30:「変わる日」 |
夕刻には街を出た。外は相変わらず凍り付いたように冷え込み、鈍色の空の端には吹雪の到来を告げる巨大な黒い雲が姿を見せていた。渦巻き、まるで蝸牛のような姿をしている。 リナリーは相変わらず目を覚まさない。だが彼女の目覚めを待つ時間の余裕すらない。元帥の行方を示すティム・キャンピーは回収されてしまっていた。手詰まりの状態だったが、リナリーを背負いながら二人分の荷物を抱え、そのくせ疲れた顔ひとつ見せないアレンが控えめに言い出した。 「……多分ですけど、間違っているかもしれませんけど、南のノーリッジにもしかしたら向かったんじゃないかなあと思ったりしました……多分ですけど」 「いつも裏付けのねぇ自信家のお前がそういう言い方すんのは珍しいな。心当たりでもあんのか」 「……ウォーカー家が」 アレンは口篭もりながらぼそぼそ言った。あまり気は進まない様子だったが、どうやら観念したらしく肩を竦め、僕の家ですと言った。 「現在の僕の養父とその家族がいらっしゃるんです。僕を推薦して下さった神父様もね。あの男、なんだか僕の親権を家族から奪うようなことを言ってましたので、もしかしたらと思って……たちの悪い冗談だと良いのですが」 「それきりしか情報がないのなら、行くしかあるまい。アレン、構わんな」 「……ええ」 何故かブックマンがアレンに念を押した。アレンも頷き、構いませんよと言った。 「結界の解除もお願いしたいことですし、早いところ見付けたいものですね」 「ふーん、アレン家かぁ。久し振りに家族に会えっじゃん。嬉しいな」 「そうですね」 アレンはなんだかうわの空で頷いた。神田は内心妙だなと感じた。彼の口から家族の話を聞くことは良くあったし、彼はそのどれもを誇らしそうに話していた。だがアレンにあまり家族と再会できる喜びの気配は感じられない。 「それより、急ぎません? 今夜の汽車を逃すと、次は明日になってしまいます」 「そうさな。汽車ん中でいろいろ話聞かせてやアレン。お兄さん、オレに似てんだろー?」 「ええ」 雪はどんどん激しさを増していく。汽車に乗り込む間際に、ふいにアレンが妙な仕草をした。 まるで誰かを悼むように胸に手を当て、じっと目を瞑ったのだ。そして目を開けて顔を上げたところで神田と目が合うと、彼はちょっと笑って首を傾げた。そして雪の向こうにある何かを指し示すように指を向けた。その先には何もない。ただ白い銀の世界が続いている。 「……何だ?」 声を掛けてもアレンは答えずに、またちょっと笑って汽車の中に引っ込んでしまった。神田はもう一度白い世界を見た。だが相変わらずの空虚があるだけで、そこに何かしら特徴的なものを見つけることはとうとうかなわなかった。 ◇◆◇◆◇ イースト・アングリア地方の中心的都市であるノーリッジは、古くから時間の流れの中に身を置く歴史的都市でもあった。 ゆるやかにカーブを描くベンスム川に凭れかかるようなかたちで市街地が広がっている。 街には旧い聖堂が静かに佇み、あちこちに教会が点在していた。石畳の道の両端には目に馴染む色合いの建物が連なっており、休日の昼下がりだからか人通りは少なく、しんとしていた。街全体が午睡にまどろんでいるような感じだった。日差しは明るく、温かかった。 ウォーカー家の屋敷は穏やかなベンスム川のほとりに建っていた。街の中心部からはやや離れていたが、美しい風景の中に自然に溶け込むようにしてそこにあった。入口の門からは丸石の歩道がゆったりと伸びていた。屋敷は小さな城と言って良い風情で、アレンの伯父が爵位を持っているという話は確かなもののようだ。 「へー、でけえ家さー。帰るって連絡は入れといたん?」 「はい、大丈夫です。早くリナリーをちゃんとしたベッドで休ませて差上げたいです」 アレンが気負いなく扉を開けた――と同時に、物凄い勢いで中から小さな黒いものが飛び出してきた。それは勢いを緩めないままアレンにまともにぶつかり、彼を弾き飛ばした。どうやら人間のようだ。歳若い――というよりもまだ幼いと言って良い少女だった。淡い栗色のつややかで長い髪を、赤いリボンで飾っている。 「エルメス!」 少女――まるで大きな犬のようにアレンに飛び付いて吹き飛ばした彼女は、とても嬉しそうに顔を輝かせ、神田たち客人には目もくれずにアレンの胸にぐりぐりと頭を擦り付けた。 「おかえりぃ! 私わたし、キャロラインだよぉ!」 「え? ロー……痛」 「そう、『ローラ』ぁ! もう全然連絡寄越さないんだから、ばかぁ」 「いきなり顔を叩かないで下さいってば! 一体どうしてここに――」 「エルメスから急に帰るって連絡があったって聞いて、飛んできたんだよぉ?」 少女は子犬のような仕草で首を傾げ、アレンを見つめてにっと笑った。彼女はアレンへの好意をあからさまに示して、覆い隠さなかった。見ている者が気恥ずかしくなるくらいにだ。 「……おいモヤシ、なんだそのガキは。誰かと勘違いされてんじゃねえのか」 「何故僕が自分ちで人違いされなきゃならないんですか。僕のフルネームはアレックス=エルメス=ウォーカー。エルメスは僕のミドルネームです。女性以外が呼んだらぶん殴りますけど。ほらローラ、お客様の前ですよ。お行儀良くしましょうね」 「はぁい。キャロライン=ローズ。エルメスの婚約者だよぉ。よろしくねぇ」 少女、ローラが無邪気な顔で手を上げて挨拶した。彼女とアレンは揃いの顔で微笑んでいる。まるで双子じゃないかと疑りたくなってしまうくらいに。 「……婚約者?」 呆気に取られたラビが、ぽかんとした顔でうめいた。 「ええ」 アレンはさも当然のように頷いた。どこもおかしくはないと言ったふうにだ。いや、確かにおかしくはないはずだ。誰しも家庭の事情と言ったものがあるし、貴族の中では珍しいことでもなかった。 だが意外だったのは、ことあるごとにリナリーにアプローチを仕掛けていたアレンがということだった。彼は女性という存在全てに親切だった。言ってしまえば何でも来いと言った具合なのだ。ラビが腕を組み、頷きながらしみじみと言った。 「……アレン、なんか今、お前とはこれまで以上に気が合いそうだと思ったさぁ。やっぱストライクは自分でどうこうできるモンじゃねーもんな。流れのままに身を任せるさー」 「どういう意味ですか。ともかくローラ、出迎えありがとう。『迎えに来てくれた』んですよね?」 「うんそぉ。『おつかれさま』、エルメスぅ。『公が待ってる』よぉ。面白い話聞かせてあげてぇ?」 そうして彼らは微笑みあった。まるで二人だけにしか通じない言葉で話しているようだ。彼らの間において、言葉なんてものは大して重要なものではないような気配があった。それは神田に僅かな不快感を植え付けた。見えないところで音にならない会話が進行しているふうで、気色が悪いものだ。 「まぁお前らも遊んで行けよぉ。いっぱいイタズラ仕掛けてやるぅ」 「こらこらローラ、レディがお客様を「お前」なんて呼んじゃ駄目ですよ」 アレンが神田たちの前では見せたことがないような安堵した表情で微笑みながら、軽くローラを小突いた。 ウォーカー家の内部は、ひやりとした冷たさで満たされていた。石造りの外壁には窓がなく、光は差し込まずじめっと湿っている。リナリーを客間に運び込んでから、ウォーカー卿――アレンの伯父に当たるらしい――に面会する為に地下のダイニングに降りると、暗がりにぼうっと浮かび上がる蝋燭の下で、優しげな初老の男が微笑みながら静かにテーブルに着いていた。 体格は丸々と太っていて、膨れた風船のようだった。赤ら顔で、白い口ひげがあり、なんとなくサンタクロースを彷彿とさせる外見だった。似ているのだ。 アレンが行儀良く進み出て一礼した。これまで彼と手を繋いでいたローラ嬢は、少し不満げに離された手のひらを見つめて口を尖らせたが、何も言わなかった。義父なら仕方がないと判断したのかもしれない。彼女はいささか嫉妬深い性質をしているように見えた。 「公、アレンはただいま戻りました」 「お帰りなさイ、アレン。慣れない外の世界はさぞ疲れたことでショウ?」 「いいえ公、わりと楽しかったですよ。それでですね、最近ここに赤毛の大男が来ませんでした? 僕を養子にするとか抜かしていたので、一度はここへ向かうのではないかと思ったもので」 「はぁい」 アレンの質問に答えたのは、ウォーカー卿ではなくローラだった。彼女はアレンの気を惹きたげに「はいはい」と手を挙げて言った。 「知ってるよぉ、こないだここへ来ていろいろ持ってっちゃったんだって」 「おや、もしかして会ったんですか?」 「ううん。私たちが『帰って』来た時にはもういなかったよぉ。べっつにどうでもいいじゃないよぉ、赤毛なんてぇ。エルメスはカワイイ子が好みでしょぉ? 浮気なんかしたら怒るよぉ?」 「ええ、そうですね、愛しいローラ。機嫌を直してくださいよ。僕には君しかいないんですから」 「……我輩はのけ者ですカ……」 「そんな訳ないでしょう公。愛してますよ、大好きです。もう、こんなことでしょげないでくださいってば。ちょっと大人げないですよ」 アレンはまるで少女のように軽やかにくすくす笑い、それから神田たちを指して、お客様ですと言った。 「こちらは僕の上司の方々です。神田様にブックマン様、ラビ様。客間にいらっしゃる美しい御方がリナリー様です。皆さんエクソシストなんですよ」 「ほウ、それはそれは☆」 ウォーカー卿はひどく興味をそそられたようで、ぽんと手を打って目を何度も瞬かせた。 彼はテーブルから身を乗り出し、ぺこっと頭を下げた。 「はじめましテ、アレンの保護者でス☆ ウチのアレンが大変お世話になりましテ、ご迷惑をお掛けしなかったでしょうカ?」 「そこの僕をいじめたポニーテール以外は、皆さんとても良い方で優しくしてくださいました。ああ、そう言えばみんなは?」 「もう揃ってますヨ、ホラネ☆」 ウォーカー卿が示す先には、蝋燭の明かりも届かない闇が広がっているだけだった。だがアレンはすぐに安堵した顔つきになって、ああ安心するなあと呟いた。 「……公、今回はもういいのですか?」 「ええ、良いでショウ☆ 調度今から積み木遊びをしようと思っていたところでしテ……」 ウォーカー卿の前には、木製の積み木が不格好に積まれていた。丸いガラステーブルの上に静かに佇んでいる。円の中心に一際高い塔が積まれ、周囲を囲むように六つの小さな塔が並んでいた。 「まず一つ目……」 ウォーカー卿はニコニコしながら、端寄りの小さな塔の天辺に、黒い十字が描かれた玩具の旗を立てた。 「オセアニア行きましょうカ☆」 その瞬間、冷え込んでいた空気が更に冷たく重苦しいものに変わった。息苦しいほどに鋭い空気だ。アクマを前にした時のあの悪寒など比べものにもならない、まるで何か巨大な怪物の口の中に呑み込まれていくような感覚だった。 ウォーカー卿は嬉々として積み木遊びを続けていた。 黒十字の旗を小さな塔に満遍なく乗せている。積み終わるごとに、ローラがおかしそうにケラケラ笑った。良く見てみれば、積み木にはいびつな文体で文字が記されている。 まず初めにウォーカー卿が旗を乗せた塔には「オセアニア」、時計回りに「北米」「南米」「アフリカ」「中東」「アジア」――それらはどんどん侵略されていく。 肌に感じていた違和感は、そこでひどい悪寒に変わった。はっきりとした確信を伴ったものだ。 そう、それらは全て教団の支部がある地域だ。 中央の大きな塔には「ヨーロッパ」と書かれていた。 円柱は黒く塗られていた。 ウォーカー卿が中央に旗を立て、全ての積み木を征服するのと、神田が六幻を抜刀するのはほぼ同時だった。 「今すぐその胸糞悪ィ遊びを止めろ」 静かに吐き捨てると、ウォーカー卿は全く反応を返さなかったが、かわりにアレンが気分を損ねたように顔を顰めた。 「神田、僕の家族に無礼ですよ。公の娯楽を邪魔しないであげて下さい」 「娯楽? その趣味の悪い積み木遊びがかよ」 「ええ。僕の努力の成果でもありますね」 アレンはにっこり笑った。それはすごく自然で綺麗だった。 「クロス=マリアンさえいなきゃ、もうちょっと楽できたんですけどね」 「……残念さぁ。アレン、割とイイ奴だと思ってたんだけどなぁ」 ラビがやれやれと肩を竦めて槌を発動させ、くるくると回した。彼はこんな時でも微笑んでいた。相変わらず考えの読めない奴だ。アレンも彼に微笑み返し、「ごめんなさい」と言った。 「嘘吐いたことは謝ります、ラビ。でも貴方がたは好きですよ。僕が手を下して差上げたいぐらいには」 「謝るんならユウに謝ってやれって。そいつさっきから、お前の婚約者にすっげー嫉妬の視線送ってたぞ。せぇっかく珍しくフツーの人間の友達ができたと思ったのにさー」 「おや、それは申し訳ないことをした。失礼を、神田」 「くだらねえ無駄口はいい。何をした」 アレンとラビが談笑している間、ウォーカー卿はずうっと沈黙を保っている。神田は彼を睨み、問い詰めた。柔らかい物腰の男は首を傾げ――アレンが良くやる仕草だった――どってことないですヨ、と言った。 「チョットご挨拶に玩具を送りつけただけですヨ☆ 巣穴さえ解ればいつでも殺虫剤は撒けますかラ☆」 ウォーカー卿は面白そうにそう言って、まるで手品でもやるみたいに両手を顎に掛けて、『頭を脱いだ』。 精巧にできた被り物の皮の下から、白くのっぺりした顔と細長いシルクハットが現れた。彼はエクソシストの天敵だった。アクマの製造者だった。 彼の名前は千年伯爵と言った。 「――では我輩は次のお仕事があるのでそろそろ失礼しまス☆ アレン、ロード、彼らと適当に遊んで差上げなさイ。今晩はアレン初仕事おつかれパーティをやりましょウ☆」 伯爵はぴょんと椅子から飛び降りて、コツコツと靴音を響かせて闇の中に消えていった。 「待て……!」 叫んでも、追う間もなく異質な気配は消え失せてしまった。逃げられたのだ。 「……おかえり、アレン」 「なんか甘いもんが食いてェな。おいアレン、頼んでたチョコちゃんと買って来れたか?」 「ただいま。ええ、ベルギーのプラリネチョコレートで良かったですよね?」 「わーいパーティパーティ! アレーン、ちゃんと正装しなよぉ?」 「……僕はいつでも正装してます」 「ご苦労さん、アレン。子供だ子供だと思ってたら、いつのまにか大きくなってるもんだなぁ……その調子でもうちょっと発育べッ」 「はいセクハラ禁止ぃ。みんな戻って戻ってぇ」 ローラがぱたぱた手を振って、追い払う仕草をした。彼女は相変わらずアレンにべったりだ。 そして長い栗色の髪を気だるい仕草で引っ張ってウィッグを取り払い、被っていた顔の皮を破って剥がした。 現れたのは、面倒臭そうな顔つきの、見覚えのある黒髪の少女だった。つい先日遭遇した例の化け物だ。 「ノア……!」 「よぉカンダぁ。お前ら立ち直んの早いねぇ。あのまま凍死しても良かったのにぃ」 彼女はどうでも良さそうに神田を一瞥し、ブックマンとラビに顔を向けて、じゃあ僕と遊ぼぉ、と言った。 「アレン、お気に入りはそっちに任せたぁ」 「ええ、ありがとうロード」 静かに気負いもなく突っ立っているアレンは、ゆったりと手を広げて、微笑を浮かべながら言った。 「さ、僕と遊びましょうか、神田」 |