40:「死人の噂」 |
「また死んだってよ。今度も部隊ごと全滅だそうだ」 衛兵が暗い顔で話し込んでいる。その表情には絶望の色が濃い。 「エクソシストは?」 「エクソシストもだ。探索部隊も無念だったろうな。盾にすらなれなかったんだ。守れなかったんだよ」 近頃の教団本部は常に沈んだ空気で満ちていた。まるで永遠に続く葬式の只中にあるようだった。食堂、談話室、訓練施設、どこへ行ったって誰かの泣き声が聞こえてくる。それに混じって悼む声、あてにならない祈り、ひっきりなしだ。 神田ユウはそれらが気に食わなかった。だがアクマをいくら壊したって戦争が終わる訳じゃない。初めから分が悪い戦であることは覚悟している。ただやるべきことをやるだけだ。 死人を悼んでいる暇はない。今日死ぬかもしれない、それは誰にも当て嵌まることだった。 神田は今まで一度だって迷いを感じたことはなかった。アクマかどうか判別が難しい人種を切り捨てる時にもだ。団服に近付く者をすべて疑ってきたのだ。困惑も後悔もない。 「……あ、」 すうっと小柄な人間とすれ違った。肩まで届くくらいの白髪で、探索部隊の白い服を着込んでいる。 神田は足を止め、思わず呼び止めた。 「おい!」 「……なにか?」 振り返った白服は見たことがない老人だった。皺くちゃの顔で訝しげなふうだった。神田は居心地の悪いものを感じながら、肩を竦めた。 「……いや。すまない、何でもない。行ってくれ」 老人が行ってしまってから、神田は自嘲気味に顔を歪めて舌打ちした。『彼』がもうこの黒の教団本部にいるはずがないのだ。 ここ最近、神田は奇妙な気分になることがあった。何か決定的なものをどこかに置き忘れてきたような感触だ。それは喪失感と落胆をごたまぜにしたような感じだった。 『殺さないで!!』 『彼』は必死に叫んでいた。その顔には嘘も冗談もなかった。泣いてすらいたのだ。 何故敵のために泣いたのだ、神田は理解出来なかった。立場ってものを考えてみた。アクマやノアや千年伯爵のために泣くエクソシストなんて絶対に存在しない。 『約束だってあったんです。僕は――』 『彼』はあの後何を言おうとしたのだろう。約束とはどんなもので、誰と交わしていたのだろうか。それを考えると胸がむかむかして、息苦しいものを感じるのだ。 今は戦争の只中だということを神田は理解していた。今より大分若い時分に、そいつを理解した時に思考することを放棄した。考える前に剣を振ることにしたのだ。そしてそれが神田を今まで生かしてきたのだろうという確信があった。余計なことを考える奴は生き残りはしなかった。 だが最近になって、奇妙な空想がふと神田に訪れることがあった。 例えばアクマの掃討任務から戻ってきた時に、水路の先にふと灯りが見える。 『彼』が立っている。そして肩を竦めて言う。 『ホームへおかえりなさい、神田。貴方もしぶとい男ですね。また生きて帰ってきちゃったりなんかして。ちょっと死ねば良かったのに』 それがサポーターが帰還したエクソシストに言う言葉かよと神田は苛々しながら言うだろう。『彼』は神田の機嫌を損ねることについては天才的なのだ。 『彼』はまともに話し掛けてくる者も少ない神田にいつも付き纏ってくっついてくる。邪魔だし、うっとおしかった。うざったいったらない。 『貴方またそんな蕎麦なんかしょぼいものを……せめてほら、上からツナソースを掛けるとか、ミートソースでも良いけれど、あ、それ良いと思いません? 新メニューとして提案しましょうか』 食堂で神田の向かいの席に座って、ぽんと手を打って言う。すごく素晴らしい思い付きのように言う。神田は激昂してふざけんなと怒鳴るだろう。でも『彼』に堪えた様子はまったくない。いつも同じ表情だ。ポーカーフェイスなんて上等なものじゃあない、ただ気だるげな無表情だ。 多分世界の終わりがきたって彼は無様に泣き喚いたりすることなんかなく、「やれやれしょうがないですね」なんて肩を竦めながら言うのだ。 『彼』の泣き顔なんて想像がつかなかった。怯えきって震える姿もだ。 『ああリナリー、リナリーリナリー、なんて美しいんだろう! 神田のような無礼な男と同じ神の創造物だなんて信じられません。あ、ところで神田、彼女の誕生日を知ってます? あと趣味とか好きなものとかも』 最後の方は小声で言う。『彼』は「紳士」なんて大層な呼び方よりも、「女たらし」で充分だった。知るか本人に聞けよと神田は言うだろう。呆れ果てた顔つきをしてやっても一向に気付いた気配もない。いや、気付いていても無視しているのだ。人の表情や感情と言ったものに割合敏感な人間だったから、そういうことなのだろう。まったく腹の立つ奴だが、女性にのみ見せる気配りと優しさは教団内の女性教団員には非常に受けが良かった。良く解らないがファンクラブなんてものもあったらしいとラビが教えてくれた。あんなモヤシ男のどこに目を付けたのかは解らない。 実際のところは『彼』自身が女性だったのだ。それを考えてみると、『彼』の行動は逐一更にわけが解らない。 食堂では今日も辛気臭い追悼式が行われていた。大嫌いな雰囲気だ。 老人から若い教団員まで、最近では故人の話題ばかり語っている。 「ベーコンのところは兄弟で駄目だったらしい。今期の新人の犠牲ももう二人目か」 「ウォーカー、すごい奴だったのにな。やっぱり人間がアクマに敵う訳なかったんだ」 「マーゴはウォーカーのこと好きだったんだって」 「せめて我々で追悼してやろう。新人の殉教者はほとんど団員に顔も覚えられないまま逝ってしまうのが不憫でならんよ。フェリックス=ベーコンとアレックス=E=ウォーカーの冥福を祈って」 食堂の端のテーブルの上に、蝋燭が立てられた小さなケーキが二つ並べられ、周囲に幾人かの人間が集まっていた。どれも顔は知らなかった。 神田は箸を置き、食べ掛けの掛蕎麦を放ったまま立ち上がった。同期の追悼をしている、新人たちとその教官の元へ歩き出し掛けたところで、肩を強い力で引かれた。 「駄目よ。テーブルごと蹴っ飛ばすつもりでしょ?」 リナリーだった。彼女は片手にチョコレートケーキとオレンジジュースが乗ったトレイを抱えていた。室長のお守も一段落ついて休憩にやってきたってところだろう。神田は顔を顰めてリナリーの手を振り払おうとしたが、彼女は神田を掴んだまま、解放する気は無いようだった。 「気に入らないのは解るからやめなさい」 「……解ってるんなら止めんな」 「駄目だって言ってるでしょ。そんなことしたらまたみんなに睨まれちゃうよ」 「知ったこっちゃねぇ」 「もう。アレンくんがいてくれたらちゃんと止めてくれたのに」 リナリーは溜息を吐き、ようやく手を離してくれた。だが気に入らない名前を聞いた。 「スパイの名前なんか気安く呼ぶんじゃねぇよ」 「大きな声で言わないで。この話は後にしましょ。それよりちょうど良いとこにいた、午後も修練でしょ? ちょっと付き合って欲しいの」 「……珍しいな。雑用はいいのかよ」 「ちょっと色々考えてたの。ラビもいないし、訓練するなら誰かと一緒の方が良いし」 リナリーは当たり前のように神田の向かいの席に着き、オレンジジュースをストローでくるくる掻き混ぜている。昔馴染みのエクソシストはこんな所で妙に気安い。ラビもそうだし、兄弟子たちもそうだ。なんとなく他の人間とは違う。彼らが教団員を家族と呼んでいるせいだろうか。 神田は置きっぱなしになっていた蕎麦を啜ることにした。余らせるとジェリーの説教がくっついてくるのだ。しばらく二人で黙々と食事を取ることに専念していると、すぐそばのテーブルから大声が聞こえた。 「ほんとだって、ほんともほんとなんだ! エクソシストが言ってたんだよ、間違いないって」 隣では探索部隊の白服が集まって何やら言い合っていた。二十をいくつか過ぎたくらいの男が大真面目な顔をして拳を握り締めている。 「天使を見たんだってずうっと言ってたんだ。死ぬまでだよ。この間の任務でその……ひどい状態で発見されてさ、ドクターが駆け付けてくるまで、俺は天使に会った、ホームへ帰れるんだってずうっと……」 「なんだそれ。何で天使が神の使徒を迎えにくるんだよ。このやばい時期に」 「そんなん知らねえよ。でもうわ言で言ってたんだ、真っ白の女神が手を引いて家族のところへ連れてってくれたんだって」 「死に際には良くあるんだよ。幻覚とか幻聴とかさ」 周りじゅうから、追悼と死んだ人間についての怪談めいた噂話ばかりが波のように寄せてくる。 それらは根も葉もないことだったり、いくらか信憑性のあるものだったりした。 「それより最近変なアクマがいるんだってよ。アクマがアクマを食っちゃうらしい。何でも探索部隊の連中が結界に閉じ込めてるアクマをさ、こういきなりやってきて、がばっと口開いて飲み込んじゃったんだと。おかしなことにそいつはアクマしか食わなかったって。人間には見向きもしなかったらしい」 「最近妙な話多いよな。どうなってんだか」 「そうそう、幽霊も出るらしいぞ。昔いたじゃんか、どこの班だったかな、なんかほらまだガキなのに白髪の、わりとキレイな顔した奴だよ。あいつ見たって奴が何人かいるんだ。ぼおっと突っ立ってるんだってよ、いや戦場でだよ。俺の仲間がそいつをイズミールで見たんだ。まだ死んじゃったなんて全然知らない頃でさ、よおおまえも生き残ったんだなつって機嫌良く話し掛けたんだと。そしたらすげえ怖い顔で笑ってすうっと消えちゃったんだって言うんだ。あれ人間の笑顔じゃない、アクマだってあんな怖え顔しないってそいつ本気でびびっちゃって、こっち帰って来てからも夜中一人でトイレに行けないんだ」 「白髪? 名前なんつった? 確かいたよな、うん、まだ新人だった」 「すごい奴だったような気もするけど、思い出せねえな。あいつもう死んじゃったのか? ここはほんとにサイクル激しいな」 「ウォーカーだろ。いや、俺も前あいつ見たんだよ。なんか夢に出て来てさ……」 「いや夢は違うだろ」 「いや、でも変だったんだって。ずうっと無表情で地図を作るんだ、地図を作るんだって言ってるんだ。目が覚めて気がつくと机に座って教団の中の地図作ってたんだよ。気味悪いよ」 「そう言えばあいつ方向音痴だったらしいぞ。無念だったのかなあ」 「どんな無念だよ。迷子を治せなかったことか?」 「俺も見たぞ。なんかリーさんに告白してふられてショックのあまり首を括ってた夢を」 「なんだよそれ。そいつ一人で教団七不思議作れそうじゃねーかよ。どんな不思議ちゃんだよ」 神田はトレイを抱えて立ち上がった。リナリーはもう止めはしなかった。彼女は知らない顔で、小さく切ったチョコレートのスポンジをフォークで突き刺している。 「先に行ってる」 「うん、じゃあまたあとで」 リナリーは口元を手で押さえながら、神田に手を振って寄越した。神田は何気なく通りがかったふうに、白髪の幽霊の話題で盛り上がっている白服の頭を目掛けて、蕎麦汁をぶっ掛けてやった。 「ぎゃあああ! 熱ッ!!」 「邪魔だ。んなとこで群れてんじゃねえ、目障りだ」 「人に熱湯ぶっ掛けといて何なんだ、その言い草は?!」 蕎麦汁まみれの白服は激昂した様子で怒鳴り掛かってきたが、神田の団服を見て口篭もってすごすごと引っ込んでいった。エクソシスト相手に本気で喧嘩を売る非常識なサポーターなんてものは、大分稀少なのだ。 何もかもが気に入らなかった。聞きたくない声ばかり聞こえてきて、非常に気分が悪かった。苛々する。それもこれも間違いなく、あのろくでもない白髪のモヤシ野郎のせいだ。あれのことを考えるだけでどうしようもなくむしゃくしゃして仕方がなくなってしまうのだ。 |