50:「少女の面影」 |
目を覚ますと、視界いっぱいに幾人もの人間の顔があった。ぎちっと密着しあっていて気色悪い。 彼らは神田が目覚めたと知ると、目を潤ませて大声で騒ぎ出した。 「生きてるぞおお!!」 「しぶとい! ほんとしぶとい!」 「神田ぁあっ! よかった――!!」 「ユウちゃああん! わあああ!!」 ラビとリナリーが力任せに抱き付いてきた。周りでは科学班の連中が大歓声を上げている。 神田は辺りを見回したが、この面子の中に含まれていても不思議じゃないアレンとクロス元帥の姿は無かった。 「……アレンは?」 「うんうん、良かった良かった、成功だね! ボクの室長就任以来のすんばらしい戦績だよ。死者零人! こりゃパーティやるしかないね!」 「アンタはなんか理由を付けて騒ぎたいだけでしょーが……」 神田は身体を起こし――胸部に激痛を感じて咳込んだ。左胸がひどく痛む。リナリーが慌てて神田の背中を擦ってくれた。 「大丈夫? まだ無理はしないで」 「……あいつは……どこだ。また何かやらかしてんじゃねぇのか……」 「……アレンくんなら……その、ちょっと仕事があるから、クロス元帥と一緒に出掛けてるわ。心配いらないって神田に伝えてって」 「はっ。誰があんな奴の心配なんざするかよ。大体何やっても死なない奴の心配なんざするだけ無駄だ」 神田は忌々しく吐き捨てたが、妙だなと感じた。リナリーのことだ。彼女は神田の目を見ない。言いにくいことがあるか、何かを誤魔化そうとしているか、あるいは嘘を吐かなきゃならない時の彼女の癖だった。 怪訝に思って問い詰めようとしたところで、後ろからぎゅうっと首を締められた。 「本人がいないとこでは「モヤシ」呼びはないんさねー。この意地っ張り屋さんがあ」 「てめっラビッ……んなことどーでも良いだろうが!!」 神田は怒鳴ってラビを殴り倒した。だがあちこちから泣きながら抱き付かれてきりがない。 「ったくうぜぇ! 何なんだよ!」 「あれ、きみ覚えてないの?」 コムイが妹と一緒に暑苦しくひっつきながら、予想外のことを言った。 「神田くん死んでたんだよ。心臓まるごと抜き取られて。いやー、それにしても驚いたよぉ、前々から人間じゃないとは思ってたけど――」 神田は驚いて目を見開いて、今聞かされた言葉を反芻した。 「心臓が抜き取られた……?」 即死するような類の傷跡はいくら神田でも修復することはできないのだ。 一体何があった? 結局その日、アレン=ウォーカーとクロス元帥は姿を現さなかった。 誰に聞いても言いにくそうに誤魔化すだけだ。 ◆◇◆◇◆◇ それから数日ばかり経った頃、アレン=ウォーカーは神田がいつも修練に使っている教団下の森にひょっこり姿を現した。いつかのように頭にティム・キャンピーを乗っけている。クロスの姿はなく、彼女はひとりきりだった。 「やあ、ちょっと気になって見に来てみたんですが、元気そうで何よりです。もう大丈夫そうですね」 アレンはそう言って笑った。心なしかこの僅かの間に少し痩せたようだ。顔色もいつにも増して悪かった。不健康の見本のような容貌になっている。 「……モヤシ」 「クロス元帥でしたら野暮用とかで出ていきましたよ。すぐに戻るって言ってましたけど、あの人の「すぐ」は全然信用ならないんですよね。まあそのお陰で僕もこうやって一休みできるんですけど」 手頃な木の上に座って、腕組みして頬に手を当て、アレンは溜息を吐いた。彼女は本当に何でもない様子だった。 「……何をやってた」 「秘密です。……あ、別に悪いことをしてた訳じゃないですよ。僕実は教団の方にスカウトされまして、この度正式に貴方がたのサポートをすることになりました。そんな訳なので改めてよろしくお願いしますね、神田」 「…………」 「……あれ。「ふざけるな」とか「信用ならねぇな」とかは無いんですか? なんか意外です」 「……ふざけるな」 神田はアレンを睨んで、押し殺した声で言った。気に食わない。彼女が一体何を考えているのか解らない。 「今更虫の良い話だとは思わねぇのか。教団のスパイの次は伯爵を裏切る? お前に大事なものはねぇのかよ」 「そうですね。もうないです、と言いたいところですが、実は最近できました」 「……なんだよ」 「あ、知りたいですか?」 「……べつに……そんなつもりで訊いたんじゃねぇ。お前のことなんざ知るかよ」 「ふふ。リナリーですよ。僕は彼女が大好きです」 「…………」 「ラビも好きです。僕割と友達は大事にする方なんですよ。もう裏切ったりはしないのでご安心下さい……ってまあ貴方に信用されることなんてまるで期待できないのは知ってますし」 「…………」 神田はアレンに背中を向け、少し離れて、何をした、と言った。 「お前は何をした。俺は何故生きてる。まさか――」 「まさか、アクマになんかしちゃいませんよ。それが気になってたんですか? ご安心を、僕なんにもしてません。その件に関してはね。クロス元帥のお陰です。彼が帰ってきたらちゃんとお礼を言うんですよ? まあ顔を合わせたくないって気持ちは解りますけど」 アレンは微笑んでいた。例によって人を小馬鹿にするような、取って付けたような微笑みだ。 でもその顔は真っ青だ。彼女自身自覚が少しはあるのか、表情が逆光で良く見えない位置を選んで座っている。だがそんなものに誤魔化されてはやらない。 神田はアレンからふっと目を逸らし、言い捨てた。 「……出てけよ。今すぐどこへでも行っちまえ。ノアの力を借りるほどエクソシストは落ちぶれちゃいねぇよ。お前の力がありゃわざわざこんなとこで飼い殺しにされてなくても、俺たちやお前のお仲間から逃げ回ってどこへでも行けるはずだろうが。お前みたいなへタレに務まるほど、戦場の兵士ってもんはヤワじゃねえんだよ」 「はは、相変わらず厳しいお言葉ですね」 アレンは微笑み――さっきまで浮かべていたものよりもちょっとはましなものだった――首を傾げて、「ありがとうございます」と言った。 「でも逃げるのももうそろそろ止めにしようって思ったんですよ。そんな心配して下さらなくてもいいですよ、僕これで結構強いんですから。神田とか瞬殺できます……たぶん」 「口の減らねえ奴だな。心配なんかしてない」 「貴方の親切はちょっと解り辛いんですよ。まあただの冷血人間じゃないだけぜんぜんマシですけど、もうちょっとなんとかならないんですか?」 良くもこれだけ可愛げのない口をきけるものだ。育て親を散々罵倒してやりたい気分だ。神田は溜息を吐き、アレンを呼んだ。 「降りてこい。まだメシ食ってねぇんだろ。行くぞ」 「……え」 アレンはきょとんとして、一瞬何を言われたのか理解できないという顔でいたが、やがてちょっと目を伏せて「遠慮しときますよ」と言った。 「厚意は嬉しいのですけどね。ここの方々は僕を良く思ってないでしょう。食堂なんて大勢の人がいるところで、皆に嫌な思いをさせることもない。食事もまずくなっちゃいますし――だから貴方はもうちょっと自分の立場について考えるべきです、ほんとは皆が大事なんでしょう? 憎まれ役なんてやるもんじゃないですよ」 「うるせぇ。てめーに説教されるほど落ちぶれちゃいねぇよ。いいからさっさと来るんだ。コムイに外出許可を取り付けてやる」 「……は? ちょっ、貴方何考えてんですか、今の時期に外出って」 「どのみちノア相手じゃ教団の中だろうが外だろうが、どこにいたって同じだ。いいからさっさとしろ。来ねぇのか」 「い、いや。ま、まあいいですけど。なんか貴方に優しくされるとちょっと困ってしまいますね……」 アレンは珍しくまごついていたが、結局神田にくっついてきた。変なところでこうやって聞き分けの良いこともあるのだ。素直と言ってやるには随分まだ無理があるが。 「――まったく、あれからどういう育てられ方したらそこまで根性が曲がるんだ。お前の兄弟をぶん殴ってやりたい」 「それ、クロス元帥も言ってました。失礼ですね、僕は普通ですよ」 アレンはつんと澄ました顔で言った。悪びれたふうもない。彼女はそれからにこっと笑って、いつものように性質の悪い冗談を思い付いたふうで、 「なんだかデートのお誘いのようですよ、神田」 と言った。 「ばっ……そんなんじゃねえよこの馬鹿。お前みたいなガキの相手なんざしてられるかよ」 神田は慌ててアレンの冗談を遮り掛けて、ふと思い当たって訊いてみた。 「……そう言えばお前は俺のことが好きなのか?」 「なっ」 てっきり冷たい顔で「馬鹿じゃないんですか」なんて反撃してくると踏んだのだが、アレンは急に真っ赤になって息を呑んだ。見ていた神田が気恥ずかしくなるような反応だ。彼女は慌てて首を振って否定した。 「な、あ、ありえませんから! もうぜんぜんそんなこと、馬鹿じゃないんですか……て、貴方ちょっとな、なに真っ赤になってんですか?!」 「な、なってねえよ馬鹿野郎! お前が変な話するからだろうが!」 「変って、変って……ああもう、変なのは貴方です! 貴方リナリーが好きなんじゃないんですか、彼女は綺麗だし可愛いし優しいし、」 「なんでリナリーが出てくんだ! んな恐ろしいことがある訳ないだろうが!」 「恐ろしいって、美しいリナリーに対して何て言い草ですか! 取り消して下さい!」 「――――!!」 「――――!!」 「――――!!」 結局日が暮れるまで遣り合った後で二人は我に返り、顔を見合わせて怪訝な表情をする羽目になった。 「……それで僕らなんで喧嘩なんてしてたんですっけ」 「……さぁな」 そして示し合せたように揃いで溜息を吐いたところで、アレンの腹の虫が死に掛けた鼠のような鳴き声を上げた。 「すみません神田、僕はお腹が空きました」 「ガキかよ……」 さすがに呆れてしまい、まともに相手をするのが馬鹿らしくなってきた。アレンは可愛げのない口の訊き方こそ腹が立つが、まだ子供じみたところが多かった。 アレンの手を掴んで歩き出すと、彼女は急にひどく衝撃を受けたように硬直した。 「な、なんで手……か、神田?」 「ガタガタ言うな。お前がもたついてるからだ」 「そ、そうですか。そうですね。いや、うん」 アレンは呆けた顔つきでこくこくと頷いて、やっとおとなしくついてきた。まあほんのちょっとくらいは彼女にも可愛げってものが残っていたようだ。 「まったくガキのお守は疲れるな」 「ガキじゃないです、アレンです」 アレンはちょっとむくれて言った。彼女がそんな顔つきをした時に、常に感じていた漠然とした既視感は、今はもうなくなっていた。 |