23:「ワイルドポーカー」




 アレンは見た目どおり頑丈な体質ではなかった。エクソシストとは根本的に体力が違う。一時的な瞬発力は人間離れしているが、持続力と言うものがまるで無かった。彼はポリシー通り、修練や努力や根性と言ったものとは無縁で生きてきたのだろう。
 そんな訳で神田たちエクソシスト部隊がいつもの通り「飛び乗り乗車」を済ませた後で、アレンは青白い顔を更に青くして廊下の隅にへたり込んでいた。他のものが平然と慣れた顔つきをしているのを、恨みがましげな目で見ている――リナリーを除いて。
「……この……体力馬鹿どもめ……信じらんない……貴方がた、絶対どこかおかしい……」
「いやあ、良く頑張ったさあアレン。これからもこーいうの良くあることだから、今の内に体力つけとき」
「……僕は一般人です。おそらくどれだけ頑張っても、エクソシストにくっついていける体力は得られないでしょうね」
「アレンくん、だいじょうぶ? やっぱり背負って運んであげたほうがよかったね……」
「何を言うんですリナリー! このくらい紳士として当然のたしなみです。可憐な貴方にそんな手間を掛けたとあっては、公に叱られてしまいますよ」
 アレンは急にしゃんとなって、胸に手を当てて真摯な顔つきで言った。やはりリナリーに対して、というよりも女性全般に対しての態度が他とはまるっきり違う。あからさま過ぎた。女たらしもここまで自分に正直過ぎるといっそ尊敬できる。
「ああ、アレンくんの家族の人? 爵位を持ってるんだよね、確か。あれ、でもお父さんはクロス元帥じゃなかったっけ?」
「本当の家族のほうですよ。僕を迎えて育ててくれた方です。クロス=マリアンはあれ、勝手にぽっと出て来てなんか言ってるだけです。新手の詐欺かなにかだと思うのでほっときましょう……ってああ、いや、うそですよティム。僕実は照れてるだけなんです」
 口をがぱっと開けたティムに頭の上で威嚇されて、アレンは冷や汗を流しながら棒読みで弁解した。彼も妙なものに憑かれてしまったものだ。このままクロスを連れ戻した後は、アレンという人間が一体どうなってしまうのか想像するのも恐ろしいが、へし折れて螺旋状に捻じ曲がった彼の根性と性格はいくらか矯正された方が良いだろう。
「さて、じゃ、私は少し眠ろうかな……着くのはまだまだ先だったよね」
「ティム・キャンピーをなだめなだめ進むしかあるまい。元帥が見つかる前にアレンが食われてしまわねば良いが」
「嫌なこと言ってやんなよじじい……アレン、お前そう言や汽車ってあんま慣れてねーの?」
「……ええ。それにしてもすごいな、どういう原理で動いているのかな? さっきもすごい音がして煙が出ていましたけど、あれは何ですか? 煤がすごいですね。何か燃やしているんですか?」
 アレンはいつもの食えない顔をしているが、彼がこの汽車という機械に並ならない興味を抱いているのは容易に見て取れた。車内のあちこちを興味深そうに眺めている。そう言えば機械弄りが好きなのだそうだ。油に汚れて文句を言っていそうなイメージがあるが、技術者的な印象は彼に良く似合っていた。
「じゃ、ラビお兄さんが色々教えてやるさ。こう見えてアッタマ良いんだぜー。ちょちょっと機関室でも見学に行くさ」
「え、いいのですか?」
「ちっとは楽しみを見付けなきゃやってらんねえだろ? よっしゃ、行くさユウ」
「何故俺を頭数に入れる」
「コムイに言われたろ? アレンを守ってやれってさ。命令は守んねーと」
 神田は溜息を吐いて頭を振り、舌打ちし、やれやれと肩を竦めた。まあ、しょうがない。アレンの護衛という任務もあるが、彼を監視していなければならないのだ。そばに置いておけるなら好都合だった。
 ティムの牽制とクロスの干渉があるが、彼が不審者であることに変わりは無かった。怪し過ぎる。敵にしても味方にしても――ここで、自分の中にアレンが「味方」であるという選択肢があったことに驚いた。どうやらクロス絡みの一件で、認めたくはないが大分ほだされてしまった感がある――アレンというピースがぴったりと嵌まる立位置が存在しないのだ。彼はアンノウンだった。それが神田に気分の悪さをもたらしていた。単純に、答えが解らない時のあの苛々する感覚だ。
「……仕方ねえ」
「おや、貴方機械のことなんて解るんですか。 物覚えがすごく悪いのに」
「いちいち絡んできやがるなテメエ……」
「気のせいですよ。ラビ、機関室と言うからには一番前にあるんですか? なんでこんな細長いかたちをしているんです? 汽車はレールがないと走れないの?」
「オッケーオッケー、歩きながら説明してやるさ。ユーウ、なにぼさっとしてるさあ。置いてっちゃうぞー」
「置いてっちゃいますよ、神田。早く行きましょう」
「…………」
 なんとなくむかつく。ラビのあの兄貴面は何だ。アレンは元々合わない。おそらく相性なんてものがあれば最悪だ。とにかく気に食わない。だがここで何か言ってやってもしょうがない。神田は渋々まるでピクニックに来た子供みたいになっている二人の後について行った。







◇◆◇◆◇







 車両を移るなり先頭を歩いていたラビが立ち止まった。ラビの後ろをひょこひょこ歩いていたアレンは、彼の背中で鼻を打ち、恨みがましい顔つきになった。
「なんですか。急に立ち止まらないで下さいラビ」
「あー、あ、うん」
 ラビは何とも気を入れず頷いて、目隠しするようにアレンの顔に手をやり、神田に目つきで合図した。彼の言う所は理解できた。ちょっと取り込んでるさ。あとはこんなところだろう。お子様にはまだ早いさ。
「アレン、先メシにしようか。ワゴンのお姉さん美人だったぜ、サンドイッチも美味そうだったさ」
「ああ、いいですよ。僕もちょうどお腹が空いてきた頃なので」
「お前はいつも腹減らしてるだろうが」
「神田はうるさいんです」
 むくれてアレンが言った。だが彼の興味を逸らすには効果的だった。食事と美女。いかにもインテリと言った風情のアレンだが、案外単純なところがあった。もしかすると人格的な出来はラビと良い勝負かもしれない。
 来た道を戻ろうと振り返った先に、だみ声が放り掛けられた。
「おいぃ、逃げんのかよ。ヤロー三人も揃って金玉の小せえ奴ら」
「お兄さーん、遊びましょー。楽しいよぉ。どうせ狭い汽車ん中でヒマしてんでっしょー?」
 目を付けられたようだ。ラビがしょーがねーなというふうに肩を竦めている。声を掛けてきたのは、薄汚い身なりの三人の男たちだった。良く見れば一人年端もいかない子供もくっついている。どれも垢だらけでろくに荷物も持たず、すりきれたシャツを着ていた。
 彼らは床にトランプを広げ、何がしかのゲームに興じているところのようだった。詳しいところは興味も沸かない。「遊び相手」にされただろう客が数人ばかり、素っ裸で廊下の端に転がっていた。三人の男の傍に、剥ぎ取られたばかりだと見える衣服がいくつも積み重なっていた。どうやら大分「儲けて」いるようだ。
「……はれ?」
 男のうちの一人――黒いぼさぼさ髪で眼鏡を掛けたひょろっとした男――が面食らったような声を出した。彼はぽかんと口を開けて、しばらく神田たちを眺めていた。残りの二人の男はそれを怪訝に思ったようで、訝しげな顔つきになって彼を見た。
「んだよティキ。このコゾーども知ってんのか?」
「ん? ああ。いや、気のせいかな。えーとそっちの……えー、ポニーテール? お前どっかで会ったことなかった?」
 ティキと呼ばれた男は、急に白々しく神田を指差して言った。知らん、と神田は突っ撥ねた。なんとなく奇妙な気分だったが、知り合いに詐欺師はいなかったはずだ。その男は話はこれで終わりというふうに肩を竦めて、野良犬でも追い払うように手を振って見せた。
「まあいいや。とにかく今お取り込み中なの。見りゃまだガキじゃねーか。ホラ、行った行った。ここから先は大人のお楽しみの世界よん」
「ティーキー、どったんだよ、こんな奴らでも充分カモれるって」
「そうそう、さっきだってもっとガキっぽい奴からパンツまで巻き上げたとこだったろ」
「あー、お前らうるさい! なんかそろそろ飽きてきたの! もうお開き!」
 「ティキ」がばっとトランプを舞い上げた。床にシンプルな絵柄のカードが降り落ちる。
 ふっと白い手が伸ばされて、ジョーカーを摘み上げた。見ると、アレンだ。どうしてか、薄寒くなるほど酷薄な微笑を湛えている。彼は跪き、首を傾げ、三人の男たちに話し掛けた。
「……ハロー? はじめまして。これ、一体何のゲームなんですか?」
(アレン、こら、関わっちゃだめさ。身包み剥がれるぞ)
 ラビが小声で忠告しているが、アレンは聞く耳持たないようだった。何故か、いつのまにか目が据わっている。
「……何を、やって、いるんですか」
 ゆっくりと言葉を区切りながら、綺麗な発音でアレンが綴る。三人の男達は急にしゃしゃり出てきた少年に戸惑いながらも、彼をカモと認識したのか、猫なで声で言った。
「ポーカーだよー、お坊ちゃん」
「遊んであげようかー? 面白いよー、仕立ての良い服着てるねー、古着屋に持ってったら何日食い繋げるかなー」
「……ええ、「兄」の、お下がりなんです。とても仕立ての良い服なんですよ。ところで、僕には借金と賭け事と詐欺師とヒモ男を見ると、反射的に殺意が沸いてくる仕様があるのですが、特定はしませんがとある人物のせいで、ええ特定はしませんけれど」
 なるほど、アレンの目が据わっているのはこいつのせいかと神田は理解した。彼の境遇は今のようなねじくれた性格が構成されるに相応しいひどいものだったのだ。確かクロス元帥の保証人になったせいで父親が倒れたのだったか。何せ、彼はそう言ったものをひどく憎む傾向があるようだ。ここで殺傷事件を起こさなければ良いが。
「……遊んで下さるんですよね? 構いませんよ。賭けましょうか。仕立ての良いこの服でも? スーツとシャツと下着に靴。はは、もし僕が負けたらそこの廊下の隅にいらっしゃる方々のように全裸に剥かれて転がされるのでしょうね。はは、怖いなあ。ははは」
 アレンの微笑は鬼気迫るところまで行っていた。目がイッている。ラビはドン引きの顔つきだし、神田もなんとなく今のアレンには声を掛けたくなかった。下手に関わると呪われるような気がする。
 だが三人の男は気付いた様子もなくリラックスしており――いや、
「物分り良い坊ちゃん! 気に入った! よっしゃやろうぜ、お? ティキどうしたよ。顔が真っ青だぞ」
「列車酔いでもしたか?」
「い、いや……な、なんでも。は、ははは……あの、やめない? ほんとちょっとお腹痛くなってきて」
 さっきのティキとか言う男が、異様な空気を放つアレンを前にして、虚ろに空笑いしている。敏い性質をしているのかもしれない。この場合、第六感やそんなものが。
「んじゃ始めるか! 豪快な脱ぎっぷりを期待してるぜお坊ちゃん!」
「脱ーげ! 脱ーげ!」
「だっ、駄目だやめろやめてえええぇ!!」
「んだよティキ、さっきから変だぞお前」
「なに泣いてんだよ」
 結局何故かティキが半泣きのまま、カードが切られた。






◇◆◇◆◇






「不潔」
 アレンは呟いた。ティキの顔が一瞬引き攣ったが、彼は懸命に冷静な表情を形作ろうとしていた。
「またお風呂入ってませんね」
「……あのねアレンちゃん、」
「ポーカーってこういう遊び方もあるんですね。知らなかったや。わあ、たーのしい。僕貴方に勝てた試しがないんですけど、負ければはしたない格好で屈辱を味わうことになるんでしょうね」
 アレンはちらっと廊下の端に目をやった。屍の山が築かれている。身包み剥がれた無残な人間どもの姿だ。どうせ馬鹿ばっかりだから同情もしないが、怒りは沸いてくる。敵陣に単身乗り込み諜報活動に勤しみ、天敵に目を付けられて最悪の状況にあるアレンを放っておいて、ティキはこんな所で人間のお友達と仲良くギャンブルだ。しかもまた汚い。臭うしフケもすごい。






『コール! よっし、ついてるぜ!』
『なんだ、威勢良い割に大したことないんだぁお坊ちゃん〜』






 
まるで水の中の風景のように、周りの全てが重苦しく動いている。アレンとティキを置き去りに、それなりの盛り上がりを見せている。
「イカサマしてますね」
 アレンは抑揚のない声で呟いた。三人ぐるみで何かやっているのだろう、ブタばかり手元に舞い込んでくる。このまま続ければアレンはほどなく負けるだろう。結果はあっさり見えた。ティキを見ると額に脂汗を浮かべている。
「可愛い妹を薄汚い人間のオスの前で全裸に剥いて放置ですか。あとで絶対千年公に言い付けてやりますから」
「だ、駄目だああ! そんな事は許しません! 清い身体を家族以外の奴らに見せるなんてそんなのお兄ちゃんほんと駄目だから。耐えられないからほんと駄目だったら! な? 今の内にドロップして、さあっと逃げちゃえば良いんだ。お兄さんにもプライドってもんがあるから、ここで負ける訳には――






『レイズ、賭け金釣り上げます。負けたら貴方がたの忠実な奴隷になってあげますよ。かしづかせるなり売り飛ばすなりご自由に。男に二言はありません』






「アレンちゃああん!!」
 ティキが悲鳴を上げて、泣く泣くフォーカードが揃っていた手札をこっそり場に捨てた。流れが変わった。まだティキを許してやった訳ではないが、まあ上出来です、とアレンは無表情で呟いた。





『アレンアレン! やばいってやめとけってもう、ユウも止めてやれさ!』
『知るか。先に戻ってる』
『ちょっ、待てえ! アレンの護衛が任務だろうが! そんなに薄情だと今に愛想尽かされちまうぞ?!』
『は? わけわかんねえ。護衛すんのは元帥だ。根性最悪のモヤシ野郎なんか知ったこっちゃねぇ』






「……うう。ところでさ……あの、そこの人たち、エクソシストだよね?」
「ええ。そうですよ、監視されています」
 アレンは淡々と報告した。ティキなら一目見れば解るはずだ。アレンの頭の上には金色のゴーレムが鎮座していた。
「この忌々しいゴーレムが一時も離れずね。筒抜けですからティキ、不審な行動は避けてこのまま通信してください。おかげで随分やりにくいけれど、仕込みは順調です。僕は動けないけれど、駒が良い働きをしてくれている」
「ああ、そりゃ良かった。お前のことだから心配なんてするだけ無駄だと思ってたよ。俺の自慢の教え子だ。だが感心しないことはある」
「……何ですか? こんな所で遊んでる貴方が何か?」
「当たり前だ。何だその両手にサカリのついた狼の構図は。人間の男は見掛けたら強姦魔だと思いなさいと教えたろう? もちっと危機感を持ちなさい。今非常に胃に穴が空きそうな気分だ」
「僕は男です」
「ヘリクツとか聞かない。いいな、すごく気をつけること。絶対に二人きりにはなるな。いや三人だからって安心しても駄目だ。そういう特殊なプレイもあるんだから。必ず三メートルは距離を取って、相手に身体を触らせないこと」
「は? 何言ってるのかわからないんですけど。もう、貴方なんかに心配されなくたって平気です。僕だっていつまでも子供じゃない」
 アレンは膨れて、今しがたティキが場に捨てたカードを無造作に拾った。エースが四枚。持ち札のジョーカー一枚と合わせて最強のファイブカードの出来あがり。これで誰もアレンには勝てない。
「これもイカサマって言うんですか?」
「……ずるっこには間違いない。家族でやる時は――
「しませんよ。バレバレですから。僕はイカサマなしのカルタ・ゲームの方が好きですね。もう貴方とはポーカーはやりません」
「……ごめんなさい」
 ティキがしおらしく謝った。アレンは溜息を吐き、まあいいですよと言った。
「こんなかたちでも貴方に会えて良かったティキ。実を言うと少々ホームシック気味だったんです。それに千年公に報告しようにも、このクソゴーレムの目があって上手く行かない」
「お下品な言葉を使わない。ロードの真似はやめなさいって言ったろ。お前には似合わないんだから」
「ならなんでロードは怒らないんですか、もう。……データを持って行ってくれませんか? 貴方暇そうだし」
「えー、せっかく白いオレを満喫してんのになあ。近々ロードを迎えに寄越すよ。連絡と報告は纏めてそん時にしてくれ」
「いいのですか?」
「今はほら、汚いからさ。お前には触れないよ。身体にも脳味噌にも」
 ティキが肩を竦めた。彼の咥えている煙草には火がついていたが、燃えない。煙りも出ない。時間が止まったようになっている。
 アレンは黙って頷き、変なひと、と言った。白いティキはあまり好きではなかった。不潔なせいもある。だがそれよりも、変に人間くさくて気持ち悪い。まるで家族じゃない人間みたいだ。ただの人間みたいだ。そこにはまるでアレンのピースが嵌まる隙間なんてないみたいだ。
 これじゃあまるでやっかんでるみたいだとアレンは考えて、苦い顔になった。そんなつもりはないし、口にするとティキを喜ばせるだけだろうから黙っておくことにした。アレンが彼のように上手く人間に馴染めれば、もっと違うふうに考えられるのだろう。でも今はできない。アレンは人間が嫌いだった。でもアクマも嫌いだった。白でも黒でもないグレーの世界にいる。そこは幽霊の世界だ。気持ち悪い亡霊がじっとアレンを見ている。緊縛された今はもうない人たちの幽霊が。
「……まったく最悪です。誰も彼も周りじゅう敵だらけなんて、外の世界は異常だ。狂ってる。アクマまで僕を襲ってくるんですよ」
「おりょ。そりゃアレン、お前ヒキコモリっぱなしでアクマに顔知られてねーもん。仕事を続けりゃじきにみんな覚えるさ。で、壊した?」
「当然です。これに関してはお仕置きなんて納得行きません」
「うんそう」
 ティキは頷き、急にじっとアレンの顔を見た。アレンが首を傾げると彼はにっこり笑って、そろそろ帰っといで、と言った。アレンはそうしたいですねと頷き、すぐに全て済ませますと答えた。もう少しだ。エクソシストが元帥の護衛についているうちに、教団本部でアレンの人形が上手く働いてくれている。元帥が本部に戻るまでが勝負だろう。もうすぐだ。
 ふと気になることがあって、アレンは顔を上げた。ゆったりと蠢く世界の中にある顔へ目を向けた。神田は退屈そうに目を閉じている。彼のことだ。
――ところで、ティキ。人間たちの僕らについての記憶が非常に薄っぺらいものなんですよ。実際はじめは少々弄りましたが、それにしても忘れっぽ過ぎる。僕や貴方の顔を見ても何も思い出さないなんて、なんて絶望的な馬鹿なんだろう」
「なに面白いこと言ってるかなあ。オレ達はあいつらには、記憶の隅っこになんかそういう奴がいたような気もする、その程度の認識なのさ。一族が無痕で生きてきたのはそういう錯覚のおかげなんだ。へまやらかしても永い時間が全部消し去ってくれる。ノアを記録してる人間なんて、ブックマンなんて特殊な物好きだけだぞ」
「ふうん。なんだか影の薄い一族ですねえ」
「お前もだよ」
 ティキが苦笑して言った。
 アレンも笑って頷いた。
「うん。家族ですから」







◇◆◇◆◇






「ファイブカード。如何です?」
「……ノーペア。ドロップ、止める、もう降参。ちくしょー、なんでだ?! 途中まで上手いこと行ってたのに!」
 三人の男はそれぞれ頭を抱えてトランプを床に叩き付けた。勝負は押されっぱなしだったはずのアレンの大逆転だった。彼は薄笑いさえ浮かべながら、手持ち無沙汰にトランプを繰っている。
「僕の勝ちですね。身包み置いて行って下さい。そして二度とギャンブルなんかに手を出さないこと」
「ティキ! お前やる気あんのか? なんであっちあんな凶悪な役が出んだよ!」
「知るかよ! お前だってなんでジョーカー手放したの?!」
「三人がかりでなんでこんなメッタメタにやられてんだよぉ……!」
 三人の男はなおも往生際悪く貶し合っていたが、




「いい加減にしなさい」




 がん!と重苦しい音を立ててアレンの拳が鉄柱にめり込んだのを見て、急に静かになった。無理もない。さすがに神田も驚いた。このモヤシ男、実は全身重金属で出来ているんじゃあないだろうか?
「僕はギャンブルと同じ位、言い訳や責任転嫁と言ったものが嫌いなのです。貴方がたは負けた。わかりますね?」
 三人の男はさっと表情を失い、皆一様に何度も頷いた。アレンは満足したように頷き、それならどうすれば良いのでしょう?と子供に質問する教師のような態度で、横柄に言い放った。
「あまり余計な体力を使わせないで下さい。僕は虚弱体質なんですよ」
「いや、だって今、柱……」
「黙りなさい。せめてもの情けです。下着だけは許してあげますよ。シャツかパンツか好きな方を選びなさい。どちらにしてもそんな汚いものいらないし」
 アレン、アレックス=E=ウォーカーという男はどうやらかなり由緒正しいサディストのようだ、と神田は考えた。このサド男、見目だけは整っているものだから余計に迫力がある。ひょろひょろした身体とまだ子供と言って良い背丈が、今はなんだかものすごく巨大なものに見えた。
 三人の男は泣く泣くパンツ一枚になって、寒さにがたがた震えながら、唯一アレンの温情を受けて被害を受けなかった子供を連れて、じきに停車した汽車から降りていった。






◇◆◇◆◇






「えげつねえー」
「綺麗な顔してえげつねえー」
 男たちはぶるぶる震えながらぼやいていた。汽車のアナウンスが聞こえる。拡声機越しの割れた音声が、閑散とした鉱山に響いた。
『キリレンコ鉱山前〜、間もなくの発車です、ご乗車の方はお急ぎください――
「寒ィー、えげつねえー」
「えげつねー」
「凍死するうう」
 土埃を含んだ空気は冷たく尖っていて、容赦なく身を切り体温を奪っていく。彼らが身を寄せ合って蹲っていると、汽車からさっきまで彼らの持ち物だった鞄が放り投げられた。
「……何をしているんです。さっさと着なさい、風邪ひきますよ」
 冷えきった少年の声が聞こえた。タラップに、先刻彼らから身ぐるみを剥いだ少年が立っていた。彼は無表情でいたが、僅かに呆れたような気配を含んでいた。
「少しは反省して下さい。こんな品位を貶めるような下品な真似は止めていただきたい。じゃあ行ってらっしゃい。お仕事頑張って下さいね」
「おお、慈悲だ! 服だ! これで凍死しねーで済む!」
「神様ー!」
 男たちは少年を崇拝するように腕を振り上げた。少年の顔がうっとおしそうに歪んだが、そんなものは誰も気にも留めない。ふと、男のひとりが少年に近付き、跪いて彼の手を取り、忠誠を誓う騎士のように唇を付けた。
――慈愛を感謝します。ご武運を、オレの女神」
「は、はあ?」
 少年は目を見開いて、ぽかんとした顔つきになった。
 そうやって幼いと言っても良い表情をすると、その顔つきの少年らしくない柔らかさが際立った。そのまま全体的なディテールへ目をやると、「彼」を構成するものが少年らしい直線でないことは容易に見て取れた。驚いた顔のまま、彼――だか彼女だかは上擦った声で叫んだ。
「ちょっ……何やって、ああもう、貴方はなんでそうやって……極端なんです! いつもいつも!」
 そして男の鼻柱に勢い良く靴の踵を叩き込んだ。鈍い音がした。男は軽々と蹴り飛ばされて地面を転がった。
 そして汽車が動き始める。






「……ティキ、もしかして知り合い?」
「いんや、全然☆」
「にしてもえげつない女だったなー。女にしとくには惜しいよなー」
「ていうか、せっかくだから俺も一発くらい蹴られたかったなー」






 後には手癖の悪い流れ者が四人残った。それだけだ。








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