「一夜のあやまちのあと、朝を迎える(上)」

綾×主)




 朝目が覚めると隣に裸の男がいた。
「え」
 僕も裸だった。まじりっけなく、全裸だった。
「えっ」
 僕の隣の全裸男二号は、良く見知った顔だった。クラスメイトの望月綾時だ。女好きで、手が早いので有名だが、噂に似合わず真面目でいい奴だ。でも全裸だ。
「ええ……」
 僕は望月に抱かれている。全裸で。腕枕なんかされている。全裸でだ。
 なんで裸なんだ。僕は何かしたか。裸部にでも入ったか。何かの健康法だろうか。
 僕は慌てて起き上がろうと身じろぎして、
――っつ……!」
 身体の節々が、そして腹の奥と尻がひどく痛んで身体を竦めた。なんで、尻なんだ。
 乾いてかぴかぴになったシーツが、僕の腿のあたりに擦れた。思い当たることはひとつしかない。
「ええええええええええ」
 どう考えても、一夜の過ちを犯してしまったとしか思えない。それも相手が男っていうのが予想外の展開だ。僕は、一体どういう反応をすればいいんだろう。
 尻の具合から、どう考えてみても僕が突っ込まれたんだろうから、ここは僕がはにかみながら「デキちゃったら責任取ってよね」って言わなきゃならないところなんだろうか。でもそれで万が一「もちろんだよ」とか言われてしまっても嫌だ。
 そもそも相手が問題だ。望月は自他共に認める女好きだ。僕はこいつが男を口説いているところなんて見たことがない。彼は生粋の、混じりけなしの、普通の嗜好の人間なのだ。
 多分起き出してきたら僕と同じように非常に混乱して、大騒ぎするに決まっている。もしかしたらあまりのショックで泣いてしまうかもしれない。
「……逃げよう」
 きっとそれが一番お互いのためになる。僕はコンマ一秒で決断した。リーダーを長い間やっていると、こういうことは得意になるのだ。
 僕は望月を起こさないようにそおっとベッドを抜け出そうとして、足腰が麻痺したようになっていて立たず、頭から無様にベッドの下に転げ落ちた。
「うーん……」
 やばい、と僕は思った。最悪だ。望月は僕がへまをやらかしたせいで、目を擦りながら起き出してきた。
 彼はしばらく焦点の合わない目でぼんやりと僕を見つめ、それから照れた顔でちょっと笑った。
 てっきり絶叫された挙句、泣かれるものだとばかり思っていた僕にとって、これは予想外の反応だった。
「あ、おはよう」
 望月はなんだか締まりのない、嬉しそうな顔をしている。
「昨晩はすごく可愛かったよ、君」
 すごく優しい声で、とんでもない言葉を掛けられて、僕は成す術なく固まってしまった。




「ごめんね、何もないとこで。あ、牛乳飲める?」
「あ、ああ、うん。悪い」
 僕はシーツに包まってテーブルに着き、しばらく悶々としていたが、望月に渡されたマグカップを受取ってホットミルクを啜った。
「熱」
「あ、ゆっくり飲んで。まだ熱いから」
 僕は頷いて、マグカップを吹いて冷ました。「火傷してない?」と気遣われて、「うん」と頷く。
「…………」
「…………」
「……あの、望月」
「あ、うん?」
 僕は精一杯の勇気を振り絞った。さあ、今こそ漢を見せる時だ。
「き、昨日な。その、一体なにが」
「……え」
 望月はテーブルに着いて、ニコニコしながら僕を見ていたが、びっくりしたみたいに目を見開いて、勢い良く椅子から立ち上がった。
「お、覚えてないのかい?」
「え、いや、その。……ボコボコにのされて、M字開脚で縛られて、首から『公衆便所です』ってプラカードを下げさせられたあたりまではなんとか」
「…………」
 望月が頭を抱えてテーブルに突っ伏した。僕だって突っ伏したい。
「つ、辛かったんだね……あの、忘れたほうがいいと、思うよ……ぼ、僕は、たとえ君がどんなに汚されちゃっても、君を見る目を変えたりはしないよ。いや、むしろ僕が君を守らなきゃならなかったんだ。ごめん、ほんとにごめんね」
「いや、お前が気にするようなことじゃないから。……ありがとう。その、悪いな」
 僕は素直に礼を言う。この僕の心配をしてくれる人間なんて、そういないのだ。僕はつい現実を忘れてしまいたくなる。でも逃げていては漢が廃る。僕は恐る恐る望月に訊く。
「あの……俺さっき、なんか、お前と、」
 裸で寝てたんですけど。尻が痛いんですけど。腹の中も外もドロドロで、なんで腹を壊さないのか不思議なくらいで、というかお前この惨状から見るにアレか。生でヤったのか。中で出したのか。お前女好きでモテて手が早いんだから、それなりのマナーを見せろ。何だ、もしかしてお前は毎晩女子にすべからく中出ししてるのか。そんなに遺伝子を後世に残したいか。この世界はお前のハーレムか。
 ――とか、言いたいことは沢山あるのだが、僕はものすごくいたたまれなくなって、俯いて唇を噛んだ。あんまりだ。僕が何をしたんだ。女子ともまだなのに。
「ああ、うん。昨日はびっくりしたよ。まさか君があんなに積極的な子だったなんて。おしとやかな子だと思ってたから、すごく意外だったよー」
「……え」
 望月がなんだかものすごいことを言っている。
 おしとやかって、何だそれは。日本語間違ってるぞ帰国子女。
 それより僕が『意外に積極的』っていうのは何だ。僕の『どうでもいい』という消極的なスタンスは、先輩にも同級生にも定評があるんだぞ。
「昨日の晩急にやってきてね。僕が欲しいって、抱いてって。いきなりおちんちん口で舐められて、咥えられちゃったもんだから、すっごいびっくりしたあ」
「…………」
「君ったらすごく大胆で、何度も何度も「もっと」ってせがんでくれて、……あ、中で出してって。いいのかなって思ったんだけど、君ったら聞かなくて、」
「…………」
 僕は多分、生きる屍になっていたろう。真っ白に燃え尽きた灰だ。
「……死にたい……」
 僕はさめざめと泣いた。泣くしかなかった。
 望月が慌てた顔で僕の肩を抱いて、「大丈夫?!」とか言っている。こんなどうしようもない僕の心配をしてくれるのか。お前はいいやつだな。
「……望月、すまない。僕は、なんてことを、」
「え、ええええ? いやっ、君が謝ることなんてなんにも、全然、」
「お前女子大好きな普通の趣味の人間なのに、本当ごめん……僕にできることなら何でもするよ。どうしよう。適度に頭をぶん殴って昨晩の記憶を飛ばしてやろうか? そして僕も殴ってくれ。もう全部忘れたい。覚えてないけど」
「え、い、いや結構です!」
 断わられてしまった。良い考えだと思ったのだが。
「……あの、なんでも?」
「……うん」
 望月はちょっと期待に満ちた顔で食い付いてきた。何だろう、アイギスとの仲を取り持ってくれとかだろうか。寮の女子たちと食事でもしたいんだろうか。今なら僕は何でもするぞ。お前の犬になる。
「ほんとに、なんでもいいの?」
「うん。今すぐ自害してみせろとか、マンションの屋上から飛び降りろとか、何でもいいよ」
「い、いやそんな自殺ショウを僕は望んでないよ! ……あ、あのね、君の身体に触りたいとか」
「……は?」
「もう一度君を抱きたい、身体の中に入りたいとか、駄目かな」
「…………」
 僕は頭を押さえた。望月は良い奴だが、どうもフォローの仕方がずれているような気がする。僕が落ち込んでいるのはとんでもない過ちを犯してしまったからで、なにも「君の身体が気に入らなかったわけじゃないよ!」と弁解して欲しいわけじゃないのだ。
「……それじゃ泥沼だろ。お前だって二度も男を抱くなんてイヤだろう。無理するな」
「二度? ううん、でも昨日は一度なんかじゃなかったよ。何度も、えっと、二、三……」
「あああああ。い、いや、いい。数えるな。やめてくれ。だから男同士なんか、絶対気持ち良いわけがないじゃ……」
「すごく良かったよ。君お腹の中に子宮があるんじゃないのかい?」
「あるわけあるか! 僕は男だ!」
「うーん、でもそんな感じ、するんだけどなあ……」
 冗談にしてはかなり悪趣味なことを言いながら、望月が僕の腹に触る。シーツを剥がす。
 僕の服はなんでか行方不明だ。リボンタイと靴下っきりで、そんな面白おかしい格好で望月のお宅訪問なんかをやらかしてしまったのかと考えると、また死にたくなってきた。一体どんな罰ゲームだ。
 道中黒沢さんに見つかったらどう言い訳するつもりだったんだ。それに良く望月はそんな変質者を部屋に入れたものだ。危機管理能力が欠如しているんじゃないだろうか。





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