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望月は見た目によらず割合根気強い性質をしているらしい。そしてまめな奴だった。 彼は逐一僕に「卵焼きが作れるようになった」とか「目玉焼きに火が通る前に底が真っ黒になっちゃう」と報告しにくる。 僕もそれほど料理が得意な訳ではないのだが、望月の珍しい所で発揮される熱意ってものはなんだか見ていて微笑ましかったので、ちょっとした時間彼に付き合ってやっていた。 それにしたってほんの僅かなものだった。 大抵は僕の傍には望月をゴキブリか何かだと思っているらしいアイギスがいたから、彼女が偶然目を離した隙にこそこそ話し込む、くらい。 でもそんなちょっとの間の触れ合いでも、僕はこの望月綾時という男がすごく良い奴だってのを理解することができていた。それは一面的なものなのかもしれなかったが、この際問題にはしないでおこう。 彼は生まれたての子供みたいにいっそ無邪気でさえあった。 人に優しくするのも、女の子を口説くのも、僕に構うのも、彼はそうしたいからそうするのだ。望むことを望むままに行動するのだ。彼自身そのことがすごく嬉しいんだという空気を振り撒いていた。 この男を嫌いになれる奴がはたしているのかなと僕は考えた。いい奴なのだ。ひどい女好きの性質さえ別にすれば。 「次はカレーに挑戦してみようかなと思ってね」 廊下ですれ違いしな、望月が言った。 「君は作れる?」 「一応」 「やっぱり君はすごいなあ。オリジナルのレシピとかある? 良ければ教えてくれないかな。こう、家庭の味ってのが食べてみたくて。君なら味に関してすごく信頼ができるからね」 「……別に、普通だけど。ルーのパッケージの裏の説明のとおり」 「どこの?」 「ええと……」 通路の真中で話し込んでいると、「あ、いた!」と女子が声を掛けてきた。例の望月の取り巻きの女の子だ。 真田先輩といい、望月といい、僕の周りにはやっかむ気にもなれないくらい女の子にモテる男がごろごろしている。望月なんて、転校初日からファンクラブが結成されたともっぱらの噂だ。ちょっと不公平だとも思う。 でも順平みたいなのもいるしなと僕は考えて悲しくなってきた。彼と張り合うようになっては終わりだ。 「綾時くん、こんなトコいたんだ」 「探しちゃったよー」 「何の話?」 捕まった傍から二人、三人と女子が増えていく。ちょっとした見物ですらあった。 僕はなんだかタルタロスでシャドウに囲まれた時のことを思い出していた。 望月はすごく甘い顔で微笑んで「やあこんにちは、会えて嬉しいよ」と言った。彼は女子が、普通の人間よりも飛び抜けて大好きなのだ。 「相談ごとだよ。料理をはじめたんだ。彼そういうの得意だから、ぜひ技を伝授していただこうと思ってね」 「へえ、意外ー」 女子はまだ増え続けている。彼女らはぐるっと一斉に振り向いて僕のほうを見た。可愛いのも綺麗なのも、それが大勢で一塊に纏まってしまうとちょっと不気味だ。 僕はつい背中に薄寒いものを感じながらも、何でもない顔をして「そうでもない」と言った。 「普通だよ。じゃ、俺そろそろ行くから」 「あ、あー、帰っちゃうのかい?」 望月はすごく残念そうな顔になった。 僕は苦笑して、「部活に顔出そうと思って」と言った。このまま望月にくっついて行くほど、僕は空気の読めない人間じゃない。順平ならきっと無遠慮に混ざって女子に顰蹙を買っているんだろうけど。 「それじゃ、また明日な」 「うん、じゃ、明日。気を付けて」 望月は笑って手を振って、僕を見送ってくれた。彼の周りの女子たちは僕を見て、ちょっと残念そうに、「えー」とか言っている。――混ざって良いならそうすれば良かったかもしれない。そう考えてしまってから、僕は慌てて首を振って否定した。 最近なんだかないがしろにされることが多くて、思考が順平色に染まってきているのかもしれない。 僕は確かに顔もあんまり自慢できたものじゃないし、愛想を振りまくことも苦手だが、順平のようにがつがつした男にだけはならないでおこうと心に決めていた。 自分で思っていて彼に失礼な話だとは思うが、常に間が悪く、玉砕して、見ていて可哀想になってしまう男にだけはなるまい。 こんなことを考えていたなんて知れたら、また彼の機嫌をすごく損ねてしまいそうなので、黙っておこう。僕は彼のそういうところが好きなのだと言ったって聞いてもらえないだろう。余計なことは言わないように心掛けているのだ。 一階に下りると購買の前に暗い顔をした順平がいた。 もしかすると彼も僕のように望月の取り巻きに撃退されたのかもしれない。 順平は僕に気付くと「よぉ」と手を挙げて言った。 「つか、マジひどくね?! オレとリョージの間にある差は何ですか? 似たようなもんじゃんよ? 何でオレだけが邪険にされるのだろうか……!」 どうやら予想は当たってしまったみたいだ。 多分可愛い女の子付きの綾時に嬉々としてくっついていって、「順平ウザい」と斬り棄てられたのだろう。 僕も似たようなものだったが、とりあえず黙っておいた。 「あいつはすごいな」 「だな! オレもファンクラブ欲しい! 順平くんファンクラブが欲しいぜ!」 「……作ってやろうか?」 「お前が作ると『順平くんを陥れる会』になるだろうが。何かの陰謀めいたものを感じる」 失礼な話だ。 「くそー、リョージの裏切り者ー、本命にフラれろー」 順平が天井に向かってぶうぶう言っている。僕は呆れて、「節操が無いな」と言ってやった。 「本命、お前もいるんじゃないのか」 「それとこれとは別! お前にはわかんねーのかよ、ファンクラブなんて言わば男のバロメーター……」 「良く分からないが、べつに良く知らない女子にちやほやされたって仕方ないだろ。本命がいるってだけで贅沢なことだ。俺なんて生まれてから今までで、傍にいたいとか言ってくれたのはアイギスくらいなものなんだぞ」 「…………」 「まああれも何かのプログラムの誤作動なんだろうけど」 「お前……ひょっとしてすごく可哀想な奴なんじゃ……」 順平にまで憐れまれてしまった。僕はぶすっとして「うるさいな」と言った。 「それにしても望月は、あれだけ女子に良い顔をしていて本命がいるのか。なんだかムカついてきた」 「ん? ああ。なんか最近料理を頑張ってんだと。あいつすげー不器用なんだけどさ、その子のために腕を上げてゆくゆくは弁当を作ってきて、『きみのことを考えて頑張ったんだ』とかなんとか口説くつもりらしい」 「……気が長い計画だな。その前に卒業するんじゃないか」 「だよなー」 「それよりもバカのくせに下心を抱いてたってことにちょっと驚いた」 「……お前、もしかしてリョ―ジのことすげー嫌ってねぇ?」 「まさか。いい奴だと思う」 僕は心外だなと言い置いて、ふと時計を見た。大分話し込んでいたせいで、思ったよりも時間は進んでいた。 「まずいな。部活が始まってる。じゃあ俺はもう行くから。今晩も出るからその気でいろよ」 「へーへー、お前やる気なさそうなのに無駄に元気だよな……」 順平が肩を竦めて、お手上げのポーズで言った。 ◆◇◆◇◆ 見ない顔がいるなと思っていたら、マネージャーが見学者だと言っていた。どうやら空きができたらしい。 立ちんぼうで活動を眺めている。男だ。僕よりも大分体格が良かったが、聞けばまだ一年生だという。 身長に関しては寮の男性陣が特別なんだと思っていたが、さすがに後輩に抜かれていると良い気はしない。僕が特別背が低い訳ではないと思いたい。舐められないと良いのだが。 僕は購買に三色コロネを買いに走らされている自分の姿を想像してみた。とても滑稽で、できればそんなふうにはならないことを祈りたい。 「お前、遅いぞ」 「悪い、つい話し込んでた。その分はちゃんと取り返す」 宮本が不満そうな顔でいる。僕はフォローして、ユニフォームに着替え、簡単に筋を解す。マネージャーが見学に来た一年生に僕を紹介しているようだ。 「……ちょっと遅くなったけど、さっき言ってたうちのエース。すごいんだよ。夏の明王杯でもいいとこまでいったんだから」 一年生は僕を見ると、急にぱっと顔を輝かせた。目をきらきらさせている。 彼は急に僕の手をぎゅっと握って、「お会いできて光栄です!」と熱っぽく言った。 「大会での活躍、新聞の記事で見ました。僕先輩に憧れてずっと部に空きが出るの待ってたんです。ぜひ先輩に指導していただきたくて」 「……はあ」 僕は気が抜けた顔でいたと思う。こんなふうにストレートに「憧れています」なんて言われたのは初めてだ。ちょっと顔を赤くした。 こういうのは真田先輩の役所だろう。毎回真面目に部活に出ている訳でもない僕には似合わないのだ。 マネージャーはにこにこして、「彼入部してくれると良いね」と宮本と話している。 「そしたらエースももうちょっと真面目に部に顔出してくれるかも」 実は僕は半分幽霊部員のようなものなのだ。 何で僕なんかに目を留めたのかは分からないが、今日の部活が済んだ後、例の見学者はすごく緊張した顔で僕に話し掛けてきていた。 「試合ほんとに圧倒的で、僕思わず見惚れちゃったんです。今日見てて思ったんですけど、やっぱり周りから飛び抜けてるし、気迫も違うし」 「別に……そんなことはない」 僕の返事は自然短くそっけないものになってしまう。「君なら心配はない」とは良く言われるが、直に誰かに誉められるってことはあんまり慣れないのだ。 僕はすごく照れ臭くてやめてくれと言いたい気分だった。真田先輩も毎日こんなふうなのだろうか。でもあの人は周りの言うことなんか全然気にしなさそうだから、今更どうってことはないのかもしれない。 「どんな練習したらそんなふうになれるんですか?」 「別に……普通」 『特別な練習方法なんてあるとすれば、毎晩死にそうになりながらタルタロスを攻略していることくらい』とは言えない。僕は適当に言葉を濁した。 さっさと着替えを済ませて、僕は「じゃあもう帰るから」と言った。今晩も影時間はタルタロスで過ごすつもりだったから、早めに帰って少し休みたい。 「お疲れ」 「はい、お疲れ様です先輩」 鞄を拾おうと腰を屈めたところで、いきなり後ろから羽交い締めにされて、顔に白いハンカチのようなものが押し当てられた。 なんだか甘い匂いがして、急に僕の身体は動かなくなった。意識が朦朧としてきた。 誰かに抱え上げられて、すごく狭い箱のようなものの中に放り込まれた。鉄の冷たい感触が身体に触って、僕はそれがロッカーであることを理解した。 少しして、ドアが開いて宮本の声がした。 「なんだ、あいつもう帰ったのか」 「はい、先に帰るって」 「まったく薄情なやつだな……悪いなあんなで」 「いえ、クールで憧れますよ。格好良いと思います」 何か談笑しているようだ。でも僕の頭には、理解出来ない断片が擦りぬけていくような感覚しかなかった。 やがて電灯が消され、鍵を掛ける音がした。部室には誰もいなくなり、そこで僕の意識も途切れた。 |