですね。幼い頃から叔父の玩具作りを見ていたせいかな。そのくらいしか趣味はありませんでしたし」 アレンは『叔父』の顔を思い浮かべながら頷いた。兄弟のことだ。非常にアレンに甘く、コレを見せるのはアレンだけですヨーなんてニコニコしながら玩具の材料を作っていたものだ。城からほとんど出ないアレンにとっては、叔父の仕事の手伝いだけが唯一の楽しみだった。 「君なら科学班では機器開発に役に立つだろうし、探索班なら結界機器の現地での整備も行える優秀な兵隊になれるだろう。希望はあるかね? 絶対とは言えないが、多少なら聞き入れて貰えるだろう」 「そうですね……」 モヤシは中空に視線をさまよわせている。迷っているらしい。神田は意地悪く言ってやった。 「探索班にしとけよ」 「え?」 「死亡率が一気に跳ね上がるぜ。お前がくたばった時ばかりは、俺もお前の追悼をしながら辛気臭い顔して飯を食ってやるよ」 「ちょっと神田、そういう冗談はどちらにも失礼な上に悪趣味よ」 「そうですね。それがいいかな。じゃ、探索班を希望します」 からかってやったつもりだったのに、モヤシはにっこり笑ってそう言った。 「一緒に来い、と取りました」 「……はあ?」 「ああ冷めてしまった。消化に悪いなあ」 モヤシは何でもない顔をして飯を食っている。予想外だった。ヒョロヒョロに萎びた貧弱モヤシなのだから、怖気づいて死亡率の低い部署を選ぶだろうと判断したのだ。やっぱりな、お前はそんなこったろうと思ったぜ、臆病者は出てけよ――そう絡んでやろうと思ったのに、勢いが削がれてしまった。何となく面白くなくて、神田は黙って蕎麦を啜った。 「へえ。じゃあ私や神田と一緒に任務に行くこともあるかもね。その時はお買い物に付き合ってくれる?」 「喜んで。ん、神田、どうしたんですか黙り込んじゃって」 モヤシは生意気ににやっと唇の端を上げて、ざまあみろ、という顔をした。 「……もしかして、僕が怖がれば良かったのに、とか考えたでしょう」 「くだらねえ」 「生憎僕はこう見えて割と強いんですよ。神田なんて三秒ですからね。多分それくらいで沈められると思う」 「ほざいてろ、雑魚」 「死ぬ気もありません。僕は死にたくても死ねないんですよ。だから心配も悪いこと言っちゃったなあなんて思うこともないです。多分僕が貴方の追悼をやってますね、ここで。フォークで蕎麦を食べながら」 「強がんな。お前なんかすぐ死ぬに決まってる。蕎麦は箸を使え。でなきゃ殺す」 くだらないとは思ったが、なんとなく気分が悪かったのも確かだ。これもモヤシ野郎のせいだ。 まあ万にひとつも、こんな貧弱野郎が屈強な男の集団である探索部隊に配属されるわけがないが―― 数日後、フード付きの白服を着たモヤシが目の前に現れた。 「そんな訳でよろしくお願いします、神田。初仕事なので……痛」 「新人、エクソシストを呼び捨てにするな。お前の遥か上にいるお方だ。すみません神田殿、教育が行き届いていなくて……」 神田は頭を抱えた。もう訳がわからない。苛々する。なんなのだこの白髪は! ◆◇◆◇◆ まあまずまずだ。事務員になって回ってくる仕事といえば、戦争には直接関係のない仕事ばかりだった。中枢に潜り込める科学班か、もしくはイノセンスに接触する機会が多い探索班。配属されるならそのどちらかだ。 「急だなあ」 同室のアントンは呆れていた。纏める間でもなく、ほとんど何も入っていないアレンの鞄を見遣って溜息を吐いている。 「残念だよ。せっかく仲良くなれたのにな」 「そうですね。ああアントン、できればこの間の夜のことは……」 「解ってる、誰にも言わないってば」 「チャックはまた徹夜なんですね。挨拶くらいしたかったのだけど」 「帰ってきたら伝えとくよ。これでほとんど俺の個室だぜ、この部屋」 「違いありません」 くすっと笑って、アレンは荷物を取り上げた。薬はもうほとんど無くなり掛けている。飲み切る前に片をつけたいところだ。 「遠くに行ったら土産買ってきてくれな」 「もちろん」 アレンは頷いて、支給されたばかりの白いコートをスーツの上から羽織った。ぶかぶかだ。でもフードのお陰で白髪を隠せる。これで奇異の目で見られる要因をひとつ無くすことができる。 「じゃあ」 「……ほんとに女の子みてえ」 アレンの後姿をぼんやり見ながら、アントンはぽつりと呟いた。いや、でも気のせいだ。きっと気のせいだ。うん。 ◆◇◆◇◆ 「怪異が起こっているのはヨーロッパ北部の修道院だ。いや、修道院跡と言ったほうがいい。随分前に廃墟になって、今じゃほとんど遺跡みたいなものらしい。問題なのは、昔から奇蹟を起こすと噂になっていた聖棺――よくある「祈ると聖水が涌き出た」って奴だ。その水を飲むと歳を取らなくなり、死ななくなるって話で、一時は多くの巡礼客が各国から訪れた。だが今じゃ誰もいない。手品の種が割れたんだろうが、何にせよイノセンスが関わる可能性があると判断された――ってなんで俺が探索部隊に説明しなきゃならないんだ?! エクソシストの俺が!」 「結構、解りました。ご説明感謝します神田。それにしても不老不死なんて、水を飲んだだけでそんなふうになるなら僕らも苦労しません。馬鹿じゃないんですか」 「俺に言うんじゃねぇよ。というか、何でお前が客室の中に入って来てんだよ。探索部隊は廊下で待ってろ!」 「まあまあ、落ち付いて下さい神田。貴方が退屈だろうと思ったんです。だから話し相手を」 「いらねーよ! 着くまで寝ようと思ってたんだよ。チッ、なんでよりによってお前なんかと……」 「あれ? 僕に何か聞きたいことがあったんじゃあないですか。そろそろ何か聞きたくなってくる頃合かと思って気を利かせてあげたんですが、差し出がましかった?」 「…………」 「じゃあ、少し列車の中を探検してこよう。汽車は初めてなんですよ」 「…………」 もう返事をせず、神田は目を閉じた。苛々する。あのモヤシは人の神経を逆撫でする天才のようだ。できることなら任務先でアクマの仕業に見せ掛けて、後ろから切り捨ててやりたい。 「まったく……」 あの男に会ってから、ろくでもないことばかりだ。まったくついていない。あの村でも雨に降られた上で無数のアクマに襲われるし、結局イノセンスは見つからずじまいだった。 相手をしたのがレベル一の雑魚ばかりだったのは幸いだったが、あの妙に統制の取れた動きは気に入らなかった。三体ばかりレベルニが混じっていたせいだ。それらはあのモヤシ野郎が始末してくれたが―― 「――――――?!」 神田は声にならない叫びを上げて飛び起きた。そうだ、何で今の今まで忘れていられたのだ! 気にも留めなかったのは何故だ? あのモヤシはあっさりアクマを破壊し、挙句命令を下して二体を同士討ちまでさせている! 「モヤシ!!」 乱暴に車両のドアを開けて叫ぶと、気楽に後ろで手を組んで歩いていくモヤシがぴたっと立ち止まった。 「貴様ッ……止まれ! 来い! 中へ入れ……!」 「ああ、どうしたんです。寂しかったんですか」 モヤシは神田に向かって首を傾げてから、中年の探索部隊員に語り掛けた。 「話し相手が欲しいそうです」 「……そうだったか。ウォーカー、行きなさい。あまり失礼な態度は取らんようにな」 「了解致しました」 モヤシは優雅に敬礼して、とことこと歩いてやってきた。顔にはうっすら微笑が浮かんでいる。 「ほらね、何か聞きたくなってくる頃だと言ったでしょう?」 神田は心底そのモヤシ男が忌々しいと思った。 「貴様は何者だ」 扉を閉めて、囁くように神田は訊いた。列車の車輪の音で、派手に騒がなければ声は漏れないはずだ。六幻を握る手のひらに力を込めて静かに抜刀した。 「――聞くまでもねえ、アクマだな。良くもぬけぬけと本部に潜り込みやがったな。ぶっ潰す」 「僕は人間ですよ」 「信じられるか!」 かっとして怒鳴っても、モヤシは平然としている。神田のベッドを勝手に一人占めして、腰掛け、足をふらふらと揺らしていた。 「本当ですよ、下らない嘘は吐かない。何なら僕に触ってみますか? 温かいですよ」 「……ふん、じゃあ何だってんだ。確かにてめえが気持ち悪ぃ位飯を食っていたのは見た。アクマはあんなことはしねェ。だが、アクマじゃねえから味方だとも限らねえ」 「あんなグロテスクな奴らと僕を一緒にしないで欲しかったな。ひどい屈辱です。できればイノセンスもしまって欲しいんですが。包丁を持った人と話すのは少し疲れます」 「まあいい、切り刻んで中身を見れば良いだけのことだ」 「話をするんじゃないんですか? 聞きたいことがあるんでしょう。それに貴方に危害を加えるつもりもありません」 「ほざけ。隊服を脱げ。それはてめえ如きが着て良い代物じゃねぇ。教団員のコートだ」 「僕も教団員なんですが?」 「黙れ」 突っ撥ねてやると、モヤシは殊勝にもコートを脱いだ。中身はいつものままだ。仕立ての良い黒いスーツだ。 「そんなに言うなら。割と気に入っているんですけれど、白髪も隠せますしね」 「……無害を装おうつもりなら、答えろ。俺は何故忘れていた」 「何をです?」 「とぼけるな! 貴様のことだ。てめえの胡散臭いやり方をだ! 本部にいた時には、てめえのやったことを思い出せなかった。頭に霧が掛かっているみたいにだ。今こうやって、教団から離れるごとにどんどんクリアになってく。アクマを壊したな。だがアクマに命令するアクマなんて聞いたことがねえ」 「だから僕は人間ですったら」 「どっちも同じだ! 質問に答えろ!」 怒鳴ったところで、がたんと車体が大きく揺れた。金属が激しく擦れる音がする。思いきりブレーキを掛けているのだ。やがて車体が停止する前に、部屋が大きく傾いた。 「――ッ?!」 「……え?」 激しい衝撃があった。横転したのだと気付いた時には、既に宙に放り出されていた。 どん、という腹に響く地鳴りがあった。地面に叩き付けられたのだ。 「……てっ、敵襲! アクマ、ボール型のレベル一です!」 「いや、違う、それだけじゃな……うわああっ!!」 「チッ……!」 神田は舌打ちをして、外へ向かうべく体を起こそうとして、 「重い! どいてください! 僕をクッションにするなんて良い度胸ですね貴方!」 身体の下から声がする。白い後ろ頭が見える。小さな背中もだ。 どうやらモヤシが下敷きになったようだ。おかげでまともな衝撃もなかった。 「……はっ。お仲間が来たってよ」 「あんな奴ら仲間なんかじゃない」 モヤシは溜息を吐いて、まあどうでも良いんですけどね、と言った。 「それより良いんですか。お仲間を助けに行かなくて?」 「そうだな」 神田はぎろっとモヤシを睨んだ。 お前を壊してから行く、と言おうとしたところで崩壊が起きた。豪奢な壁が一瞬で吹き飛び、剥き出しの車輪が目に飛び込んできた。 それと一緒に忍び込んできたものがいる。毒々しいピンク色をした、細長い巨大な影だ。 のっぽのアクマだ。その横にチビの仲間を引き連れている。 『エクソシストみーっけ!』 アクマは流暢に喋った。レベル一のぎこちなさはそこに見て取れなかった。 レベル二。厄介なのが来たものだ。 『おおお、美味そうな人間もいる! どっちする?』 『黒いの!』 『じゃあ白いのいただき!』 チビのアクマが素早い動作で神田に襲いかかってきた。反射的に六幻を引き、爪を弾いた。 もう一匹のノッポは、細長い触手のような手を伸ばしてモヤシに躍り掛かった。 「ちっ……!」 モヤシは咄嗟に飛び退いて――おおよそ事務員や探索部隊には似つかわしくない跳躍力だ――袖口から警棒を取りだし、構えた。余裕を湛えていた顔は、今は苛ついたように顰められている。 「レベル二ごときが!」 『あー、ごときって言った。ここまで育つの大変だったんだぞお? お前生意気だから、すごく汚い死に方させてやるう! 綺麗なものが薄汚れるのはすごく気持ちイーんだあ!』 ノッポの頭部が花のように開き、そこから円錐型の口のような器官が現れた。蛍光色の粘液の玉が発射される。モヤシが綺麗に避けていく先で、それは着弾した壁を溶解していく。 『当たれよお、生意気い!』 「無礼者! この僕に気安い口利くんじゃねぇよ、クソアクマヤローが! もう一回死ね!」 「…………」 なんだかすごい台詞を聞いてしまったような気がしたが、神田は聞かなかったことにして――あのモヤシから礼儀正しさという最後の砦を奪ってしまったら、一体何が残るのだ。それに神田の方だって忙しいのだ――目先のアクマに集中した。チビだが非常に素早い。だが素早さと動体視力なら、アクマなどに負けはしない。 向かってきたところを一閃し、切り捨てる。まばたきの間もない。それで終わりだ。 「相手が悪かったな」 囁き、もう一体に向直ったところで―― 「消えろ」 またアレだ。モヤシに引っ叩かれた箇所から、アクマの身体にどんどん薄い光が浸蝕していき、やがて光の粒子になって、空気に溶けて消えた。無音の破壊だった。 「……ああ、気持ちが悪い。服が汚れてしまってないかな」 彼は肩を竦めて溜息を吐いている。戦いの気負いは全く見て取れない。 「……その棒は、何だ」 アクマを滅ぼす力など、イノセンス以外考えられない。モヤシは嫌そうな顔になって、何も大したものじゃあありません、と言った。 「何で貴方にそんなこと答えなきゃ」 「斬るぞ」 「警棒ですね」 「どこで手に入れた」 「先日駐在に道を聞いた時にパクッてきました」 「……見せろ」 「貴方が僕の名を呼んでくれたら差上げますよ。もちろん『様』も付けてね。アレン様と……」 相変わらず本気か冗談か判断つきかねるふうに言って、モヤシは首を傾げた。 「それよりもどうするんです?」 「任務は続行だ。お前のことは帰ってからコムイに報告する」 神田は事務的に答えた。それが最優先だ。どんな手段を使っても目的地まで辿り付き、任務をこなし、帰還する。それ以外は求められていない。それがエクソシストと言うものなのだ。 モヤシは、神田の答えに意外そうに目を軽く見開いた。 「今ここで斬らないんですか。意外でした」 「……斬られたいなら望み通りにしてやるが」 「謹んで遠慮します。痛いのは嫌いなので。ただ――」 彼は崩れた壁からひょいっと白い顔を出して、首を傾げた。感情が薄い目だ。こんな時でもまともな表情ってものがない。 「ここはどこなのでしょうね」 辺りは一面の黒で覆い尽くされていた。針葉樹の森だ。それがずうっと続いている。 線路の続きは地平線の果てに消えていた。次の駅は一体どこにあるんだろうか? 神田とモヤシは揃って溜息を吐いた。顔を合わせてからこっち、初めて意見が合ったようだ。 |