38:「教会にて」 |
アレンは意外そうな顔で、「学校ですか?」と言った。どうやら予想外だったようだ。ティキは笑ってアレンの背中を叩いて頷いた。 「そうだよ。お前は学生、オレは仕事――角材を運んだり柱を組んだりするのさ」 「でもティキ、その……僕確かに学校に行っても良いかなって思ってたんです。でも人間に接触したら貴方怒るんじゃないですか? それに僕男の人とはあんまり話したくない……」 「うん兄弟、お前は朝になったらブレザーを着て学校へ行く。勿論男物だ」 「え? いいの?」 「そんで夜になって家に帰って来たら、ちゃんとドレスに着替えること。それだけ。簡単だろ」 「……いつもやってることと変わんないです。なにそれ?」 アレンは訝しげに眉を顰め、首を傾げた。訳がわからないと言った顔をしている。ティキはにやっと笑い、アレンの頭に手を置いた。 「お前には白と黒の使い分けを教えておいた方が良いんじゃないかなって思ったんだ。自分ってものをひとつに決めようとするから、お前はいつまで経っても不器用な子なんだよ。可愛……おっと、悪くはないとは思うが、この先きっとすごく不便になると思うんだ」 「じゃあ僕もティキみたいに、白い僕と黒い僕を作れば良いの?」 「そうなるといいな。人間とノア、ちゃんとバランスを取って使い分けるんだ。お前はロードよりもオレ寄りに見えるんだ。本質的に人間が好きなんだよ」 「……別にそんなことはないです」 アレンは不満そうに頬を膨らませたが、特に不平は言わずに頷いた。どうやら好奇心の方が強いようだった。 ◇◆◇◆◇ 特別に裕福ではない地区でも、教会で開かれている私塾と言った方が良い規模だったが、学校はちゃんと存在した。まともなパブリック・スクールは大分遠くまで足を伸ばさなければならないらしい。だが見た限りでは、どう見ても貧しい階級の人間には見えない姿もちらほらいた。彼らは大分浮いてはいたが、静かに席についている。 「アレン=ウォーカーです。イギリスから来ました。どうぞよろしく」 教卓の前に立って自己紹介をすると、幾人かが意外そうな顔つきをした。 「イギリス?」 「隣町から来たんじゃあないのか? あの、例の受け入れの生徒じゃ」 良く解らずに黙って表情を変えないままでいると、教師――歳のいった女性だった。眼鏡のほかに特に特徴と言ったものは見つけられない――が少し微笑み、アレンに空いている席に座るように促した。 「みんなウォーカー君と仲良くしてあげなさい。それでは聖書を開いて。忘れた子はいないわね? ウォーカー君は隣の子に見せて貰って。ジャン、いいわね」 「はーい」 隣はアレンよりも幾分年下の少年だった。悪戯っぽい顔つきで、ちょっと落ち付きがないところがあるようだ。足をぱたぱた揺らしている。彼はにっと笑って、さっと聖書をアレンの方に寄せ、「見せてやるよ」と偉そうに言った。 「よろしくキレイな顔の兄ちゃん。オレも転入組。ジャンっての。短い間だろうけどよろしくな」 「アレン=ウォーカーです。よろしくジャン。短い間って?」 「うん、オレホントは隣町に住んでんの。ちょっといろいろあってさ、ここにいるのは二週間っきりなんだ」 彼は人好きのする顔でそう言って、忙しない仕草で聖書を捲った。創世記のページだ。アレンはちょっと顔を顰めた。あの話だ。人類最古の神の使徒ノアが箱舟を造る話。なんだか人間共がノアを語るというのが気に食わなかったが、その程度で自制心を乱される程子供でもなかったから、アレンは努めて無表情で聖書を覗き込んだ。老教師の声が静かに響いてくる。 「レメクとビテノシの子ノアは雪のように白い肌で、頬は薔薇よりも赤く、髪は白羊毛より白く、祖母メトシェラはエノクにノアは天使の子に違いないと相談した。 その頃神は地上にはびこる人間の悪を見て、人類を創造したことを後悔された。神は人類を滅ぼそうとなさったけれど、唯一ノア、「神に従う無垢な人」であった彼とその家族を救おうとなされ、ノアに箱舟の建設を命令された。これが創世記のはじまりの部分です」 教室の生徒たちは、大半が退屈しているらしかった。特にちらほら目に付く、他よりも大分上等な服を着ている少年たちは、辟易ぶりが目に見えるようだった。彼らは日曜礼拝と授業の区別がつかないことに退屈しているようだった。 隣のジャンも同じだ。暇そうに欠伸をしている。彼も大分仕立ての良い服を着ていたし、なんとなく甘やかされて何不自由なく育てられた裕福な子供という印象があった。 「大洪水後神はノアの子供たちに世界の各地を与えられ、そこに住むように命じました。ノアの一族はばらばらに散り、違う言葉を話すようになりました。今日ではノアは人類最古の神の使徒と称えられています」 なんとなく耳が痛くなる話が続いていたが、アレンはふとジャンが聖書に隠して読み始めた本に目を留めて、あ、と小さく声を上げてしまった。 (モリスターの「科学の驚異」じゃないですか、それ。前からすごく読んでみたかったんです) (ん? わかんの? へえ、こんなちっちゃい街でこいつが解る奴に会えるとは思わなかった) ジャンはびっくりしたように目を見開いて、じっとアレンを凝視した後、嬉しそうににやにやして言った。 (お前もからくり好きなほう?) (大好きですよ。それにしても驚きましたね、この辺じゃあんまりそういう本って手に入らないでしょう?) (へへ、実はさ、うちの親父が――) 「ジャン! アレン! お喋りは良いけれど、授業が終わってからよ。罰として後で二人でゴミ当番。いいですね」 老教師に呆れ声で叱責されて、アレンとジャンは顔を見合わせて肩を竦めた。 ◇◆◇◆◇ 「オレの親父ヴァチカンの科学者なの。だからウチにそういう本がいっぱいあるわけ」 箒を肩に担いで、ジャンが言った。アレンはゴミ箱を抱えて、へえそうですか、と相槌を打った。 「ヴァチカンねぇ……お父上は敬虔なカトリックなのですね」 適当にそんなことを言いながら、アレンはなんとなく友人の顔を思い浮かべた。向こうはアレンを友人とは思っていないかもしれないし、アレンもいつだって彼らを殺せるつもりで接してきた。それなのになんだかすごく居心地の悪い感触がする。リナリー、ラビ、彼らはすごくいい人だったのだ。アレンが彼らの領域に生きていたなら、きっと良い友人になれただろう。でも違った。もうしょうがないことだから、そういうものだったんだと思うことしかできない。 彼らも神田くらい割り切ってくれたらもう少し楽でいられたのだろうとアレンは思った。神田は手加減も何もなくアレンを一度殺したし、いつもぶっきらぼうで仏頂面で口が悪いし性格は最悪だ。アレンもあの位上手く割り切るべきだ。彼のそういう実直というか愚直と言うべきか、あの真っ直ぐ過ぎるところはちょっといいなと思う。 「カトリックって、んー……そういう訳でもないんだけどさ。とにかくオレも親父みたいな科学者になりたいの。あんま家にいないけど尊敬してる。アレンとこ家族は?」 「ああ……今は、そうですね。実家から引っ越してきたんですけど、ペットが二匹いますよ。たちの悪い小汚いのが一匹、すぐ泣き喚いてうるさいのが一匹。割と世話に苦労しますね」 ティキとレロの顔を思い浮かべて、アレンは言った。ジャンは頭の後ろで腕を組んで、ふーんと頷いた。 「動物好きなの?」 「はは、まさか。実家から勝手にくっついてきたんですよ。なんだか自分がボスだって顔してる黒いのが非常にうざったいんですよ。偉そうなくせ構わないと拗ねるし」 「ふーん。犬?」 「まあそんなようなものです」 アレンは首を傾げて頷いた。ジャンは箒をくるくる回しながら背伸びをして、大きな欠伸をし、ほんとたまんない、と言った。 「聖書なんて懲り懲りだよ。こんなことより早く帰ってからくり弄ってるほうが余程建設的だ」 「同感です。退屈な話を読み聞かされることは拷問に等しいですね」 「お前とは気ィ合う気がするなあ。アレン、暇なら今からうちに来いよ。ちょっと遠いけど、オレのからくり見せてやるからさ。いっぱい科学書もあるぜ」 「へえ、いいんですか?」 「いいのいいの、ここじゃ話解るのお前くらいだもん。今まで退屈でさー」 ジャンが屈託なく笑って誘ってくれたので、アレンも行儀良く頷いて、では好意に甘えます、と言った。 ◇◆◇◆◇ 「てぃきタマ、お昼過ぎには帰るって言ってたのに、あれんタマが帰って来ないレロ〜……」 レロが窓の外を寂しそうに眺めながら、溜息を吐いた。 「ん? アレンならなんか友達んちに遊びに行くって、さっき家族通信が来たぞ」 「と、友達?! 家!? あ、あれんタマが大変レロ! すぐに助けに行くレロロ!!」 「落ち付きなさいって。人間どもに溶け込んでる、いい兆候じゃないか。あんまり過保護なのもアレンの為にならないと思うわけよ。まあ門限過ぎたら迎えに行くけどね。ゲートで」 「……てぃきタマのほうが甘やかしてるレロ」 「だってお前、アレン今ちょっと死なないだけで普通の人間と変わらないんだぞ。心配もするだろ。ていうかお前、アレンのボディガードだろ。こんなとこでなにさぼってんの」 ティキが突っ込んでやると、レロはぶわっと大粒の涙を零して泣き出した。 「てぃ、てぃきタマあ! あ、あれんタマに、レロかっこわるいって言われたレロ! そんなファンシーな傘持って学校行けないってええー!!」 「うーん、女の子ならまだしも、確かにオレもお前持って仕事には行きたくないなぁ。やばいだろそれ」 「れ、レロはだめな傘なんレロロ? あ、あ、あれんタマに嫌われたらもう生きていけないレロ〜……」 「いやお前アクマなんだから既に死んでるっしょ」 レロはじくじくと泣き続けている。辛気臭い上に騒がしい傘だ。やがてようやっと顔を上げた傘は、そう言えばちょっと気になったというふうな調子でティキに訊いてきた。 「……そう言えばてぃきタマはなんでまだうちにいるレロ? 工事のお仕事に行ったんじゃなかったんレロロ?」 「いやあ、まあそれなんだ問題は」 ティキは頭を掻いて、床にだらしなく寝そべった格好で言った。 「初日から現場で喧嘩沙汰に巻き込まれて、監督殴ってクビになってさー。なんかもうどうでも良くなってきた。もう働かなくてもいいじゃん。むしろ働いた方が負けじゃん」 「てぃきタマ……あれんタマ帰って来たらきっとすごく怒るか泣くレロ」 「そうなんだよなあ。それが怖いんだよなあ。どうしよ」 「レロに聞かないで欲しいレロロ……」 具合の悪い沈黙が落ちた。そろそろ日が暮れようとしていた。アレンはまだ帰ってくる気配がない。 ◇◆◇◆◇ 隣町行きの馬車に乗って、停まり場からしばらく歩くと煉瓦の家が見えてきた。小奇麗で、玩具めいた可愛らしいつくりをしていた。 「うちの別荘。ちっちゃいけど何でも揃ってるよ」 「ジャンはこの辺りに住んでる人じゃないんですね」 「ああうん。ホントはオレいつもはロンドンに住んでんの。ちょっといろいろあってさ、田舎に療養に来てたんだ。でもこの街の学校、こないだ火事になっちゃったみたいで、しょうがないから教会に通ってる。あんまり退屈だからさぼってやろうと思ってたんだけど、お前みたいな頭良さそうな奴と会えたし、まあいいや」 「はは、それは光栄ですが、買被り過ぎですよ。僕はあまり賢くはない。からくりを弄るのは好きだし、数式も好きだけど、他のことは何もわかっちゃいないんですよ」 「……ふうん。そっか。そういうもんだよな」 ジャンはふっと俯いて呟き、それからぱっと顔を上げ、にっと笑ってまあゆっくりしてけよと言った。 玄関をくぐると、どうやら小奇麗にはされているものの、建物は随分と年代もののようだった。 「昔は図書館だったんだ。爺さんが子供の頃に閉館になって、取り壊されるって言うから買い取ったんだ。本ごと。だから割と珍しい本もあるよ。親父が置いてった本もいっぱいある」 「へえ」 アレンはぐるっと視線を巡らした。本棚は天井まで届くくらいに高く、無数の書物が詰め込まれていた。古い本の匂いがした。家の書庫と同じ匂いだ。黴臭く、僅かに湿っている。 「まあその辺座れよ。茶でも入れるから」 ジャンが玄関横の奇妙なペダルを踏むと、奥の方から水が流れる音が聞こえてきた。やがてつるっとした光沢を持った鉄の塊が、床をスライド移動しながらやってきた。 『オチャデス』 奇妙なメカは人工音声でそう言って、頭の天辺の蓋を開け、中から真鍮の筒を引っ張り出して傾けた。カップに紅茶が注がれていく。 「へえ、大したものですね」 「へっへ、そうだろ。すごいだろ?」 ジャンはすごく得意げに鼻を擦って、腰に手を当てている。アレンは機械からカップを受け取り、礼を言って口を付けて、そして硬直した。 「……ジャン」 「うん、唯一の欠点がこれ。機械のオイルとお茶が混ざっちゃうんだ、どうしても」 「まあいいですけどね。からくりがやることなら可愛いものです」 アレンとジャンは苦い顔をして紅茶を飲み干した。華やかな茶葉の香りと、苦いガソリンの味が口の中に広がった。言い様もない味だったが、なんとか片付けてカップをメカに預けると、現れた時と同じようなスライド移動で下がっていき、部屋から消え、どこか遠いところから衝突音と食器が割れる音が聞こえてきた。 「……ジャン」 「ちょっとした用を頼む時って、スイッチよりペダルの方が便利なんだ。スイッチじゃ手が塞がってることが多いしね。な、アレンも発明とかするほう? からくり造ってさ、身の回りの世話させたり悪戯したり……」 「……はあ、そうですね。幼い頃から伯父の――伯父は優秀な科学者なのですよ――手伝いをしていました。見よう見真似で僕も色々造ったりしていたのですが、一番力を入れているものがなかなか動いてくれなかったんです」 「今はどうなったの?」 「はい、先日伯父に動力部をいただいたので、なんとか動くようにはなりましたよ。とは言ってもまだ始動して間も無いから、ろくなデータは採れてないけど。机の上ならいくらでも想像できるんですけど、機械は動かしてやらないと解りませんからね」 「そうそう、それある! オレも今のロボット、実は紅茶はホットとアイス、ミルクとレモン、カフェオレとコーラまでボタン一個でどれでも好きなのを選べるはずが、動かしてみたらどれか一種類入れるスペースしかなかったんだ。なんかガソリン臭いし」 「ははは、あれこのまま使い続けてると君間違いなくガソリン中毒で死にますよ」 アレンは笑って言った。ジャンは「そうかなあ」と呑気に首を傾げて、何か思い出したようで、ぽんと手を打った。 「ちょっとそこで待ってて」 しばらくして、ジャンは数冊の本を抱えて現れた。黄色い背表紙のハードカバーが一冊、それから草稿を束ねたようなものが二冊ばかり、後はどうやら論文集のようだった。 「アレン、お前も手伝ってよ。昨日天井辺りで見付けた本なんだけどさ、全然解読進まないんだ。爺さんのメモも一緒に見つかったんだけど、何書いてあんのか全然わかんない」 黄色い本にはタイトルがなかった。表紙を捲ってみると、印刷ではなく、変色したインクで整然とした文字が綴られている。あちこち虫食いの穴だらけで、紙は相当黄ばんでいた。今にも分解しそうな様子だった。 「『最愛の我が妻に捧げる』……『美しき』『あの思い出の日々』……ええと、『いつでもそこに』? なんだかロマンティックな出だしですね」 「……なんでお前そんなの読めんの? オレじいさんのメモと取っ組み合いして『うつくしき日々』ってとこしか読めなかったのに」 ジャンが今一つ不服そうに頬を膨らませている。アレンは肩を竦め、穏やかに言った。 「ただ君よりいくつか歳を取っているだけですよ」 「お前いくつだっけ」 「十五くらい。これ、扉を見た感じではどうやら誰かの日記のようですね。君の血縁の方のものでしょうか? なら僕が読んでしまって良いのかな」 「いいよ、どうせ間違いなくもう死んでる人だろうし。読める奴に読んで貰った方が時間もかかんないしね」 「ええ、解りました」 アレンは頷き、ページを繰った。 |