21:「天敵、監視者」




 その赤毛の男には見覚えがあった。名前はラビと言うらしい。エクソシストだと言うのは知っていたが、ブックマンのジュニアという肩書きがくっついていた。ブックマン、どこかで聞いたことがあるなとアレンは考えたが、思い出すことはできなかった。確かいつか千年公に聞いたのだ。でも良く覚えていない。歴史だとか知識だとか言ったものには興味を覚えなかった。アレンの興味を惹いたのは、千年公のからくり仕掛けの方だ。
「どっかで会ったことねえさ?」
 黒の教団本部でのラビとの会話は、それが最初だった。彼はすごく気持ちが悪そうな顔をしていた。自分の記憶に間違いなどないという確信を持っているくせ、アレンのデータを選び出せないことに苛立っているようだった。
「うーん、白い髪の人間に会ったのは、それから年齢で選り分けると、あんたで四人目さ」
 ラビはしげしげとアレンを眺めて、「あんた男だよな」と言った。アレンは顔を顰めて当たり前ですと返した。
「見ればわかるでしょう」
「うん、いやさ、あんま綺麗な顔してるからさ。まいっか、「モヤシ」だっけ、いくつ?」
「アレンです!」
 アレンは怒鳴って、ラビを睨み付けた。彼は何がアレンの機嫌を損ねたのか解らないといった顔をして、ぽかんと口を開けている。
「へ? なんかマズいこと言ったさ、オレ?」
「アレン=ウォーカー! ……アレックス=E=ウォーカーです。僕は正しく名前を呼ばれないことが一番嫌いなのです」
「おー。オッケー、アレン?オレはラビ。ジュニアって呼ぶ奴もいるけど、ラビでいいから。わー、悪かった、さ?」
「……いえ、僕も大声を出してしまってすみません。ラビ、失礼をお許し下さい」
「はえ? いいってそんな丁寧に」
「僕は貴方の部下に当たります。そういうものなのでしょう?」
 アレンは首を傾げてラビを見上げた。ラビはなんとなく居心地が悪そうな顔を浮かべ、なんだこれ、と呟いている。
「……あ? え? なんだこれ。アレの予感? いやいや微妙にストライク範囲からは外れてるハズなのになんだこれ。――ってあ、いや、そだアレン。ユウの奴となんかあったさ? あいつからあんなふうに誰かに突っ掛かって行くなんて珍しいなーと思って見てて」
「……はあ? ああ、ええ、嫌われているようですね」
「そーかなー……」
 ラビは腕を組んで宙を見つめて、しばらく考える素振りを見せた後、ちろっとアレンに視線を寄越した。
「アレンはユウのこと、どう思う?」
「ええ、真っ直ぐで綺麗なひとですね。僕は好きですよ。あの頭の回転は早いくせ応用がきかないところや、猪突猛進の突撃馬鹿なところなんか、あの外見とのギャップというか意外性を見ていると小突きたくなります」
「……それってどっちかって言うと……ま、いいや。な、あんたマジでサポーターなん? エクソシストじゃなくて?」
「はは、もし僕がイノセンスを持ったエクソシストなら、とっくに神田とかに闇討ちを掛けています」
「やっぱりユウ嫌いなんさ……うん、そっか。ならいいんさ。引き止めて悪かったな」
 話はこれで終わり、というふうにラビが軽く手を上げた。繋がるのはお終い、という仕草に見えた。彼は明確な線引きを持った人間だった。朗らかで人当たりの良い顔をしてニコニコ笑っているが、彼自身あまり他の人間が好きではないように見えた。
 面白いひと、とアレンは考えた。特別に人間を愛している訳ではなさそうだ。でも人間の味方をする。いや、味方か? 彼は仲間の前でも、取り繕った顔でずっとニコニコしているのに?
「ラビ、聞いても良いですか?」
 アレンは「線引き」が済んでしまった後のラビに声を掛けた。ちょっと驚いたような、「もう話は終わったはずなのに」という意外さが表情に見て取れた。そこには僅かに、誰も気付かない程度の気だるさがあった。面倒臭そうな気配が感じられた。
 でもそれを表に出すことはせずに、ラビはにっと笑って頷いた。
「うん? なんさ?」
「貴方は何故エクソシストをやっているのですか」
「変なこと聞くなあ、アレンはあ」
 ラビはまだ笑っている。すごく自然でソフトな笑顔だ。きっと誰も疑わない、混じりっけなしの笑顔だ。でもアレンは知っている。彼は本当に笑っている。でも本当の彼自身とは乖離している。
 良く似た例を知っている。本当に良く似ているのだ。
 鮮やかな赤毛は似ても似付かなかったが、ラビはきっと真面目な顔になっても、目だけは笑っているのだろう。
「きっと人間が好きなんでしょう? 仲間を守りたいのですよね。貴方はイノセンスに選ばれたヒーロー……それができる。世界を救うことができるのですよね」
 嘲りと侮蔑を排除した声で、真摯にアレンは言った。胸に手を当てて、さも誠実そうにだ。ラビはぱちくりと目を丸くして、苦笑した。きっと彼は今こう思っているはずだ。「何を馬鹿な、大げさな、人間なんて好きじゃない。世界なんて救う価値がない。ヒーローなんてどこにもいない」……彼はきっと本当は知っているのだ。自分がどれだけ馬鹿げた茶番に混じっているのかを。
「貴方がただけがアクマを壊せるのでしょう? 最初にイノセンスでアクマを壊した時、どんな気分がしましたか? 爽快? 嘔吐感? 達成感? 貴方の正義は満たされましたか?」
「はは……アレン、」
 ラビは困ったように眉を下げて、苦笑しているだけだ。何も言わないが、思考は読める、解る。「何を勝手なことを!」「なんにも知らないサポーターが踏み込んでくるところじゃない」「アクマを壊したこともないくせに!」――そう、こう思っているはずだ、「人間のくせに!」と。
 アレンはじっとラビを見つめた。ラビが苦笑した顔のまま、半歩後ろへ下がった。
「ア、アレン?」
 こっちに来なさい、とアレンは考えた。命令した。その「人間じゃない」、「選ばれた者」にしてあげます、と考えた。
「……今、貴方は「人間」の「僕」を見下した。貴方本当は人間なんか嫌いなんじゃあないんですか? なんでエクソシストなんてやっているんです? 馬鹿な人間を守るため? それこそ馬鹿馬鹿しい。そう思いません?」
「……いや……それは、」
「守る価値もないものなんて、いっそのこと全部壊れちゃったら良いのにと思ったことは?」
 ラビの目がぼうっと霞み、輪郭を失った。彼は操られたように薄く口を開けて、囁くようにひとりごちた。
――……ああ……そう、たまに……、めんどくさくなるさあ。ほんとは人間なんかオレ――
「……そうですよ、ねえ?」
 アレンは唇を吊り上げて微笑もうとした。
 さあこっちへ、と彼に囁こうとした。
 だが、



――ぁいったああああぁあ!!」



 いきなり頭にひどい激痛を覚えて、悲鳴を上げた。大声でだ。
 アレンの頭には、しばらく休眠して動かなかったはずのティム・キャンピーががっぷりと噛みついていた。巨大な口が頭半分を咥え込んで、ひとつひとつが大人の指ほどもある牙で、やられた方はたまったものじゃない。血が出た。痛い。それらはアレンに容易にパニックの症状を引き起こした。
「い、いやあああ! 痛い痛い、痛いっ、たすけてマナァっ! ごっごめ、ごめんなさい、マリアンおじさまあああ! うそです、すぐやめますから、もうしません――――!!」
 泣きが入りながら謝って、ラビを解放すると、ティムはアレンに噛みつく力を緩めた。でも頭を咥えたままだ。アレンは恐る恐る言った。
「あの……ティム、吐き出して、もらえませんか、僕の頭……」
 ティムはしいんとして動かない。びくびくとしていると、ふいにどさっと言う音がした。振り向くとラビが倒れている。アレンは諦めて頷いた。
「……はい。やります。ごめんなさい、ケアとフォロー、します」
 ティムはまだ動かない。目もないのにアレンをじっと見つめているようで、ひどく居心地が悪くなった。







◆◇◆◇◆







 目を開けてまず、ソファの上にいること、なにか柔らかくて気持ち良いものの上に頭が乗っていることに気がついた。それからどうやら今いるのは談話室らしいぞと気がついた。人気はない。時計の針はちょうど夕食の時間帯を指していた。そのせいだろう。
 腹は減っていなかった。もう少し眠っていたい。ここ最近任務とアクマの襲撃でたて込んでいて、ろくに眠っていなかったのだ。教団本部では何かあればスピーカーが叩き起こしてくれるし、目ざといエクソシストが何人もいる。幾分気を休めて眠ることができる。
「……はえ?」
 そう言えばなんで談話室なんかで寝てるんだろうと、ここでラビはふと疑問に思った。自室へ戻ったんじゃあなかったか? パンダじじいにくっついてコムイたちと話し込んで、廊下に出たあたりから記憶があやふやだ。眠気が限界だったのか? そう言えば誰かと適当に話をしたようにも思うが、覚えていない。もっともこの疲弊状態では、まともな会話ができたかどうか疑問だ。ひどく疲れていて、身体が重く、頭痛がする。次の任務が入るまではもう寝ていよう。
 目を閉じて、再び寝入ろうとしたところで、あれ、なんか変だなとラビは思った。
 あったかい感触が頭のあたりにあった。柔らかくて気持ち良い。しばらくすると、とくん、とくん、と微かな心音を聞くこともできた。
 誰か、そばにいる?
「…………あ?」
 目を開けて顔を上げると、黒いスーツを着込んだ銀髪の少年が見えた。綺麗な顔で、睫毛が長い。額から頬にかけて刺青があった。
 彼も眠っているようだった。目を閉じて、うつらうつらとしている。
「……アレン?」
 手を伸ばして頬を触ると、彼はむずかるように顔を顰めた。起こすな、という意思表示だ。
「アレン、アレーン? なんでオレら談話室で寝てんの? つーか、なんでオレお前に膝枕してもらってるさ?」
 疑問だ。アレンの頬を軽く叩くと、彼はうっとおしそうに、うう、と唸った。
「……なあに、みっき……まだ起きたくないよぉ……」
 ちょっとストライクだった。「みっき」が誰かは知らないが、眠気混じりの舌ったらずな声でぽそぽそ呟く彼は幼いと言って良いくらいだった。かわいい。
 まあもうちょっとくらい良いか、とラビは考えた。実際最近疲れていたし、もうちょっとくらい膝枕を堪能するのも悪くない。いそいそとアレンの膝に頭を戻したところで、間の悪いことに、アレンがびくっと痙攣した。飛び起きた。
「…………あ」
「うわ」
 おかげで放り出されたラビの頭は、床にごちんとぶつけられる羽目になった。ラビはのろのろとソファによじ登り、ひでえさー、と口を尖らせた。
「痛いさー急にそういうのなしさ……せっかくの膝枕が」
「……おはようございますラビ。起きたんですか」
「アレンもね。オレら、なんでこんなところで昼寝してんの?」
「貴方が、お話をしている途中で寝込んでしまったんですよ。余程疲れていたんですね。もう平気ですか?」
「あやや。そだっけ?」
「そうですよ」
 穏やかにアレンが頷く。そうだっけな、とラビは考えた。それで近くにいたアレンの膝を捕まえて枕にしてやったのだろうか。そうだとしたら少し悪いことをした。
「……あー……悪かったさ、アレン。枕にしてたみたい?」
「構いませんよ。僕も久し振りにちゃんと眠れましたし。ラビはなんだか安心しますね」
「そっか?」
「ええ。僕の兄にそっくりなんですよ。見た目は全然似てないんだけど、なんだかいろんなところがね。おかげで、少し家にいた頃の気分に戻ることができました。ありがとう」
「いや、なんかそう言われると照れるさあ」
 笑って頭を掻いて、そう言えばさっき何話してたっけ、と訊いた。アレンは首を傾げて、別に大したことじゃあなかったですけど、と言った。
「貴方がラビ、僕がアレン。そのくらいですよ」
「そんだけ?」
「ええ。僕もあまり良く覚えてなくて、寝起きが駄目なんです。全然頭が働かない」
「はは、あ、そういやアレンの兄貴? どんな奴? そんなオレに似てんの? アレン、兄貴好きさ?」
「大嫌いです」
 アレンがにっこり笑って言った。ラビは思わず硬直してしまった。大嫌いって、その人に似ているらしいラビの立場は、アレンの中ではどの位置にあるというのだろうか? 考えるのが少し怖いような気がする。アレンは笑った顔のまま――後で聞いた話だが、彼の笑顔というものは大変珍しいそうだ――付け加えた。
「ただ、顔は良いです。学がないっていうのが口癖なんですが、頭の回転が早いですね。背も高くて格好良い。優しいし、大人という感じ。でも絶望的に不潔なんです。一月風呂に入らないなんてざらですし、そう言う所は生理的に受け付けません。……ラビはちゃんと入りますよね?」
「あ、うん……ええっとオレ綺麗好きだし」
「そう、良かった。兄もラビみたいに綺麗好きなら、ちゃんと好きですよ」
「はは」
 ラビはちょっと冷汗を掻きながら、空笑いした。潔癖症がここにいる。最近忙しくてシャワーも億劫になってるなんて言えない。なんだか言ってはいけない気がする。
「はは……か、家族と仲良いんさあ、アレンはぁ」
 話題を逸らそうとそんなことを言うと、アレンは嬉しそうににこにこした顔つきになった。冷たい印象がある少年だったが、そういう顔をすると途端に人好きのする懐っこい顔になった。
「ええ、すごくね。みんな大好き。愛しています」
「ふーん」
 ちょっと羨ましいなとラビは考えたが、それより思い浮かぶのは、このアレンという少年はすごく可愛い子だなあと言うことだった。良い子だ。きっと大事に育てられたのだろう。
 ラビもニコニコ笑いながら、そろそろ腹を決めて、さっきからずっと気になっていたアレンの頭を指差した。
「……ところで、アレン。その頭……なんでティム被ってんさ?」
「…………」
 話を振ってやると、急にアレンは青ざめて泣きそうな顔になった。彼の唇が微かに動いた。読んでやると『ごめんなさいもうしませんもう許して下さい』……なんだか良く解らないが、ラビはちょいちょいと指を揺らしてティムを呼んだ。
「ティムー、何やってんさあ。お前アレンの帽子か? 重たいだろー、そろそろ退いてやれよ」
 ラビに応えてふよふよとティムがソファの上に降りた。それはアレンから、ティム・キャンピーの重みに加えて、それ以外の何かを取り去ったようだった。










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