31:「肢体」 |
「いつか貴方、僕が千年伯爵の仲間ではないかと言われましたね。ノアなんじゃないかって。そのことでお仲間に突付かれておられましたが」 アレンは冷たい顔で微笑んでいる。教団で顔を合わせたばかりの頃の彼を思い起こさせた。感情の感じられない表情だった。 「悪いなんて思うことはないですよ。だって僕は本当にノアなんだもの」 いつのまにか彼の手のひらには警棒が握られていた。つるっとした光沢のある、銀色の棒だ。彼はそれで仲間のアクマを壊した。 「それでスパイごっこの後で俺達をここへ誘き寄せたって訳かよ。屑野郎が」 「誤解されているようですけれど、僕だって驚いてるんですよ。まさか家族が迎えに来てくれているなんて。元々ここにはウォーカー家の人々が住んでいらっしゃったんです――人間の、アレックス=エルメス=ウォーカー君ご本人の家族がね。僕としては少し手回しに不安があったので、あまり寄り付きたくはなかったのです」 「……お前の本当の名前は何だ。アレックス=E=ウォーカーじゃねえのか」 「大して変わりませんよ。僕はアレン。似たような名前の人見付けるの、割と苦労したんですよ」 アレンは千年伯爵と似たような仕草で首を傾げ、何をして遊びましょうか、と言った。 「何分エクソシストに遊んで貰うのは初めてなもので。できるだけお手柔らかにお願いします」 「ざけんな、モヤシ野郎!」 踏み込み、六幻を振り下ろす。アレンは避けもせずに、無造作に左手の警棒を頭の上に掲げた。 アクマを破壊できる金属だ、そうやすやすと壊れるとは思えなかったが、 「あれれ」 軽く乾いた音を立てて、警棒が簡単過ぎるくらいあっけなく粉々になった。 アレンがきょとんとして手の中に残ったグリップを見つめている。彼は溜息を吐いて、残念そうに言った。 「警官みたいで気に入っていたのに……」 「くたばりやがれ!」 隙だらけのアレンに躊躇なく放った一幻が、彼をばらばらに引き裂いた。 あっけなかった。 対アクマ兵器の強大な破壊力は、一瞬でアレンをばらばらの肉片に変えてしまった。 荒い呼吸を静めながら、神田はまだイノセンスの抜刀を保ったままじっと佇んでいた。 あまりに呆気無さ過ぎた。アレンはノアだったのだ。 仮にもイェーガー元帥を殺害し、アクマを統べる一族が、直撃とは言え一幻の一撃で倒れるとは思えなかった。 部屋は血の匂いで満ちていた。アレンの血の匂いだ。 ラビとブックマンの姿はない。アレンの妹だというノアの少女の姿もだ。誰もいない。 「モヤシ……」 床の上には血の海が広がっていた。そこにはいくつかの肉片が転がっていた。 左手首、足、スライスされた胴体、目を閉じて上を向いている首、ここまでバラバラにされては例えアクマだって生きてはいないだろう。アレンは死んでいる。そのはずだ。 だが嫌な悪寒が消え去らないのだ。 まだぴりぴりした怖気が神田を苛んでいる。 硬直したままでアレンの首を睨み付けていると、ふいに天井から生温かい塊が降ってきた。 「――何だ……!!」 それは、どうやら人間の手のかたちをしていた。生温かい液体を吹き出しながら、目隠しするように神田の顔に張り付いてくるのだ。 舌打ちをして引き剥がそうと掴んだが、そいつの握力は予想以上に強かった。ようやっと取り去れた先に、神田は奇妙な光景を見る羽目になった。 血の海の中のバラバラ死体が、徐々に集合をはじめている。 まるで無数の微生物が群れてひとつのかたちを取り繕うような具合に、それらはパーツへと変貌をはじめている。 手が腕へ、輪切りにされた胴は元通りの厚みを取り戻し、足の上に嵌まった。 太腿から腹に掛けて、全く継ぎ目もなく繋がっていく。柔らかく白い肉がパズルのように嵌め込まれていく。 「……え?」 神田は唖然としてその光景を見ていた。 アレンの身体は再生を続けていた。だが神田を驚かせたのはそれだけじゃない。 彼の身体の構造はどう見積もってみても、男性のものではなかったのだ。丸みを帯びたフォルムが展開していく。その痩せてはいるがふわふわした体つきや、胸の柔らかな膨らみも。 胴と左腕がくっついたところで、神田が掴んでいるアレンの右腕のパーツが、五本の指を使い、まるで蛙か蜘蛛が勢い良くジャンプするような動作で首の元へ飛んだ。 腕はそのままボールでも投げるように自分の頭を胴体へ向かって投げ付けた。 アレンの身体は上手に頭を受けて、左手で位置を整えながら、再び飛び跳ねた右手を半分切れた右腕でキャッチした。じきにそれらを分断していた赤い痕も消えていき、アレンの身体は完全な再生へ至った。 「お、まえ……――女?」 神田は呆然と呟いた。まるで現実味というものがない。さっきから随分とそんなことが続いているが、これは極め付けだ。何の冗談だと言うのだ。 アレンは目を開き、自身の身体を見下ろし、右腕で胸を庇うようにした。その身体は小刻みに震えている。 そして神田に昏い視線を寄越した。 「……ひどい屈辱です――覚えておいてください、」 アレンは恨みがましい、低い声で囁いた。 「必ず後悔させてやりますから」 その目は、暗がりで僅かに光って見えた。濡れていた。仄かに蝋燭に照らされる顔は異様に赤くなっていた。それが神田に、これは例の悪意あるアレンの冗談なんかじゃあないということを理解させた。 「な……なっ、お前……?」 「ロード! ……ロード!! 帰りますよ!!」 アレンは鋭く叫び、闇に溶けはじめた。黒い闇に呑み込まれながら、彼は――いや、彼女は涙が溜まった目できつく神田を睨み、罵声を上げた。 「バカカンダ! バカンダ!! 気安くヒトの身体ジロジロ見てんじゃねえよ!! 死ね!!」 「なッ! 俺、は! なにも――」 なんもしてねェだろ、と言い訳じみた叫びを上げようとしたが、結局口篭もり、誰もいなくなった空間で神田は立ち尽くしていた。 あの冷たい気配は消えた。だがもっと厄介なものに取り憑かれたような気配があった。 予想もしていなかったことだった。 あのアレンが、顔立ちは美しいが非常に男らしいところがあるアレンがノアで、そして―― ◆◇◆◇◆ 『ロード! ……ロード!! 帰りますよ!!』 暗がりのどこかからアレンの声が聞こえた。 それまでラビ達にアクマをけしかけていたノアの少女は、アクマを制止させ、首を傾げた。 「あっれぇ、なんかあったぁ? アレン?」 ノアは闇の中に呼び掛けたが、それっきり返答がなかったらしい。彼女は訝しげな顔つきになって、しょーがないなぁ、と呟いた。 「いつまで経っても手間掛けさせるんだからぁ、ヘボへボアレンはぁ……ああお前らぁ、ちゃんと遊んであげらんなくてゴメンねぇ? 今度お茶でも誘ってあげるから許してぇ。千年公、お前らの話を聞きたがってたよぉ」 「それは光栄だな」 「ちょい待て! 何がなんだか説明――っぶ」 「黙ってろ未熟者。ロード姫、お心遣い感謝する。姉姫によろしくな」 「おっけぇ、言っとくー。じゃあねぇ?」 ノアはあっさり頷いて、急に出現した扉の向こうに消えていった。一瞬少女の甲高い派手な泣き声が聞こえたような気もしたが、正体は知れない。 「一体――」 なんなんさ、と呟き掛けて、ラビは眩暈を感じ、ふらっと床に膝を吐いた。水から大気の中へ戻るような、どこかへ流されるような感触があった後で、今まで感じていた得体の知れない寒気が消えた。 周りは急にしんと静まりかえった。闇に紛れたアクマのささやき声もない。 ふいに肉声ではない割れた音声がかすかに聞こえてきた。慌てて辺りを見回すと、どうやら団服の中からだ。襟を広げると、通信用のゴーレムが飛び出してきた。 『――ビ、……ックマン、……リナリーのことは心配しないで下さい。……がお守りしま……から……』 アレンの声だ。何故か湿った感触があった。泣いているのだろうか。 彼ももしかしたら、辛いと感じていたのだろうか。 目を細めるラビの隣で、ブックマンが何の感慨も無さそうな顔で言った。 「どうやらリナ嬢が連れ去られたようだな」 「ようだなって何でそんな落ち付いてるんさ! ――ってリナリー攫われた?!」 「アレンがついている。心配ないと言っておるし、問題はないだろう」 「……うー」 ラビは項垂れ、溜息を吐いてぼそぼそ言った。 「――じじい、なぁに隠してるんさー」 「自分で考えろ、未熟者が」 ブックマンはそっけなくそう答えた。 |