18:「死刑宣告の再来」




 道中はお互い無言だった。言うべき言葉が見つからなかった。馬車はすごいスピードで駆けていく。
「おい」
「何も言わないで下さい」
 モヤシは白い顔を更に真っ白にしていた。気持ちは解るが、土気色を通り越して灰色になっている。
「死刑宣告を受けた囚人が断頭台に上がっていく気分です。まあ僕は死なないんですが」
「お前のその根拠の無い自信は解らんが――
 神田は目を伏せ、ぽつりと言った。
「哀れだな」
「…………」
 馬車は来た道を戻っていく――そう、終わってしまったのだ。日はまだ落ちていない。何とかひどい目には遭わされずに済みそうだった。






◇◆◇◆◇






「今夜は家族水入らずで話がしたいんでな。おいポニーテール、お前は出ていけ」
「了解しました」
「げ」
 モヤシが信じられないふうな顔をして神田を見た。その目は言葉にせずともこう言っていた。『この裏切り者!』……彼はこの際捨て置いても良いだろう。特に助けてやる義理もない不審者だ。
「こいつは昔からイタズラッ子でなぁ」
 クロスは機嫌良くニヤニヤ笑いながらモヤシを見た。彼は天敵に食われ掛けている子鼠のように硬直し、虚ろな目を見開いていた。
 クロスが立ち上がり、モヤシの頭を撫でた。身長差もあって、まるっきり大人と子供の風体だ。
「お前らも散々手を焼いてたろう? 良く言って聞かせておく。よおくな」
「ぐ……」
 どうやらクロスはモヤシの不審な奇行について、感付いているようだった。なら後は任せておけば安心だろう。彼が敵であれ味方であれ、大分手が掛からないようになるはずだ。






◇◆◇◆◇






「久しいな、アレン。五年ぶりだ」
「……そうでしたか」
 アレンは目を眇めてそっけなく言った。クロスはベッドに足を組んで座ったまま、ニヤニヤしてアレンを見つめている。彼の視線は非常に居心地が悪くなるものだった。
 宿は田舎とは言え一級のものだった。この辺りが浪費家の性分だろう。金を掛けないと我慢がならないのだ。そのお陰でアレンともういない家族たちはひどい目に遭ったのだ。
「その白髪、はじめは老人かと思ったぞ。まあ元々中途半端な赤毛だった。今のが似合っている」
「……それはどうも。というか貴方のせいなんですけどね」
 ぶすっとして言うと、クロスはにやっと口の端を上げた。
「ごっこ遊びは楽しかったか? アレックス=E=ウォーカー?」
「……何のことでしょう」
 アレンは小さく舌打ちした。バレている。どう言う訳かクロスにはアレンを捕縛する気配は無かったが、相手はいつだってアレンを好きにできるのだ。その実力がある故の余裕だろう。まったく腹が立つったらない。
「大分友人を作ったようだな。重度の方向音痴のお前のことだ。迷子にならないように地図でも作って貰ったか」
「…………」
 クロスは隙だらけだ。殺そうと思えばいつだって殺せる――はずだ。だがどうしても最初の一歩が踏み出せない。兄との殺し合いの訓練と同じだ。下手を打つと隙だらけだったはずの兄の手に、いつのまにかアレンの心臓が握られている。
 すっと、クロスが音もなく立ち上がった。彼は恐ろしいくらいの長身だ。アレンとは比べものにならない。まるっきり大人と子供の態だった。
 彼は静かにアレンの胸元に手を伸ばし、





「マナをアクマにしたな」





 急激に強い力で胸元を引き絞られた。咄嗟に離れようともがいたが、クロスの腕はびくともしない。
「なっ……ぐっ!」
 首をぎりぎり絞られて、アレンは喘いだ。まるっきり相手にならない。
 軽々とアレンを宙吊りにして、すぐ傍でクロスが囁いた。
「ケビン=イェーガーを殺したのはお前か」
「がっ……!」
「……違うか。お前のような乳臭い小娘じゃあ返り討ちだ。誰がやった」
「知った……ことじゃ、」
 アレンは息を詰めながら吐き捨てた。力の差は大きかったが、どのみちアレンは死なない。この程度では何の問題も――
「身体に聞いても良いんだぞ」
 壁に叩き付けられて、腹の奥にまで衝撃が来た。痛い。痛いが、まだ耐えられる。耐えなければならない。こんなところで、敵の目の前で前後不覚に陥ってなどはいられない。
「お前はこう思っているだろう。どうせ何をされても死なない。阿呆が、死ぬより辛い拷問なんて腐るほどある。溶かした金属の中で煮込まれたことは? 酸の海で溶かされ続けたことは? ウジ虫に生きながら食われたことは?」
「……っ! う……」
 アレンは青ざめて頭を振った。危機感と焦燥と恐怖が急速に浸透してきた。
 怖い。何をされるのか解らない、クロスは酷薄に笑っている。多分アレンが泣き叫んでも、同じ顔でいるだろう。
 人間のくせに、アクマたちよりも余程得体が知れない。怖くてたまらない。
 クロスの腕がアレンの首を、ますます強く引き絞った。
「いや……と、さ……マナァ……」
 かたかた震えて、涙目でアレンは救いを求めた。痛い、その上異様な恐ろしさが襲ってくる。
 この男はマナを知っている。アレンを知っている。昔の記憶に出てくる男だ。それが余計に怖い。
 今となっては、マナの記憶を鮮明に呼び起こさせるものは何だって恐ろしかった。
 愛しているのに、何よりも恐ろしいのだ。それは痛みだ。呪いだ。あのアレンにとっては世界の終わりを告げるマナの呪詛だ。





――アレン、お前を





「いやあぁ……ッ!」
 アレンは悲鳴を上げた。羽交い締めにされた腕を渾身の力で振り払って、クロスから離れた。反動で全身を強く打ったが、もう痛みも感じなかった。痛みが呼び寄せるあの恐怖は、もうアレンのすぐ傍まで来ていたのだ。今更どちらでも同じだった。逃げられやしない。
「うああああ……来ないでっ、マナっ……」
 殺さないで、とアレンは哀願した。座り込んで頭を抱えて、蹲ったままかたかたと震えた。目をぎゅっと閉じると、白と黒の世界は消え去って、ただ足音だけが聞こえる。マナの足音が近付いてくる。アレンを探している。約束を守る為だ。
 アレンを呪い、殺しにマナがやってくる。
「殺さないで……!」
 そして徐々に痛みとも苦しさとも違う感覚がアレンを覆い始める。切なく、胸に染み入る感触だ。それは切望だ。だがもう今になって言葉に変えてしまうのは許されないことだ。飲み込んでおかなければならない。無かったことにしなければならない。





「マナ=ウォーカーは……」





 頭に大きな手が乗った。アレンはびくっと震えて、縮こまった。クロスの静かな声が降ってくる。





「お前を殺したのか」





 震えながらアレンは頷いた。マナは一度アレンを殺した。だがアレンはノアだ。不死者は死ぬことができない。
 だからマナは何度だってやってくる。
 彼は今まで一度もアレンとの約束を破ったことがない。
 アレンを呪って殺すとマナは言った。それは約束だ。何度も何度も繰り返される約束だ。





「マナが恐ろしいか」





 アレンは頷いた。震え声で、怖い、と言った。
 そしてしばらく口篭もって、でも愛してる、と言った。
「……マ、マナがそうしたいのなら、僕は何度でも……」
 言い掛けたところで、頭の上にクロスの手とは違うずしっとした重さを感じた。温かさはない。だが冷たくもない奇妙な感触だ。
 目を上げると大きく開いた羽根が見えた。奇妙な丸い物体だ。これはさっきクロスの頭に乗っていたものじゃなかったろうか。
「阿呆め。もういい。それを貸してやる。お前のお目付け役だ。いつも見ている。本部で妙な素振りを見せたら、お仕置きだ。覚えていろ」
 金色のボールに羽根が生えた奇妙な生き物(?)だ。これもゴーレムなのだろうか。少し可愛いが、他のものとはちょっと違う。
「……僕をどうするつもりです」
「どうもせん」
「……僕は貴方がたエクソシストの敵なんですよ。僕はノアのアレン=ウォーカー。敵の情けなんて受けたくはありません」
「言ったはずだ。お前のことはマナに任された。この話は以上だ。どのみちお前ごときがどちらについても何も変わらん」
「……ひどい侮辱ですね。 後悔することになりますよ、クロス=マリアン元帥」
 アレンは赤くなった目を恨みがましげにクロスに向けて、冷たく言い放った。
 だが案の定、クロスに堪えた様子は全くなかった。
「そうだな、明日になったら服を買ってやろう。お前に似合うドレスだ。俺の娘なら男物を着ていることなど許さん」
「……何を好き勝手なことを……! 貴方お金持ってないでしょう? それに僕の勝手です。借金王がいきなり父親面しないで下さい。僕の父はもう間に合ってます」
「それは知っている」
 クロスは馬鹿にしたような、懐かしい過去を思い出したような顔をして、鼻で笑った。
「そして俺の友人には、死んでまで娘の尻を追い掛けているような阿呆な暇人はいない。今頃天国で酒でも呑んでるさ」
「……慰めているつもりですか」
「出来る限りな、レディ」
 アレンはぷいと顔を逸らして、貴方を信用したわけではありません、と言った。
「ですが僕の行動を阻害しないのでしたら、干渉する理由もありません。僕では貴方には敵わないでしょう。放っておいて下さると言うなら、それに越したことはありません」
「俺は知らん。お目付け役はどうだかは関係ないがな」
 クロスの返事もどうでも良さそうなものだった。だが、





「…………」





 アレンは言葉を失って黙り込んだ。金色のゴーレムは、一見無害そうな外見をしているくせ、その口を開けると無数の尖った歯が生えていた。一噛みで人間の頭蓋も砕けそうなほどに鋭い牙を持っている。お目付け役ということは、アレンが不審な行動を取ったと認識すると、もれなく『矯正』が待っているのだろう。
 どうやらこれからの仕事は大分困難なものになりそうだった。










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