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どうやらもう機嫌を直したのか、順平が「風呂に行こうぜ」と誘ってきた。 いつものことだが、僕には彼がどうして怒っていたのか、なんで機嫌を直す気になったのか、さっぱり分からない。置いてけぼりだ。 今朝から望月と隠れるようにこそこそ何かを話し込んでいたが、内容を僕は知らない。ろくでもないものじゃなければ良いのだが。 「ん? どうしたよ?」 「……いや。分かった。用意してくる」 「急げよ」 順平はへらっと笑って言った。そこには何か良くないものが含まれていたようにも見えたが、僕はあえて見ないふりを決め込んでおくことにした。 ――また覗きがどうとか言い出さなければ良いが。 メンバーは僕と真田先輩、順平と望月という、あまり接点が無さそうなのに変に馴染んでしまっている顔ぶれだった。 望月はペルソナ使いではないが、巌戸台分寮の人間といつのまにかすごく馴染んでいる。波長のようなものが合うのかもしれないなと僕は考えた。 「お前、なかなか鍛えてるじゃないか。夏よりも少し締まったな」 「そうですか?」 僕の身体をじっと注意深く観察して、真田先輩が言った。彼は僕の胸と腹に触って、「だがまだまだ柔らかいな」と言った。 「先輩はわりと硬いですね」 僕も真田先輩にぺたぺた触って言った。さすがボクシング部主将だけあって、すごくバランスの取れた体つきをしている。 「お前もプロテインを飲めばいい。食事にももう少し気を付けたほうがいいぞ。最近外食ばかりだろう」 「海牛の牛丼ばっかり食ってる先輩に言われたくありません」 「俺は寮に持って帰って食ってる」 「……それ本気で言ってます?」 僕らが運動部に良くあるボディ・チェックを行っていると、妙にげっそりした顔つきの順平が「胸の大きさを比べ合う女子じゃねんスから」と突っ込んできた。 「これだから運動部の筋肉バカどもは……」 「何か言ったか、順平。お前はもう少し鍛えたほうがいいぞ。見た目だけで持久力とか耐久力ってもんがない」 「へーい、了解っス」 呆れたような顔の順平と真田先輩がぞろぞろ脱衣所を抜けていく。ふいにぺたっと胸を触られて、僕は変な顔をした。 「……なにやってんだ、望月」 望月が情けない顔つきで僕の身体にぺたぺた触っている。彼はその顔のまま「うん」と頷いた。 「どうしたんだよ」 「……うん」 駄目だこれは、わけが分からない。 露天風呂に入ってしばらくすると、順平が妙にはしゃいだ様子で言った。 「知ってます? この露天風呂、女子と男子の時間交代制なんスよ。もうそろそろじゃないんスかね〜」 彼は締まりのない顔でニヤニヤしている。僕と真田先輩は、例によってげっそりした顔になって項垂れた。僕らは順平の妙な計画に振り回されてばかりのような気がする。 「そろそろって、お前それは犯罪だ……何で俺達を巻き込むんだ!」 「いや、ついうっかり忘れてたんスよ。ホントッス、わざとじゃないッス。なあ、リョ―ジくん?」 「うん、僕も全然知らなかった。これは事故だよね、順平くん」 望月までふやけた顔でにこにこしながら言っている。彼はもうのぼせているんじゃないだろうかというくらいに真っ赤な顔になっているくせに、「僕は幸せ者だ、もう死んでもいい」「バカっ、これからだろこれから」とか順平と盛りあがっている。 女子と混浴になるかもしれないってのはそんなに嬉しいことなのだろうか? 僕には、どうしても集団暴行を受けた後警察に突き出される未来しか見えない。幸せな混浴なんて幻想に過ぎないのだ。 「……おい、バカはほっといて俺達は上がるぞ」 「そうですね、賛成です」 心なしか青ざめた真田先輩に、僕が同意したところで、脱衣所の扉が開いた。 僕らが硬直していると、聞き慣れた声が聞こえてくる。 「うわぁ、ひっろーい」 「雰囲気あるね」 ――信じたくなかったが、岳羽と山岸の声だ。彼女たちの桐条先輩とアイギスを呼ぶ声も聞こえた。途端に、真田先輩が可哀想なくらいうろたえはじめた。彼にとって、桐条先輩はウィーク・ポイントを容赦なく突付かれる天敵なのだ。もしくは飼主と飼い犬のようなものなのかもしれない。 「アイギス、服は脱いだほうが良くない?」 「構わないのですか?」 「ああ。こんな時間に入ってくる人間もそういないだろう。着衣のまま入浴するわけにもいかないだろう?」 「そうそう、いざとなったらこれだけ広いんだもん。隠れるなんて簡単だよ」 ――すごく、まずいことになってきた。このまま彼女たちに見つかったらただじゃ済まない。それこそ七面鳥撃ちだ。僕は震え声で真田先輩に言った。 「せ、先輩、俺アイギスの超磁鋼レールガンの的にはなりたくありません。こんなことなら旅行前に新品の装備を整えさせとくんじゃなかった」 「お、オレもイシスのガルダインの錆にはなりたくないッス。マジ勘弁ッス」 「元はと言えば順平お前が……! いや、お前らは美鶴の処刑を知らないからそんな甘いことが言えるんだ!」 僕らは岩陰に隠れて、縮こまってかなり情けない遣り取りをした。順平は岳羽の疾風属性攻撃に弱く、真田先輩は桐条先輩の氷結属性攻撃に弱い。ペルソナは無意識に人間関係を顕しているというのは本当なのかもしれない。相手に頭が上がらないという面で。 女子連中はそんな僕達の気を知ることもなく、和気藹々と入ってきた。水音と楽しげな笑い声がする。こんな状況じゃなければ、それはきっと僕らに恐怖以外の感情をもたらしてくれたのだろう。でも今はどうしたってそんな気分にはなれない。 僕らの危機感は頂点に達しかけていた。一人を除いて。 「わあ、なんだか美味しいシチュエーションだね。ちょっとでも見えないかな」 望月が立ち上がって身を乗り出している。僕らは青ざめて、このバカ!と心の中で彼を罵った。とりあえず望月を湯の中に沈めておいて、僕らは必死に耳を澄ませた。ちょっとのへまが、生死を決めるのだ。 「……いいかお前ら、ここはタルタロスだ」 「状況的に見てみると、死神とデートするほうがいくらかましだと思いますけど」 「正面突破できねぇもんな……」 「――うえっ、ちょっひどいよっ、すごいお湯飲んじゃったよ!」 望月が水を掻いて、ようやく顔を出した。彼は涙目で苦しそうに咳込んでいる。 「あれ、誰かいるの?」 「どうしたの?」 「うん、なんか物音が……人の声も聞こえたような気がする」 「え……やだなぁ、なんだろ」 僕らは、忍び寄ってくる死神の足音を聞いた。ざぶざぶ、脚が水を掻く音が二人分だ。 僕らは顔色を蒼白にして、岩陰を伝ってにじにじと逃げた。僕は何も悪くないのに、こんなところで変態の烙印を押されてリンチに遭い、警察に捕まるようなことにはなりたくない。真っ当に生きているのが僕の誇りなのだ。 ぐるぐる回り込んでくる岳羽と山岸から逃げつつ、出口を目指そうとして、僕は絶望的なものを見た。この場から逃げ出すにはどうあっても通らなければならないルートに、アイギスが立ち塞がっている。 しかも彼女は装甲を剥き出しにしている格好だった。一目で彼女がロボットだと知れるだろう。ここには望月もいるのだ。僕は後ろからやってくるメンバーに「止まれ」と合図を送った。 「駄目だ! 退け! 脱衣所前にアイギスと桐条先輩がいる……!」 「おまっ、どうすんだよ! 逃げ場ねぇぞ!」 「しょ、処刑は嫌だぞ俺は!」 絶望が肩にのしかかってきた。僕らは一旦さっきまでいた岩の窪みに戻り、顔を突き合わせて、かなり情けない顔で「どうするんだ」と言い合った。 そうしている間にも岳羽と山岸が、今度はべつべつに岩陰を両サイドから回り込んで攻めてくる。もうお終いだ。僕はその時確かに死を覚悟した。 「ねぇ、こそこそしてないでちゃんと出てって謝ってみたらどうかな? 僕らも悪気はないんだし、きっと誠意を込めて謝れば許してくれるよ。怒られるかもしれないけど、なにも殺されるわけじゃないんだから」 望月が、こんな時にまでピュアなことを言っている。「女の子は皆やさしい」が彼の信条なのだろう。でも彼は僕の仲間の女子たちの怖さを知らないのだ。順平がのろのろ頭を振って、「いや、死ぬんだ」と妙にリアリティのあることを言った。 「そうだぞ、土下座して靴を舐めたってあの美鶴がそう簡単に処刑を取り止めるとは思えない」 「先輩、経験談ですか? かなり情けないですね」 「……た、例えだ、例え」 真田先輩がふいっと目を逸らしたのを、僕は見逃せなかった。彼も随分大変なのだろう。 そうこうしているうちに、足音はどんどん近付いてくる。ふいに望月が、「僕に考えがあるよ」と言い出した。 「とりあえず、見逃して欲しいんでしょ? だったら大丈夫、ふたりは岩陰に隠れてて。僕と彼が何とかするから」 望月はにっこり笑って、僕を指名した。何をするつもりなのかは分からないが、僕にはもう上手い策が何も思いつかなかった。お手上げだ。 「ほんとに大丈夫なのかよ、リョ―ジ……」 「うん、安心してよ」 順平がおずおず言うと、望月は自信満々に頷いた。僕はまだ不安を感じていたが、足音はもうすぐそこまで迫ってきていた。腹を括るしかない。 「大丈夫だから、心配しないで。ちょっと我慢してね」 「え?」 望月は言うなり僕を岩壁に押し付けて、唇を合わせた。 (え?) 「え、きゃ……え?」 岩陰を覗き込んだ山岸が、僕らを見付けて悲鳴を上げようとした――のだろうが、声を詰まらせて黙り込んでしまった。無理もないだろう。もし僕がこんなところで異性同士のキスシーンなんて目撃したら、彼女と同じように目を点にするに決まっている。 それよりもなんで僕は望月にキスなんかされてるんだ。彼はアイギスに気があるんじゃなかったか、ということよりも、どうして男同士で何の前振りもなくこんなことになっているんだ。僕は狼狽した。 「何をするんだ」と僕は言おうとして、口を開いたところで、待ち構えていたみたいに望月の舌が入り込んできた。ちょっと待って欲しい。普通ならまだしも、それにしたって大分問題があったように思うが、いくらなんでもディープキスはやりすぎだ。悪ふざけが過ぎる。 「ん……んんっ、」 すぐに息苦しくなってきて、僕は喘いだ。とにかく望月から離れようとしたが、背中を壁に押さえ付けられている上、掴まれている腕を振り解けなかった。そう言えば彼はすごく細いくせ、大分力持ちなのだ。いつかも僕を軽々と抱えてくれていた。 「あ……あのっ、何にもなかったよ……!」 「え、そう? やっぱ気のせいだったのかな」 「う、うん、そうみたい! ね、そろそろあがろ? あの、ちょっとのぼせちゃったみたいなの……」 山岸は慌ててぴゅうっと逃げてしまった。彼女にしたって見なかったことにしたかった光景だろう。 でもちょっと待って欲しい。助けて欲しい。今の僕は、処刑でもなんでも甘んじて受けられるような気がする。 山岸が行ってしまうと、彼女と同じふうに目を点にしていた、隠れていた男連中もようやく我に返った様子で、僕らの間に割って入ってくれた。遅い。今更助けられたところで、僕のファーストキスは男に奪われたままもう永遠に帰ってこないのだ。 「おっ、お前一体何を……」 「りょっ、リョ―ジぃー! な、なにやってんだおま」 「ん? あのね、こないだ見たでしょあれ、映画。敵に追い掛けられている男女ふたりのスパイが、行き止まりで恋人のふりをして追手の目を欺くっていう――」 「男女もスパイも敵の追手もねぇから! つか映画だからあれ! マジに実践すんな!」 「でも効果的だったみたいだよ。ねぇ?」 望月はほっとしたふうに、にっこり僕に笑い掛けてきた。彼には僕のように呆然とした気配はなかった。 女子の扱いに慣れている彼にとっては、今更キスのひとつやふたつ何でもないのだろう。もしかしたら生活上の習慣のようなものなのかもしれない。外国じゃ、挨拶がわりにキスしたりお互い抱き合ったりするんだということを、僕は知識として知っていた。 でもひどすぎる。こんなのってあんまりだ。僕だって人並みに、恋愛とかキスとかいうものに幻想を抱いていたのだ。なのに初めてがこんな事故とも悪ふざけとも言える状況で、しかも相手が男だなんて、一体僕が何をしたって言うんだ。 望月が急に驚いた顔つきになって、ぴたっと止まった。 「……あ」 彼は僕の頬に触り、焦った様子で「泣かないで」と言った。 「そ、そんなに……そんなにいやだった?」 なんでか望月はすごく傷付いた顔をしている。そういう顔をしたいのは僕のほうだ。 僕は悔しくなってきた。見開いた目から、涙が零れてきた。 なんだかすごく手酷く裏切られたような気分だった。順平にひどいことを言われた時よりも、僕はずっと苦しかったと思う。 僕は望月のことが好きで、彼みたいないい奴を見たことがないと思っていた。漠然と、彼は僕の嫌がることや、僕に対してひどいことをしないだろうと思っていた。 そうやって寄せていた信頼を突っ返されたような気分になって、そうされたことがきっと僕は悔しかったんだと思う。 「ご、ごめんね。ごめん、僕そんなつもりじゃ――」 望月が僕の頬を手のひらで包み込んで、すごく辛そうに言った。そんな顔をするくらいならはじめからやらなきゃ良かったのだ。全員潔く桐条先輩の処刑でも受けて半殺しにされていれば良かったのだ。 「と、とりあえず落ち付け! 離れろ! 頭を冷やせ!」 「りょ、リョ―ジ! やばい、今は離れとけ。なっ?」 真田先輩と順平が、望月から僕を引っぺがそうと、両側から僕の腕を引き、 ――そこで、僕らは鬼を見た。 気が付くと、もう上がったのかと思っていたが、女子連中が顔を揃えて僕らのすぐそばで仁王立ちしていた。これだけ大騒ぎしてしまったのだ。彼女たちも気付いたのだろう。 彼女らは皆一様に、ゴミに群がるゴキブリでも見るような冷めた目をしていた。 「――深夜に露天風呂で、同性に対して集団レイプ行為か。絶望的だな明彦」 「順平、あんた何やってんの? ……ほんとに、何やってんの?」 僕はほとんど望月に押し倒されるような格好になっていた。僕を引っ張り出そうと腕を掴んでいる真田先輩と順平は、逆に僕を押さえ付けているふうに見えたかもしれない。 「――あなたは、やっぱりダメです」 アイギスがまるきり敵シャドウを見る目で望月を睨んでいる。そこには最近良く見せるようになった人間らしいひかりはない。あるのは鋼鉄の機械の冷たい輝きだけだ。 「三人、処刑だな」 桐条先輩が、彼女が得意とする氷結スキルよりも冷たい声で宣告した。 |