25:「雪の街の怪談」




「イノセンスに当てられたか」
 二人きりになるなり、老人が言った。彼は奇妙な針をいくつも取り出して、ベッドサイドテーブルに並べている。どれもちぐはぐのサイズで、鋭い光沢を放っている。それらはアレンに医療用のメスを連想させた。
「こう言った症状は良くあるのかね。何分『そちら』と腰を落ち付けて会話することは稀だ。正直姫がこちらへ出向かれたのには驚いたが、無茶をしなさる。辛かったことであろうよ」
 ブックマンは無数にある針を吟味しているようだった。その顔は伏せられ、目は針へ向いていた。アレンは咄嗟に左手を突き出していた。袖口から滑り出した警棒をぴたっと老人の乾いた首筋に当てた。彼はそうなっても、気に留めた様子もなかった。やがてようやく目当ての針を見つけたようで、しゅっと引き抜き、そしてもそもそと喋った。
「驚かれたか。姫はまだ人を捨てた日々が浅いと見える。『ブックマン』の話は聞かれていないのかな?」
「……少しだけ。裏の歴史を記録している酔狂な人間がいるとだけね。特に興味はありません。貴方がエクソシストだと言う事は知っていますがね」
「理由あって我らはエクソシストをやっている。だが今姫に危害を加えることはせぬ。もっともその様子では信じられぬだろうが。姫、武器を引かれよ。このブックマン、衰弱した姫に遅れを取るほど老いぼれてはおらん。ここは姫にとっては敵地の只中。今は安静になされよ」
「……貴方は何なのですか。どうして僕を?」
 アレンは胸に手を当てて、首を傾げた。「そういう呼ばれ方」をしたのも久方ぶりだった。そのせいで、逆に混乱が落ち付いたのかもしれない。
「ブックマンは戦場にあって戦争から身を離し、歴史を記録する。今は姫の敵でも味方でもない。空気のようなものだと思っていただければ良いだろう」
「……貴方のような存在感のある空気なんて御免ですけれど」
 アレンは溜息を吐き、痛む頭を押さえて腕を引いた。
「貴方が公にどういう役を当て嵌められているのか解らない以上、手出しはしません。それにしても食えない方ですね。いつから僕のことを?」
「ノアの外見的な特徴は黒髪と灰褐色の肌とある」
 ブックマンは静かに、本でも読むようにして語った。それらは彼と、彼を遡る無数の人間が共有する記憶だった。彼は生きながらにして一冊の本だった。分厚く重たい、計り知れないほどのページが彼を構成しているのだ。
「そして極めて特異な例として、アルビノが存在する。白髪に白い肌のノア。ノア一族特有の再生能力を除いて、それは一般的な同族とは真逆の性質をしている。例えば刻印の刻まれた位置や――
「……その話は止めて下さい。それに僕は先天的な白髪じゃない。子供の頃は赤毛でした。白髪は養父に殺されたショックと、彼の呪いのせいです。そう診断された」
――位置や、その奇異な性質そのものなど。アルビノのノアが確認されたのは千年前の大戦時に一人。私も初めて見る。姫、白髪の発現が遅れたのは、千年掛けて薄まっていた血が発露されたせいだろう。貴女は非常に興味深い。千年前のノア姫以来のアルビノが、今伯爵とエクソシストの再戦時に同じく現れた。私はこれに特別な意図を感じる」
「僕が生まれたことが神に仕組まれていたとでも? 馬鹿馬鹿しい!」
 アレンは鼻で笑って、ブックマンの言葉をはね付けた。
「汚れた神に僕らを縛ることなどできません。千年前? 実に馬鹿らしい! そんなものはただの寝物語ですよ。公が趣味で書いた絵本の登場人物じゃありませんか。人間大好き愚かなノア姫の物語。不愉快です、僕をあんなものと一緒にしないでいただきたい」
「姫は白姫をご存知なのか?」
「ええ、昔からずうっと当てこすられていましたよ。あの女と同じこんな色のせいで!」
 アレンは憎々しげに顔を歪めて髪を掻き毟った。忌々しい白。憎むべき色だ。アレンを家族の中で浮きあがらせる白。マナが死んだ日に降っていた雪の色。薄情な色。
 ぎりぎり歯を軋らせているアレンを、じっと静かにブックマンは観察している。
「その物語を聞かせては貰えまいか。ノアの大洪水で資料に抜けがある。返礼に――ふむ、しばらく姫のバックアップを約束しよう。望むならジュニアを適当に使ってくれてもかまわん」
「……変な存在ですね、ブックマンという人間は」
 アレンは肩を竦め、にやっと口の端を上げた。貪欲な人間は嫌いではない。世界を守る為に命を掛けている馬鹿な殉教者よりはよっぽどいい。
「構いませんが、こんなもので良いのですか? ただの絵本語りですよ。それほど重要なものでもないでしょう」
「ブックマンには知識が全てに優先する。姫にとっては石くれでも、我らには光り輝く銀だ」
「ふうん。いいです、わかりましたよ。そうですね――
 アレンは少し考え込み、ブックマンに言った。
「ラビには僕のことはまだ内緒にしていて下さい。神田やリナリー……友人や仲間を裏切るような、余計なストレスは無い方が良いでしょう」
「あれはそんなやわな育て方はしていないが、姫がそう言われるのなら了承した」
 ブックマンは頷いた。彼はアレンに上着を脱いでベッドに横になるよう命じ、ベッド脇の椅子に座り、針を摘み、目を眇めた。
「容態は私の鍼術で大分楽にはなるだろう。私とジュニア、リナ嬢と神田――合計四つのイノセンスが常に傍にあれば当てられもする」
「ええ、結界に叩き込まれたアクマのような気分を味あわせていただいています」
「もっともこの症状を見たところ、どうやらそれだけでは無いようだが。無茶な真似をなさる。これは千年伯爵の指示かね」
「ええ。あの方がようやく僕に下さった配役です。失望はされたくない」
 アレンは目を瞑り、静かに言った。
「神とかアクマとか、人間とか、エクソシストもどうだって良い。ノアと人間の違いだってどうでも良い。僕はただ公が、家族たちが喜んでくれるならそれでいいんです。愛しい彼らと一緒にいられればそれで」
 ブックマンはしばらく黙り込んでいたが、治療が始まってしばらくしてから思い出したように「姫はやはり特異だ」と言った。






◇◆◇◆◇





 最近身なりの良い赤毛の大男が出入りしていたという旧領主館は、広大な雪原の中にふっと黒く浮かび上がっていた。数世紀の時を重ねた建物は、雪と風に晒されて、くたびれたようにぼんやりと突っ立っていた。巨大で、古城のような趣があり、大半が雪で埋れていた。
「いかにもお化け出そうさ……」
「出そうね……」
「馬鹿な事言ってんじゃねえ。雪に埋れたくなきゃさっさと行くぞ」
 リナリーはティムをぎゅっと胸に抱き、ラビはこっそり槌に手を掛けている。神田は呆れてしまった。
「……怖いのかよ」
「こ、怖いなんて言ってられないよね、任務だし」
「ばっ、バァーッカ、ユウちゃんじゃあるまいし誰が怖がるかっての」
「お前武器つかえてんじゃねえかよ」
「ユウなんか既に抜刀してるさ」
「ふ、二人共落ち付いて! 三人もいるじゃない。大丈夫よきっと」
 リナリーが取り成しながら旧領主館の重たい鉄の扉を開けた。この建物は数年前に一族が変死して、以降廃棄されてしまっている。何でも古くから続く貴族の家柄だったらしいが、めぼしい家具や調度品は既に売りに出されたか持ち去られたかして、今館内に残っているのは壊れたがらくたと蜘蛛の巣だけだった。風雪が所々ガラスを打ち壊し、内部にまで冷たい風を運んでいる。だが元もとの設えが良かったのか、そう深刻な状態には至っていない。
 誰かが手入れをしているのか、入口の照明は生きていた。ぽうっと暖かい火が灯っている。
 まず玄関から大きなホールが続いていた。チェス盤のような黒と白のコントラストの床は、今は光沢を失い、埃にまみれている。染みだらけの絨毯はぼろぼろになっている。鼠にでも食い荒らされたのか、至る所に穴が開いていた。
 その先に続く広い階段の上、踊り場には大きな額が飾られていた。例によって埃だらけの絵が飾られていたが、神田はそれを見て知らず息を呑んでいた。
 額には大きな油彩画が嵌まっていた。質の良い椅子に座った幼い子供が描かれている。少女だ。真っ赤なドレスを着た――光沢のあるてかてかとした風合いのものだ。それほど上品なものではない――赤味がかった茶色い髪で、顔つきは解らない。それというのも、顔の部分がごっそりと消失していたからだ。
 刃物で麻のキャンバス地を何度も切り付けたような傷があり、顔の部分だけが切り取られていた。
 額の向こうに白い壁が覗いていて、そのせいでまるで少女は白い仮面を付けているようにも見えた。
 先ほど神田が宿で見た子供に酷似していた。その髪も仮面も。
「ユウ? 顔真っ青さ……お、お前そんな怖いの?」
「ば、馬鹿言うな。それよりもお前はあの絵のガキを見なかったのか? お前らのいる方角へ走って行ったろうが」
「か、神田なにそれどういうこと?」
 リナリーが聞き咎め、ぎゅっと胸元で手を握り締めた。ラビは聞きたくないとでも言うように、耳を両手で塞いでいた。神田は重い口を開き、まあ大したことでもないんだが、と言い置いた。
「この絵とおんなじ、赤毛で白い仮面を付けたガキだ。宿にいた。お前らがモヤシを部屋に運び込んだすぐ後に、ホールで見掛けた。お前らの部屋の方へ走って行ったが、見なかったのか?」
「……あの、ユウちゃん。あのホテル、一階の廊下は一本きりだったよな?」
「……ああ」
「そんでオレらの部屋……一番奥まったあそこ以外、みんな鍵閉まってたよな。 客はオレらっきりみたいだったし。階段はホールにしかないし、完全に行き止まりになってる訳さ」
「ああ」
 背筋がぞくっと寒くなった。アクマが出現した時の、あの独特の感触とは微妙に違うものだ。それよりも不安定なものだ。掴みどころがなくかたちもない。ラビの声はちょっと震えていた。
「で、その子の後からやってきたユウは、なんで「もっかいその子と鉢合せしなかった」んさ。廊下は一本、その子がオレらの部屋に潜り込んででもいなきゃ――
「き、消えちゃったの?」
「……アホらしい、チビ過ぎて見落としたんだろ、それどころじゃなかったしな」
「あの神田、ちょっと六幻から一幻がはみ出してるんだけど。三匹くらい」
「気のせいだ」
「あーもうやだやだ、なんかホテル帰りたくないさ……というかここにもいたくないけど!」
 神田は舌打ちした。いい歳をしたエクソシストが三人揃って怖気づいてどうすると言うのだ? ぶっきらぼうに行くぞと声を掛けて、無理矢理足を踏み出した。ラビとリナリーが神田の両腕にしがみついてくっついてくる。
「……おい離せ。なんかあった時に対応できねえだろうが」
「ユウちゃん、死ぬ時は一緒さ。オレ置いて逃げたら死んでも恨むから。そのポニーテールを寝てる間に頑張ってモヒカンにする」
「だ、大丈夫よ、こういうの慣れてるし。教団でも良くそういう話あったし……」
 溜息を吐いて、神田は問題の絵画を観察した。古いものだが、溜まった埃の具合から大体十年ほど前のものだろうと推測できた。絵の下の金属製のプレートには、完成日と『道化師の娘』というタイトルが彫られていた。絵の中の娘の格好は確かにそれらしいものだった。サーカスの衣装か何かなのだろう、てかてかと光って派手だ。
 絵を見ていると、背後のドアがばんと開き、冷たい風と雪が舞い込んできた。ラビとリナリーがびくっとして神田に抱き付いてきた。ぱっと蝋燭の炎が差し出された。
「おーい、誰かいるのか? イタズラしちゃいかんぞ。ここは立入り禁止だよ。私有地だし、古くなって足場も脆いから、さっさと出なさい」
 どうやら誰かやってきたようだ。玄関の前に立って、訝しげに首を傾げている中年の男がいる。鼻が赤く、眼鏡を掛けた小太りの男だった。人間だ。それは気に食わないが神田たちを安心させてくれた。







 男は町長の息子で、時折旧領主館の手入れにやって来ているらしい。事情を話すと、快く建物の歴史について話して聞かせてくれた。
「エクソシスト様の助けになるなら。ここはこの地方の先代の領主の屋敷だったんですよ。珍しいもの好きで、変わった食べ物を買い付けてきたり、いろんな事業のパトロンなんかもやってましたな。学校や娯楽施設、例えばカジノやサーカスなんかまでね」
「この絵の女の子は、領主のお子さんだったんですか?」
 リナリーが聞くと、男は頭を振って、そう言う訳じゃあないです、と言った。
「先代領主に娘はいませんでした。贔屓にしていたサーカスの娘ですよ。ここじゃ割と有名人ですよ、いろんな意味でね。領主の身内に絵描きがいて、少女を気に入って絵のモデルを頼んだんじゃあないかな」
「この子はなんで顔がないんさ? 絵は顔が命だろうに」
「さあ。この屋敷が放棄された時には、もう既にこんな状態でした。何分事件が事件だから、あんまり誰も口を出さないんですよ」
 男は急に言いにくそうに言葉を濁して口篭もった。訝しく思って聞くと、まあ大した話じゃないんですが、と言った。
「昔、急に人間がふっと消える事件があったんですよ。いくつも立て続いて。まず初めは小さな女の子でした。この絵の子ですよ。名前は解らないが、ある日ふっと消えちまったんです。足跡も残さないでね」
「良くあることだ」
 神田が言うと、男は首を振った。そして悲しそうな目をして、それだけではなかった、と言った。
「続いて先代領主がパトロンをやっていた旅の一座の人間が残らずぽっと消えた。街の子供も消えて、最後に領主が一族ごと消えた。奇妙なのは、消えるのは人間だけじゃない、名前やそこにいた証ごと消えてしまうことです。役所の名簿から、彼らの名前も一緒に消えた。不思議なことに誰も名前を覚えていないんです」
「それ誰もなんも言わなかったん?」
「そりゃ一時は騒ぎましたが、騒動が落ち付くともうこの件には触れないほうが良いってことになりましてね。もう人が消える心配は無かったし――
「どうしてそう言いきれるんですか?」
 リナリーが首を傾げて聞いた。男は目を閉じて頭を振った。
「全ての事件はある男が死んだ時に始まりました。旅の一座の男です。この絵の女の子は彼の娘でした。父親が死んで、身よりもなく、行くあてもなく、葬式が終わってから男の墓標の前でずーっと座り込んでいたんです。何日も何日もね。それが急に消えた。人攫いにでも遭ったのかと噂が流れましたが、流れ者の子供なんかには良くある話で、警察もまともには動きませんでした。続いて一座の者……男の仲間たち、そして足げく男の芸を見に来ていた子供たち、パトロン、親交のあった者全てがいなくなって、さすがに怪しんだ住民たちが男の墓を掘り返してみると――
 ごくりと誰かの喉が鳴った。それは語る男のものだったかもしれないし、仲間の誰かのものだったかもしれない。男はぶるっと身を震わせて続けた。
「死体が無かったんです。空っぽの墓。死んだ男が生きている仲間を連れてどこかへ行ってしまったんだという怪談まで流れるようになりました」
「その男性の名前は?」
「いや、名無しですよ。名前を知ってる者はみんな連れてかれちまった。ミスター・ジミニー・クロケットなんてあだ名はありますがね」
「ジミニー・クロケット(善良な者)? 何でまたそんな名前」
「生前は敬虔で善良な男だったらしいんですよ。親子の仲もすごく良くて、仲間内でも人望厚く、聖人のような男だったそうです」
「そんなんでも死んじゃったら化け物扱いか。なんか虚しいなぁ」
「ええ、そうですね」
 男は頷いて、何気なく扉を閉めた。「悲しいことです」と言った。
「私も彼の芸はすごく好きだったんですけどね。良く一緒に酒を呑みましたよ。彼は酔うと娘さんに頬ずりする癖があってね、あの娘は髭がジョリジョリして痛いといつも言うんですよ」
「……その男性と面識があったんですか?」
 リナリーが驚いたように口元に手をやった。彼は今こう言わなかったろうか?






 名前を知っているものは、みんな連れていかれた。






 彼はその男の名前を本当に知らなかったのだろうか? 良く酒を呑むほど親交があったっていうのに?





 町長の息子だと言う男は、無造作に扉に閂を掛けた。ごく自然な動作で、不自然なところは何も無かった。
「今日はお客様が多くてね。貴方がたのほかに、とても高貴な方がいらっしゃっているんですよ。人探しと観光だって仰っておられましたが」
 男の顔からすっと表情が抜け落ちた。ここまで来ると、神田たちにも理解が訪れていた。
 それぞれの武器に緊張をはしらせ、来るべき悪寒に身構える。もうこの場所は異空間だった。ここであってどこでもないところ。男は急に機械じみた動作になって、まるで通せんぼをするように閉じた扉に張り付き、言った。
「ロード姫のお楽しみを邪魔させる訳にはいかない」





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