29:「ブービートラップ」




 探索を再開した頃には、既にクロス=マリアン元帥の足跡は消えていた。
「二日ほど前に汽車に乗って行くのを見たよ」
 駅構内で物売りをしている男が言った。
「でかいボールを頭に乗せてさ、変な仮面被ってるんだ。ありゃあ目立つなんてもんじゃないよ」
「クロス元帥だな。ボール……ティム・キャンピーか? そう言えば姿を見ないな」
「そのようですね」
 聞き込みをする神田の隣で、物売りからオレンジを凍らせたアイスキャンディを受け取ったアレンは、ほっと胸を撫で下ろしたようだった。彼の天敵が二つ纏まって消えたのだ。さぞ喜ばしいことだろう。
「どこかへ行くと言ってはいなかったか?」
「うん? 知らんよ、そっちのお嬢ちゃんと同じように棒つきアイスを買ってっただけだ。そこまで聞いてない」
「お嬢ちゃ……」
 憤慨したように、アレンが顔を顰めた。極端な女顔のくせ、どうやら女と間違われることにまだ慣れているわけではないらしい。彼は嫌そうな顔のまま、物売りに尋ねた。
「つかぬことをお聞きしますが、その男が買ってったのって、」
「ああ、お嬢ちゃんとおんなじオレンジだよ。なんだ、知り合いか?」
「……いいえ。まあ、食べ物が悪い訳ではありませんものね。神田、行きましょう。みんなの方も何か収穫があったかもしれませんし」
「ああ――
 頷いたところで、物売りが残念そうな顔をして神田を見つめた。
「なんだ、彼氏はなんにも買わんのか」
「かれ……?」
 途端にアレンの機嫌が急降下した。渋い顔をして、肩を竦めて神田の腕を取った。
「この人甘いものキライなんですよ。さ、行きましょうダーリン。時間もないし」
「誰がダーリンだ」
「貴方のことらしいですよ。そして僕がお嬢ちゃんときた。すみません、早くこの場を立ち去らないと僕人殺しの前科者になりそうなので、急いでお願いします」
「ああ……て、あ?」
 そこでようやく言われたことを理解して、神田はアレンと同じく渋面になった。物凄い誤解だ。気分が悪い。
「俺には衆道の趣味はないぞ」
「わかってます!」
「……何故怒ってるんだ」
「貴方小さい頃、例えば同性の仲間と歩いてて、お嬢ちゃん可愛いねえ、とか微笑ましいカップルねえ、とか言われたことはありませんか?」
「…………不本意だが、そんなことが何度かあったような気もする」
「その時はどうしました」
「暴れて全部ぶち壊してやったに決まっている」
「今が僕のその時です」
「……ああ」
 神田は納得し、頷いて、アレンを見た。彼の目は凶悪に尖っていて、かなり怒っているらしいことが解った。普段色素というものがない頬がちょっと赤く染まっている。どうやら余程「お嬢ちゃん」呼ばわりが気に食わなかったらしい。
「女顔のお前が悪ィんだろ。今更尖るな」
「むかつく……貴方だって背丈さえ無ければ……うう、そう、そんな場合じゃ無かった。クロス元帥はどうやらもうここにはいないようだ。こんな寒い街にいつまでもいる理由はありませんよね」
「そうだな。しかしあのおっさん、すぐに本部に戻るようなことを言っておいて――
「まさか僕らより先に本部に戻ってるなんてことないですよね、あのエロオヤジ……無駄足なんかになったらもう口きいてやりませんから」
 げんなりした顔で二人で立ち尽くしていると、遠くから呼び声、そして大きく手を振りながら駆けてくる見慣れた男を見付けた。ラビだ。
「おー、お前ら! ちっと宿戻るさあ」
「ラビ、もう起きても大丈夫なのですか? まだ無理しちゃあ駄目ですよ。人間なんですから、そこのありえないくらい頑丈なちょんまげバカとは違うんです。身体を労わって下さい」
「おい」
 神田は半眼でアレンを睨んだが、彼には気付いた素振りすらない。いや、気付いて無視しているのかもしれない。どっちにしたってろくでもない。ラビは暴言を気にも留めずに、笑ってアレンの頭を乱暴に撫でた。彼も彼で楽天家過ぎるきらいがある。
「駅員さんに訊いたらさぁー、なんかでかくて赤くて変な仮面の黒コートから手紙預かってるっての。白くて星型の痣があるガキが来たら渡すようにーってさ」
「お前だなモヤシ」
「……それ、読まずに暖炉にくべても良いですか?」
 アレンがかなり気の進まない様子で、憂鬱そうにぼやいた。だがラビは笑って彼の背中をばんばん叩くだけだ。
「コレコレ、預かってきたんさ。ま、ちょうど会えたしばーっと開けてみ。なに手紙さ、取って食われやしねぇって」
「……取って食われたら責任取ってくださいね、ラビ」
「だいじょぶだいじょぶ」
 ラビが差し出したのは、薄っぺらい封筒だった。白く、模様らしい模様もない。所々に雪の染みができていた。裏にはかなり気合いの入らない署名がある。『愛する我が娘へ BYクロス』――非常に地味な嫌がらせだ。アレンの肩が怒りか恐怖の為に小刻みに震え始めている。
「神田」
「あ?」
 アレンが硬い声を上げた。
「……僕は男ですから」
「知ってる」
 狡い方法ながら、アレンの中には確実にダメージが蓄積されていたらしい。彼は死人のような顔をしたまま、手紙を開けた――と思った途端に、




 封筒がいきなり、




 爆発した。




――うわあああっ?!」
「モヤシ!」
 紫がかったどす黒い光が拡散した。
 それは悲鳴を上げたアレンに向かって降り注ぎ、地面に縫い付けた。そのまま彼の身体に染み込んでいく。
「っわ、なにこれ、気持ち悪……!」
 アレンは虫を払うような仕草で光を散らそうともがいたが、それは無駄な努力に終わった。やがて彼の身体に侵入した得体の知れないものは奇妙な軌跡を描き、皮膚に文字のような跡を記した。




「あ、アレン? ……そのー、だいじょぶ?」




「ううう……ほんとに責任取ってもらいますからね、ラビ……」


 

アレンが蹲ったまま、涙声で恨みがましげに言った。やがて空から、爆風で舞いあがっていた紙切れがひらひら舞い降りた。紙面には、たった一言だけこう記されていた。




『新作だ。実験台になれ』




「あンの腐れ外道があぁあッ!!」




 静かな雪の街にアレンの罵声が響き渡った。






◇◆◇◆◇






「結界器具だな」
 宿に戻った後、ブックマンが目を眇めてアレンの手を観察しながら言った。アレンの白い手の甲に、紫がかった黒い筋で奇妙な模様が描かれている。それは何かの文字のようにも見えたし、図形のようにも見えた。
「おぬしらは部屋を出ていろ。なに、アクマ避けの護身具のようなものだ。クロスなりの気遣いであろうよ。だがイノセンスになにか影響を及ぼすものでないとの保証もない」
「……なんせ「実験台」だもんなぁ〜」
 ラビがげっそりした顔つきで、頭の後ろで手を組んでぼやいた。彼はなんとなくきまり悪そうな態度でアレンに謝った。
「アレンー、ごめんな。まさかいきなり爆発するとか思わなかったからさ」
「……構いませんよ、ラビが悪いわけじゃない。それより貴方がた、昼食がまだでしょう? 僕は行けそうにありませんので、帰りに何かお土産期待してます」
「おうさ、任せとけって! んじゃ行くか、ユウ。リナリーは?」
「……まだ寝てる」
「リナ嬢も大分回復したよ。いつ目が覚めても良い状態だ。アレンは任せておけ、診ておこう」
「すみませんブックマン」
「なに、構わんよ」
 ブックマンは肩を竦め、針を取り出した。
「アレン、腕を見せてくれ」
「はい。……ああ神田、僕サーモンサンドが食べたいな」
「……知るか。ラビに言っとけ」
 面倒臭くぼやくと、アレンは何がおかしいのかちょっと笑った。一々彼の相手をしていると疲れることは目に見えているので無視しておくことに努め、部屋を出ようとしたところで、ふと思いついたようにブックマンが言った。
「……ああそうだ。針が少しばかり痛むかもしれん。ジュニア、神田、おぬしらは何があっても気にせず食事に行けよ」
「はあ? 大げさな。アレンだって子供じゃねぇんさ。ほっそい針にぷすっとやられたくらいで泣いちゃったりする訳ねぇじゃん」
「そうですね。ブックマンの鍼術はすごいですね。この間も全然痛まなかったんですよ」
「そりゃお前、じじいはその道のプロなんさ。んじゃ、泣くんじゃねぇぞー」
「はは、子供じゃあるまいし」
「ふん。せいぜいぴーぴー泣いてろ。貧弱モヤシ野郎が」
「ははは。貴方ほんといつも余計な一言が多いですね。じゃ、行ってらっしゃいお二方」
 アレンが笑ってひらひら手を振った。心なしかここ数日というもの、彼は以前よりも大分柔らかい顔をするようになったような気がする。最近までまるで表情と言ったものがなかったくせに、たまにこうやって屈託なく微笑むようになった。ただ単純に馴染んだせいなのか、何か内面の変化があったのかは知れない。
 部屋を出て狭い廊下を歩いていると、ラビがニヤニヤしながら「まあいいことじゃんさ」と言った。
 神田が眉を顰めると、彼はアレンのことだと言い置いて腕を広げた。
「いい感じになってきたじゃん。仲良しになっちゃってさ。そのうちお前のことも「お兄ちゃん」て呼んでくれたらどうする?」
「……勘弁しろ気色悪い」
 ぼやきながらロビーに差しかかった辺りで、ふいに背後から、






「ぎゃああああああッ!!」






 断末魔の絶叫じみた悲鳴が聞こえてきた。確認を取る間でもなく聞き慣れたものだった。アレンだ。
 思わず神田とラビは顔を見合わせ、廊下の奥を見つめたが、それ以降は静かなもので、物音ひとつ聞こえない。不気味だ。
「……『何があっても気にせず食事に行けよ』……?」
「……死んだんじゃないのか、あいつ」
 しばらく二人は立ち尽くしていたが、ブックマンの言い付けがあったことや、アレンに浸蝕している例の刺青がクロス絡みでいることを思い出し、とりあえず今は気にしないことにした。災いは少ないに限る。食欲は非常に減退してしまったが。







◇◆◇◆◇






「どうやら内外問わずと言うことらしい。アクマが姫に触れることもできんかわりに、ノアの能力を行使すると、おぬしが非常に嫌う言い様のない痛みが全身を苛むことになる。しばらく悪さはできんだろうよ」
「うううううう、あのオッサンほんとにろくなことしやがらない……」
 ブックマンに言われるままに左手を『発動』しようとしたところでこれだ。アレンはさっきまでの激痛に一瞬で憔悴しきってしまっていた。ベッドに蹲り、べったり伏している。痛みはブックマンの針術で取り去られたが、精神的なダメージと不安感は拭い去れない。
「しかし奇妙だ。姫の能力はイノセンスに酷似しているな」
「そうですか? まあどうでも良いんですけどね、使えないならゴミと変わりはない」
 アレンは肩を竦め、はだけたシャツを整えた。左腕を中心に、クロスの呪い(としか思えない)は四肢から首元まで及んでいた。マナの刻印も合わせて、今や身体中刺青もどきだらけだ。
「……期限は?」
「クロスに頼み込んで消してもらうしかなかろう。刻印がある限り、死ぬまで持続するだろう」
「死ぬまで……そうですか」
 アレンは溜息を吐いて、頭を抱え、ちょっと安心したらこれだと一人ごちた。ティム・キャンピーがいなくなって、喜んでいたのも束の間だった。新しい緊縛が生まれただけだ。
「その便利な針で、今のように痛みを消すことはできないのですか?」
「できないこともないが、五分程度だ。姫の身体に針は効きにくい。それ以上の発動は痛みが戻ってくることだろう」
「やれやれ、困りましたね」
 アレンはベッドから起き上がり、お手上げの仕草をした。背中に嫌な汗が浮かんでいた。まったく誰も彼も、なんでみんながみんなひどいサディストなのだろう。人間なんて大嫌いだ。理解できない。
「でもまあ、興味深いものではありますね。クロスの結界機器は、まあ公の足元にも及びませんが、非常に質が良い。少し真似すれば面白いものができそうだ」
「姫はからくり弄りが趣味だったな」
「ええ。人間の造った玩具っていうものも、今の内に沢山見ておきたいものです。色々ためになりますから」
 アレンは苦笑して、こんな状況でなければもっと良かったのですが、と言った。
「……ちょっと外の世界も面白いかもしれないと思い始めたんですよ。城に篭っているだけじゃ、知らなかったことも沢山ある。貴方がた人間のことなんか特にね。戦争じゃなければもう少し楽しめたんでしょうが、残念だなあ」
「姫、戦は人類の進歩を早める。姫の愛するからくりも、全てそこから生まれるものだ」
「ええ、知っていますよ」
 アレンは頷き、首を傾げ、少し散策に出掛けようかという程度の気楽さで言った。
「お仕事を済ませて帰ったら、もう一度学校に通ってみようかなあ」






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