51:「循環機械の憂鬱」 |
七十一人目は脾臓を突かれた。そこからアクマのウイルスが浸蝕して、砕けて死んだ。七十二人目は仲間を庇って頭を撃たれた。顎から上が消し飛んで死んだ。 全身の皮が剥けておぞましくグロテスクな中身が露出している。化け物だ。このフォルムはアレンが最も忌み嫌うものだった。醜悪で禍々しい。 身体中あちこちが損壊し、恐ろしいスピードで修復していく。ノア一族の能力だ。人間の死が消化されていく。全身に隅々まで浸透していく。おかげで全く腹が減らない。つまり、死を食っているのだ。 七十三人目は肩から脇腹まで切り裂かれ、心臓を摘み出され、食われて死んだ。アレンの肩から脇腹まで裂けて、心臓が潰れた。また一つ消化が済んだ。 部屋の鏡は割った。窓も割って、板で塞いである。この姿を映すものは無い方が良い。自分の恐ろしい姿を見ないで済む。 ふいに扉が叩かれた。 「おいモヤシ。ここにいるのか?」 神田だ。アレンは顔を覆って、声を絞り出した。 『なん……であなだが……ごごに?』 一瞬息を呑んだ気配があった。アレンの喉から出たのはひどくしわがれた声だった。痛みはもう感じないが、潰れた心臓をぎゅっと掴まれるような感触があった。早くどこかへ行って欲しい。彼にだけはこんな化け物じみた醜い姿を見られたくない。 「……旧研究棟に引き篭もってるって聞いたんだよ。もう四日飲まず食わずだろう。あの気持ち悪いくらい大食いのお前が。……何か食いたいモンがあれば言えよ。特別に、その……持ってきてやる」 ぽっと胸の辺りが温かくなったような気がした。あの神田が! アレンはつい微笑んでしまった。異形の形態なので、それは恐ろしいものでしかなかったが。 『ありがどう……嬉じい、でも大丈夫でず。今はおながが一杯なんだ。……ふ、それにし、でも、いいんでずが……きっどクロズ元帥にここべ来ないように止められでだでじょう? お仕置ぎざれ……まずよ』 七十四人目。腹を裂かれて内臓を少しずつ抜き出されて、腸、胃、肺を取られたところで死んだ。まったく、アクマってものは趣味が悪い。もう少しスマートな殺し方をするべきだ。面倒臭い殺され方をすると苦しくて仕方がない。 「……知ったことかよ。おい、開けていいか」 『駄目でず!!』 アレンは必死に叫んだ。神田も少しばかりの気遣いはあるようで、強引に侵入してくる気はないようだ。それだけが救いだった。アレンはできるだけ神田に心配を掛けないように、穏やかに諭した。 『駄目……じぎに終わりまずがら、今だげは許じで下ざい。ごの姿をあなだだげにば見られだぐない。お願いでず。開げないで……』 「……わかった」 扉の外で、すっとコートの裾が擦れる音がした。神田はどうやら許してくれたようだった。アレンは安堵して、顔を覆った。新しい死が圧し掛かってくる。 「アレン」 まさかと思った。アレンは驚いて顔を上げた。目を見開き、扉を凝視した。神田が今、名前を呼んだ? 「さっさと出てこい。あいつらも待ってる。お前のせいでしょげまくっててうぜぇ」 『あ……』 嬉しかった。すごく嬉しくて、アレンは口を引き結んで目を細めた。化け物の中身が出ても、涙は出てきた。視界が歪んでいる。 『あ、ありがどう……名前……やっと呼んで、くれだ……』 七十五人目は首を千切られた。声帯が切れてアレンは声が出ない。裂けた喉を押さえて、アレンはもがいた。しばらく経ってから、ゆっくりと靴の音が遠ざかっていく。行ってくれた。 安堵とくすぐったさが、死の中にあるアレンに一時の安らぎをくれた。 修復し、また次の死が訪れる。まだ終わりが見えない。痛みはないが、苦しくて怖い。死に際の恐怖がダイレクトに侵食してくる。 アレンは悲鳴を上げた。聞く者は誰もいなかった。 ◇◆◇◆◇ 神田がなんだか急に優しくなったような気がする。食事に誘ってくれたし、わざわざ封鎖されている研究棟まで足を運んでくれたし、名前を呼んでくれた。以前の嫌われようからは考えもつかないことだった。 研究エリアの検体洗浄用のシャワーを借りてから――大分長い間使われた気配がなかったが、水はちゃんと通っていた――いつものようにクロスに報告を済ませるついでに、アレンは彼にひとつ注文を入れた。 「……ところで元帥。何か着るものをいただけますか? 僕の一張羅はなかなか乾かないし、いい加減シーツ被ってるのもどうかなと思いまして」 「それに関しては好きに選べと言っているだろう。ドレスのカタログは見なかったのか」 「だからあれはお断りです。あんなの着たら僕はいい笑い者ですよ」 「今のお前の格好の方が余程笑い者だろうが。変態か」 アレンは溜息を吐き、わかりましたよ、と言った。 「じゃせめてその、普通のでお願いします」 ◇◆◇◆◇ 「――だからあいつは何をやってる!」 執務室の中から怒声とデスクが殴り付けられてへし折れる音が聞こえてきた。 アレンのすぐ前を行くクロスが扉を開けると、大勢の――大部分は科学班の――人間の目が一斉にクロスとアレンに向けられた。つい硬直してしまっていると、クロスにサポーターの白い団服のフードを掴まれて引き摺られた。相変わらず扱いはぞんざいだ。 執務室には神田がいた。ここに来ているということは、何かの任務の通達でも受けているのだろう。彼は相変わらず険悪な顔でクロスとアレンをじろっと睨んで、ふいっと目を逸らした。 「……誰かと思えばモヤシか。おいコムイ、さっさと任務を寄越せ。出る」 いつも通りの愛想の無い反応だった。この間のことは彼なりの何かの気の迷いだったんじゃないかと疑ってしまいたくなるくらいだ。 コムイから書類の束を受け取ると、神田はアレンのほうを見ようともせずに足早に執務室を出ようとした。 「……あ、あの、神田」 アレンはおずおずと神田を呼び止めた。また怒鳴られたり睨まれたりするのは怖かったが、しばらく会えなくなるならちゃんと言っておかなきゃならない。 「いってらっしゃ……が、がんばって……」 ひどい緊張のせいで半分噛んでしまいながら言うと、神田はぴたっと立ち止まり、なんだか驚いたような顔で振り向いた。 「……元帥」 「なんだ」 「こいつを何か変なふうに洗脳したんですか」 「人聞きの悪いことを言うな。これが素だ」 神田は急に焦ったみたいな顔でアレンの傍へやってきて、乱暴にフードを掴んだ。心なしかちょっと心配そうな顔をしている……ような気がする。でもきっと気のせいだ。神田がアレンの心配なんかするはずがない。 「おい、まさかお前頭に妙な洗脳マシンとか埋め込まれてねえだろうな」 「え? いやあの」 何か奇妙な誤解を受けているようだったので――まあクロス絡みなら仕方のないことだとは思うが――アレンは困惑してふるふる首を振って俯き、「だいじょうぶです」と言った。 でも神田はその反応に逆に疑惑を深めてしまったらしかった。彼は何かを確認するようにアレンの白服を手早く剥がして、 「……え」 目を丸くして硬直した。 『え』 室内の他の人間たちもそうだ。彼らも固まってしまっている。ある者はペンを折り、ある者はコーヒーカップを割っている。 「……あ」 アレンは慌ててぱっと頭を抱えて白髪と傷痕を隠した。いつもの癖だ。でも彼らが注視しているのはそんなものじゃなかった。アレンの格好の方だ。白いブラウスと黒のミニスカートの方だ。 「……な、なんで女の格好なんかしてんだ?」 「いや……女、なのか?」 「どおりで綺麗な顔してると思ってたんだよ。俺は知ってたよ。本当だよ」 周りでざわざわ言う声が聞こえる。アレンは顔を赤くして目を伏せ、クロスの後ろにぴゅっと隠れた。神田はまだ固まっている。 「……クロス……元帥」 「なんだ」 「何ですか、それは」 「俺の自慢の娘だが、何か文句があるのか。無いなら気安く話し掛けるな。こいつは身内以外の野郎が死ぬ程苦手なんだ」 「お、お、おじさま、神田は苦手じゃないです」 「馬鹿者、こういう男が一番危険なんだ。警戒せずに寄っていくと孕まされて棄てられるぞ」 「俺はそんなことしません! それよりおいモヤシ! てめー何気色悪いことやってんだ! いつもの可愛げのないお前はどうした?!」 「う……」 「泣かすな。ふむ、こいつは気の強いほうが好みらしいぞ、アレンよ」 「……う」 アレンはかあっと顔を赤らめた。クロスの冗談はなんだか恥ずかしいものばかりであまり好きじゃない。神田も何故か顔を赤らめてぼおっとしている。 ふいにコムイが手を打ち鳴らして「はいはい落ち付いてー」と声を張り上げた。 「みんな仕事に戻って! 神田くんも見惚れてないで任務! 時間ないからね! それにしてもアレンくん、君女の子だったって本当だったんだねー、いやーよかったよかった。女同士は結婚できないもんね。駄目だからね。お兄さん内心ちょっと冷や冷やしてたんだよ〜」 「……何があった?」 「いや、寝てる室長の耳元でリナリーが「アレンくんと結婚したい」とか囁いたんだと」 「あの時の室長はすごかったな。人類なんか滅亡すれば良いって勢いだったもんな」 科学班員がなんだか怖い話をひそひそ囁いている。 神田はすごく怖い顔で「見惚れてねえよ!」と怒鳴って、アレンを指差した。 「いいか! 戻ってきたらきっちり話を聞かせて貰うからな!!」 そして乱暴に扉を開けて出て行ってしまった。後に残されたアレンは、どうすれば良いのか解らずにおろおろしてしまった。 クロスの方はまるで何事も無かったかのようにコムイに書類を渡している。 「――方法によってムラがあるが、日に約二十人分の消化が可能だ。溜め込んだ死を消化しきるまで腹は減らんらしい」 「ふうん、そっか。あ、アレンくん、ちょっとこっち来てくれるかなあ。データ取りたいんだよね」 「……はい」 アレンはちょっとクロスの顔を見て、それから頷き、コムイの後についていった。まるっきりモルモットの扱いだった。 人間は好きじゃない。エクソシストも好きじゃないし、偉い大人は嫌いだ。 でも神田は好きだし友達も好きだ。 彼らが傷付かないならこのくらいのことはなんでもない。どのみちアレンは何をしたって死なないのだ。 ◇◆◇◆◇ (ほんとに変なの) アレンはぼんやり天井を見つめながら考えた。神田ユウのことだ。 (あの人はこんなに面倒見の良い人だったっけ。確か死んでもかわりはいるなんて言いながら探索部隊の男の人の首を絞めてたんだ、食堂で。 でも、昔は今より大分優しかったような気がするなあ。ちゃんと食事に連れてってくれたし……ああでも僕やラビとは顔を合わせた途端に刀を抜いていたような気もする。でもリナリーには優しい。きっと女の子と子供には優しいんだ) 今日はいつもよりも割合損傷が激しかった。疲れ果ててもう指一本動かせそうにない。こんなふうになるのは思えば初めてのことだった。精神安定剤と痛み止めを飲んだ時にもくらくらするような気だるさがあったが、今回のものとは大分種類が違う。 今日も何度も死んだ。でも生きている。僕は誰だったろうとアレンは考えた。なんだかみんな悪い夢のような気分だった。 それよりも神田だ。彼は最近なんだか変だ。立入り禁止をきつく命令されている封鎖区画までわざわざやってくるし(勿論無許可だろう)、扉越しに一言二言言葉を交わした後でさっさと帰ってしまう。なんだか昔旅芸人の一座にいた頃に、気がつくとくっついてきていた猫みたいだ。気が向いた時にすり寄ってきて、気が済むとさっさとどこかへ行ってしまう。 話って言ったって大したものじゃない。「よお」「やあ神田、どうかしたんですか?」「別に何もねぇよ」「そうですか。皆さんお変わりありませんか?」「ああ」「それは良かった」そのくらいだ。まるで無線機越しのようなそっけない会話だ。神田も暇な人間じゃないので、会える日はそう多くは無かった。でも彼が来た日は何だかくすぐったいような感じになったし、大分精神も安定している――らしい。これは検査のデータ上のことだ。 僕はあの人が好きなのかなとアレンは考えた。そして多分そうなんだろうと思った。変な話で、死に際の人間の思考に触れているとすごく人恋しくなってしまうのだ。あああの時こうしていれば良かった、あんなこと言わなきゃ良かった、そんなふうな後悔もくっついてくる。 もしもアレンがそうやって死に往く人間のひとりで、そして幸運なことに死から逃れて生きている喜びを感じたりすることができたなら、今すぐ神田のところへ言って、実は僕きみのこと好きだったんですよ、と言うだろう。でもアレンと神田はまったく違う種類の生き物だったから、結局こうやってぼろぼろになってベッドの上に倒れていることしかできないのだ。 今までも人間たちはアレンを化け物だと散々罵ってきた訳だし、化け物に好かれて嬉しそうな顔をするのは誰にも分け隔てのない聖人だけだ。例えばマナみたいな。 神田はどう頑張ってみてもそんなふうには見えなかった――時折厳しい時のマナみたいなことを言うことはあったが――ともかく彼はエクソシストだった。素行はあまり良くなく、人間に煙たがられているところもあった。この上ノアに好かれてるなんてことが知れたら、嫌われついでに放逐されるかもしれない。家族に棄てられたアレンのように。 それまですごく好きだったものに、自分の不手際が原因で嫌われるってのはすごく辛いことだ。 幸い神田のほうはそんな素振りは全然無かった。冷たいしそっけない。ただおかしなことにちょっと面倒見が良くなっただけだ。彼がもうちょっとだけ僕のことを好きになってくれたらなとアレンは思った。でもそんなことがあるわけないかとも思った。 |