46:「塵」 |
「お前は行かんのか」 クロスが言った。アレンは彼を見上げて肩を竦め、「何故?」と言った。 「折角捕まえたんでしょう? 帰っちゃいますよ。いいのですか?」 「前みたいに数で攻めても無駄だと踏んだらしいな。結界も張り直してある。この時期に襲撃を掛けてくるのは余程の馬鹿か余程の高レベルのアクマだけだ」 「でしょうね」 「あのガキの手に負えるかな」 「負えるわけないですね。秒殺でしょう」 アレンは目を閉じ、涼しく言った。クロスの言っているところは理解できていたが、だからどうということもない。 「心配ですか? 死ぬだけでしょう。どってことない」 「そうだな。『また』そうなるだろうな」 なんだか含みのある言いかただなとアレンは思った。彼の言いたいことはわかっていた。でも特に感じるところは無かった。人間が死ぬことなんて、ただ白が黒に変わるだけだ。視界の右から左に移るだけだ。全然どってことない。 ◆◇◆◇◆ 『アクマ接近ー! ちょ、オイオイオイ、早くなんとかしてー! こっち来ちゃう! こっち来ちゃう!』 門番「アマデウス五号」が足元で悲鳴を上げている。こいつはいささかうるさ過ぎる性質をしていた。おまけに臆病だ。近付きつつあるアクマの影を見て大騒ぎしている。 三体のアクマは教団を包む結界の前でぴたっと静止した。まず一体が結界に触れようとして、作動した障壁に腕を焼かれた。本部を覆う巨大な障壁は、教団内でも最高の威力を誇るもののひとつだ。並のアクマが突破できる代物じゃない。 だが、どうやらアクマどもに諦める様子は無かった。まず先ほど結界に触れた一体が奇妙な動作を見せた。彼らを弾き出すはずの障壁に全身を密着させたのだ。 残りの二体がそのすぐ後ろにくっついた。彼らは三体で頷き合った。それが何かしらの合図であるようだった。 一瞬置いて、結界に張り付いていたアクマが自爆した。ダークマタ―を撒き散らしながら、障壁に人一人がようやっと通れるほどの穴を空けた。 穴が自動修復される前に、すぐ後ろに控えていた二体のアクマが素早くすうっと障壁を通り抜けてきた。 『ギャアアアア! 来た! 来ちゃったアアアア!!』 門番の絶叫が響いた。こいつは本当にあてになりそうにない。 例のアクマ達には、通常神田が見慣れているものにはなかった特徴がいくつか見られた。スマートで、シャープだ。流線的で、良くある悪夢のようなふざけたおぞましさがあまりない。そのくせ、全身から放たれている禍々しさはこれまでに感じたことがないくらいに濃かった。 全身真っ赤が一体、全身黄色が一体、それぞれチェス・ゲームのナイトとビショップを彷彿とさせた。先ほど爆発した青い奴はウォーダーだ。 それらはじっと黙り込んだまま――享楽的でハイなレベル二を見慣れている神田には割合意外に感じられた――佇んでいた。まるで何かを待っているようだった。 (くだらねぇな) 神田は梁を蹴って、眼下のアクマへ向かって刀を振り被り飛び降りた。切り付けたところで、黄色いビショップが細長い棒のようなものを翳した。 「!!」 障壁に弾かれて一撃は届かなかった。吹き飛ばされて、着地と同時に放った一幻も届かない。 「……並のアクマじゃねぇな。何の用だ。死ね」 『――エクソシスト、邪魔だ』 吐き捨てると、意外なことにアクマの返事が返ってきた。どうやら喋れないわけじゃあなさそうだ。 『あのお方はどこにおられる』 『姫様、どこへ』 「黙れよ」 六幻を構え直す。今まで棒立ちだったアクマに、ようやく動きが見えた。ビショップがすうっと後ろへ下がり、ナイトがゆっくりと迫ってくる。 そいつは踏み込むと、大剣を振り被って突っ込んできた。迎撃しようとまっすぐ駆け出し掛けたところで、側面から襟を掴まれて引っ張られ、身体が浮いた。 ラビだ。彼が神田を掴んだまま引き摺ってくれたのだ。神田は眉間に皺を寄せて怒鳴った。 「何しやがる! 邪魔すんじゃねぇ!!」 「このおバカ! レベル三以上と正々堂々真剣勝負してどうすんさ!!」 ラビも珍しく怒鳴り返してきて、ぎゃあぎゃあ言い合いをしていると、 「こんな時にまで喧嘩しないの」 上空から二人揃って蹴りを入れられた。リナリーもやってきたのだ。神田は舌打ちして、彼らからふいっと顔を背けた。 「チッ、てめぇらがしゃしゃり出てこなくたって――」 ひとりで充分なんだよと言い掛けたところで、ふわっと身体が浮く感覚があった。ぱあっと目の前が眩い光に満ちた。そして無音の衝撃がやってくる。 逆さまになった視界に、ビショップが例の棒きれのようなもの――杖のようなものだ――を掲げている姿が映った。どうやら何かやらかしたらしい。 しばらく間を置いてから、頭の中を引っ掻き回されるような轟音が頭上から聞こえてきた。見上げると巨大な光球が浮かんでいる。そいつはぼうっとぼやけて、霧のようなものを吐き出した。うっすらと霞み、やがて水滴が落ちてくる。雨のようだ。 「水……」 擬似雨の滴は広範囲に降り注いでいた。何がしかの攻撃であることに間違いはなかったが、攻撃エリアが広過ぎて避けることがかなわない。 さっさと壊してろくでもない能力を止めてやろうと考え、立ち上がろうとするのだが、まるで金縛りにでも遭ったような感触で全身が動かない。絶望的な気だるさが身体を支配していた。 「チッ……エクソシストが三人も揃って何やってんだ!」 「アイタタタ、重い重い動けない」 「ふたりとも、危な――!」 リナリーがよろめきながら顔を上げ、叫んだ。気付いた時には遅かった。ナイトがすぐ後ろで剣を振り被っている。 いくつかの悲鳴が聞こえた。それはリナリーのものであり、役立たずの門番のものであったりした。スピーカーを通したくぐもった感触のものもあった。剣は振り下ろされた。神田は目を開けたままそいつをじっと睨んでいた。 だがいつまで経っても衝撃がなく、血も飛ばないし痛みもない。それになんだか、いつのまにか人数が増えている。神田、リナリー、ラビ、アクマが二体。それから―― それから、 「何この程度の玩具相手に這いつくばってるんですか。貴方がたそれでも本当にエクソシスト? あ、リナリーは除いて」 あまり聞きたくない声が聞こえてしまった。 アレン=ウォーカー。ノアの一族。いつも通り表情の乏しい顔つきに、見慣れた黒いスーツ、白髪、それから特徴的な奇妙な傷痕。 彼女は相変わらず気負いなく突っ立っていた。いつか遭った時のように、黒い傘を差している。 振り下ろされたアクマの大剣は、空中で停止していた。ばちばちとショートしたように火花を散らしている。アレンはそれを気にも留めずに肩を竦めて「まだ生きてるみたいですね」と言った。 「てめぇ、なんで来やがった! 元帥は何をしてる?!」 「めんどくさい、死ねば良かったのに。ああ、リナリーとラビは除いて」 「それは俺にピンポイントに的を絞って死ねと言っていると取って良いな」 「身のほどを弁えない方には当然の言葉です。さて、それよりも貴方がた、傘を差すか屋内に避難したほうが良いですよ。この雨は生物の生命力を流し去ります。もたもたしてると死にますよ」 アレンは無感動にそう言って、差している傘をひょいっと神田たちに寄越した。 そしてアクマに向直り、微笑を浮かべながら「容赦ないですね」と言った。 「僕がここにいるのに遠慮なく広範囲殲滅攻撃なんかしやがって、その顔も僕を迎えにきたという感じではありませんね。あの方のご命令ですか?」 『……『貴方様を敵に奪われた場合』』 アクマは二体揃って喋りはじめた。彼らはアレンと話をしているというよりも、いくつかの決まりごとをただ読み上げているだけだというふうだった。 『加えて『貴方様への感情操作が解かれてしまった場合』、『貴方様からの救助の要請が無い場合』、『貴方様が敵に情を掛けた場合』、そして最も重要な項目として『敵をアクマから救った場合』、千年伯爵様の名においてノア一族アレン=ウォーカー様への攻撃セーフティを解除いたします。その後は速やかに次に設定されている命令へシフトいたします。『アレン=ウォーカー様が敵勢力に利用される前に、最大能力をもってこれを討伐すること』』 「つまり貴方がたは僕を殺しに来たわけですね」 『肯定です』 「それは他の家族たちも了承しているんですね?」 『肯定です』 「そうですか」 アレンは首を傾げ、やれやれと肩を竦めた。それから溜息を吐き、「嫌われたものですね」と言った。 アレンは微笑していた。 そこには悲しそうな様子はまるでなかった。いつもの食えない顔だった。 でもどしゃぶりの雨が彼女の顔中を濡らしていて、そのせいでアレンは微笑みながら泣いているように見えた。 『姫様、ご覚悟』 ビショップとナイトが声を揃えて言った。だがアレンは肩を竦めてお手上げの仕草をした。 彼女は攻撃姿勢に移ったアクマ達をせせら笑うような顔で見遣って、言った。 「お前たちが? ちょっと甘く見過ぎじゃあないですか。これでもお前たちの主人ですよ――あ、「元」主人になったんですっけ。ともかく僕は君らの製造に携わった者、言うなれば神です。もっと敬いなさい」 「……自分で神とか言ってんじゃねぇよ。寒々しいぞ」 「神田はうるさいんです!」 高速で襲いかかっていったナイトの大剣がアレンを襲った。雨も更に勢いを増していく。 アレンは丸腰でただ突っ立っているだけだ。 「何やってんだモヤシ!」 「アレンくん!」 リナリーがダークブーツを発動させてアレンのもとへ飛んでいこうとしたが、彼女には飛び跳ねるどころか立ち上がる体力も残されていないようだった。 ナイトがアレンに接触する。 そして振り下ろされた剣は、アレンの生身の左手に容易に受け止められた。 「……ちょっと今いろいろ気が立ってるんです。これでもショックを受けてるんですよ。貴方に優しくしてやる気分にはなれません」 まるで柔らかいゼリーに手を突っ込んでいるような様子で、アレンの手がナイトの大剣の刃に食い込んでいる。彼女はまるでサーカス団員みたいなしなやかな動きで剣の腹に乗ると、左の拳をナイトの顔面がめり込む位深く叩き込んだ。巨躯がほとんど体重なんか感じさせない軽やかさでぶっ飛んでいく。 『……え』 神田――ラビとリナリーもだ――はあっけに取られてそれを見ていた。アレンは退屈そうに目を眇めて、子供に言い聞かせるみたいな口調で言った。 「僕の能力をお忘れですか? この左腕で貴方がたアクマの経験値を吸収し、強制退化させる。そちら側にいる分には何の役にも立たないしみったれた能力ですが、アクマ相手に僕が負けることなどありえませんよ。舐めないでいただきたい」 「……今のは経験値がどうとかいう問題じゃなかったろうが。日頃の暴飲暴食がその馬鹿力の源になるのか?」 「だから神田はうるさいんです」 「アレンくんって強かったんだ……」 「アレン様格好良いー!!」 リナリーは何故かぽーっとなっているし、ラビは調子付いてアレンコールを始めている。神田はげっそりしながら、気ィ抜くんじゃねぇよと怒鳴った。 「調子に乗んな、この馬鹿!」 「馬鹿って貴方ちょっと誰に言って――」 アレンは鼻白んで言い返してきた――神田は舌打ちをして駆け出した。確かにアレン=ウォーカーは強かった。対アクマ戦では非常に便利な能力を持っているのだろう。だが実戦経験ってものはどうやら少ないようだった。 アレンの肩を抱いて六幻を振るった。素早く起き上がって飛びかかってきていたレベル二――先ほどのナイトのなれの果てのようだ。重厚で繊細だったつくりは今やつるつるしたチープなものに成り下がってしまっていた――を斬り捨てた。 「戦闘中にヨソ見してんじゃねぇ!」 「あ、ありがとう……」 アレンはびっくりしたような顔で、崩れていく残骸を見つめて、ぱっと神田に顔を向け困惑したような表情で礼を言った。神田は彼女から目を逸らして舌打ちをして、もう一体のビショップへ目を向けた。 「ふん。あと一体だな。おいモヤシ」 「はい。左腕で触れれば良いです。レベル二程度なら一度の接触で消滅させられますが、あいつくらいになると難しいですね」 「お前はサポートしろ。俺が壊す」 「りょうか――って、え」 アレンがぽかんとした顔つきになった。神田はアレンの小柄な身体を掴み上げ、振り被った。彼女は相変わらず軽かった。体重ってものがない。 そして、アクマに向かって力いっぱい投げ付けた。 「飛んで行け!!」 「最低だあああああ!!」 罵声を上げながらアレンが飛んでいく。彼女と激突し、例の左腕に触れたアクマに退化の兆しが見えた。 「六幻! 災厄招来――」 「えっ、ちょ、ま、まっ――」 アレンが倒れたアクマを押し退けてばっと起き上がった。彼女は信じられないものを見るような顔つきで神田を見ていた。構い付けず、神田は六幻を振るった。最大威力でだ。 「界蟲『一幻』!!」 『エクソシストオオオッ!!』 「わああああああああッ!!」 アレンを巻き込んだ一幻の剣撃がアクマを貫いた。それで終わりだった。 教団を襲撃したアクマは片付いた。 神田は目を回して倒れているアレンの襟首を掴んで、呆然としているラビとリナリーに声を掛けてやった。 「終わりだ。お前らも医務室へ行け」 「……最低の勝利だわ」 「報告書書き難いさー」 二人は何故か不満そうな顔つきだった。神田はアレンを引き摺りながら、彼女の身体を観察した。 ぼろぼろだが傷は一瞬で消えてしまっている。 「……やはりこの程度では死なないか」 「確信犯なのか?! 更に根深いさ!!」 「神田、あとでちょっと蹴らせて欲しいんだけど」 ラビとリナリーが心外なことを言っている。死にたがっているのはアレンなのだ。神田が責められる筋合いはないが、訂正するのも面倒なので放っておいた。 雨はアクマの消滅とともに上がっていた。後には結界の内部に小さな虹が残り、やがてそれも消えていった。 |