――フォース」
「了解」
 合図を送ると、僕の意図は簡単に伝わってくれた。フォースのジャミングが塔の庭を覆う。馴染みのない『お嬢様』に口を出されて全滅するよりは、あとで探索員にどやされるほうがいくらかましに思えた。
「なんや、わしらエージェントらしいで」
 シックスが仮面を取って面白そうにニヤニヤ笑っている。でもその顔には、幾分自嘲の感触が見て取れた。
 僕らは作られた。少し前に現れた影時間の塔を調査するためだ。ここには得体の知れないシャドウと呼ばれる化け物がうようよしていたから、普通の人間じゃすぐに心を食われてしまう。
 まず集められてすぐ、人格を武器に変えられた。これはペルソナ能力と呼ばれている。それから僕らはほとんどまともな訓練も受けずに塔の中へ放り込まれた。それがほぼ毎晩続いている。
 集められた子供は、はじめは百人ばかりいたのに、今じゃもう両手で足りるくらいだ。定期的に行われる能力調査で優れたものから順番に番号が与えられる。
 今の所、僕は一番だから『ファースト』だ。白い肌の落ち付いた子供は『サード』。サポート能力に特化している長い髪の女の子は『フォース』。変な方言を喋る眼鏡は『シックス』。数が少ないから嫌でも顔を覚える。
「なんも知らんちゅうのはええこっちゃなぁ。ええご身分やなあ。にしても、このマスクはどうにかならんもんかな。ムレるし、前見えへんし、息がでけへんでかなわん」
 シックスは少々騒がしいところがある。ぶつぶつ文句を言って、フォースに「うるさい」と怒られている。
「シャドウが寄ってきたらあんたのせいよ」
「大丈夫やて、チドリ。この辺まだ雑魚ばっかりや。いざとなったらタカヤとカオナシがおるしな」
「……名前で呼ぶな。聞かれたらことだ」
「チドリのジャミングがあるのにか? ありえへん。お前はほんまにお堅いやっちゃなー」
 シックスは聞いたふうもない。僕は肩を竦めた。言っても無駄なのだ。
「それよりもジャミングを展開させたのはいい判断です。我々もこれ以上数を減らすわけにはいきませんからね」
「べつに……口を出されるのが嫌いなだけだ。僕らは僕らでやる。フォース、外部へのジャミングを維持しながらサーチはできそうか。無理ならいい。今日は僕がサポートに回る」
「やってみる」
「お前はホンマ器用なやっちゃなぁ。これが器用貧乏っちゅーやっちゃな」
「ジン、貧乏は余計です。ちゃんと誉めてあげなさい」
 サードとシックスが好きなことを言っている横で、フォースはメーディアを召喚して、「なんとかなりそう」と言った。
 僕らは着けることを義務化されている表情のない仮面――自己を抑制する手段のひとつなのだそうだが、単純に息が篭って不快感を与える程度のものでしかないように思える――をさっさとバックパックに入れて、塔の探索を開始した。





「自由ということをどう思いますか?」
 探索中、サードがまた良く分からないことを言い出した。彼はたまにこういうところがある。意味が理解出来ない問い掛けだ。僕は「知るか」とそっけなく言った。
「黙って歩け」
「それは随分気が滅入るでしょう?」
「せやなぁ……」
 喋りたくて仕方がないらしいシックスが問い掛けに乗った。彼には言葉の意味なんてどうでも良いものなのだ。ただ喋りたいだけだ。たぶん。
「ここから外に出れることとかか? 前みたいに施設暮らしとか……昔は昔で嫌なことめっちゃあったけど、ここに比べたら天国や」
「ではそうだと仮定して、ジンはまず外に出たら何がしたいと思いますか?」
「たこ焼き食いに行きたいかなぁ。地元にめっちゃ美味い店あってな、昔一回だけ食ったことあんねん。食い逃げやったけど。また食いたいなぁ……」
「ベタ。関西人……なんだか腹が立ってきた」
「理不尽やん!」
「まあ、我々の食生活なんてあって無いようなものですしね。ジンらしい。チドリ、あなたは?」
「…………絵。描きたい。スケッチブックに、鉛筆で、好きなだけ」
「お前の絵って、あの気色悪い血文字やん……あたたたた! 耳引っ張らんとって!」
「それではあなたはどうです、カオナシ。私にはあなたが何かを強く望むところなど、想像もつかないのですが」
 僕は肩を竦めて、「べつに」と言った。望むところなんて何もなかった。
「お前の言う自由は、僕らの能力が必要なくなり、命令が下されなくなるってことだろう。じゃあ僕が生かされている意味もない」
「まったくあなたは、たまに人間であるということを疑いたくなります。ですが私はあなたのそういうところは、非常に好ましいと思える。尊敬していますよ」
 「どうでもいい」と僕は言った。でも少し考えて、思い当たることを言った。
「自由になるとしたら、それは僕らが死ぬ時だと思う」
「夢も希望もないやっちゃな……」
「ではもし世界に滅びが訪れれば、人類すべてが自由になると言うのですね?」
「そんな大層なことは言ってない」
「私もあなたと同意見です。私にはいつかやりたいことがある。やらなければならない。その時にあなたが近くにいてくれれば非常に心強い。あなたの強さを、きっと私は必要とするでしょう」
「どうでもいい。好きにしろ」
 僕は肩を竦めて言った。
「でも僕らにいつかなんてものは永遠に来ないよ」





 きりのいいところで探索を打ちきってエントランスに戻ると、予想通り『探索隊』はかなりかっかとしていた。どうやら僕らがお嬢様をないがしろにしたことが気に入らないらしい。
 彼らは僕らが言うことを聞かないと、途端に不安そうになる。僕らのことが怖いのだ。
 無理もないなと僕は考えた。彼らにとっては、僕らもシャドウも得体が知れないという点でそう変わらないのだ。
 今日はジャミングを展開したフォースにまず平手打ちが飛んでくることは予想していたから、僕は彼女と探索員の間に自分の身体を割り込ませた。ひどい体格の差があるせいで、僕は簡単に弾き飛ばされて、エントランスの床に転がった。
 いろんなところを打ったせいで全身が痛かったが、僕が命令したのだ。しょうがない。ここで僕が庇わなきゃ、フォースは次から僕の命令を聞かないだろう。
 僕は身体を起こし、頭に手を当てて敬礼した。
「フォースは僕の命令に従っただけです。僕が命じました」
「何故そんなことを? 我々はそんなことをお前に命令していないぞ」
「現場における指揮は、リーダーである僕に全面的に任されています。飛び入りの新人のナビゲートに従って、これ以上人員に欠損が出ないように配慮したつもりです」
「な、なんだとこの……」
 探索隊員は怒りで顔を赤黒くしている。もう一発くらい殴られるかもしれないなと僕は考えた。
 こんなことになるのはわかりきっていたので、エントランスに帰還する前に打撃耐性のペルソナに付け替えておいたが、耐性があったって痛いものは痛いのだ。
 でも次が来る前に意外なところから助けが入った。例のお嬢様だ。彼女もきっと怒っているだろうと思っていたのだが、意外に冷静な顔をしている。
「いい。やめたまえ。私の前でこれ以上、こんな子供に手を上げるんじゃない。それに彼の言っていることに間違いはない。私は経験が圧倒的に彼らよりも少な過ぎる――大丈夫か」
 彼女は僕のそばへやってきて、ポケットからハンカチを取り出し、僕の擦り剥けた膝に当てた。
 それからちょっと迷って、召喚器を頭に当て、ペルソナを呼び出した。回復を促す光が僕を包む。召喚時の迷いから、彼女は能力を得てからそれほど時間は経っていないだろうと僕は踏んだ。
――この程度なら、放っておいても問題はありません。明日には傷は消えています」
「子供がそんな口を利くんじゃない。……しかし、君はすごいやつだな」
「意味が分かりません」
「いいさ。ただ私がそう思ったんだ。なあ、私のペルソナも少しは役に立つだろう?」
――そのようですね」
 僕は素直に頷いた。さすがに自然覚醒しただけのことはある。彼女のペルソナに歪みはなく、力強い。
「……その仮面を取って、君の顔を見せてくれないか?」
「これが僕たちの顔です。顔を取り外すことはできません」
 後ろのほうでシックスがちょっと吹き出しそうになったのだろう、身体を傾けて、慌てて姿勢を引き締めている。僕みたいに殴られてはたまらないと考えているのだろうが、彼はいちいち分かりやすすぎる。
「できればゆっくり話がしたい。また会えるか」
「死ななければ」
 僕は頷いて彼女から離れた。シックスの傍を通る時に、彼は僕にしか聞こえないくらい小さな声で、「ヒュー口説かれとるぅ」と言った。うるさいのだ。
 僕は仲間たちの前に立ち、背中で腕を組んで、「それでは本日の影時間の探索を終了する」と言った。
「全員解散。次の影時間まで、各自の任務に戻れ」
『了解』
 塔を出たところで、影時間が終わった。
 僕らの後ろにはもう異形の塔はなく、ただ静かに夜の学舎が佇んでいる。
 きっと僕らは影時間以外にその場所へ入り込むことなく一生を終えるんだろう。そう思うと、意味もなく身体が冷えた。
 どうしてだろう。僕は学校へ行っていた記憶なんかないのに、それをすごく懐かしいもののように感じてしまうのだ。





――報告は以上です、ドクター。本日の探索も問題ありません」
 研究所に戻って、僕はいつものようにドクターに報告を行った。彼はいつもと同じように「ふうんそう」と頷いた。
 ドクターは表向きの僕の父親がわりのようなものだ。他の孤児たちと僕をまるで違うもののように扱う。それは僕が優秀だからだという。加えてどうやら彼は、生前の僕の母と知り合いだったのだそうだ。僕は母のことなんて覚えてはいないが。
「今日はちょっと手間取ったね」
「はい。少々探索隊の邪魔が入りました。桐条のペルソナ使いが来ていました」
「ああ、彼女ね。うん。ちょうど良かった。今のうちから本物のペルソナ使いを統率することを覚えておくんだ。じきに君には必要になるだろう」
「はい、ドクター」
 僕は行儀良く頷いた。彼の前では、僕は探索隊員たちに対するように、無礼な態度を取ることはできない。僕は彼に望まれるままを行うことしかできないのだ。
「いや、しかし、まだ早いかな――生贄の数が揃ってないし、君の中にいるものに関しては、大分慎重に育まなきゃならないんだ。この世に二つとないんだからね。君も、十三番も、どちらも」
 そして、彼は言った。
「しばらく君にはこの場所を離れてもらおうかな」
 僕は、さっきサードが話していたことを思い出していた。自由の話だ。僕が必要とされなくなって、命令を下してもらえなくなることだ。
 僕はぎゅっと手を握り込んで、「それは僕が必要ではなくなったということでしょうか」と訊いた。身体が震えそうになるのを、僕はなんとか自制した。
 ドクターは笑って、「いや、逆だよ」と言った。
「大事だからさ。君にはすごく大きな役割があるんだよ。時がきたら、僕は君のスイッチを入れる。ここへ呼び寄せる。その時まで少し休みなさい。失敗は赦されないんだ」
「はい、ドクター」
「君はいい子だな」
 ドクターは僕の頭を撫でて、「ゆっくり眠りなさい」と言った。
「良い夢を」
「はい、おやすみなさい、ドクター幾月」
 僕はそう言って、頭を下げた。






◇◆◇◆◇






 海のなかをふわふわ漂っているようだ。上を向いているのか下を向いているのか、僕は誰で、ここはどこなのか、なにも思い出すことができなかった。
 ただ暗くてあたたかくて、規則正しい脈動が、ずうっと途切れることなく聞こえてくる。
 僕はそこにいた。
 ふと、誰かに話し掛けられたような気がして、僕は耳を澄ませてみた。でも誰もいない。
「だれ?」
 僕は言った。
「出ておいでよ」
 見えない誰かはすごくびっくりした様子だった。なんだか僕に見つかるとは夢にも思ってなかったってふうだ。
 でも姿を現さない。もしかするとすごく照れ屋なのかもしれない。
 それでも僕はちょっとほっとしていた。ここにいるのは僕ひとりきりじゃないのだ。
「じゃ、気が向いた時でいいよ。なにか、なんでもいいから、お話をしよう」
 辺りは真っ暗で何も見えなくて、正直なところ僕は不安だった。でもこんなところでも誰かがそばにいるってだけで、僕はすごく安心したのだ。僕は微笑んで言った。
「待ってるよ」








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