42:「伯爵の厚意」




「痛みを取り払ってあげまショウ☆」




 ある日千年公がいつもの気まぐれみたいな調子で言い出した。
 現行型のアクマの量産と受注だけでも目が回るくらい忙しそうなのに、この二人目の養父は机に図面を広げて常に最新型の機種の構想を練っている。彼は勤勉で随分仕事熱心だった。多分世界で一番忙しい男なんだとアレンは思っていた。でもぱっと見た感じで彼にくたびれたところを見付けることはできなかった。
「痛み、ですか」
 アレンは千年公の図面通りにパーツを仮組みしながら首を傾げた。
「それは僕のアレですか?」
「そう、『アレ』でス☆ 最近はアレンも頑張ってくれてますシ、怪我することも多いでショウ?☆ 特にファッキンティキぽんがらみデ☆」
「……はい」
 アレンは頷き、肩を竦め、ほんとにそうですね、と言った。
「あの人の特訓はいろいろ痛いので、僕に痛覚なんか無ければ良いのにと良く思うことがあります」
「今はどうしてまス?☆」
「はい、僕はいつもどおりロードみたいに学校に通っています。来月で進級ですよ。ティキはこの前やっと仕事を見付けてきました。それまでプラプラゴロゴロしてましたよ、あの人」
「お兄チャンぶりたいお年頃なのは微笑ましいですガ最悪ですネ☆」
「はい」
 アレンは苦笑し、注意深く模型の頭を身体に乗せた。完成だ。
「千年公、終了しました。いつも通り良いバランスです」
「ウーン……右の大腿骨がチョット気になりまスネ☆ もっとシャープでも良いかモ……☆」
 千年公はすごい勢いで線を引いていた手を止めて、アレンの隣へやってきて腕を組み、首を傾げながらじっと出来上がった模型を見つめた。
「ソコを直したら一度試作品を造ってみるのも良いかもしれませン☆」
「了解です、では工場に連絡を」
 アレンが床に転がっている黒い電話の受話器を取ると、千年公は頭を振り、ソレはまだ良いでス☆と言った。
「それよりアレン、第八ラボまでおいでなさイ☆ そろそろ貴方の「病気」を治してあげまス☆」
「? はい、了解しました、千年公」
 アレンは頷き、図面まみれの机をちょっとばかり片してスペースを作り、電話を置いた。電話線は途中でぶつ切れになっている。でもちゃんと繋がる。どういう構造なのかは未だに良く解らない。








◇◆◇◆◇








 少し手のひらが大きくなったような気がする。目線も高くなった。髪もちょっとだけ伸びたかもしれない。
 声の質は相変わらずだったが、トーンは少しだけ変化していた。以前よりも抑揚というものが少なくなった。
 アレン=ウォーカーは成長していた。それは厳密な身体の成長ではなかったかもしれない。ただ自分の身体というものの認識が変わってしまったせいかもしれない。視線が高く感じるのも、前より空ばかり見るようになったせいかもしれない。
 なんにせよ世界はすごく灰色で、色というものがまるでなく、その中にぽつんと佇んでいるアレンもまたモノクロだった。
 色彩というものを上手く思い出すことができなかった。
 昔は確か、いろんなものに見惚れていたはずだったのだ。例えば空が青いこと、林檎が赤いことや、サーカスの極彩色の衣装、色とりどりの国旗、そんないろんなものに。
 でも今はもう全部が灰の中に埋没しているように見えた。
 アレンはいつのまにか痛みを感じなくなっていた。それからだ、どんどん世界が色褪せていったのは。なんだか重苦しい夢の中をうろうろさまよっているような感覚がずうっと続いていた。
 瓦礫の上でぼおっと物思いに耽っていたアレンは、小さな悲鳴を聞いてふと顔を向けた。
 巨大な石の壁の下敷きになって、身動きが取れなくなっている人間がいる。黒いコートを着ている。それはすごく嫌な感じと、なんだか懐かしい印象をアレンに与えるものだった。
「……ば、化け物……いやだ、死にたくない……!」
 人間は泣きながら悲鳴を上げ続けていた。アレンはゆっくりと近寄って、じいっと人間を見下ろした。そいつは哀れなほどに狼狽していた。
「助けてくれ……なんでもするから見逃してくれ、国に家族を残したままなんだ、きっといつかまた会えると約束した――
 アレンは口の端を上げ、少し微笑んだかたちを作って、人間に手を差し伸べた。瓦礫の隙間から、小さな川みたいに血液が流れてきている。人間はもう痛みも感じていないようだ。自分の身体についた深い傷に気付いてもいないようだった。ずうっと強張った顔で命乞いを続けている。もう長くはないだろう。
「今すぐ会えますよ」
 アレンは静かに囁きながら、人間の頭に触った。
「良く頑張りましたね。もうホームへお帰りなさい」
 頭髪と頭骨を擦り抜けて、脳味噌に指を突っ込み、少し弄ってやると、やがて人間はぽおっとした顔になった。恍惚の表情だ。彼はぱっと顔を上げ、信じられないものを見るように目を見開いた。
「……キティー? そんな、これは、俺は夢を見てるのか?」
 人間は誰かの名前を呼んで、腕を震わせながら伸ばした。その顔は泣きながら笑っていた。
「信じられない、帰って来たんだ。もう二度と会えないと思ってたのに、ああそうだ、天使が――
 人間はすごく幸せそうに微笑んでいた。
「天使が俺を、」
 そして最後まで言い終わらないうちに全身を弛緩させた。ぴたっと止まり、もう動かない。からくり人形のぜんまいが切れるような感じだった。
 アレンはそれを知ってはいたが、なんとなく実感が湧かなかった。
 生物が停止して動かなくなるその現象は「死」という。祝福された不死者のアレンには永遠に訪れない事象だ。
「さよならエクソシスト。汚れた神に蹂躙された魂に、どうか安らかな眠りのあらんことを」
 アレンは目を閉じて、胸に手のひらを当てて祈った。
 それから心の中でもうひとつ祈った。
『いつか僕にも死の安らぎが訪れますよう』
 それは人間が、汚れた神の楽園がいつか訪れる日を待ち続けることくらい、先の見えない祈りだった。
 不死の祝福なんて呪いとおんなじだ。
 アレンは屈んで、黒服の死骸からボタンを引き千切り、裏返した。
 それから懐のポケットからカードを抜き出して照会した。
「セル=ロロン、リストにこの人間は載っていますか?」
 カードに閉じ込められたリスト檻の囚人は緩慢な動作で首を振った。アレンは肩を竦め、溜息を吐いた。
「はずれか。無駄足だったな」
 アレンは高い空を見上げた。雲ひとつ見えない透き通った空なのに、それはひどく寒々しい灰色をしていた。








◇◆◇◆◇







 戦況は一向に好転しなかった。サポーターは相変わらず生死のサイクルが激しかったし、主力のエクソシストの戦死にも歯止めがきかない。
 仲間の訃報が入ってくる度に、奇妙な死因が神田ユウの耳にも入ってきた。ひとつは身体にまったく傷痕がないくせに臓器のひとつ――多くは心臓だった――が切り取られている。
 ふたつめは身体中ひどく損傷しているくせ、とても幸せそうに微笑んだまま事切れている。夢見るような表情で、涙の痕さえ見える。脳髄に人の指の痕が見られる場合があったが、頭皮にも頭骨にも傷らしい傷はない。
 そういう死体が搬入されると、室長コムイはすっと沈んだ表情になって、またかと呟く。彼は敵側の、千年伯爵につく人間、不死者のノア一族を思い浮かべているだろう。そのくらいは解る。
 いつもコムイの傍にいるリナリーは目を閉じて唇を噛んで、ぎゅっと胸の前で手を組んでいる。
 彼女はノア一族について、複雑な感情を抱いているようだった。彼女が良く知っていた人間がそこにいるのだ。
 今の所戦場でノアに遭遇して生き延びた仲間はいない。イェ―ガー元帥さえあっけなく殺された。彼らに遭うことは確実な死を意味する。
 アクマと人間の均衡は既に破壊されていた。パワーバランスの釣り合いなんてもうどこにもない。一方的な蹂躙に近い。
 エクソシストはアクマを壊せるが、彼らの製造者たちにはまるで歯が立たないのだ。
 しばらく経って、ふっとコムイが顔を上げた。その顔にはいつも通りの得体の知れない笑みが浮かんでいた。絶望は、表面上はどこにもなかった。
「そう長い間考え込んでもいらんないね。仕事仕事。リナリー、ファイル持ってきて。神田くんに任務渡さないと」
 コムイはにこやかに壁に掛けられたマップをポインターで指して、次ここね、と言った。
「今回も前回と同じくイノセンス回収だよ。南イタリアに向かった探索部隊がイノセンスを発見した。アクマに奪われる前に早急に保護して欲しい」








 後ろ手に執務室のドアを閉じたリナリーが、擦れ声で呟いた。
「……アレンくんだわ」
 彼女は目を閉じ、微かに震えてすらいた。神田は目を眇めて彼女を見遣った。あまり聞きたくない名前だった。
 リナリーは俯いたままパッドを抱えて歩き出した。
「頭部打撲、内臓破裂、出血多量――「瀕死のエクソシストを死の恐怖から救うように」、そうリーバー班長が言ってたの。優しいノアなんてあの子しか考えられない」
「化け物が救済者を気取るのかよ。気に食わねぇ」
「……神田」
 リナリーがじっと神田を見つめて、縋るような顔つきで言った。
「もしノアに遭遇したら逃げて。戦っちゃ駄目。兄さんも言ってた、今はまだどうすることもできないから、無駄死にだけはしないでって」
「敵に背中を向けろってのか。御免だな」
「……神田ならそう言うと思ってたけど、とにかく駄目だから。絶対死なないでね」
 リナリーはぎゅっとパッドを抱き締めて、不安を追いやるように頭を振った。泣きそうな顔だった。彼女が家族と呼ぶ仲間たちが次々と死んでいくせいで、ひどくナーバスになっているようだった。







◇◆◇◆◇







 揃いの白い服を着た人間がいる。彼らはそれぞれ結界器具を抱えて、上空のレベル一を捕縛していた。
 白服は数えてみると七人いたが、そのどれもが憔悴しきった顔つきをしていた。見てみると見知った顔もあったように思うが、上手く見分けをつけることはできなかった。どれも同じ顔に見えた。
 アレンは朽ちた建造物の煙突の天辺に腰掛けて、それらを鑑賞していた。白服の一人はイノセンスを携えていた。以前アレンが撒いた餌のひとつだ。エクソシストを殺害し、奪ったイノセンスをばら撒いておく。やがて奇怪が起こり始める。すると白服がやってきて、やがてエクソシストを呼ぶ。まるっきり害虫駆除とおんなじ方法なのに、彼らは脱力してしまいそうになるくらいすぐに引っ掛かってくれる。いつかティキが言っていたように、彼らの頭の中身は害虫と同じなのだ。
「くそっ、右端の奴の様子が変だ! これは……進化するのか!」
 誰かが叫んだ。おや、と首を傾げながらアレンは白服が指を差した方を見遣った。確かにレベル一のボール型から、進化時特有の禍々しい脈動が感じられる。もうそんなに経験値を積んでいたのかとアレンは意外に感じた。まだほんのちょっとしか殺していないはずなのに。
「離れろ! 押さえきれないぞ!」
「隊長、結界は――
「構わん、それよりイノセンスを守れ! 急げ、出て来るぞ!」
 見ている間にボールが胎動し、罅割れ、中から毛むくじゃらの腕が生えてきた。続いて頭が現れたところで、アレンは生まれたてのアクマを指差して囁いた。
「レベル二だよ。経験値は貴方にあげる」
 鈍い灰色をした硬質の巨躯が、すうっとアレンの隣を通り過ぎていく。





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