「ほんとは可愛い子なんです(上)」
(綾×主)
なんでこんなに綺麗な人なのに、『天才』って噂になるくらい頭が良いのに、クールな仕草が嫌になっちゃうくらいサマになってるのに、この人はこんなに鈍いんだろう。
この子良く今までひどい奴に騙されたり、悪い人に攫われたりしなかったなって、僕は心底不思議でならない。
「黒田、バナナ余ったんだけど食う?」
「栄サマ、購買でヨーグルト余計に買っちゃったんスけど、どうッスか?」
「ん」
その子は相変わらず表情の乏しい顔で頷いて、「ホラ剥いてやるから食いな」とか言われて突き出されたバナナに口を開けて食い付いたり、さっき教室の隅で男子生徒が一生懸命シェイクしていたヨーグルトのフィルムを開けて、顔中に白くてどろっとしたものを飛び散らせて「うわっ」とか言っている。
(なんで、そんな、無防備……!)
僕はにこにこしながら女の子とお話をしながらも、気が気じゃない。教室中の生徒が、顔を緩めてにやにやしながら彼をじっと見ている。
顔中べとべとにして困り果てているらしい彼を見て、「トイレ!」「お、オレも!」と教室を駆け出していく男子が数人いる。彼らは先走ったために、次の決定的瞬間を見逃してしまうことになった。
あの子は首を傾げて、手のひらに飛び散ったヨーグルトをぺろっと舐めたのだ。何気ない仕草なのに、服装も動作もカッチリした彼がやるものだから、なんだかものすごい破壊力だ。
「ト、トイレトイレ……」
「駄目だ、二階のトイレ満員だって!」
「生殺しー!」
男子が右往左往している。こういう時、欲望が下半身に直結している男は辛いもんだと思う。あの子も男の子だけど。
「く、黒田! オレのを舐めてくれ! オレのヨーグルトも舐めてくれ!! ちょっと生臭いかもだけど!」
「ん? あ、悪い。飛んだ?」
「ぼ、僕の唇に飛びました!」
「俺の股間にも!」
「……え? 拭けよ、普通に」
「じゃ、じゃあ拭いてくれるだけでもいいですから……!」
「く、黒田、とりあえずトイレに行こう、な? そんなヨーグルト食いたいんなら、オレらみんなでごちそうするから」
「ひ、一人ずつ! 一人ずつな!」
「いや全員で一気に……!」
「……いや、別にそれほど好きじゃない。なんか余ったらもったいないし」
違うよ、君ひとりだけ空気詠み人知らずだよと僕はすごく突っ込んであげたい。君はなんでそんな素で妖精さんみたいな反応ができるんだ。本当に僕らと同じ十七歳の男なのかい。
とにかく、放っておくわけにはいかない。僕はまがりなりにもあの子に恋をしている男なのだ。ポケットからハンカチを取り出して、あの子の席の周りに集まっている異様な空気を放っている男子を押し退けて、汚れっぱなしのあの子の顔を拭ってあげる。
「綺麗な顔が台無しだよ」
「あ、望月……」
彼が顔を上げて、具合悪そうに僕を見る。多分「また格好悪いとこ見られちゃったな」とか考えているんだろう。僕は顔が引き攣りそうになるのを必死で我慢して、彼ににっこり笑い掛ける。
「――ちょっと、いいかな」
「はい、そこで正座!」
「……え? あ、はい」
屋上に連れ出して、僕は彼、黒田栄時くんをベンチの上に正座させた。この子はすごく可愛い子だけど、たまには怒ってあげないと、絶対今に取り返しのつかないことになる。
「なんっで、君は、君ってやつはっ、そんな、無防備なのっ!!」
「え? 望月? 何を言ってるのか良く」
「口答えしない!」
「……なんか理不尽」
栄時くんが口を尖らせて、子供が拗ねてるみたいな顔になる。順平くんをはじめ、みんなこの子を無表情だクールフェイスだって言うし、僕もはじめはそう思ってたけど、仲良くなるとそうでもないってことを理解した。
結構クルクル表情が変わって、感情表現が豊かなのだ。怒ったり拗ねたり落ち込んだりとかそんなのばっかり多いけど、たまにすごく可愛い顔で笑うし、エッチの時なんかびっくりするくらい色っぽくて艶があって可愛い。僕は彼が大好きだ。
大好きだから、こんな時すごく複雑になってしまう。この子は無防備過ぎて、それと知らずにクラスのみんなを変にやらしい気分にしてしまうのだ。
僕としてはたとえ誰かの想像の中でも、この子が卑猥な目に遭わされるのは許せない。僕はわりと心の狭い人間なのだ。最近そのことを初めて知った。
「――あのね、君はまったく自覚がないんだろうけどね、さっきはちょっと大変なことになりかけてたんだからね?」
「……? 僕、なんかやったのか」
「そりゃもう」
栄時くんは僕と話をする時だけ、自分のことを「僕」って言う。昔からの癖みたいなもので、気を付けないと出ちゃうんだそうだ。ああ僕はこの子に心を許してもらってるんだって、ちょっと嬉しくなる。
「あのね、周りはみんな狼だって思って。隙あらば君を食べちゃおうって狙ってるんだ。いいね、僕以外の男と二人きりになんてなっちゃ駄目だよ」
「……? 良く分からないが、お前がそう言うなら。でも別に食べられはしないだろ。僕多分まずいし、もし襲われても負けやしないよ。俺強いし、背丈もあるしマッチョだし」
彼は僕より大分ちっちゃくて細くて、運動部員なのに筋肉なんかほとんどついてなくて、女の子みたいな顔をしていて、僕の下にいる時だって、あんなに弱々しく泣きながら震えているような子なのに、それで良くそういうことを言えるなあって思うけど、僕は彼の夢は大事にしてあげたいので、「うん、気を付けてね」とだけ注意する。
「ほんとにほんとに気を付けてよ。悪い人について行っちゃ駄目だよ。ちゃんと言うこと聞いてくれよ?」
「ああ、了解。大丈夫、何でも聞く。僕望月のペットだもん」
がたん、と大きな音がした。屋上と校舎を繋ぐ扉の向こうからだ。ああ、多分盗み聞きしてたんだろうなと僕は察した。あのタイミングで栄時くんを連れ出したものだから、僕が彼に何かやらかしやしないか気が気じゃないんだろう。
(わぁ、ご愁傷様)
僕はこっそり考える。栄時くんのこの妙な物言いに、僕は最近ではなんとか慣れてしまったけど、知らない人が聞いたら何事かと思うだろう。
栄時くんはこの学園のカリスマで、街の有名人だ。まあこれだけ輝いていれば無理もないと思う。はじめのうちはすごいな、格好良いな、でもあんまりすごすぎて僕なんかにはきっと見向きもしてくれないだろうなって思ってたんだけど、いざ仲良くなってみると、それまでの僕の中のカリスマのイメージは無残にもガラガラと崩れ去って行った。
栄時くんはものすごい鈍い人で、なによりまずすごく間が悪い……というか運の悪い人で、自分のものすごい肩書きや噂ってものをまるで知らない。気付いていない。
そんなことって本当にあるのかなって思ってはみたんだけれど、何というか、彼は本物だった。
遠くから彼を褒め称える声は陰口だと思い込んでいるし、みんなが牽制しあって手が出せない拮抗状態の中で、自分は誰にも見向きもされない嫌われ者だと思っている。
そうやって悪い思い込みばかり積み重ねているからか、すごく被害妄想が激しいというか、卑屈になってしまっているというか、――なんでここまで綺麗で格好良い人が、こんなふうになっちゃったんだろう。
ともかく、そんな彼だから、僕のことも『クラスの人気者で、嫌われ者の僕なんかに構ってくれる気さくで優しい望月』だとか思っているらしい。天才で学園のカリスマの彼が、どうやら本気でそう思い込んでいるらしいのだ。なんだか頭が痛くなってくる。
彼は元々無口な人だから、誰もそんなことは知らず、だからどんどん栄時くんの暴走は加速していく。「違うよ、みんな君のこと大好きだよ」って教えてあげても、「望月は優しいから……こんな駄目な僕なんかのフォローをしてくれるんだ」って力なく笑われてしまった。
彼に恋する僕がちょっとばかり無茶な方法で告白しても、なんだかいつものように最悪の誤解が重なり合った挙句、「じゃあ僕お前のペットになる」ってことになってしまった。
僕は、恋人になりたいのだ。でも何を言っても誤解されるばっかりで、いつのまにか僕は、僕が恋する憧れの高嶺の花の『ご主人様』になってしまっている。
――僕が日本語をマスターしている生粋の日本人なら、ここまで誤解されることもなく、この子と手を繋いで並んで微笑み合える恋人同士になれていたんだろうかって考えたら、すごく歯痒くなる。
違うんだ。僕は栄時くんをペットにして、首輪を付けて、引き摺って歩いていく主人になりたかったわけじゃないんだ。
でももう何を言っても「はい、ご主人様」って感じになってしまう。
僕は絵本の王子様みたいにかしずいて、栄時くんの手に、「君を守るよ」ってキスしたいと思っているのに、現実は潤んだ目で見上げられて、「ご奉仕いたします、ご主人様」なのだ。なんで、なんでなんだ。僕はほんとにほんとに君を大事にして、我侭を何でも聞いてあげて、甘やかして甘えさせてあげたいのに、なんで「僕はお前の性処理奴隷」とか、「なんでもするよ、ご主人様」とか言われてるんだ。絶対おかしいこれ。
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