36:「Sister Princess」




 兄弟はかなり機嫌を損ねていた。部屋に閉じ篭り、様子を見に行けば様々なものが飛んでくる。アレンのご機嫌取りに向かって壊されたアクマの残骸、水差し、シンプルな洋服棚、果てはベッドだ。今回はちょっと苛め過ぎてしまったらしい。
 ティキは溜息を吐いて頭を掻き、妹の部屋の扉をノックした。
「……アレン? 起きてるか?」
 返事は無かった。鍵が掛かっていたが気にせず擦り抜けて部屋に入ると――ティキが触れたいと思わなければ、それらはそこには「ない」ものと同じなのだ――途端に金属製の頭骨が飛んできた。顔の前で危なげなくキャッチして何とはなしに見ると、額の出っ張った箇所に『スージー』と書かれていた。癇癪を起こしていても『マナ』を投げ付けるような真似はしないらしい。頭骨を背後に放り捨て、ティキは言った。
「悪かったって」
「……出てって、くださ……はいってこないで」
 アレンは部屋の隅に座り込んでいた。顔を膝に埋めて小さくうずくまっている。嗚咽と鼻をすする音が時折聞こえる。随分長い間泣いていたようだった。
「ごめんって、ほんとにそう思ってるんだってば。ちょっと苛め過ぎた。反省してる。お前があんまり人間と仲良くしてるから、つい嫉妬しちゃったんだよ」
「……うそつき……にいさ、うそつきです。ほんとのことなんてなんにもいわない……」
「アレン、機嫌直してくれよ頼むから」
 ティキは途方に暮れてしまった。アレンは完全に臍を曲げてしまっている。ドレスを着せたことも気に食わないようだった。いつもの可愛げのない口も叩かずに、ただ鬱々としている。小さい女の子を泣かせてしまったような気分になり、さすがにティキは良心の呵責を感じてしまった。人間ならなんにも感じないが、愛する家族なら話は別だ。
 アレンの隣に座り込んで、じっとしている彼女を昔良くやったように抱いて、背中を撫でてやった。
「……にいさ、なんて、大嫌いです」
「オレは大好きだよ兄弟。どうすりゃ機嫌直してくれるかな。ホールケーキ? 苺のやつ。銀色の薔薇の種? 中庭に新しい色が欲しいって言ってたろ。それからお前が読みたがってた本なんだっけ、『ヴォイニッチ写本』、コープランドの『ザンツゥー陶片』、『ドジアンの書』……の、マダム=ブラヴァツキー版のやつ。オレは学無えからわかんないけど、すぐに取り寄せるよ。太っ腹。どうだ?」
 アレンはまだしゃくりあげていて、顔も上げてくれない。それならこれはどうだ。ティキは少々リスクが大きいなと考えながら、次の候補を上げた。
「じゃあお前がずうっと欲しがってた魔導式コアと駆動システムを分けてくれるように、オレから千年公に頼み込んでやるよ。赤いあれ、ハート型の超軽量サイズのやつ」
「……ほんとに?」
 アレンがやっとおずおずと顔を上げた。どうやら釣れたようだ。ティキは苦笑しながら頷いた。
「ああ。これでお前の玩具もきっと動くよ」
「……また、お仕事沢山押し付けられますよ。人間に情なんて掛けてしまった役立たずの僕のご機嫌取りのためなんかに、そんなめんどくさいこと貴方だってほんとはしたくないでしょ」
「ああもう、今回は根深いなあ……本当に悪いことしたと思ってんだって。お気に入りだったんだもんな。だからその分のリスクは覚悟してるよ。せいぜいこき使われるさ」
「……ティキ」
 アレンは静かにティキを見上げた。目元は赤くなっていた。
「僕は人間が嫌いです」
「うん」
「……でもちょっと悪くないかもしれないって思うものもいくつかありました。僕は変ですか? 変だとして、これどうやったら治ります? ティキや千年公なら治せるの?」
「うん、悪くないってのはどんなふうに?」
 ティキはできるだけ穏やかに、声を荒げず、アレンを傷付けないように注意を払って訊いた。これ以上機嫌を損ねられてはかなわない。アレンは少し首を傾げて、言葉を選びながらたどたどしく言った。
「……その、もしかしたら、初めて友達ができるかもしれないと思ったんです。昔は僕のことを苛めてばっかりだった男の子も、その、苛めない人もいて、……あ、兄さんに似てました」
「うん」
「こんなかたちじゃなきゃ、彼らと仲良くなりたいなと思ってしまったんです。ティキ、僕は人間に騙されてるの? それを考えるとすごく嫌だ」
「うん、難しいな」
 ティキはアレンに微笑み掛けた。アレンはあまりものを知らない。幼い頃からずっと城に閉じ篭りきりだ。幾分真っ直ぐ過ぎる――というか直情的なところや一本気なところがあって、自分というものを使い分ける方法をまだ知らない。アレンには白も黒もない。彼女は純粋で限りなく白に近いグレイだった。ノアが人間を演じるということに慣れていないのだ。
「世界にはどのくらい人間がいると思う?」
「……沢山。両手じゃ足りないことくらいは知ってますけど……」
「そう、その沢山の中で、お前はきっと運良く綺麗なものばっか見ちゃったんだよ。不特定多数の良く知らない誰かのために命を掛ける聖人様たちだ。だが力と命の使い方を間違えてる奴らだ。アレン、お前は家に害虫が出てきたら殺すよな? たとえばゴキブリとか」
「……気持ち悪いのでアクマに命令します」
「うん、そうだよな。あんなのいらないよな。ほっとくといくらでも増える。シロアリは柱を食うし、ネズミは加えて食料を傷ものにするだろ? 家の住人はオレたちだ。すごく困る」
「……うん」
「そいつらがオレらとおんなじ姿をしているとする。でも頭の中身は虫のままだ。原始的で本能のままに生きてる。いわゆる擬態ってやつだ、同じような姿をしてちゃ、駆除しにくいよな。でも駆除しなきゃ家が倒れる。「アクマ」って殺虫剤を振り撒いてなんとか殺してるけど、奴らはどんどん増える。挙句の果てには進化して毒を持った奴らが生まれる」
「……エクソシスト?」
「うんそう。全部殺さなきゃオレらは家に住めない。言ってることわかるな?」
「はい。理解しています」
 アレンは頷き、でもすごく気持ちが悪いんですと言った。
「ティキ、僕は気持ち悪い人間を殺すことは別にどうでも良いんです。気持ち良いぐらいですものね。でもちょっと気に入ったものが壊れることを考えるとすごく苦しくなります」
「お前はまだ子供だし、長い間人間といたんだ。そういう感じ方するのも無理もないさ。もっと大人になって、戦争の意味を知ればそいつは薄れていくよ。家族みたいにね」
 アレンはしばらく黙り込んで、言うべきか迷う素振りを見せたが、言いたくないなら答えなくても構いませんから、と言い置いて、
「ティキはどんなだったんですか? 家へ初めて『帰って』きた時。僕みたいにそれまで人間と一緒にいたの? それとも生まれた時からずっとここにいたの? みんな昔の話はあんまりしてくれない」
 ティキは笑って答えた。
「忘れちゃったよ」
「……忘れられるんですか? 僕はきっとずっとマナのことは覚えてると思うのに」
 アレンは納得がいかないようだった。また兄弟たちと違うところを見付けて、少し気落ちしているようだ。彼女はどうも他の兄弟と違うところ――例えば白い頭と身体、刻印の位置や性質、いささか劣った感のある能力に関してなどをコンプレックスに感じているようだった。
 ティキはアレンを抱き締めて、頭を撫でて優しく囁いてやった。
「アレンは『マナ』の顔をはっきり思い浮かべられるか、今でも?」
すごく穏やかな声が、まるで自分のものじゃないみたいだと思った。こんな声も出せたんだオレはと変な意味で感心してしまった。
 アレンは目を瞑り、しばらくしてから力なく頭を振った。
「声だけです」
 彼女は言った。
「すごく好きなのにぼんやりしてちゃんと思い浮かべられない」
「そういうもんなんだよ。ブックマンみたいな特殊な人種でもなきゃ、新しい思い出に追いやられていつかは消えて行くんだ」
 ティキは困惑しているアレンの背中を撫でてあやしてやった。彼女はようやっとおずおずと手を伸ばしてティキにしがみついてきた。どうやらなんとかご機嫌取りに成功したようだ。ティキは確かに家族のアレンを愛していたから、いつまでも臍を曲げられていてはいささか堪える。
「……でも僕が忘れたりしたら、マナは悲しいんじゃないかな」
「兄弟、お前は本当に優しい子だな。いつかそれを忘れる頃にはオレやロードたちとおんなじになってるさ」




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