20:「灰色の疑惑」 |
アレックス=E=ウォーカー、通称アレンが神田ユウの周りに現れてからしばらくが経った。彼はまるで空気のようだった。気がつけばそこにいて、振り返るともういない。幽霊が肉体を持ったような感じだった。奇妙な存在感があった。だが透明で、掴みどころがない、得体の知れないところがあった。 彼が初めて現れた時にあったような記憶の混乱は、最近では無くなっていた。そのかわり、時折クロス元帥の金色のゴーレムに噛みつかれて罵声を上げている彼の姿を見掛けることがあった。信用も信頼もできなかったが、まあ慣れた。それというのも、彼の性質があったせいかもしれない。アレンはほとんど自分から他人に干渉することをしない。例外として一部の女性を除いては。馴れ合いを嫌う神田にとって、それだけはまあ邪魔にならないものだった。 「リナリーがマドレーヌを焼いて下さったんです」 アレンが穏やかに言った。彼はほとんど笑うという行為をしなかったが、とりわけ女性に関しては例外だった。作り物めいた礼儀正しい笑顔を浮かべ、紳士的な物腰で接する。わざとらしさが鼻につくが、彼の美しい顔立ちがそれを幾分か自然に見せていた。 「これからお茶会なのですよ。午後の至福の一時ですね。美しいリナリーと楽しい午後の語らいと甘い物。どうでしょう?」 「何が言いたい」 いい加減無視しても無駄なことは理解してきた頃なので――アレンは気まぐれな性質をしていたので、気が向けばいつまでも粘り続けるが、向かなければさっさとどこかへ行ってしまう。それがどんなに大事な案件でも同じだった――神田は仏頂面で返事をした。アレンは頷き、貴方のことですよと言った。 「神田をぜひ誘うようにと彼女が言っていたので。どうせこの後は愚にもつかない修練くらいしかすることがないのでしょう?」 「……ふざけるな。もういっぺん言ってみやがれ」 「気に触ったのなら謝ります。ただ僕は修行や努力、根性と言ったものが死ぬ程嫌いなのです。駄目なものはいくら頑張ってもどうしようもない、手に入るものは自然に手に入る。全て神がお決めになることですよ、アーメン?」 「お前とは意見が合わない」 「知っていますよ。ああ神田、そうだ、任務のお話もあったんですよ、ついでに」 「……任務をついで扱いすんじゃねぇ!」 激昂して怒鳴ると、アレンはしてやったりと言う顔になった。彼は神田を怒らせることが好きなようだった。癪に障る奴だったが、能力は申し分なかった。サポーターとしての実力は烏合の衆を飛び抜けていた。良く気がつき、機転が利いた。その点は評価してやっても良かった。素性の知れなさとたちの悪さを除いてだが。 「聞くところ、今日どうやらエクソシストの誰かが教団へ帰ってくるそうなのですよ。僕は良く知らないのですが、有名人のようですね。今後の方針も彼ら次第で決めるそうです」 「……クロス元帥か?」 「はは、まさか。あの男だったら、僕は今こうやって貴方とまともに話なんてしていませんよ。荷物を纏めてトンズラしてます」 「……それは解ったが、何故お前がそんなことを知ってる?」 今後の動向に関してなんて、教団内部でも重要な情報だ。何故アレンが知っているのか? 彼はあっさりと肩を竦めて、リナリーです、と言った。 「みんなに言って回ってましたけど。久しぶりだからお迎えパーティーをやるんだって」 「……なるほど、となると、帰ってくるってのはあいつか。めんどくせぇな」 「おや、ご友人ですか? ともかく詳しい話は後でリナリーに聞いて下さい。急がなければお茶会に遅れてしまう。もちろん来ますよね?」 首を傾げてアレンが訊いた。訊いたと言うよりも、念を押したという風な仕草だった。神田は舌打ちをして背中を向け、乱暴に言い放った。 「……先行ってろモヤシ野郎。お前と仲良く顔出すなんざ反吐が出る」 「アレンです! いい加減名前を覚えて下さいませんか?」 何を言っても涼しい顔をしているアレンだが、きちんと名前を呼ばれないと急に子供っぽい顔になって機嫌を損ねてしまう。無礼な台詞を吐かれっぱなしの神田は、それに少しばかり溜飲を下げる。アレンと神田の遣り取りは、大体がそんな感じなのだった。繰り返しだ。どう好意的に見積もってみても、仲が良いとは言えない。 「……場所は談話室です。午後三時から。遅れないで下さいね」 アレンが諦めたように言った。 ◇◆◇◆◇ 談話室にはしばらく見なかった見知った顔があった。老人と少年。赤毛の男は神田を見付けると朗らかに笑って手を振った。 「よーユウ、久し振りー」 「お久し振りです、ブックマン。ついでに名前で呼ぶなジュニア。話とは?」 「ラビって呼んでぇさ! 俺達友達だろー!」 「まあその辺座ってよ神田。ちょっと待ってね。今リナリーがお茶入れてくれてるから」 室長のコムイがリラックスした様子でソファに座っている。彼はやっと部屋から出られたとほっとしたような顔つきだった。 室内には数名の顔があったが、どれもが見知ったものばかりだった。室長とエクソシストたち。普段は様々な班の人間で賑わう談話室は、人払いがされたのか、今はがらんとしている。 一瞬沈黙が落ちたところで、扉が開いた。ポットを抱えたリナリーが顔を出し、彼女に続いて人数分のカップとバスケットを抱えたアレンが現れた。極度に肉体労働を嫌い、普段なら文句ばかり言っているアレンは、リナリーの前だからだろう、薄い笑みを湛えている。その顔に不満は見えない。この女たらしめ、と神田は胸中で毒づいた。彼くらいはっきりと態度を変えられると、もう腹も立たない。 「みんな、お待たせー。セイロンティーでいい? 神田は日本茶しか飲まないんだったよね」 「……貴方まだそんな好き嫌いしてるんですか? まるっきり子供じゃないですか」 「うるせぇ」 ぶすっとして神田が険悪に睨むと、アレンは肩を竦めて、まあ好きにしてください、と言った。 「じゃ、始めましょうか。ああ、アレックスくん――」 「ええ、席を外します。僕はエクソシストではありませんからね」 退室しようとするアレンを、コムイは首を振って引き止めた。君もいていいよ、と言った。 「クロスの近親者だからね。特別だよ。君が現れなければ、彼の情報は無かった。どうもあっちも、君を探していて任務中の神田と遭遇しちゃった、みたいな感じだったから」 「そうですか」 アレンは頷き、神田の隣に座った。彼でも緊張することがあるのか、気安くソファの上に置かれた手が、他の者にはテーブルで隠れて見えないだろう位置でぐっと握られている。 コムイが語り始めた。彼の声とリナリーがカップに紅茶を注ぐ音だけが談話室に響いた。 「みんな知ってるとおり、先日ケビン=イェーガー元帥が殺されました。オペラ座舞踏会の壇上、十字架に裏向きに吊るされて発見されました。彼の背中には『神狩り』――イノセンスだね。そう彫られ、彼が所持していたイノセンスは全て無くなっていた。最後に生きた彼の姿を見たのは、瀕死の姿で発見される十分前。ほんの僅かな時間の間に何が起こったのかは想像もつかない。でも結果彼は殺されてしまった」 「元帥が……あんなに簡単に殺されてしまうなんて。アクマはいなかったはずなのに」 リナリーが口元を押さえ、痛ましそうに呟いた。寒気を感じているようで、小さく身体を震わせている。 コムイは頷き、そうなんだ、と言った。 「そう、アクマはいない。例の舞踏会はね、ヴァチカン上層部との会談のカムフラージュのようなものだったんだ。レントゲンが全ての人間を判別してくれる。結果、アクマが入り込めたはずはない。人間がやったんだ。誰か、元帥をも殺せるような、アクマ以上に悪魔のような人間がね」 「そんなの、いるの?」 「まあリナリー、その為に彼を呼び寄せたんだ。ラビ――ジュニアがブックマンを連れて来てくれた。……ブックマン。お願いします」 「いいのかね」 ブックマンは頷いた。彼の口から語られたのは、ある一族の記録だった。アクマでもブローカーでもない、伯爵に通じる存在があること。歴史に痕を残さず、存在は不確かで得体が知れない。だが確実に存在する。悪い夢のようなものだ。彼らの名は「ノア」と言った。 「……簡単に語るとこういうモノだ。室長、詳しい話は後でしよう。ノア一族が動き始めた可能性が非常に高い。現時点では確定はできんが」 「うん、とにかく伯爵側にそんな得体の知れない存在が現れた。そのことをみんなに知らせておきたかったんだ。群集に紛れてエクソシストの警備を掻い潜り、ほんの十分で元帥を殺害し、全ての作業を済ませた者がいる。我々は相手の姿も見ていない。だから一体どんな姿をしているのかも解らない。特徴的な外見なのかもしれないし、あるいはごく平凡な人間なのかもしれない。 これから君たちには、元帥の護衛についてもらいたいんだ。伯爵たちは強いイノセンスを狙っている。 ぶっちゃけた話をしちゃうと、この本部も安全じゃあない。人間の姿をしているのなら、潜り込むのも簡単だろうしね。もしかしたらもう入り込んでいるかもしれない。昔から知っていた人間が、実はノア一族だった、なんてこともあるかもしれない。 方法としては、挙動不審な人間に注意しつつ、相手方の様子を伺うくらいしかできないんだ。今のところはね。まさかアヤシイからって、エクソシストじゃない人間を皆殺しになんてできないでしょ」 後手後手だ。神田は舌打ちをして、コムイを睨んだ。 「そんなんじゃいつまで経っても勝てねェだろうが」 「残念だけどね、でも待つことも大切だ。彼らはそのうち、どうにかしてこちらに接触を図るはずだよ。あちらにしたって、自分たちの人間の姿を利用しない手はないんだ。疑われずに潜り込んで、情報を奪うことができるし、上手く行けばボクらを内部から破壊することができるかもしれない。じきに近いところへ現れるよ」 「怪しい奴だったら、どこにだっているじゃねぇか。例えばここにいるモヤシ野郎。こいつだ」 神田は隣に座っているアレンを睨みつけ、凄んだ。 「お前がノアじゃねえのか? 何かにつけて怪しいぜ。お前がスパイだったとしても、俺は驚かねえよ」 「ちょっと神田!」 「それはない」 リナリーが制止するのを押し止めて、ブックマンが静かに囁いた。彼の声は低く、独特の凄みがあった。 「ノア一族は黒い髪に濃灰色の肌が特徴だと伝え聞く。無闇に仲間を疑うのは止されよ」 アレンはその条件のどれにも当て嵌まらなかった。陶器のような白い肌に、白髪。ノアの性質とは真逆だ。神田は溜息を吐いて、彼に謝罪した。 「……すまなかった」 「構いませんよ。貴方に嫌われているのは知っています」 アレンは気にしたふうでもなく首を傾げ、セイロンティーのカップを口に運び、美味しいですリナリ―、と言った。 「ありがとう」 「うん……ごめんねアレンくん」 「気にしていません。神田が無礼なのはいつものことです」 何となく居心地の悪い空気が流れる中で、「お茶会」は終わった。 |