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月光館学園には、二年生と三年生が合同で修学旅行を行うというちょっと変わったシステムがあった。 その為旅行メンバーの中には僕ら二年生組に加えて、来年卒業していく桐条先輩と真田先輩の姿もあった。 寮では天田とコロマルが留守番をしてくれているが、子供と動物をないがしろにして年長者連中だけが遊んでいて、後ろめたいと感じるのは僕だけだろうか。 何にしろしっかりしている天田のことだから、お土産のリクエストはしっかり受けている。買って帰らないと後が怖いだろう。 この間なんて僕だけ新作の槍を購入したら、機嫌を損ねた天田が、僕が寝ている間にベッドの下に揃えてあったスリッパと床をセメダインで接着してくれていた。 おかげで朝からつんのめって、床でしこたま鼻っ面を打つ羽目になった。 頼むからやめてくれと文句をつけると、次の朝は額にマジックで「ヒモ」と書かれていた。 そう言う言葉を小学生がどこで覚えてくるのか気になるが、「あまりそういう言葉を使わないように」と注意したら、翌朝には新しく「豚」と書かれていた。そういう問題でもない。天田とのコミュニケーションはどうも僕には難しいみたいだ。 覚えた言葉を使いたくて仕方がないのか、単純に天田が僕を嫌っているのかは知らないが、順平に言わせれば「そんなモンはまだぬるすぎる」そうだ。僕はそれ以上考えないことにしている。最近の子供は怖い。 「っしゃ連番〜。次誰よ?」 「あ、僕だ」 順平たちは往き道の新幹線の中で、持って来たトランプを鞄から引っ張り出してきて、大富豪をやっている。メンバーは岳羽と山岸、望月もいる。後はあまり話さない顔だった。 僕はヘッドホンを耳に当て、昨晩新しくダウンロードした音楽を聴きながら、窓の外を流れ往く景色を眺めていた。僕の隣にはアイギスがいた。彼女は望月を警戒しながらも、普段乗らない新幹線が珍しいようで、ちょっと嬉しそうな様子を見せている。 考えてみれば彼女は眠っている時間を除外したら、下手をするとまだ一年も生きていないのだ。この旅行が彼女にとって楽しいものになればいいなと僕は思う。 「……アイギス、鞄の中」 「?」 「お菓子入ってるから、君の分も買ってある。好きに食べてくれ」 「サー・イエス・サー、軍曹」 「いや俺は軍曹じゃな……順平! またお前か?」 「へっ? な、なによ」 「順平さんにお借りしたDVDに、我々にとって理想とされるリーダー像を見付けました。戦争映画でした」 「アイギスに妙なこと教えるのはやめろって言ったろう!」 『逃げるやつはベトコンだ。逃げないやつは、訓練されたベトコンだ』 とか『生涯忠誠! 命懸けて! 闘魂!闘魂!闘魂!』とか、どうりで最近アイギスの戦闘時の台詞がおかしいと思った。僕は溜息を吐いて、アイギスに「忘れるんだ」と言った。 「そういうことは言うな。帰ったら一緒にトトロでも見よう」 「サー・イエス・サー、軍曹」 「いや、それはもういいから」 僕はもう疲れてしまって、肩を落とし、到着まで少し眠ることにした。 少なくとも数日はあの陰気な塔から解放されるのだ。そう思うと気分が軽かった。 「アイちゃんもこっち来ねぇ? そんな奴ほっといてさぁ」 「私の一番大事はこの人のそばにいることです。今は目的地到着まで安眠を守ることが私の役目、……おやすみなさい」 「うん」 僕はアイギスの申し出に頷いた。事情を知らない人間は、僕らを見て変な顔をしている。 「アイギスさんってなんかもう彼に忠誠誓っちゃってる感じだね……」 「あー、なぁ? あんな奴のどこが良いんだろ……なぁ、リョージ? お前もだよ」 「え?」 「オレ実はお前の本命っての、気付いちゃったかもなんだけどよ〜」 「えっ? う、わああああッ!!」 望月が急に真っ赤な顔になって、順平の口を塞いでいる。口が軽い順平も悪いが、彼に相談する望月も迂闊だと思う。何をやっているんだかと僕は呆れて目を閉じた。 ◆◇◆◇◆ 京都に着くなり、例によって順平が悪い癖を出した。例の屋久島の悪夢をまったく覚えていないのか、女の子を現地調達するべきだと騒ぎ始めたのだ。 今回は加えて悪のりする奴が一人いた。望月だ。彼は「舞妓さんとデートしたいなー」とふやけた顔で言っている。僕と真田先輩は暗い顔になった。 水着の女性に生意気だと罵られ、彼氏持ちだからとあっさり振られ、運良く相手をしてくれるひとに出遭えたと思ったらオカマだった。僕はあの夏を忘れない。現地調達はものすごく効率が悪いってことを身体を張って理解した。 「……悪いが俺達は遠慮させてもらう。行きたければお前らふたりで行け」 真田先輩が嫌そうな顔で言った。あのナンパの勝敗について、まだ順平から口を出されているらしい。傷口を突付かれているようなものだ。 「先輩、俺抹茶飲みたいです」 「そうだな……」 「現地調達とはなんですか?」 「アイギスは知らなくていい。君も来いよ、美味いぞ抹茶。先輩、アイギスの分は俺が出しますから」 「……さりげなくお前の分は奢れと聞こえたが、まあいいだろう。良い店はあるか?」 「河原町に一軒。るるぶ持ってきました」 「さすが抜かりないな」 僕らは「ルートに壬生寺は入ってたかな。一度見てみたいと思っていた」とか「天田とコロマルに土産を買うのは最終日のほうが良いですよね」とか話しながら、歩いていく。 置き去りにした順平と望月は、見てろよとかやけっぱちになるのかと思えば、おとなしく僕たちにくっついてきた。 「何だ、お前らは寂しがり屋さんか。ナンパでも島原でも好きなところへ行けば良いのに」 「えっ、島原?! 遊郭ってあれ、まだホントにあるのかい?! うわー」 「置いてくなんてひどいじゃないスか真田さん」 「知るか」 僕らはぞろぞろ歩いていく。確かそれぞれ班が決められていたと思うが、結局またいつものメンバーになってしまった。三年生の真田先輩まで一緒だ。 女子連中はどれだけ楽しみにしていたのか、着くなり着物を借りに行った。僕はアイギスを見て、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまった。 「あ……悪い、君を連れてきて。岳羽たちと約束があったんじゃないか?」 「抹茶、飲んでみたいです」 「そうか。出たら彼女たちのところへ連れてくよ」 僕はちょっと笑って言った。真田先輩はそんな僕を見て珍しそうな顔をしている。 「……お前の親切の矛先は限りなく限定されているな。男女問わずつっけんどんなのに、子供と人外には――」 「先輩、中指折りますよ」 僕は真田先輩の手を取って指を摘まみ、微笑んで小声で言った。彼は青ざめて「あ、すまん」と謝った。 アイギスがロボットだってのは極秘なのに、順平ならともかくこの人まで口を滑らせてどうするのだ。彼女の生まれて初めての楽しい旅行の邪魔をしないで欲しい。 「アイギスが絡むとお前は妙にアグレッシブだな」 「先輩が変なことを言うからです。それより桐条先輩の話し方が伝染ってますよ」 「これはボクシング用語だ」 「ああ、すみません、俺ボクシング用語はオフサイドしか知らないんです」 「……それは違うスポーツだと思うぞ」 僕らがぼそぼそ話し込んでいると、望月がちょっと強張った笑顔で「ねえ!」と話し掛けてきた。 「抹茶ってあの、カプチーノみたいに泡立った日本のお茶だよね? 一度飲んでみたいなって思ってたんだ。京都は日本らしいものがいっぱいあってわくわくするね」 彼はごく自然に僕の手をぎゅっと握って言った。男同士でそういうふうに触って、暑苦しいと感じさせないのが彼のすごいところだ。 彼は飼主に構ってもらえない犬のような情けない顔をしていた。本当に寂しがりな性質をしているのかもしれない。 思えば初めて遭った時から、彼はなんだか誰か身近にいてくれる人間を探しているような印象だった。 僕は友人の留学生を思い出していた。長い時間を過ごした国から離れると、やっぱり不安になるものなんだろう。 僕が「うん」と頷いたところで、望月はアイギスにマフラーを引っ張られて首を絞められていた。 「ダメです、その人に近付かないで下さい」 「うっ、ひ、ひどいよアイギスさん……どうしてそんなに僕につれないんだ」 「アイギス、望月が死ぬぞ。離してやれ」 また泣きそうな顔になっている望月に、僕は素直に同情した。どう好意的に見てやったって、そこには望みというものが感じられなかった。 もしかしたら彼はマゾヒストなのかなと僕は考えていた。そうでもなきゃ、ここまで邪険にされながら好きだなんて言えないだろう。 僕の隣で順平が腕を組んで、「望み薄いなー」としみじみ呟いている。僕も頷いてやった。 「これだけ空回りして、なおかつ諦めないってのはすごいことだよな」 「……ああ。さすがに相手に首を絞められたら、俺も多分諦めると思う」 順平は僕を見て「え」という顔をした。それからさっきよりも憐れみが深い声音で、「……欠片も通じてねーし、ホントに望み薄いよなー」と言った。 僕もそう思う。望月のアイギスへの好意はどう見積もっても一方的過ぎた。 アイギスと望月がじゃれているのを眺めていると、真田先輩に「行くぞ」と頭を軽く叩かれた。なんでこの人は、いつも子供にするみたいに僕の頭に触るのだろう。彼より背が低い僕へのあてこすりだろうか。 真田先輩はふと変な顔になって、望月を見て、首を傾げた。 「彼が何か?」 「……俺は奴に何かやったか? 睨まれたんだが」 「きっと自意識過剰というやつです、先輩。あの垂れ目で人を睨むなんて器用なことができるはずありません」 僕はちらっと望月を見遣った。相変わらず情けない顔つきをしている。 順平が落ちかけていた彼を助け起こし、肩を叩いて、「次があるさ」とかなんとか慰めている。 アイギスを見る限り、僕には次は永遠に来ないように思えたが、とりあえず黙っておいた。人間の心の問題ってのは、他人が口を出すことじゃないのだ。 ◆◇◆◇◆ 「美味であります」とアイギスが言った。彼女は満足そうな表情を浮かべていたが、口の周りに抹茶の泡をくっつけたままだった。 「ヒゲついてる」 「ヒゲでありますか」 「うんそう」 僕は笑ってハンカチでアイギスの口元を拭った。彼女はされるがままになっている。 アイギスはどうしてか僕を無心に信頼してくれているように感じる。どうしてなのかは分からない。 「よし、綺麗になった」 「ありがとうございます」 アイギスは律儀に僕に頭を下げた。そう言えば彼女はロボットなのだが、人間みたいに飲み食いする。味も分かるみたいだ。 食事が美味しいって感じることは人間の心の中のすごく大事な部分を占めていると思うから、これは彼女の人らしい心を構成する部分のひとつなんだろうと僕は理解している。 どういう構造なのかは分からないが、その辺りは壊れたテレビひとつ直せない僕が考えたって仕方のないことだ。 「あ」 僕の隣で慌てたような声がして、見ると望月が途方に暮れた顔をしている。 どうやらズボンに抹茶を零してしまったようだった。口の周りも汚れている。僕は呆れて「子供かよ」と言ってやった。 「大丈夫か、まったく……シャツは無事だな、良かった。染みになるから気を付けろよ、ファルロス。お前はほんとに不器用だな」 「うん、ごめん。君には迷惑掛けるね……気を付けるよ」 僕はハンカチで望月の顔と、べたべたになってしまったズボンを拭ってやった。ふと妙な視線に気付いて顔を上げると、順平たちにぽかんとした顔で見られている。 「てか、カルロスって誰よ。外人? ブラジル人? サッカー選手?」 「……あ、そうだよ。あんまり自然だから流しちゃったよ。君もしかして、心の中で僕に変なあだ名とか付けてないかい」 「あ……悪い。間違えた」 僕は慌てて望月に謝った。なんで望月とあの幼い友人を間違えたのだろう? でも意識してじっと見てみると、確かに似ているのだ。 白い綺麗な顔立ちや左目の下の泣きボクロや、全体的な雰囲気のようなものがだ。 僕は望月に「もしかして弟とかいる?」と訊いてみた。 望月は首を振って「いないよ」と答えた。 「誰かに似てるの?」 「あ、いや」 僕はどう説明するべきか口篭もったが、あの少年について説明するにはまず影時間についての講釈から始めなければならないことに思い当たり、結局首を振って「忘れてくれ」と言った。 |