淡いイエローのマフラーがひらひら揺れている。ちょうど今夢中になっていたテレビの中のヒーローとお揃いだ。
 「格好良いね」と僕が言うと、その人はすごく得意そうな顔になった。
「ちびくん、驚いたかい。実は僕は正義の味方なのです」
 そして、僕を抱き上げる。小さい僕を肩に乗せて歩き出す。僕らが大好きなヒーロー番組の主題歌を、すごくご機嫌で鼻歌で唄いながら。
 「じゃあ変身してみせてよ」と僕は言う。こないだも約束を破られたばかりだったから、僕はちょっと疑りぶかい気持ちになっていたんだと思う。
 その人は笑って、「人が見てるとこでは変身しちゃいけない決まりになってるんだ」と言った。
「ばれたらヒーロークビになるからだめ」
「……ヒーロー、誰かに雇われてるの? サラリーマンなの?」
「そりゃあね、ヒーローも生活掛かってるからね。国の偉い人とかに……」
 言い掛けて『しまった』という顔になる。泡を食って、か細い声で「今のなし」と言った。
「雇われてるとか冗談だよ。もちろんボランティアさ。悪の組織に改造されて、ビルよりおっきい超人に変身できるようになって、ロボットに乗って戦って、でも三分経ったら元の星に帰らないと――
 いろいろちゃんぽんになってる。僕はなんだかその人が(あんまりうろたえているものだから!)可哀想になってきて、「もういいよ」と言った。
「大丈夫、わかってる。僕ももう子供じゃないから、そんなのほんとに信じてないよ」
 僕は慰めようと思ったんだけど、その人は逆に悲しそうな顔になってしまった。
 そして、すごく真面目な顔をして言った。
「ちびくん、夢を忘れちゃいけないよ。みんなが馬鹿にしたって、君が信じていれば願いは叶うし、僕は君のヒーローだ。ここにいるよ」





◆◇◆◇◆




 ――という、変な夢を見た。
 僕は目を開いてしばらく天井を見つめたあと、「何だそりゃあ」と呟いた。
 ここへ来てずうっと朝は学校、そして夜はタルタロスを延々と上り続けている、そんな日々が続いている。
 それまでの穏やかな生活が嘘みたいにばたばたしていて、まともに寝ている暇もないくらいだ。夢なんて久し振りだ。中身はともかく。
 今朝は身体は重かったが、気分は良かった。
 昨晩は満月だった。例によって大型のシャドウを討伐して、くたびれきってベッドに入ったのは大分遅い時刻だったから、今日一日疲労でぐだっとなることはそれなりに覚悟していた。でも頭は大分すっきりしていたし、腹も減っている。
 時計を見るとまだ朝の五時だった。登校時間までは大分ある。
 コンビニまで足を運ぶのも面倒だったから、仕方なく一階に降り、台所の冷蔵庫を漁っていると、急にぱっと部屋の明かりが点いた。
 驚いて見ると真田先輩が、びっくりしたような呆れたような顔つきで、台所の入口に突っ立っていた。
「……何をやってるんだ。泥棒かと思ったじゃないか」
「……はあ。腹が減っちゃって。コンビニまで出てくのも、着替えるのが面倒なので」
「だからって寝間着でうろつくんじゃない。しかも裸足じゃないか。スリッパくらい履け。ここには女子もいることを忘れるなよ」
 僕は頭を下げて、「すみません」と謝った。まさかこんな時間に、誰かが起き出してくるとは思わなかったのだ。
 真田先輩はトレーニング・ウェア姿だった。きっと今から朝飯前の走り込みに行くのだろう。満月の掃討任務の直後にまできつい練習メニューを消化しようなんて、僕ならさすがに思わない。
 真田先輩はいつものようにさっさと出て行ってしまうのかと思ったら、なんだか奇妙な生き物でも見るみたいな目を僕に向けていた。
「なにか?」
「いや……その、お前、昨日何かあったか?」
「は?」
「いつもと顔つきが違う」
 僕は首を傾げて両手を顔に当て、「そうでしょうか」と首を傾げた。自分の顔のことなんて良く解らない。
「気にするな。悪い意味じゃない」
「はあ」
「……しかしさっきから何だ、その気の抜けた返事は。お前らしくもない」
「そうでしょうか」
 良く解らない。





 『昨日何かあったか』は登校した後も遭う人間たちに口々に言われた。良く解らないが、昨日よりも表情と口調が柔らかいんだそうだ。
 順平は冗談を斬って捨てられないと驚いていた。失礼な奴だ。
 今までは影時間を過ぎれば大体の身体の異常は消えていたから、シャドウの精神攻撃ってことはないだろう……たぶん。




◆◇◆◇◆




「うん、確かにそう思うよ。彼らの言うことは間違ってないんじゃないかな」
 影時間が来た時、彼が言った。僕は「そうかな」と頷いた。
「自分がどういうふうに見られているのかっていうのが、正直良く解らないんだ。順平なんかはまるで俺がすごく冷たい人間みたいに言う。血管に血のかわりにラムネかなんかが流れてるんじゃないかとか言われた」
「ああ、それで今日はちょっとしょげちゃってるんだね」
 ファルロスがくすくす笑った。彼は僕の頭を慰めるように撫でた。子供に、子供にするように扱われて、僕は微妙に情けない気持ちになってしまう。
「君はロボットじゃない。こうして触ってると心臓の音が聞こえる。僕は好きだな」
「……どうも」
 多分、フォローされたんだと思う。僕は頷いた。
「きっと君がちょっと変わったっていうのは、君の中で何かのピースが上手く嵌まったとか、そういうものなんじゃないかな。パズルみたいなものがさ。実際今日の君は昨日よりも優しい感じがする」
「たまに、ファルロス、君の言うことはすごく難しいと思うことがある。きっと俺より頭いいよ」
 僕は生まれてから今まで生きてきて、こんなに子供らしくない子供は初めて見た。
 彼は「そんなことないよ」と言って笑っている。その顔がまたすごく大人びていて、僕はなんだか、わけもなく憂鬱な気分になった。
 子供が子供らしくいられないのは、すごくひどいことだと、僕は思う。
 僕にも子供だった時分がある。上手く思い出せないが、多分ファルロスよりは大分ましだったように思う。でもそれなりに可愛げのない子供だったように思う。
 言いたいことを言わず、大人を良く観察する。そして大人を演じた物言いをする。子供らしい子供を馬鹿にする。
 でも本当は誰かにすごく甘えたいし、同じ年頃の子供たちとそれらしい遊びだってしてみたい。
 僕は長い間友達が欲しかった。でもここに来る前に付き合いのあった人間たちの中に、今になって顔を思い出せるのは誰もいなかった。
 僕はファルロスを抱き寄せて頭を撫でた。
 大人が子供にするような仕草を、いつのまにか僕はできるようになっていた。
 僕がそういうふうにされた記憶は、残念ながら見付けることができなかった。
 昔の記憶はひどく曖昧なものなのだ。僕は過去を上手く思い出すことができない。
 それは漠然とした生き方をしてきたせいかもしれないし、他に何か理由があるのかもしれない。分からない。
 僕は自分の思い出ひとつにしたって、曖昧で漠然としている。
「君はいつも僕を甘やかしてくれる」
「子供はそれが普通なんだ」
 僕は言う。それはファルロスに掛ける言葉であり、漠然とした子供の時分の僕への言葉でもある。両親の顔さえ覚えていない僕自身への。
「僕は普通じゃない?」
 ファルロスが首を傾げて、僕に訊いた。僕は頷いた。
「俺は君みたいにもうほんとにすごく可愛げがない子供を見たことがない」
「わあ、ほんと。気をつけるよ」
 ファルロスは気を悪くした様子もなく、面白そうな顔をして微笑んだ。それは僕の、上手く笑えもしない不器用な顔よりも、きっとずっと大人びていたと思う。





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